■共生舎&共生舎映画&自宅の強制執行を前にドアに鎖で身体を縛り付ける『わんちゃん先生』こと中村秀樹監督
■映画『TRUE CRIME』より

強制執行をうたった詩・
『鉄鎖』

阿部浩己教授の鑑定書(居住権の教科書)

平成5年(ワ)第294号  建物明渡等請求事件
平成11年(ワ)第768号 損害賠償請求反訴事件
反訴原告 中 村  秀 樹
反訴被告 都市基盤整備公団
 
平成14年2月1日
 
              反訴原告訴訟代理人
                    弁護士  保  持     清
 
                     同   大  口  昭  彦
 
                     同   加  城  千  波
 
千葉地方裁判所松戸支部 御中
 
 
 
準  備  書  面 (最 終)
 
 
第1 住宅政策の変質と建替え問題。
 
1 住宅政策の失政。
   政府は、住宅・都市整備公団を法人として一旦廃止し、新しく都市基盤整備公団を新設する事にしたが、それは住宅・都市整備公団を都市基盤整備公団と名称・法律を変更する等の手続きでは包含し得ない法人格の変質を意図したものである。
   住宅・都市整備公団の廃止は、行政改革の一環として、公団・公社等の廃止、民営化の一つとして提起されたものであった。そうだとすると、住宅・都市整備公団は政府の福祉政策を担う行政機関的公益法人であるが、都市基盤整備公団は市場原理に沿って運営されるべき民間の公益法人というように理解されるものである。
   50年体制の崩壊を契機として、自民党長期政権下での政財官癒着の弊害が識者の指摘する所となり、自民党内部からも政治改革、行政改革が叫ばれ、その要となるものに官僚の天下りの受け皿としてしか機能していない公団・公社等の政府外郭団体の整理が上げられていた事は紛れも無い事実である。そして、住宅・都市整備公団はその槍玉の一つに上がっていた。その基本的な方向は例えば日本たばこ株式会社のように、政府外郭団体としての公団・公社を廃止し、民間企業としての事業体がその事業を引き継ぐ事にしたのである。そのような流れの中で都市基盤整備公団は、公団の名称こそ残しているものの、本来は民間企業とされるべきであったものであり、住宅・都市整備公団が行政機関に準ずる扱いがなされていたのとは異なり、都市基盤整備公団は基本的には民間企業に準ずる扱いがなされるべきなのである。
 
2 住宅・都市整備公団の変質。
 住宅・都市整備公団は福祉政策を担う行政機関的公益法人として政府の莫大な補助金を受けて運営されて来ており、それらは累積赤字と成っているが、それらの赤字は福祉政策の行政的目的により一応は理解されるものであるが、都市基盤整備公団にはそのような無原則的な補助金の注入はなされるべきではない。
   住宅・都市整備公団が廃止の目標とされた理由の最大のものは、その膨大な運用赤字に有る。
   住宅・都市整備公団の平成10年度の収支は、事業収支はバランスしながら、3兆円の借り入れ金の返済の為に3兆円を借り入れるという自転車操業と成っていた。累積の借り入れ金は14兆円で、事業資産は16兆円である。3兆円の借り入れ金は、大規模団地形成の為に膨大な土地を購入した借り入れ金の返済金や利子等である。言うなれば、バブル(泡)借金なのである。
   住宅・都市整備公団の借金を棚上げして、事業資産のみを引き継ぐようにしないと、その事業を引き継ぐ者は株式会社でも公団でもやっていけないのである。
   つまり、都市基盤整備公団は、一切の権利義務を引き継ぐとしながら、実際には借り入れ金を引き継ぐ事は不可能なのである。
 
3 住宅・都市整備公団の破綻。
   住宅・都市整備公団が膨大な赤字を負った原因の一つは、土地を高額で取得しながら、採算が採れない高額な家賃の住宅を作り過ぎた事に有る。
   都市基盤整備公団の採算性を可能にするには、住宅・都市整備公団から受け継ぐべき土地の再評価を行う必要が有る。
   平成10年度の収支決算によると、住宅・都市整備公団は、16兆円の資産を保有しながら、その中で収益を上げているのは半分の8兆円に過ぎない。
   どうしてそういう事に成ったのかというと、住宅・都市整備公団の行政機関的制約の故に建設原価を基本として採算性を考慮して家賃を設定していた為に、バブルでは高額な家賃に成ってそれが空き家のまま放置されていたからである。
   現在、無抽選先着順で入居できるという300位上の団地の公団住宅(つまり希望者が少なく入居者が少ない)の宣伝がなされているが、それらは一様に交通の便の悪い場所に有る。これらは、利便性に対して家賃が高く需要が貧弱だったものである。
 
