平成11年(ワ)第768号 損害賠償等反訴請求事件
反訴原告(本訴被告)中村秀樹
反訴被告(本訴原告)都市基盤整備公団
鑑定意見書
神奈川大学法学部教授
阿部浩己
(末尾に履歴書添付)
2002(平成14)年1月31日
千葉地方裁判所松戸支部御中
はじめに
本意見書は、反訴原告の求めに応じ、一件記録を踏まえ、下記依頼事項について所見を申し述べるものである。
(鑑定依頼事項)
1居住権に関する国際法の到達点について
居住権の我が国における法規範性について
居住権の観点より見た、本件明渡断行の評価について
1居住権に関する国際法の到達点
(1)社会権規約、一般的意見
長く国家間の関係を規律する法体系として機能してきた国際法は、平和と人権の密接な関係が認識された第二次世界大戦を契機に、その姿を大きく変容させることになった。人権の尊重は、国際社会の準憲法とでもいうべき国際連合憲章(1945年採択)で平和の実現とともに機構の目的に掲げられ、その後1948年に世界人権宣言が採択されると、これをきっかけに、地球上のすべての人間に保障される人権規範を定める国際文書が次々と作成されていくことになった。こうして国際法は、21世紀を迎えた今日、国家と個人あるいは個人と個人の関係を明瞭に規律の対象に取り込む法体系に変貌し、人権の保障は、国際法の存在理由の一つに位置づけるまでになっている。
本意見書において所見が求められている居住権は、多くの国際人権文書において、最も重要な人権規範の一つとして認められているものである。それらの文書を例示すれば、次のとおりである。世界人権宣言(25条1)、経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(11条1。なおこの条約は、以下、社会権規約と略称する。)、あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約(5条(e)(iii))、女性に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約(14条2(h))、子どもの権利に関する条約(27条3)、難民の地位に関する条約(21条)、あらゆる移住労働者及びその家族構成員の権利の保護に関する国際条約(43条1(d))。これら国際人権文書のなかで、居住権の内容をもっとも明確に示しているのは社会権規約である。同規約において定められた居住権の実態を考察することにより、国際法における居住権の相貌を知ることができる。
社会権規約は1966年12月16日に国際連合総会で採択された条約で、日本についても1979年9月21日に効力を生じている。居住権は、そのなかで、「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳及び平等のかつ奪い得ない権利」(前文第1段)の一つして、11条1で、次のように規定されている。「この規約の締約国は、自己及びその家族のための適切な・・・住居を内容する適切な生活水準についての並びに生活条件の不断の改善ついてのすべての者の権利を認める」。(1979年8月4日に公布された本条約の公定訳は、「適切な」というところが「相当な」となっている。これはadequateという英語の訳なのだが、本意見書では、権利の内実と日本語の本来の意味を踏まえ、よりふさわしいと考えられる「適切な」という語を用いる。また、「住居」はhousingという英語の訳だが、本意見書では、文脈に応じて「居住」という語も用いる。ちなみに、社会権規約の正文に日本語は含まれていない(同規約31条参照)。公定訳といえども条約の訳文にすぎないことはいうまでもなく、条約法に関するウィーン条約33条が指示するように、条約の解釈は、常に正文に立ち戻ってなされなければならない。)
この条項の内容を具体化してきているのは、社会権規約の履行を国際的に監視する「経済的、社会的及び文化的権利に関する委員会」(以下、社会権規約委員会)である。現行の社会権規約委員会は、国際連合経済社会理事会決議1985/17により設置されたもので、人権の分野において能力を認められた18名の独立した専門家から成っている。社会権規約の締約国は、16条1により「この規約において認められる権利の実現のためにとった措置及びこれらの権利の実現についてもたらされた進歩に関する報告」を、社会権規約委員会に定期的に提出する義務を負う。同委員会はそうした報告の審査を行い規約の履行を促すとともに、一般的意見(General Comment)などを通じて、精力的に各条項の規範的明確化をはかっている。
一般的意見は社会権規約委員会により適宜提示されるものだが、居住権については、1991年に示された一般的意見第4号でその内容が詳細に定式化された(General Comment No.4(1991),U.N.Doc.E/1992/23.一般的意見第4号を訳出したものに、申ヘボン「『経済的、社会的及び文化的権利に関する委員会』の一般的意見」青山法学論集38巻1号102−110頁)。当該一般的意見で示された居住権の内容は、国際連合人権委員会の下部機関である「差別の防止及び少数者の保護に関する小委員会」(現在は、「人権の促進及び保護に関する小委員会」と改称されている。以下、この委員会は、人権小委員会と略称する。)において、適切な住居への権利を調査研究するため任命された特別報告者の報告書(Rajindar Sachar, The Right to Adequate Housing: Progress Report,U.N.Doc.E/CN.4/Sub.2/1993/15)でそのまま踏襲されたほか、居住権に関する国際的な学術文献のなかでも繰り返し引用され、確認されてきている。たとえば、その代表的なものとして、Matthew Craven, THE INTERNATIONAL COVENANT ON ECONOMIC, SOCIAL AND CULTURAL RIGHTS: A PERSPECTIVE ON ITS DEVELOPMENT 329-347(Clarendon Press,1995); Scott Leckie, ”The Right to Housing,” in ECONOMIC, SOCIAL AND CULTURAL RIGHTS: A TEXTBOOK 107-123(Asbjorn Eide,Catarina Krause & Allan Rosas eds.,Martinus Nijhoff Publishers,1995)。日本でも、国際人権規約の注釈書である宮崎繁樹編『解説国際人権規約』(日本評論社、1996年)73―78頁[上柳敏郎執筆担当]をはじめ、今井直「社会権規約における締約国の義務の性質」島田征夫他編『変動する国際社会と法』(敬文堂、1996年)233―236頁、藤本俊明「忘れられた人権侵害と外国人の居住権保障」田中宏・江橋崇編『来日外国人白書』(明石書店、1997年)248頁、熊野勝之編著『奪われた「居住の権利」−阪神大震災と国際人権規約』(エピック、1997年)200―212頁など、居住権を分析する国際法の文献は例外なく一般的意見第4号に依拠している。さらに、社会権規約委員会によって示された居住権の内容は、国際連合人権センター(現、国際連合人権高等弁務官事務所)が頒布している人権冊子(Human Rights Fact Sheet No.21: The Human Right to Adequate Housing(1993))を通じて、全世界的規模で広められることにもなった。
一般的意見第4号が国際法における居住権の内容を指し示す最適の資料であることについて、実務上も学説上も一般的な了解があることは疑いないが、これを条約の解釈規則に従ってさらに敷衍すれば、次のようにいうことができる。条約の解釈規則は、国際慣習法を法典化した条約法に関するウィーン条約31条および32条に示されている(日本もこの条約を1981年に締結している。)。居住権条項の解釈は、これらの条項に体現された国際法上の規則に則って行われなければならない。同条約31条1によれば、「条約は、文脈によりかつその趣旨及び目的に照らして与えられる用語の通常の意味に従い、誠実に解釈する」ものとされる。条約の解釈上、文脈というときは、前文も含まれる(同条2)。31条の解釈手段によって意味が確定されない場合には、32条により、解釈の補足手段を採用することができる。
一般的意見は、ここでいう解釈の補足手段にあたる。周知のように、条約の履行を監視する機関によって作成される一般的意見が条約解釈の補足手段になることは、日本の判例上も、何度となく認められてきている(大阪高判1994・10・28判時1513号86頁、高松高判1997・11・25判タ977号65頁、広島高判1999・4・28平成7年(う)第74号など)。社会権規約の居住権条項は、「用語の通常の意味」によっては意味の確定が困難であり、したがって、解釈の補足手段に依拠することは半ば必然的といわなくてはならない。一般的意見はそうした際に採用すべき補足手段の一つであり、こうして、居住権条項の解釈にあたり社会権規約委員会の一般的意見を参照することは、国際法により定められた条約の解釈規則に即応した法的営みということにもなる。