4 建替え事業による矛盾の拡大。
   住宅・都市整備公団は、本来は行政機関的公益法人として低廉良質な賃貸住宅の供給という国策推進の一翼を担ったものである。
   住宅・都市整備公団の行った建物の建て替え事業の本来の目的は、高額で取得した土地の公団住宅を土地価格に見合う高層住宅に建て替えて採算性を良くする事に有ったと思われる。
   それが、土地の高騰により採算性が悪化したため、強行的に高層化する事により採算性を回復しようとしたのが、平成3年の閣議決定を基に高圧的に推進された本件明け渡しを求めたような建て替え事業であった。
   しかし、本件の審理で明らかになったように、土地の再評価を新しい家賃に反映させるという無理な家賃設定をした為に、良質な住宅を消費者に提供するという福祉政策としての基本が見失われ、既入居者の入居継続にも支障を生じたばかりか新しい入居需要も低下して、大半の建て替えが中途で挫折したというのが真相である。
   本来の住宅政策の趣旨に反して、バブルの崩壊による経済破綻を公共事業のばらまきによって活性化するという国策の一端として推進される事によって、一層その矛盾と破綻を拡大したのである。
   利便性の良い都心や駅に近い公団住宅については、一部で建て替え工事が進んでいるが、住宅・都市整備公団では傾斜家賃制度と称して、元からの入居者は次第に家賃を値上げするという方法を採用したが、新規の入居者からは採算性が先行する高額な家賃を取る事にしたので、新規の入居者を集めることが困難で、空き家が増えている。
   都市基盤整備公団が再評価価格で住宅・都市整備公団の土地を引き継いだ場合には、建て替え事業については当然見直しが為されるべきだった。
   都市基盤整備公団では、住宅・都市整備公団の行った強行的な建て替え事業による賃貸の高騰に適応できない入居者も少なくない事(自殺者まで出ている)などの不評があり、無理に高層化しても高い賃料での新規募集も困難であるなどの反省から、強行的な建て替え事業を転換し、入居者のニーズに応える良質な居住環境の確保された住宅供給政策を進める方向に転換したのである。
   都市基盤整備公団では、新規の入居から家賃を値下げして再募集しているのである。またさらに、莫大な建設費のかかる建て替え工事を避けて、内装のリニューアルをして募集するリニューアル住宅も増えている。
   つまり、需要と供給のバランスを無視した、犠牲と出費の嵩む建て替え工事については、現実には見直しが進んでいるのである。
 
5 都市基盤整備公団。
   先日の朝日新聞1面(乙  )に、本訴原告(反訴被告)が民営化されるとの記事が出た。
 今後は住宅の新築を止め、住宅の経営を民営化するという基本である。
   この朝日新聞の記事は、住宅・都市整備公団から都市基盤整備公団に変更された後も、本質的には経営的及び政策的破綻の実質は何も変更されなかった事を示すものである。都市基盤整備公団は、住宅・都市整備公団の行った不適性な行為の責任を負担すべきである。
   投資効率が疑問とされながら、景気浮揚対策としての公共事業の一環として続けられた公営住宅の新築や改築が続けられないのは当然である。
   公営住宅の運営は民間事業と競合しながら、民間事業のようなきめ細かな経営が為されて来なかった。
   本件の立ち退き強行のように国家権力を背景に乱暴で大ざっぱな運営が為されて来た事は争えない。
   本件のような強行立ち退きは民間事業としてはやれる事ではない。適法性も認められない。
 朝日新聞の記事は、建替政策が破綻した事を明白にするものである。
   破綻した政策の遂行の為に犠牲と成った者には、当然その損害が償われるべきである。政策的に間違っていたとすれば、その結果による被害が継続していれば、それは回復されるべきである。
 
 
 
 
第2 事実の経過
 
1 本件入居の経緯
 
1) 1985年4月、小学校教員であった反訴原告は、柏市あけぼの所在のマンション「秀和柏レジスタンス701」の3LDKの部屋及びほぼそれと同じ広さのルーフバルコニーを購入し、寝起きするプライベートルームの2部屋のみを除いて、LDKを含む他をフリースペースとして解放してきた。そして、このフリースペースを、不登校者や会社に行けない人たち、学生やこの社会の中で悩む人たち、この社会の欺瞞を看破する人たちに提供し、また彼らの相談にのったり、ミニFM等を開局したり、フェスティバルを催したり等、誰もがその人らしく居られる場所として造ってきた。
  当時教員という立場にあった反訴原告は、教育の場で自分の生活を成り立たせている以上、学校などで抑圧されている子供たちの声について自分の24時間すべてを使って応えていくべきではないかと考え、私財を投じてこのマンションを購入したのである。
    反訴原告は、そのフリースペースの名を微生物の共生からとって「共生舎」と名付けた。生きとし生きるものに対して共生的関係を認めようとせず、一方的剥奪関係を押しつけている私たち人間の罪への反省の発現の一歩となれば、と考えたからである。
    部屋の鍵はだれでもわかる場所にあり、自由な出入りができるようにしていた。今ではフリースペースという空間の意義が広く知られるようになってきたが、反訴原告らのこの試みは、その先駆けといえるものであった。口伝に様々な人に知られたこのフリースペースには、開設以来、反訴原告が光が丘団地に転居するまでの約4年間、多くの人が訪れては活動していった。
    一方反訴原告は、教育現場での体験から管理主義教育のあり方に反対し、日の丸・君が代に反対するネットワークを作り、1988年には日の丸・君が代に反対する全国署名連絡会議も作った。と同時に、過去に日本が行ってきたことを記録に残す必要もあるとの考えが広がり、日本の行った戦争犯罪を明らかにするための記録映画作りが模索された。その結果、共生舎映画製作グループがそれを担当することになったが、当時はまだ映画作りには多額の資金が必要な時代であった。
泰緬鉄道という映画の構想も決まり、反訴原告は、貴重なフリースペースを閉じることに大いに悩んだ結果、みなの理解と協力を得て、唯一の資産であった前記「秀和柏レジスタンス」における自宅兼共生舎の場所を売却して映画製作資金にあてることにした。
 
2) 自宅の売却で、新たに住居を探すことになった反訴原告は、その住居を公団団地にもとめ、公団の住宅募集に応募した。
当時はバブル期であり、民間の家賃は高く、これに比べて公団の家賃は安かった。映画製作にどれだけの資金が必要かもわからなかったので、転居先として家賃の安い公団を希望したのである。
希望の第1は荒工山団地、第2希望は豊四季団地だった。理由は、共に最寄り駅が柏駅で、共生舎のあったあけぼの町も最寄り駅が柏駅であることから、共生舎の地元の柏駅エリアに居を構え続けられ、これまでの相談活動なども継承しやすいと考えたからである。
    しかし、公団の住宅募集センターからは、最寄り駅が南柏である光が丘団地へ入居するようにとの通知と書類が届いた。その時点で既に、自宅兼フリースペースは買い主がついていたので、転居は実行せざるを得なかった。
    反訴原告は、人間関係のある柏駅エリアから離れなければならないことにショックを覚えた。また当時の反訴原告の同居者の職場は東京都区内にあった。光ヶ丘団地に居住を構えるとすると、バス等に乗り南柏駅に出て、そこから千代田線に乗ることになり、柏駅から常磐線や千代田線にそのまま乗れる荒工山や豊四季両団地から比べると、交通上の不便さも甚しかった。
    しかし、この機会を逃せば、いつまた公団団地に入れるかわからないし、1度断ると心証を悪くして2度と入居できないのではないか、などと危惧しては多いに迷ったのである。
 