以上の前提を踏まえ、次に一般的意見第4号によって示された居住権の内容を具体的にみてみることにする。なお、以下の(2)では居住権の内容のみを示すこととし、この権利の裁判規範性にかかわる問題などについてはその後に検討することにする。また、占有権保障との関係で、社会権規約委員会が、一般的意見第4号とは別に一般的意見第7号(General Comment No.7(1997),U.N.Doc.E/1998/22. 一般的意見第7号を訳出したものに、申ヘボン「『経済的、社会的及び文化的権利に関する委員会』の一般的意見(二)」青山法学論集40巻3・4合併号378−385頁)を採択し、そこで特に強制退去(立ち退き)の問題に論及しているので、以下ではあわせて参照することにする。なお、強制退去に関しては、国際連合人権センターが1996年に公刊した強制退去に関する冊子(Human Rights Fact Sheet No.25: Forced Evictions and Human Rights)と、同じく強制退去に関する1996年の国際連合事務総長報告書(Guidelines on International Events and Forced Evictions,U.N.Doc.CN.4/Sub.2/1996/11)も参照することにする。
()居住権の相貌
国際法上、居住権は、安全で、平和に、そして尊厳をもってある場所に住む権利とされている。この権利は、プライバシーをはじめとする他の人権規範と密接に関連しており、また、社会権規約11条2は、単なる居住権ではなく、「適切な」居住権の実現を求めている。したがってそれは、ただ単に頭上に屋根があるだけの避難所といった、狭く制限的な意味で解釈されてはならない。もとより、居住権は、社会的に有利な人々に特権として与えられるものでも、社会的に不利な人々に恩恵として与えられるものでもなく、「人間の固有の尊厳に由来する」(社会権規約前文第2段)基本的人権である。
居住権は、住居へのアクセス、継続的な居住の保障、居住の質的保障、という三つの側面に分けて把握できる。まず第一に住居へのアクセスについてみると、ここでは、住宅の供給と家計適合性、差別の問題が特に問題となる。社会権規約の締約国は、住宅の供給を自らすべて行う責任まで負っているわけではなく、民間と公共との適切な割合での住宅供給が行われればよい。もっとも、住宅供給のための政策策定にあたり、当事者との広範な協議およびその参加を得ることが求められる。また供給される住宅の価格あるいは家賃は、適切な居住を阻害するものであってはならない。住居にかかわる財政的負担は、その他の基本的ニーズの達成が脅かされるレベルであってはならず、家計に適合した住居を入手できない者には、住宅のニーズを適切に反映した補助金制度などが提供されなくてはならない。このほか、賃借人は、不合理な家賃・賃上げからの保護を受ける。
社会権規約2条2は、「締約国は、この規約に定める権利が人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、出生又は他の地位によるいかなる差別もなしに行使されることを保障することを約束する」と定める。居住権の行使にあたっても、当然に、こうした差別は禁止される。「他の地位」のなかには、高齢者、子ども、障害者、疾病者などが入ることになろうが、これに限られることなく、失業者や低所得層なども含め、不利な条件にある人びとには、住居へのアクセスを実質化するため、優先的な考慮が払われなくてはならない。
第二に、居住の継続的保障について。ここでは、とりわけ占有権の保障が問題になる。居住問題に関わる国際社会の現況が示すとおり、占有権の保障は、居住権の確保にとって要の位置を占めるといって過言でない。占有は、賃貸住宅、共同住宅、借家、自己所有、応急住宅、非公式の定住など様々な形態をとるが、その形態のいかんにかかわらず、すべての人は、強制立ち退き、嫌がらせ、脅しなどから法的に保護される程度の占有権を保障される。そのような保護を欠いている者については、当事者との真正な協議により、占有の法的保障を与える即時の措置がとられなくてはならない。
占有権は絶対的な権利というわけではなく、一定の場合には立ち退きを強制することも認められる。しかし、そうした強制退去は、規約の要請に適合しないとの推定を受け、最も例外的な事情において、かつ、関連する国際法の原則に従ってのみ、正当化される。強制退去については、国際連合人権委員会決議1993/77(1993年3月10日採択)や人権小委員会決議1995/39(1995年8月24日採択)などが、「居住権の重大な人権侵害」としてきわめて強い非難を重ねてきている。都市部の再開発(建て替え)や「浄化」(スラムの撤去)、巨大ダムの建設などを理由とする立ち退きの強制が世界各地で大規模に行われていることへの当然の憂慮表明である。もっとも、だからといって、国際法上あらゆる場合に強制退去が禁止されているわけではない。ただ、社会権規約委員会がいうように、強制退去はまず国際法上違法という推定を受けるのであり、その推定は、「最も例外的な事情において、かつ、関連する国際法の原則に従って」いるということが示されてはじめて覆されるのである。
強制退去とは、当事者(個人、家族、共同体)がその意思に反して、占有している家屋や土地から恒久的にまたは一時的に立ち退かされることをいう。これは、居住権のみならず、プライバシーや健康への権利、教育への権利、あるいは生命の権利など、関連する人権諸規範を重層的に侵害する事態につながりかねない。したがって、それを正当化しうるのは「最も例外的な事情」がある場合に限られている。いかなる事情をもって「最も例外的」というのかは、個別具体的な事案に即して決せられるべきものだが、たとえば、近隣に対する人種差別的あるいは執拗な反社会的言動、支払い能力があるのに正当な理由なく賃料の支払いを拒み続けること、賃貸物件を正当な理由なく破壊すること、他人の権利を侵害する明白な犯罪的言動などは、一般的にいって、そうした事情に該当するものと思料される。
ただ「最も例外的な事情」があったとしても、それをもって即座に強制退去が正当化されるわけではない。強制退去は「関連する国際法の原則に従って」行われなくてはならない。「関連する国際法の原則」の一つは、代替措置の誠実な追求である。ここでは特に、立ち退きが強制される場合において、適切な代替住居の提供および/または適切な補償金の支払いが求められる。強制退去が断行される場合には、当事者が以前よりも劣悪な生活条件を強いられることがあってはならず、少なくとも、当事者がホームレス状態に陥ったり、他の人権侵害が引き起こされるような事態は回避されなくてはならない。
「関連する国際法の原則」のもう一つは、手続的保障である。立ち退きの問題について協議する真正な機会が提供されなくてはならない。立ち退きに代わり得るあらゆる実現可能な措置が、当事者との協議を通じて探られなくてはならない。強制退去は、往々にして、居住水準の向上などを理由に、「やむを得ないもの」あるいは「公共の利益を促進するもの」として実行される。表面上掲げられた理由のいかんにかかわらず、立ち退きに代わる措置をとる余地が真に存しないのかが誠実に検討されなくてはならない。また、強制退去に先立って当事者に適切で合理的な通知がなされることも求められている。強制退去の合法性を争う実効的な司法的救済の必要性についてはいうまでもない。
居住権の中核ともいえる占有権の法的保障を制約する強制退去は、このように、最も例外的な事情がある場合に、適切な代替措置(補償措置)と適正な手続的保障を伴ってはじめて合法化される。そのいずれが欠けても、強制退去は居住権を侵害する違法な行為となる。
第三は、居住の質的保障である。これはさらに、サービスや設備などの利用可能性、居住性、立地条件、文化的相当性に細分される。まずサービスや設備などの利用可能性とは、健康、安全、快適さ、栄養の確保に不可欠な設備の確保のことをいう。安全な飲料水、調理、暖房および照明のためのエネルギー、衛生および洗濯設備、食料貯蔵手段、ゴミ処理、排水設備などが継続的に利用できなくてはならないということである。居住性とは、居住者に十分なスペースを与え、かつ、居住者を寒さ・湿気・暑さ・雨・風・その他の健康への脅威、構造的危険、病原菌の媒介生物から保護することをいう。居住性は、サービスの利用可能性とも重なり合うものだが、それにとどまることなく、建物の構造にも深く関わっている。不適切な欠陥住宅がしばしば死亡率や罹患率の増加を引き起こしていることがこの観点から問われることになる。