3) 悩んだ末、反訴原告は、反訴被告との間に、1990年3月13日、賃料1か月3万7904円、期間1年として、反訴原告が光が丘団地第33号棟第2号室に入居する旨の賃貸借契約を締結した(乙79)。
同年4月、反訴原告は、右契約に従い光が丘団地第33号棟第2号室に入居した。33号棟2号室は、間取りもよいテラスハウスであった。
    以後、契約は2回にわたり法定更新された。
 
  4) 反訴原告にとって、光が丘団地の住居は、生活の場であり仕事場でもあり、社会的活動の拠点でもあった。
    反訴原告はここで、その経済力に応じた平穏な生活を享受しながら、必要に応じて工夫しつつ映画製作や社会的活動も問題なく遂行していた。
   単なる住居ではなく、最大限活用して自分の生き方を模索する場もあったということである。
反訴原告は、契約時、この場を移転する必要など毛頭なかったし、契約後も契約に違反した事実も一切なく、まさか更新を拒否されるなど予想できるはずもなかった。
 
2 反訴被告による一方的建替え計画の押し付け
 
1) 光ヶ丘団地の建替え計画と進行状況
柏市の企画調整部企画調整課で作成した協議報告書(乙80号証)によれば、1989年11月29日午後1時30分、公団住宅の建替えについて柏市の担当者が協議していることがわかる。この時点ですでに、光が丘団地は建替えの対象となっていたことが明白である。
計画の内容は、平成2年度に居住者に対する説明会を開催し、その後2年間で移転を行なうというものであった。
また、このような資料に基づいて協議が行なわれるということは、すでに詳細な計画に沿って実務作業が進行していたことが明らかである(反訴原告本人@6ページ)。
    1990年11月14日、翌91年6月3日には、柏市長より反訴被告公団総裁に対し、建替えについての要望書も出されていた(乙82)。
    なお、反訴被告による光ケ丘団地の建替えは、1989年よりさらに早い時点で計画の俎上にあがっていたと考えられる(乙126号証)。
 
2) 建替え計画の通知
本件契約の時点で、すでに光ヶ丘団地の建替え計画は着実に進んでおり、前記のとおり1990年度内には住民への説明会が開催される予定であったということである。
反訴被告は、半年〜1年以内には建替えについての説明会が行なわれ、2年以内に転居しなければならないにもかかわらず、反訴原告との契約を締結したものである。
反訴被告は、反訴原告が光が丘団地に入居してわずか3か月半後の平成2年6月末頃には「建替えを行なう」旨の通知が反訴原告にも配布し(反訴原告本人@7ページ)、契約から3か月後の半年後の同年9月6日には、反訴被告は反訴原告に対し一方的に「光が丘団地建替えについての説明会を開催したい」と記載されたチラシを配布した(乙81)。
   反訴原告としては、転居直後の突然かつ1方的な通知に驚き、建替えの必要性について納得できる説明がない以上、右通知を受け入れることはできないと考えた。光ヶ丘団地への引越からわずか2か月半後に、転居したばかりの団地を建替えるという知らせを受けたのであり、仰天するほかなかった。事態が全く飲み込めなかったことは当然である(反訴原告@8ページ)。
 
3) その後の交渉等
反訴原告は、自治会などに対して「契約時にまったく聞いていない話である」と述べて不快感を示していたものだが、反訴被告はこれに対し、あるときは卑屈な様子で擦り寄り(乙83、85号証)、あるときは傲慢な態度になりながら(乙84号証)、結局は真摯な説明を行なうことなく、建替えは既定事実であるとして最後は1方的な通告で反訴原告に対応している(乙86号証。反訴原告本人A)。
    光が丘団地の建替え事業なるものについて、反訴原告は反訴被告に対し、入居時にまったく説明がなかったことや転居直後の連絡であること   に抗議し、再三の転居が住民にとっていかに負担であり、生活設計を無視した不当な処置であるかを訴え、かつ建替えの必要性等反訴被告の処置内容について誠意ある説明と対応を要求した。
    ことに、公団の建替え事業については、これを規定する法的根拠が存在せず、反訴原告ら住民としては、法的根拠もないまま一方的に建替えるから出ていけと強要されたのであり、直ちに納得できるはずもなかった。
結局反訴被告は、反訴原告も含めて建替に反対する居住者を個別に切離して接触し、また弁護士に対する不信感を煽り、弁護士を介入させない交渉を求めるなどして、反対者の切り崩しをはかったということである(乙67、68、乙83〜85)。
仮に反訴被告において、何の後ろめたさもない交渉をしたと言うのであれば、そもそも代理人弁護士を解任させるよう書式まで交付して画策する必要などなかったはずである。住民だけなら、その足元を見てごまかせるけれども、法律的な論点を掲げて交渉されれば、そもそも圧倒的に時間がかかる、反訴被告にとって不利益であると考えたからこそ、このような姑息な手法を用いたものというほかない。 
 