立地条件とは、住居が雇用の選択肢、健康ケアサービス、学校、子どものケア施設、その他の社会施設へのアクセスを可能にするものであることをいう。立地条件は、過度の通勤時間・費用をかけることなく人々が正常な生活を営むことを可能にし、さらに、汚染された地域あるいはその近くに住宅が建築され住人の健康が害されるようなことがあってはならないことを求めている。最後に文化的相当性とは、住宅の建築方法や建築資材、それらを支える政策が文化的アイデンティティを適切に反映するよう求めるものである。文化的要素を無視した住宅の建築により、人々の生活を支える伝統的コミュニティの存在が危殆に瀕するおそれがあることが認められている。
社会権規約11条1の定める居住権は、このように、きわめて豊かな内容をもった人権規範として立ち現われている。
()締約国の義務
必ずしも日本に限られることではないが、社会権規範については、自由権規範と違って、プログラム的あるいは政治目標的な内容をもつにすぎず、具体的な義務を国家に課すものではない、という議論が現在でもみられる。このような議論は社会権規約についてもそのままなされてきた。たとえば、もっとも最近のものでいうと、「国際人権規約について」という演題のもとに実施された「平成11年度総括裁判官研究会」(1999年7月7日)において、横田洋三・東京大学教授(当時)は、社会権規約(特に6条および7条の労働権規定)を解説して次のように述べている。「これは努力規定ですから、実現努力規定ですから、直ちに違反ということではないのですね。その方向に向けて努力しているということが大事なのであって、直ちに違反ということにはなりません」(同研究会講演要旨15頁)。
社会権規約が単なる努力奨励文書であるということになると、居住権の内容がいかに豊かに構築されても、その実現はいちじるしく困難になる。だが、社会権規約の義務の性質を横田教授のように理解することは、かつては一般的であったとしても、国際法の現在の理論/実務水準とは明らかに適合しない。自由権規範は具体的で即時の義務を国家に課すのに対し、社会権規範は抽象的な努力義務しか課さない、という単純な二分論的理解は、現在の国際法の水準からはかけ離れている。
社会権規約が国家に具体的な義務を課すものではないという理解は、締約国の義務について定めた社会権規約2条1の次のような規定ぶりによって促されてきた。
「この規約の各締約国は、立法措置その他のすべての適当な方法によりこの規
約において認められる権利の完全な実現を漸進的に達成するため、自国におけ
る利用可能な手段を最大限に用いることにより、個々に又は国際的な援助およ
び協力、特に、経済上及び技術上の援助及び協力を通じて、行動をとることを
約束する。」
なかでも「漸進的」という語の使用が、社会権規約の義務の性質を努力奨励的なものと解する決定的な要因になってきたように見受けられる。しかし、一般的意見第3号(General Comment No.3(1990),U.N.Doc.E/1991/23. 一般的意見第3号を訳出したものに、申ヘボン「『経済的、社会的及び文化的権利に関する委員会』の一般的意見」青山法学論集38巻1号97−102頁)が指摘するように、漸進的に達成すればよいとされているのは関連諸権利の「完全な実現」なのであって、それまでの間、国家が何ら具体的な義務を負わないということではない。国家は、社会権規約を締結したことにより、諸権利の完全な実現を漸進的に達成するため、利用可能な手段を最大限用いて、即時に必要な行動を始める(あるいは控える)義務を負っている。完全な実現には時間がかかろうが、そのための行動は即時に起こさなくてはならない。いかなる行動が即時にとられるべきもので、いかなる行動が後にとられれればよいのかは、権利・義務の性質に応じて一様でないが、いずれにせよ、漸進的実現義務を抽象的な努力義務あるいは政治宣言的な目標に解消してしまう理解は、社会権規約委員会によっても、内外の支配的な学説によっても支持されていない(社会権規約委員会の一般的意見第3号以外に、学説としては、前述した Matthew Cravenをはじめとする諸論者のほか、Asbjorn Eide, ”Economic,Social and Cultural Rights: A Universal Challenge,” in ECONOMIC, SOCIAL AND CULTURAL RIGHTS: A TEXTBOOK (Asbjorn Eide,Catarina Krause & Allan Rosas eds., Martinus Nijhoff Publishers,1995)など、他にも多数)。
また、社会権規約2条1において権利の実現は「立法措置その他のすべての適当な方法に」よるとされているが、このことは、社会権の実現がすべからく立法裁量に委ねられているわけではない、ということを意味する。むろん立法が必要な場合が少なくないことはいうまでもないが、それで事足れりというわけではない。また、社会権は立法措置を介さずに実現されることもある。ここでは「立法措置」と「その他のすべての適当な方法」が併記されていることを確認しておきたい。
ところで、近年、国際社会では、自由権、社会権を問わず、すべての人権の一体性・相互不可分性が多くの機会をとらえて強調されるようになっている。たとえば、1993年の第2回世界人権会議で採択されたウィーン宣言及び行動計画第5は、次のように規定する。「すべての人権は、普遍的であり、不可分かつ相互に依存し相互に関連し合っている」。このような認識により、自由権と社会権とを截然と二分する思考は、学説上も実務上も急速に支持を失いつつある。今日では、自由権、社会権を問わず、人権の実現のために国家の負う義務は次のような三層構造のもとに理解するのが一般的である。(この点は、社会権規範について特に妥当する。1997年1月22日から26日にかけて、社会権規約の効果的な実施を促すためオランダのマーストリヒトで開催された国際専門家会議において採択された「経済的、社会的および文化的権利の侵害に関するマーストリヒトガイドライン」(“The Maastricht Guidelines on Violations of Economic, Social and Cultural Rights,” HUMAN RIGHTS QUATERLY,Vol.20,pp.693-694)参照。このガイドラインの注釈として、Victor Dankwa, Cees Flinerman & Scott Leckie, ”Commentary to the Maastricht Guidelines on Violations of Economic, Social and Cultural Rights,” Id.,pp.705-730.また、義務の三層性について詳論した、社会権規約委員会の一般的意見第14号(General Comment No.14(2000),U.N.Doc.E/C.12/2000/4)も参照)。
三層構造とは、尊重義務、保護義務、充足義務という三つの層から国家の義務が構築されていることをいう。尊重義務とは、国家自らが人権侵害を行うことを控えること、保護義務とは、国家が第三者によって行われる人権侵害を規制すること、そして充足義務とは、個人の自助努力によって達成され得ない側面を国家が補い、結果的に人権の完全な実現を達成することをいう。すべての人権規範について、こうした三層構造的な理解が妥当するものと考えられるようになっている。
これまで、自由権は国家の不作為により実現されるものであるのに対して、社会権は国家の作為(積極的な介入)があってはじめて実現されるものであるとされ、こうした理解のもとに、社会権の法規範性が著しく弱められてきた。しかし、自由権といえども、国家の不作為のみによって実現されるものではない。たとえば、自由権のなかでもっとも重要な規範の一つである生命に対する権利(「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(以下、自由権規約と略称)第6条)についてみると、国家自らが市民の生命の恣意的な剥奪を控える(尊重義務)だけで生命権が実現されるわけではなく、国家は、刑法典などの制定により市民間で起きることのある生命権侵害行為を規制することを義務づけられており(保護義務)、また、医療・保健制度などの拡充によって、乳幼児の死亡や産後の女性の死亡などを防ぐことまで求められている(充足義務)。そうすることによってはじめて生命権の完全な実現への道が開かれることになる。
伝統的な理解では、自由権については、国家の不作為の側面が強調されるきらいがあった。しかしそれは、国家が負う義務の一面(尊重義務)を強調しているにすぎない。その一方で、社会権については国家の積極的な介入の側面が強調される傾向にあった。だが、これもまた、国家の負う義務の一面(充足義務)を強調しているにすぎない。裁判規範の観点からいえば、尊重義務は国家が行為を控えることなので、即時に合法・違法の認定がしやすい(国際法学上は、こうした場合に、当該規定に自動執行性があるという。)のに対して、充足義務は国家の積極的な介入が必要とされるため、裁判所としては合法・違法の判断に踏み込みにくかったことは否定できない。それが、社会権の裁判規範性の否定、そして社会権の具体的権利性の否定につながっていってしまった観がある。しかし、自由権規範であっても充足義務の側面は裁判に馴染みにくいのであり、逆に、社会権規範であっても尊重義務の側面は本来、司法判断に問題なく適合するものなのである。