4) 解約通知とその後
1992年8月、反訴被告は、日付もなく内容証明郵便の用紙だけ用いて手続をふまない「更新拒絶の通知」なるものを反訴原告のポストに放り込んだ(乙86、原告A18ページ〜)。内容は、要するに、反訴被告が一切妥協することなく言い続けていた協議期間を過ぎたので解約を通知するというもので、かつ同じく何の妥協の余地もなく押し付けた条件に合意しないなら代替地もなく無一文で出て行け、というものであった。
   反訴被告がこの通知を突きつけたのは、本件賃貸借契約からわずか2年半、反訴原告が初めてチラシを受け取って約2年後のことである。
この通知(乙86)を受け取った後も、穏便に話し合うために、反訴原告は自治会、弁護士の方針に委ねていた(工事差し止めを求める方向)。
 
5) その間にも、同年10月付の文書では、明け渡し合意者と未合意者を区分し、11月には解体着手する予定が銘記されており(乙87)、先工区 後工区も予定され(乙88、反訴原告の棟は結果的に先工区)、一方、10月31日付文書では、いわゆる戻り入居方策が大赤字になることも予測していたし、現居住者の半数近くガ公団に戻れないことも承知で進めていたということがわかるのであり(乙89)、住民と話し合いというのは建前でありポーズだけで、着々と既成事実を積み重ねていたということである。
    そして、その後、反訴被告は、明渡本訴請求事件の提訴、断行仮処分の申請という形で、建替え計画を押し付けていったのである。
 
6) 反訴被告の取った行動は、説明を尽くし、話し合いによって居住者の意見も聞きながら歩み寄るという通常の社会一般で行なわれる常識ある行動とはかけ離れたものであった。
はじめから、2年間という期間を決めて、その間になすべきことは、ただ反訴被告が決めた条件を一方的にのませるだけであった。このことも、当初からそのつもりであって、まさしく暴力的、権力主義的というほかないものであった。
なお、光が丘団地に限らず、公団が建替え一般についてこのような権力主義的手法で住民を追い出そうとしていることは、久米川団地証人良島隆の証言や、桜堤団地植田魅具の陳述書(乙196)からも明らかである。
 
 
 
3 反訴被告による訴訟詐欺的断行仮処分申請、強制執行
 
1) 本訴の提起 
反訴被告は、自治会との交渉等においてまったく誠意ある対応を   せず、1993年4月30日、本訴提起に至り、同年6月14日、建物明渡しの断行仮処分申請を行った。
ところで、反訴原告は、工事差し止めの仮処分の際には住民の代表にもなっていない。この工事指し止め仮処分は90名の住民が債権者となって申請したのに、明渡の本訴を提起された被告はわずか6名であった。このような意図的選抜をした反訴被告の真意不明だが、自治体の分裂、建替え反対運動の崩壊を狙って、一方で強硬意見を持つと思われるの者をピックアップし、また一方で生活者としてきわめて弱い立場にあった者をあえて被告とし、いわば見せしめ的な位置に置いたものとしか考えられない。植田作成の陳述書(乙196)にもあるように、住民の意見や立場を分裂させることは、反訴被告の常套手段であったと思われる。
反訴原告としては、何故自分が被告として槍玉にあがったのか皆目見当かつかなかったし、ととまどいを感じたものである(反訴原告Aの25ページ〜)。なおこの本訴提起と同時に、被告の1人である須賀氏に対して断行仮処分申請がなされたが、須賀氏は、高齢かつ病気という生活者としてのハンディを持っていたため真っ先に狙われ住民の分断に利用されたものと考えられる。
 
2) 明渡断行仮処分申請
本訴に続いて反訴被告が行った明渡断行仮処分申請では、本訴被告の6名のうち3名のみが債務者とされた。これについても、反訴原告は、なぜ自分が断行仮処分の対象とされたのかさっぱりわからなかった(反訴原告Aの26〜)。
    この仮処分申請は、後述のとおり、保全の必要性などまったくなかったにもかかわらず、あたかもその要件があるかのように装って、裁判所を欺いて行った申請であった。
    もとより反訴原告は、当時、反訴被告のこのきわめて姑息な手法に気づくこともなく、このような暴力的な申請が認められるはずはないから心配しなくてよいとの自治会のアドバイスを信じていたものである。自治会や代理人は、反訴被告と交渉を続けていたが、反訴被告は断行仮処分を申請しながら、それを前提とした話し合いにおいても、それ相応の代替措置を示すこともなく、従前どおりの硬直した条件しか提案しなかった。
 
3) 同決定
1993年11月10日、千葉地裁松戸支部は、反訴被告の申請理由を認めて明渡断行仮処分決定をした(甲103)。
   残念ながら、裁判所が反訴被告の姑息なやり方に翻弄された結果であった。
たとえば久米川団地では、同様の明渡断行仮処分申請が却下されている(東京地裁八王子支部、良島証言Aの26ページ、乙146(新聞)、乙125)。却下の理由は、「期限までに同意しない人には、移転費用の負担や建替え後の優遇措置をとらない」という公団の追い出し戦術は正当事由を欠くとして、被保全権利を否定したものである。
決定後も、自治会の見解では、保証金を積めば執行には至らないということであり、反訴原告はこれを信じていた。反訴被告の嫌がらせに裁判所が乗せられたことは不本意ではあったが、まさか法の名のもとに、何ら契約違反もなく平穏な生活を維持したいと望んでいただけのものに対して、強制執行などという暴力が現実化するはずがないと考えたのである。これは、当時の関係者の誰もがそう考えたところであった。
普通に生活している普通の市民感覚として、いわば当然の受け止め方であった。これまでも、反訴被告の理不尽かつ姑息なやり方に反発はあったものの、まさか力ずくで叩き出すといった暴挙が現実になるはずがないと考えるのは、人として当然のことである。
従って、反訴原告は、執行に対する用意などまったくしていなかったし、執行されることの予想もしていなかった。
ところが、執行期日が11月26日と告知され、その前々夜である24日、尾嵜弁護士の努力にもかかわらず、公団側は話し合いを拒否。同弁護士の「致し方ない」との一言で、反訴原告ばかりか同席していた自治会のメンバーも、やっと事態が切迫していることを認識したのである。
明後日の強制執行などという理不尽な事態を告げられても、反訴原告としては相応の準備のしようもなく、翌25日は悲惨な対応を迫られることになった(反訴原告Aの35ページ〜)。
 
4) 明渡断行強制執行
決定を受けて、債務者であった反訴原告ら3名は、直ちに執行停止申立を行ったが退けられ、11月26日、反訴原告を含む3世帯に対し明渡断行の強制執行が暴力的に強行された(乙91〜95)。
    反訴原告は、住民の権利を無視した強制執行に対する抗議の意思表示として、住居入り口ドアに鉄鎖で自らの身体を縛りつけて抵抗したが、結局排除された(執行の情況については、反訴原告Aの39ページ〜。乙94、乙104の1〜13の新聞記事に詳しい)。
かねてより公団団地の建替え問題については、それ自体の正当性、政策としての是非、反訴被告の強引な手法が社会的に注目されていたこともあり、本件強制執行のニュースは大きく報道されて、当時の公団の苛烈なやり方への社会的批判が大きくなったものである。
    後に、これが甚だしい人権蹂躙であるとして、国連人権委員会のカウンターレポートにも本件強制執行の事実が提出されることになった(乙124)。
 
5) 強制執行の2か月前である1993年9月17日、千葉県知事は、公団支社長あて、「居住者との合意形成をはかるよう努めるとともに、事前協議における関係機関との協議時効を遵守されるよう申し添える」と文書で要望している(乙90)。
    反訴被告の強引な手法は、この時期すでに自治体の意向さえ無視したものだったというべきである。
 