ここで、(2)で述べた居住権の内容に立ち戻り、これを義務の三層構造との関係で簡単に再整理しておくことにする。居住権は住居へのアクセス、継続的な居住の保障、居住の質的保障という三つの側面から把握できるが、まず住宅へのアクセスについていえば、住宅の供給は主に国家の充足義務に関わり、家計適合性は保護義務、差別は主に尊重・保護義務にかかわると理解できる。もっとも住宅の供給にしても、個人が自助努力により住宅を取得しようとしているのを国家が妨害するような場合には、国家の尊重義務違反が問われることになる。
占有権の法的保障を中心とする継続的な居住の保障の側面は、保護義務に加えて、尊重義務が先鋭的に問われるところである。特に、違法な強制立ち退きを国家自らが行う場合は、国家の尊重義務違反が直接に問われることになる。国家は違法な立退きの強制を控えればよいのであり、そうした行為を控えなかったことは即時に違法と認定できるものである。社会権規約委員会も、一般的意見第7号(第8パラグラフ)において、「国家自身は、強制退去を控えなければならず、さらに、強制退去を断行する国家機関または第三者に対する法の執行を確保しなければならない」と、きわめて強い表現を用いてこの点を指摘している。このほか、住居の質的保障の側面では、サービスなどの利用可能性、居住性、立地条件、文化的適切性などいずれも、主に保護・充足義務にかかわるものと理解される。
社会権規約2条1が規定するように、締約国は、立法措置その他のすべての適当な方法により居住権の完全な実現を漸進的に達成するため、自国における利用可能な手段を最大限に用いて行動をとることを約束している。締約国は、居住権の完全な実現に向けて、「漸進的に」歩を進めていくことを求められている。居住権の充足義務の側面は、そうした「漸進的に」という術語の語感をもっともよく反映しているものかもしれない。実際のところ、居住権の充足義務がかかわる側面は、利用可能な資源を最大限用いながら、時間をかけて実現する以外方法がないともいえる。しかしすでに述べたように、締約国の義務は充足義務の側面に限定されるわけではない。他方で、2条1は、締約国が即時にとることができる行動(不作為)までとる義務がないと定めているわけでもない。国家が一定の行動を控えることで居住権の侵害が阻止されるような場合には、当該国家は即時にそのような行動を控えなければならない。それもまた、締約国が、居住権の完全な実現を漸進的に達成するため、自国における利用可能な手段を最大限に用いてとる行動の一つなのである。
2日本の国内法としての社会権規約−その裁判規範性
()国際法の国内的効力
日本の憲法秩序は、日本国を拘束する国際法にそのまま国内法としての効力を与える「一般的受容」方式を採用している。山本草ニ教授が述べるように「日本国憲法では国際法の誠実遵守に関する規定(98条2項)の解釈として、国際法と国内法との関係につき基本的には一元論を採り、日本が締結した条約と確立した国際慣習法は、特別にそれらを立法手続で定める(国内法による補填・補完・具体化)必要なしに、当然にすべてそのまま国内法として法的拘束力を有することとしている」(「国際法の国内的妥当性をめぐる論理と法制度化―日本の国際法学の対応過程」国際法外交雑誌96巻4・5合併号(1997年)44―45頁)。
こうした一般的受容方式により、社会権規約は日本について効力を生じた1979年9月21日に、そのまま日本の国内法に受容されることになった。つまり、社会権規約は、条約であると同時に、そのまま日本の国内法にもなっている。社会権規約が日本の国内法として法的拘束力をもつことは判例上も確認されており、たとえば東京高裁は、「社会権規約はわが国も批准した条約であって、わが国に対して法的拘束力を有するものである」と判示している(東京高判1997・4・24判タ955号164頁)。
日本の国内法に受容された国際法の効力順位(形式的効力)は、一般に、憲法よりは下位だが法律よりは上位であると解されている(岩澤雄司『条約の国内適用可能性』(有斐閣、1985年)30頁、清宮四郎『憲法T(第3版)』(有斐閣、1979年)449頁)。判例においても、たとえば、「日本国憲法第98条2項は、条約の国内的効力を認めていることは明らかであって、この条約遵守主義は・・・条約優位を謳っているものと解せられる」(神戸地判1961・5・30刑集3巻519頁)などとされる。
国際法は法律よりも上位に位置づけられるのだから、国際法に抵触する法律規定は無効であり、そのような事態を回避するためにも、法律は国際法に適合するように解釈されなくてはならない。この点については、判例において確認されている(東京高判1998・1・21判タ980号302頁、徳島地判1996・3・15判時1597号123―124頁、高松高判1997・11・25(平成8年(ネ)第144号、同第204号)など)だけでなく、政府も何度となく同様の見解を公式に表明してきた。たとえば、第63回国会において内閣法制局真田説明員は次のように述べている。「相抵触する内容の条約と国内法が併存した場合に…どちらが勝つのかという優劣の問題といたしましては、条約優位説がとらえているというふうに存じます」(衆議院商工委員会会議録第31号、1970年6月11日、25−26頁)。
国際法が法律よりも上位に位置づけられること、法律は国際法に抵触すると無効であること、法律は国際法に適合するように解釈されなければならないことは、いずれも、日本が締結した多国間条約である社会権規約についてもあてはまる。社会権規約は効力順位において法律よりも上位に位置づけられ、関連法令は社会権規約に抵触する限りにおいて無効であり、また、社会権規約に適合するように解釈されなくてはならない。
国際法は日本の国内法として様々な訴訟類型のもとに援用されてきている。もっとも代表的なものは行政訴訟(特に、取消訴訟)と国家賠償請求訴訟だろうが、こうした訴訟において国際法は、国家行為の違法性を判断する直接の基準として援用されるだけでなく、下位法たる関連国内法令の解釈を規律する指針としても機能してきている。受刑者との接見を制限する監獄法・同法施行規則の解釈にあたり自由権規約14条1項が参考にされた例や、土地収用法20条3号の要件審査にあたり少数者の権利について定める自由権規約27条が斟酌された例、あるいは、出入国管理及び難民認定法53条2の定める「送還できないとき」の解釈にあたり「拷問及び他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰を禁止する条約」3条の規定が参照された例などがこれに該当する(いずれも、請求(の少なくとも一部)が認容された事例である。徳島地判1996・3・15判時1597号115頁、高松高判1997・11・25(平成8年(ネ)第144号、同第204号、札幌地判1997・3・27判時1598号33頁、名古屋地決2000・5・16平成12年行ク第7号)。老齢年金の支給を拒否した裁定処分の取消しの訴えを認容する際に、社会権規約9条が考慮された東京高判1983・10・20判時1092号31頁は、本件との関連で特に注目に値する。
また、国際法は、国家に対してその管轄下で生じるいっさいの違法行為を規制するよう求めており、このことは人権条約についても同様である。つまり、国家は、自ら違法行為を差し控えるだけでなく、その管轄下にある私人の行為についても相当な注意をもって規制する義務を負っている。人権条約における義務の三層構造との関連でいえば、私人の行為の規制は、国家の保護義務にあたる。国家は、私人間で起きる人権侵害を阻止し治癒する国際法上の義務(保護義務)を負っているのであり、こうして国際法は、必然的に、「国家対市民」だけでなく、私人間の関係にも規制を求めるものとなる。国際法をそのまま国内法に受容し、法律よりも上位に位置づけている日本では、実体私法の解釈も国際法によって規律されるのであり、そのような訴えが提起されはじめたことに呼応して、その旨の判例も漸増している。
たとえば、マンションの賃貸借につき、借り主が外国人であることを理由に入居を拒否したことが自由権規約に適合せず公序違反であるかどうかが問われた事件において、「国際人権規約は・・・個別的な実体私法の各条項を通じて間接的に適用され[る]」(大阪地判1993・6・18判時1468号130頁)ことが認められ、また、外国人の入店拒否が民法上の不法行為にあたるかどうかが争われた事件においては、「本件のような個人に対する不法行為に基く損害賠償請求の場合には、[あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際]条約の実体規定が不法行為の要件の解釈基準として作用するものと考えられる」(静岡地浜松支判1999・10・12判時1718号101頁)という司法判断が示されている。このほか、企業において採用区分の異なる男女間の賃金格差が問題となった民事訴訟においても、「女性に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約」が解釈適用されている(2000・7・31労判792号48頁)。