6) 前述のとおり、反訴被告は強制執行にあたり、転居先ないし一時避難先を提供、提案することもなかった。そのため、反訴原告は排除された当日から、やむなく柏市役所前でテント生活を送らなければならなかった。
    それまでの平穏な生活の場を突然奪われて、しかも職場であり社会的の場も失ったことへの反訴原告の失意と絶望感はいうまでもなく、しかもその後のテント生活は、およそ人の名に値しない苛酷なものであった。
反訴原告は、テント生活をしながら、柏市に対して、公団ないし市営住宅の斡旋をすべきではないかと話していたので、柏市がこれを受けて反訴被告に対して、小金原団地等への斡旋を公団にお願いしたとする文書がある(乙96、12月1日付文書)。このようなことは、執行前に十分できた話し合いである。
    また、最高裁の判断まで取壊すのは問題だという柏市に対し、公団はあくまで強気であり、当時の公団が、自治体、裁判所の見解など無視して、自ら強大な権力を持ったかのような酔い方をしていることが見て取れる(乙97、12月16日付文書)。これら文書からは、柏市としても、強制執行はひどい、やりすぎではないかと否定的な見方をしていたことがわかる。後述のとおり、この当時柏市には建替え問題への政略的意図を剥き出しにして本多市長が送り込まれてきていたが、そのような柏市でさえ、反訴原告に対する断行仮処分申請と執行という公団の暴力的やり方に疑問を持っていたということである(反訴原告A48ページ以下)。
 
7) 反訴原告は、テント生活しながらなんとか転居先を決めたのだが、その過程での精神的経済的損害は甚大なものであった。
反訴原告は、後縦靭帯骨化症という難病認定を受けた疾患を持っている。激しい痛みを伴う進行性のもので、身体的にも苛酷なテント生活は、この疾患による痛みの再発と進行を危惧させるに十分なものであった。 精神的には、わけもわからないやり方で、個人の居住が無理やり剥奪されたという痛みがあった。自分の行き方、生活は自分で決めていくという基本的な自己決定権が一方的に剥奪され、それまでの生き方や自分の主張を真っ向上から何者かが根こそぎごっそり奪っていくということの耐え難い苦痛は計り知れないものである。さらに、このような形で、日常の基本さえ奪われてしまった。水一杯飲むにも、住まいを奪われてテントに拠らざるを得なかった反訴原告は、市役所の水道水を飲む、缶ジュースを飲むといった行動を余儀なくされ、またトイレに行くにも公民館の開く時間を待ってそれに飛び込まねばならないという苦渋を強いられた。日常を不意に奪われるということは、食も排泄も、自分の力で生きることそのものを奪われたということであり、その心身の負担が多大なものであったことはいうまでもない。(反訴原告Bの5ページ以下) 
 
 
第3 本件明渡請求・仮処分申請・執行の問題性
 
1 建替問題について
 
原告(反訴被告)は、この平成3年の閣議決定が、明け渡しを求める正当事由として認められるべきであると主張するが、正当事由にならない事は以下の通りである。
 
1) 住宅建設計画法
閣議決定は住宅建設計画法第4条1項(国の住宅建設計画は、これを5年毎に策定して閣議決定する)に基づくものであるとされている。
住宅建設計画法は昭和41年に制定された事からも理解されるように、それまで公営住宅法等により各別に計画された公的住宅建設補助制度を国の住宅建設計画として統合する事を意図したものである。
この時期に前後して、都市及び近郊の整備開発関連の法律が多数制定され、国家的事業として住宅建設に邁進する事になったのである。
家電製品の利用による生活環境を変えるような住宅建設が進められて内需拡大が図られ、国家経済発展の大きな要因となった事は否定出来ない。
 