()社会権規約の裁判規範性
社会権規約は、自由権規約をはじめとする他の人権諸条約と同じように、日本の国内裁判において、処分の取消しや国家賠償請求の直接の根拠となり、また、実体私法を含む関連国内法令の解釈を規律する指針となり得るものである。しかし、これまでの国内判例をみるかぎりにおいて、社会権規約は必ずしも正当な取扱いを受けてきているようには見受けられない。むしろ、その裁判規範性を否認される方向で処せられてきたというべきである。塩見訴訟上告審判決の次の判示(最判1989・3・2判時1363号71頁)が、社会権規約に対する冷淡ともいえる司法的取扱いを規定してきたといえる。
「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(昭和54年条約第6号)九
条は『この規約の締約国は、社会保険その他の社会保障についてのすべての者
の権利を認める。』と規定しているが、これは、締約国において、社会保障に
ついての権利が国の社会政策により保護されるに値するものであることを確
認し、右権利の実現に向けて積極的に社会保障政策を推進すべき政治的責任を
負うことを宣明したものであって、個人に対し即時に具体的権利を付与すべき
ことを定めたものではない。このことは、同規約二条1が『立法措置その他の
すべての適当な方法によりこの規約において認められる権利の完全な実現を
漸進的に達成する』ことを求めていることからも明らかである。」
社会権規約2条1の規定を根拠に社会権規範の裁判規範性を一律に否認する最高裁の認識は、その後の下級審判決にも反映されてきた(たとえば、東京地判1996・5・29判時1577号81−82頁)。しかし、社会権規約の解釈が、社会権規約委員会や学説を中心に国際的に急速に深化しはじめたのはようやく1990年代に入ってからであり、この最高裁の判断には、そうした理論的発展の果実が移入される余地がなかった。その最高裁の判断を、実務的・理論的蓄積が重ねられた今日、なお、参照すべきスタンダードとして採用するのでは、あまりに不合理といわなくてはならない。
もとより、条約をいかに解釈するかは国際法自体の問題である。条約の解釈は、条約法に関するウィーン条約31条および32条の規則に依拠しておこなわれなくてはならないことはすでに述べた。社会権規約の解釈および適用は、自由権規約について述べられているように、「規約の文言および概念がいかなる特定の国家制度からもおよびあらゆる辞書の上の定義からも独立しているいう原則にもとづいていなくてはならない。規約の文言は多くの諸国においける長い伝統に由来するものであるが、・・・今や、それらの文言が自立した意味をもつものとみなさなくてはならない」(U.N.Doc.CCPR/C/DR(XY)/R.12/50,para.10.2)。社会権規約は、それ自体自律した文書として、国際法上の解釈規則にもとづいて解釈されるべきものである。上記最高裁判断も、その後の下級審判断も、そうした解釈規則にのっとった解釈をおこなってきたわけではない。
社会権規約の解釈には、社会権規約委員会の見解、とりわけ一般的意見を通じて示された解釈指針が重要な役割を果たす。既述のとおり、社会権規約2条1の「立法措置その他のすべての適当な方法によりこの規約において認められる権利の完全な実現を漸進的に達成する」という文言を、努力奨励的あるいは政治目標的なものと解することは、社会権規約委員会の認識とは異なっており、今日の国際法の実務・理論水準と明らかに適合しない。最高裁の上記判断は、横田教授の見解がそうであるように、かつて支持されていたことがあったにしても、今日では国際法上一般的通用力を失った見解といってよい。
ちなみに、塩見訴訟上告審判決は、社会権規約の裁判規範性を一律に否認する不正確な判断として国際的にも強い批判を浴びている(Scott Leckie, ”Another Step Towards Indivisibility: Identifying the Key Features of Violations of Economic, Social and Cultural Rights,” HUMAN RIGHTS QUARTERLY,Vol.20(1998),p.92)が、社会権規約委員会は、規約条項の裁判規範性を積極的に解するよう促す一般的意見を公刊している(General Comment No.9,U.N.Doc.E/C.12/1998/24)ほか、2001年8月におこなわれた日本の第2回定期報告審査後に表明した総括所見のなかで、日本の状況について「規約のいずれの規定も直接の効力を有しないという誤った根拠により、司法決定において一般的に規約が参照されないことに懸念を表明」している(U.N.Doc.E/C.12/1/Add.67,para.10.翻訳は、社会権規約NGOレポート連絡会議編『社会権規約と日本2001』(エイデル研究会、2001年)204頁)。
もとより、日本の国内判例のすべてが、塩見訴訟上告審判決のように社会権規約の裁判規範性を否認しているわけではない。きわめて不十分とはいえ、平等原則を定めた社会権規約2条2などを解釈適用した事例(東京高判1997・4・24判タ955号164頁など)や、すでに述べたとおり、老齢年金の支給を拒否した裁定処分の取消しの訴えが、社会権規約9条を参照して認容された事例(東京高判1983・10・20判時1092号31頁)もある。
あらためて確認するまでもなく、社会権規約の裁判規範性の否認は、これまで、締約国の義務についての(誤った)理解だけでなく、社会権規範が国家の積極的な関与を必要とし、したがってそもそも司法判断に馴染まないものである、という伝統的な認識によっても増幅されてきた。たしかに、国家の積極的な関与が必要とされる場合には、そうした関与のいかんを合法・違法の尺度で判断することは容易でない。これは、司法府が立法府や行政府の裁量をどれだけ積極的にあるいは消極的に審査するスタンスをもっているかにもよるが、一般論としていえば、国家の積極的な関与の度合いに司法審査を及ぼすことは難しいかもしれない。その意味において、社会権規範について司法が消極的な判断しか示してこなかったことは理解できる。
だが、すでに述べたように、社会権規範は、国家の積極的関与を求めるだけでなく、国家の不作為あるいは消極的関与を求める側面も具有している。義務の三層構造のなかで、国家の充足義務の側面は格別、国家の不作為を求める尊重義務の側面については、合法・違法の判断が即時にできるものである。そのような義務の側面が問われる場合には、司法判断が控えられる必然性はない。また、社会権規約が、違法性を判断する直接の基準として用いられるのではなく、関連国内法令の解釈の指針として援用される場合には、義務の内容は、尊重義務ほど明確に確定されている必要はない。保護義務はもとより充足義務であっても、国内法の解釈指針として機能する余地は十分にある。もちろん、尊重義務であれば、その内容が保護義務や充足義務以上に明確であるだけに、国内法令を解釈する際の指針として用いられることに、まったく支障はない。
国家は、社会権規約の締約国として、居住権の実現を確保する義務を重層的に負っている。そのどの側面がどのように問われるかによって、裁判規範性の問題への回答も異なってくる。以下では、上の分析をもとに、社会権規約居住権規定本件事案への適用可能性について検討してみることにする。
居住権の観点より見た、本件明渡断行の評価
(1)前提的確認
本件反訴被告(本訴原告)は、1999年10月1日に、都市基盤整備公団法(平成11年法律第76号)により、人口および経済、文化などに関する機能の集中した秩序ある整備が十分におこなわれていない大都市地域その他の都市地域における健康で文化的な都市生活および機能的な都市活動の基盤整備として居住環境の向上および都市機能の増進を図るための市街地の整備改善ならびに賃貸住宅の供給および管理に関する業務をおこない、ならびに都市環境の改善の効果の大きい根幹的な都市公園の整備をおこなうことなどにより、国民生活の安定向上と国民経済の健全な発展に寄与することを目的として設立された公法上の法人である(都市基盤整備公団法1条)。都市基盤整備公団は、日本住宅公団法(昭和30年法律第53号)により設立された日本住宅公団を承継した住宅・都市整備公団(住宅・都市整備公団法(昭和56年法律第48号)により設立)の一切の権利及び義務を承継したとされる。
本件は、光ケ丘団地の建替事業に端を発して生起した事案だが、それはそもそも、反訴被告が、「国の施策として全国的規模において実施している既存賃貸借住宅の建替事業」の一環としておこなったものにほかならない。本訴状によれば、建替事業は、「国の住宅政策を推進・実現する」ためにおこなわれ、また、既存賃貸住宅の居住水準の向上と土地の適正利用を図る必要から実施されているとされる。その設立目的、組織としての性格をあらためて振り返るまでもなく、反訴被告が手がける建替事業は「国の施策」、「国の住宅政策」としておこなわれるものである以上、それは、国家行為そのものかあるいは国家行為の代行とみることができる。そのようなものとして、反訴被告の建替事業、明渡請求、明渡断行などにかかる一連の行為は、社会権規約11条1の定める居住権規定との適合性を直接に問われ得るものである。換言すれば、反訴被告は、少なくとも本件建替事業、明渡請求、明渡断行等にかかる限りにおいて、社会権規約11条1を遵守する義務を直接に負っている。むろんいうまでもなく、その一方で、反訴原告は、社会権規約11条1により基本的人権としての居住権を実定体法上の権利として保障されている。
反訴被告は、反訴原告との賃貸借契約更新を拒絶する法的根拠として借家法第1条ノ2をあげ、契約更新拒絶について正当事由が存すると主張する。借家法は、法律として、日本の憲法体制のもとでは条約である社会権規約の下位におかれる。したがって、借家法の規定は社会権規約に抵触する限りで無効となり、そのような事態を回避するためにも、借家法の規定は社会権規約に適合するように解釈されなくてはならない。なお、反訴被告は、公法上の法人という性格からして、かつ、本件事業の性格からして、社会権規約上の義務を直接に負う主体と思料されるが、借家法の適用上、反訴被告を私人と性格づけた場合であっても、借家法は社会権規約に適合するように解釈されなくてはならないことは上で述べたとおりであり、なお社会権規約の重要性が失われることはない。
本意見書において所見が求められているのは、反訴原告に対する明渡断行の法的評価であり、特に社会権規約居住権条項の観点から当該明渡断行がどう評価されるか、ということである。本件明渡断行は、反訴原告を、その意思に反して、占有している家屋から恒久的に立ち退かせたものであり、したがってそれは、明らかに国際法上の強制退去にあたる。強制退去は、国際法上違法との推定を受ける。違法の推定を覆すには、第1に、「最も例外的な事情」があったこと、第2に、代替措置が誠実に追求されたこと、第3に、手続的保障がなされたこと、という3点が示されなければならない。そのいずれが欠けても強制退去は違法との評価を受ける。
なお、本件類似の建物明渡等請求事件において、反訴被告は、社会権規約居住権規定にもとづく主張を「被告ら独自の主張であり失当である」として次のように述べている。「そもそも我が国においては、建物の正当な賃借人の権利は借家法(借地借家法)の規定により十分に保護されているところであり、本件各建物の明渡請求の可否も、原告が被告らに対して行った更新拒絶について、同法所定の正当事由の有無の判断によるものである」(平成13年5月16日付準備書面(7)3頁、東京地方裁判所八王子支部平成8年(ワ)第1976号、平成9年(ワ)第476号)。これを受けて下された判決でも、「被告らは、また、本件建替事業は、社会権規約11条・・・に反し、人権である居住の権利を侵すものである旨を主張するが、これらの規約…が、建替の必要を理由とする更新拒絶に正当な理由がある場合に、賃借人の立退を許さない趣旨を含むものとは解されない」(東京地八王子支判2001・10・22平成8年(ワ)第1976号、平成9年(ワ)第476号39頁)とされた。
賃貸借契約の更新拒絶が借家法の規定によりおこなわれていることは、本件も同じである。反訴被告は、上記準備書面において、その事実をもって社会権規約居住権規定にかかる主張を失当としているが、日本の現行法秩序においては、社会権規約は借家法よりも上位に位置づけられているのであり、借家法の解釈については、少なくとも、社会権規約に適合するものであるかどうかを確認する必要がある。借家法に適合していることをもってただちに社会権規約の主張を失当と断ずることは、日本の現行法秩序に反するものといわなくてはならない。同様に、上記判決は借家法上の正当事由が認められれば当然に社会権規約11条との抵触もない旨述べるが、これもまた国際法と国内法の関係についての誤った認識にもとづくものである。借家法所定の正当事由の存否は、上位法である社会権規約に照らし改めて吟味されるべきものである。
(2)明渡断行の評価
さて、本件においてまず検討すべきは、反訴原告に対して立退きを強制する「最も例外的な事情」があったのかどうか、ということである。ここでは、反訴被告があげる「国の施策としての建替事業」、「居住水準の向上を図る必要性」、「土地の適正利用の必要性」といった事由が「最も例外的な事情」を構成するのかどうかが問われることになる。この点で反訴被告は、「公共賃貸住宅の供給の促進と規模の拡大」を柱に、「既存賃貸住宅の中には、社会的にみて陳腐化をきたしていると認められるものが出てきて」いること、特に、「住戸型式の多様性、居室の面積、設備性能、遮音・断熱性能等の面で問題があり、居住者を含め国民の住宅需要に必ずしも対応しているとは言い難い状況」があることをあげる。また、「当座の応急的ないし付加的措置によっては、居住水準の抜本的な改善は望み得」ず、光ヶ丘団地については、「昭和32年3月に入居を開始した団地であり、建築後30年以上を経過して、建物の陳腐化が甚だしくはなはだしく」、「現況の容積率は約43%にすぎず…土地の高度な利用には程遠いといわざるを得ない」ことも指摘している。
強制退去は違法の推定を受けるということからわかるように、それ自体甚だしい人権侵害を引き起こしかねない措置である。したがって、「最も例外的」という、真にやむを得ない事情がなければ正当化しえないものとされている。建物が「陳腐化」しているということや土地の高度利用の必要性は、そうした「最も例外的な事情」にあたるのかどうか。この点の判断は、手続的保障が十分になされたかどうかということとも密接にかかわる。特に、立ち退きに代わり得るあらゆる実現可能な措置が、当事者との協議を通じて誠実に探られたのかどうかが問題になる。
反訴被告の建替事業は、先行区・後行区による違いこそあれ、光ヶ丘団地のすべての住人の立退きを前提として実施されてきたものである。2年間という期間が設定されたものの、一件記録から判断するに、その「話し合いの期間」は、建替に代わり得る措置を誠実に追求し、そのうえでなお建替がやむを得ないということについての理解にたどり着く過程ではなかった。むしろそれは、所与の前提たる立退きについての同意をすべての住人からとりつけるために設定された期間であったといってよい。現に、建替自体の決定にも、建替計画の策定にも、住人の意見はまったく取り入れられることはなかった。建替の計画決定にいたる過程についての情報も開示されることはなかった。これを別言すれば、本件では、建替に代わり得る実現可能な措置が誠実に追求された事情は見受けられない。
それだけにいっそう、建物の「陳腐化」や土地の高度利用が、強制退去を正当化する「最も例外的な事情」だったのかどうかについても疑念が生じる。陳腐化は老朽化とは異なる。建物の耐用年数の限界が迫っていたわけでもない。居住水準の向上については、改造や増築、個別の改修といった住宅改良により相応の対応が可能なようにもみえる。土地の適正利用がどれほど差し迫った「需要」(適切な住居を欠く人々の存在)によって支えられていたのかも判然としない。
これだけをとってみても、「最も例外的な事情」が存在したかどうかについて重大な疑問が募る。だがそれ以上に問題なのは、全面建替以外の選択肢があらかじめ排除されていたため、反訴被告の示す上記事由が、想定し得る他の選択肢(増築など)の検討も経たうえで、なお強制退去を正当化する「最も例外的な事情」たりうるのかどうかが誠実に検討されずに終わってしまったことである。
むろん、居住水準の向上や土地の高度利用が建替を正当化する事由になる場合もあろう。しかし、本件で問われるのは、それが強制退去を正当化する「最も例外的な事情」たりえたのかどうかである。繰り返し述べているように、強制退去は国際法上違法との推定を受ける。本件明渡断行も、国際法上、違法との推定を受けている。この推定は覆すことができるが、その責任を負っているのは反訴被告である。本件では、居住水準の向上や土地の利用が建替事業の理由になっていることは示されているが、真正な協議の機会がもたれなかったこともあり、それが「最も例外的な事情」にあたるということまでは示されないままになっている。
国際法の観点からもっとも憂慮されるのは、反訴原告に対して、適切な代替住居および/または適切な補償金の提供がなされなかったことである。反訴被告は、賃借人に対する代替給付措置として、戻り入居の保障、仮移転先の斡旋、移転費用の支払い、移転後の家賃減額措置など種々の措置を提供している。ただし、これらの措置は、話し合い期間内に移転を申し出た賃借人とそうでない者との間に内容的に差を設けるものであり、話し合い期間の後、契約期間満了までに明け渡しをおこなわない者については、一切の代替措置がなくなるだけでなく、反訴原告のように、無条件の明け渡しと賠償金の支払いまで求められることになっている。
類似の事案を扱った既出裁判例では、こうした異なる取扱いについて、「円滑な既存建物からの移転を実現するために熟慮する時間を置いたのであるから、その上で期間経過後に移転を申し出た場合にも期間中に移転を申し出た場合と同様の取り扱いをするのではかえって不公平を招くことになり、合理的でない。また、被告らがその選択により一層有利な代替措置を得る機会を失うことになったとしても、この不利益を原告[都市・基盤整備公団]に課さねばならない理由はない」(東京地八王子支判2001・10・22、37頁)と評価されている。しかし、そこでは、立退きの強制と居住権との関係が考慮されることはまったくといっていいほどなかった。
社会権規約委員会の一般的意見などから明らかなように、居住権の中心的要素は占有権の法的保障にある。それを制約する強制退去は、まず違法との推定を受けるのであり、この推定を覆すには、「最も例外的な事情」の存在、手続的保障の確保ととともに、適切な代替(補償)措置の提供が求められる。そうした代替(補償)措置として想定されているのが適切な代替住居の提供や適切な補償金の支払いである。代替(補償)措置が求められるのは、強制退去が居住権という基本的人権を制約するものだからであり、けっして、立退き要請に同意した「御褒美」のようなものではない。ましてや、立退きへの同意を誘導するために提供されるべきものでもない。
立退きを拒み続けた者にも、居住権の保障は当然に及んでいる。強制退去の際にはすべての関係当事者に代替(補償)措置の提供がなされなくてはならない。明け渡しにいつ同意するかによって代替(補償)措置の内容に差異を設ける反訴被告のやり方と、そうした差異の設定に合理性を見出す上記東京地裁八王子支部判決には、明渡しが居住権という基本的人権を制約する重大な行為であるという認識がみられない。だからこそ、反訴原告には代替(補償)措置がいっさい与えられないという事態も招き得たのであろう。
のみならず、代替(補償)措置についてのこうした差異の設定は、社会権規約2条2との抵触を引き起こすことにもなっている。同条項は次のように規定する。
「この規約の締約国は、この規約に規定する権利が、人種、皮膚の色、性、言
語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、出生
又は他の地位によるいかなる差別もなしに行使されることを保障することを
約束する。」
反訴原告は、自らの信念にもとづいて明渡しを拒否し続けたのだが、そのことを理由に代替(補償)措置の提供を拒否されることは、居住権の行使にあたって「その他の意見」を理由に差別的取扱いを受けるにもひとしい。それは、社会権規約2条2に適合しない事態といわなくてはならない。
反訴原告についてはさらに、明渡断行後に、いっさいの居所を失い、相当な期間ホームレス状態に陥っていることも見落としてはならない。生活条件も、以前より明らかに劣悪化した。それは、「強制退去が断行される場合には、当事者が以前よりも劣悪な生活条件を強いられることがあってはならず、少なくとも、当事者がホームレス状態に陥ったり、他の人権侵害が引き起こされるような事態は回避されなくてはならない」という国際法の原則に明白に違背する事態である。
こうして、反訴原告に対する明渡断行の評価については、国際法(社会権規約)の観点から、次のように要約することができる。反訴原告は、基本的人権として居住権を保障されているところ、明渡断行は、当該権利を制約する強制退去にあたる。強制退去は違法との推定を受ける。これを覆すには、「最も例外的な事情」の存在が示されなければならないが、反訴被告はそのような事情の存在を示していない。仮に「最も例外的な事情」が存するとしても、強制退去は「関連する国際法の原則」に従っておこなわれなくてはならない。その一つが手続的保障であるが、立ち退きに代わる実現可能な措置について真正な協議がおこなわれることはなかった。もう一つの原則は適切な代替(補償)措置の提供だが、反訴原告にはそうした措置は提供されず、それどころか、反訴原告は強制退去によってホームレス状態に陥ることを強いられた。また、代替(補償)措置が提供されなかったことは「その他の意見」を理由とする差別的取扱いを引き起こすことにもなった。
これら諸要因を総合的に勘案すれば、反訴原告に対する強制退去は、国際法(社会権規約)上違法という評価を免れないと結論づけられる。念のために付言しておくが、反訴原告は基本的人権としての居住権を享受している。反訴原告は、占有していた住居に継続して居住する権利を実定法上保障されていたのであり、その保障は、そこに居住を続ける特別の事情があるかどうかによってなんら影響を受けるものではない。問われるべきは、反訴原告が立退きを拒否する特別の事情を有していたどうかではない。国際法に照らし、強制退去を正当化できる事由があったかどうかである。本意見書は、そうした事由は反訴被告によって示されておらず、かつ、存しないという見解である。
社会権規約を一律に政治目標的文書とみなしてはならないことについてはすでに述べた。なかでも、国家に一定の行為を控えるよう求める「尊重義務」は、即時に違法の認定ができるものであり、そのようなものとして司法判断にもっとも馴染むものである。居住権に関していえば、国家みずからがおこなう強制退去が違法である場合、国家は当該行為を即時に控える義務を負う。当該行為が控えられなかった場合、それは直ちに違法と判断できる。確認するまでもなく、こうした義務は国家の尊重義務に分類される。そこでは、居住権実現のために国家の積極的関与が求められているわけではない。ただ単に、行為を控えることが求められているにすぎない。都市基盤整備公団による明渡断行(退去強制)は、国家の行為そのものかあるいは国家行為を代行するものと性格づけられ、そのようなものとして国家の尊重義務に直接にかかわるものである。本件明渡断行は上記理由により社会権規約上許容されない行為であり、公団は当該行為を差し控えなければならなかった。しかし当該行為は差し控えられず、それにより社会権規約11条1に違背する事態が引き起こされてしまった。尊重義務にかかわる当該行為は、即時に違法と認定し得るものである。
反訴被告は、借家法により本件明渡にかかる行為を正当化するが、借家法は法律として上位の規範たる社会権規約11条2に適合するように解釈されなくてはならない。上で論じたように、本件明渡断行は社会権規約に抵触する違法行為と解され、その違法性は即時に認定できる。そうである以上、下位法たる借家法によってこれを正当化する余地はない。
おわりに
一般に、国際法に抵触する事態が生じた場合には、まず当該事態の停止が求められ、そのうえで、原状回復、金銭賠償、その他の措置(陳謝、再発防止措置など)が求められる。こうした措置は、「可能な限り、違法行為のすべてを除去し、その行為がおこなわれなかったならばおそらく存在しなかったであろう状態を回復」するためにとられるものである(常設国際司法裁判所ホルジョウ工場事件判決、PCIJ, Series A, No.17, p.47)。社会権規約に適合しない状態の是正も、こうした国際法の基本原則を踏まえてなされるべきものである。本件の場合、すでに明渡が断行され、建物が除却されてしまったことから、原状回復は困難であある。したがって、金銭賠償やその他の措置により違法状態の治癒がはかられなくてはならない。
国際違法行為の治癒は国内法を介しておこなうことが可能であり、本件のような場合には、たとえば民法の不法行為規定を援用しておこなうことができる。国際法(条約)が不法行為規定を解釈する際の指針になり得ることは、すでに判例にみられるとおりである。反訴被告は、実定法上保障された居住権を、反訴被告の違法行為(社会権規約違反、借家法違反)によって侵害され、その直接の結果として甚大な損害を被ることになった。反訴被告に故意があったといえるかどうかは別にして、少なくともそこには社会権規約の存在を無視したことによる過失があったことはたしかである。そのようなものとして、反訴原告は、反訴被告に対し、損害賠償を請求することができる。それは、国内法上の営みであると同時に、すでに生起した社会権規約違反を治癒する国際法上の営みでもある。それゆえに、可能な限り、違法行為のすべてを除去するものであることが求められる。
日本の第2回定期報告を審査した後の統括所見(既出)にあったように、社会権規約委員会は、社会権規約の効力を否認し続ける日本の司法に対して懸念を表明している。社会権規約についての前掲マーストリヒト・ガイドライン第24は、司法機関の判断が締約国の負う国際義務の違反を是認するものとならないよう勧告しているが、司法機関自身、国家機関として、国際法を遵守する義務を直接に負っていることはいうまでもない。本件においては、社会権規約についての精確な判断が示されることにより、そうした義務が適切に履行されるよう期待するものである。
以上
阿部浩己(あべ・こうき)
1958年10月2日生(43歳)
【学歴】
1981年3月早稲田大学法学部卒業
1983年3月同大学大学院法学研究科博士前期課程修了(法学修士)
1986年5月米国バージニア大学ロースクール修了(LL.M.)
1990年3月早稲田大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得満期退学
【職歴】
1986年5月 米州機構米州人権委員会(米国ワシントンD.C.)法務補佐官(同年8月まで)
1989年4月 神奈川大学法学部非常勤講師(国際法担当、1993年3月まで)
1990年4月 富山国際大学人文学部専任講師(1993年3月まで)
1993年4月 神奈川大学法学部助教授(1999年3月まで)
1996年4月 横浜国立大学教育学部非常勤講師(国際法担当、1998年9月まで)
1997年4月 大阪大学大学院国際公共政策研究科非常勤講師(国際難民法担当、同年9月まで)
1997年10月東洋大学法学部非常勤講師(国際法担当、1998年3月まで)
1998年8月 カナダ・ヨーク大学難民学センター客員教授(1999年12月まで)
1999年4月 神奈川大学法学部教授(現在に至る)
2000年4月 横浜国立大学教育人間科学部非常勤講師(国際法担当、現在に至る)
2001年4月 早稲田大学法学部非常勤講師(国際法・国際人権法担当、現在に至
る)
2002年10月 横浜市立大学国際文化学部非常勤講師(国際法担当、予定)
【所属学会・社会活動など】
(財)国際法学会(評議員)
国際人権法学会(編集委員会委員)
世界法学会
国際法協会日本支部
日本カナダ学会
日本居住福祉学会(理事)
アメリカ国際法学会
(社)自由人権協会(理事)
(社)アムネスティ・インターナショナル日本(組織発展展望委員会委員)
【主な研究業績】
「国際人権法における死刑廃止―国連死刑廃止議定書の成立」法律時報62巻3号(1989年)
「国連人権委員会の国別審査手続に関する一考察」神奈川法学26巻1号(1990年)
「解説・死刑廃止条約」『死刑の現在』<法学セミナー増刊>所収(1990年)
「犯罪人引渡しと難民認定」法学セミナー433号(1991年)
「死刑廃止への挑戦―死刑廃止議定書の成立経緯と概要」自由と正義42巻10号(1991年)
「国連人権委員会と『失踪』―『失踪』ワーキング・グループと活動の成立経緯と活動の実態」富山国際大学紀要1巻(1991年)
「出入国管理と家族生活の保護」法学セミナー447号(1992年)
「援護法の国籍条項は国際人権規約に違反する」法学セミナー452号(1992年)
『女子差別撤廃条約注解』(共著、1992年、尚学社)
「戦後責任と国際法」自由と正義44巻9号(1993年)
「軍隊『慰安婦』問題の法的責任」法学セミナー38巻10号(1993年)
<判例評釈>「台湾人元日本兵らの戦死傷と国家補償」ジュリスト1040号(1994年)
「選択議定書とは―個人通報制度の背景と概要」法と民主主義304号(1995年)
『解説国際人権規約』(共著、1996年、日本評論社)
『テキストブック国際人権法』(共著、1996年、日本評論社)
『日本の難民認定手続き―改善への提言』(1996年、現代人文社)
『救済はいつの日か―豊かな国の居住権侵害』(監訳、1996年、近畿弁護士会連合会)
“The Issue of ‘Comfort Women’ and International Law: Background and Tasks”研究年報(神奈川大学法学研究所)15号(1996年)
「『人間の価値』の実現―国際人権法の意味するもの」『岩波講座現代の法2』(1997年、岩波書店)所収
The Struggle to Eliminate the Sexual Exploitation of Children: A Survey of International and National Endeavours to Address Child Prostitution and Related Issues (1997)
“United Nations and Japan: A Favorable Interaction in the Field of Human Rights”神奈川法学32巻1号(1998年)
『人権の国際化―国際人権法の挑戦』(現代人文社、1998年)
“Human and Refugee Rights: New Challenges for Canada”, Refuge(York University Center for Refugee Studies),Vol.18,No.2(1999)
“Dynamics of International Human Rights in Japan”, Id.
“Book Review: International Law, Human Rights, and Japanese Law: The Impact of International Law on Japanese Law”, American Journal of International Law, Vol.94,No.1(2000)
「国際人権の裸像」人権教育10号(2000年)
「拷問等禁止条約を生かし、超える」『拷問等禁止条約』(現代人文社、2000年)所収
「ふたつの『神話』を超えて―国際法の国内的可能性」法学セミナー545号(2000年)
「国際人権と女性―女性差別撤廃条約選択議定書の意味するもの」労働法律旬報1487号(2000年)
<判例評釈>「外国人入店拒否と人種差別撤廃条約の私人間適用」ジュリスト1188号(2000年)
「人権救済制度の構築―国際人権法の視座」法律時報73巻2号(2001年)
「人権条約に付された留保の無効―ブリロ事件」国際法判例百選(別冊ジュリスト157号)(2001年)
33「人権の世紀へ−国際人権法の可能性」神奈川大学評論38号(2001年)
「女性国際戦犯法廷が映し/創り出したもの」季刊・戦争責任研究32号(2001年)
「戦後補償裁判の地平」法律時報73巻9号(2001年)
「『人権の世紀』の意味するもの」『価値の転換と人権』(神奈川人権センターブックレットNo.8、2001年)所収
「『文明全体の戦い』の意味するもの−国際法学からのアプローチ」現代思想29巻13号(2001年)
「国際人権法と日本の国内法制−国際人権訴訟の再構成」国際法学会編『日本と国際法の100年第4巻−人権』(三省堂、2001年)所収
「人権の国際的保護と国際刑事裁判所」国際人権12号(2001年)
『実用版法律用語の基礎知識』[改訂新版](共著、自由国民社、2001年)
『新版テキストブック国際人権法』(共著、日本評論社、2002年)