2) 閣議決定の根拠。
 閣議決定にいたるまでには、建設大臣は都道府県知事の作成した資料を斟酌しなければならない(同法4条4項)のであるが、1991年にはバブルが崩壊して国家経済事情はそれまでと一変していた。
それに対処する政府の経済政策が拙劣を極めて今日の低迷を来している事などは、ここでは論じないが、都道府県知事らは、バブル崩壊後の経済事情の変化が単なる周期的な不況というものではなく経済環境が根底から変わった事によるものであるのを察知していた。やみくもの住宅建設の推進には様々な疑念が出されていた事は、千葉県知事の意見などからも理解されるところである。
しかし、政府・内閣はバブル崩壊に対処するには、それまでと同様な住宅建設を進めるという単純な思いつきのみで、都道府県知事の作成した資料を無視して、平成3年の閣議決定を行ったのである。
 閣議決定には「住宅建設計画法4条1項に基づき」と明文化されているが、実質は住宅建設計画法を無視したものであった。
  建設大臣は、閣議決定がなされたならば直ちに地方審議会の意 見を聞いて地方ごとの審議会及び都道府県の意見を聞き地方住宅建設五箇年計画を作成し(同法5条1項、3項)関係都道府県に通知する(同法5条4項)。
   さらに地方住宅建設5箇年計画に基づき関係都道府県の意見を聞き、都道府県の区域毎の5箇年間における公営住宅の事業量を定め、これを当該都道府県に通知しなければならない(同法5条6項)。
都道府県は、これらの通知を受けたならば、市町村と協議のうえ当都道府県の住宅建設5箇年計画を作成し(同法6条1項)なければならない。
  しかし、そのような手順が踏まれたという経過は見受けられない。少なくとも千葉県に地方住宅建設5箇年計画、及び区域毎の5箇年間における公営住宅の事業量の情報公開を求めたが、そのようなものは無いという事であった。
  仮に本件事業が千葉県の地方住宅建設5箇年計画に組み込まれていたとしても、5箇年の間の計画として実行されるべき事が定められたに過ぎず、入居者の負担能力を考慮しなければならない(同法4条3項)事や、入居者との協議を行い合意に達する事を求めている千葉県知事の意見(乙90号証)などを踏まえると、閣議決定の為された平成3年に直ちに更新を拒絶する正当な事由の根拠となるものではない。
 
3)閣議決定の効力
  このように閣議決定は、建設大臣、都道府県に対して、指針を示すものではあるが、居住者個人に対して法的効果の有るものではない。
 閣議決定が個別的権利義務に拘わる決定であるならば、それは行政処分でありこれに対しては抗告訴訟が認められなければならないものである。
  しかし、閣議決定は国の機関の政策的内部決定であり、その当否は政治的批判にさらされる事は有っても、その適法性が抗告訴訟により判断される対象とはならないものである事は明白である。
 それは国の機関による政治的な施策・方針の策定を内容とするものであり、また国の機関に対する行政上の指示・命令をするものであり、国民の個別的権利義務に拘わらない政治・行政の運用の内部行為である。
  平成3年の閣議決定の内容は、内容の上からも個別的建て替え政策の推進を決定したものではなく、全体の戸数の目標を策定したに過ぎないものであるから、公団住宅の建て替えの為の明け渡しに対して何らの正当性を根拠付ける事にはならないのである。
ましてや閣議決定により明け渡し断行の仮処分の必要性を求めるなどは言語道断である。
 
  4)正当事由
 明け渡しに関する正当事由は、家主側の明け渡しの要求に対して、それが借家人側の必要性との相対的なバランスを失しないかどうかという判断であるが、前記の通り居住権についての国際的尊重の気風が強く成っている事を踏まえれば、国家的政策による明け渡しについては民間のそれよりも一層厳しく制限されなければならないのである。
  建て替え事業の対象と成った住宅には、平成3年の閣議決定の直後に強行的な退去強制方針が提起され、断行仮処分による強制退去が何人かの住宅入居者に対して申し立てられた。仮処分手続きにおいて退去或いは大部分は入居継続の和解が成立したのであるが、断行されたものも本件を含め数件有る。 本件断行の後は、新聞報道などで世間の非難が集中し、その後は断行仮処分による退去はなされなかった。
  その後の経過で、住宅・都市整備公団の行ってきたような強行的な建て替え事業の根拠と成っている平成3年の閣議決定には、政策的な合理性が無く、公団住宅の実情に適合しない事が明らかに成った。
  破綻した政策の遂行の為に犠牲と成った者には、当然その損害が償われるべきである。
  即ち都市基盤整備公団は、住宅・都市整備公団の行った不適性な行為の責任を負担すべきである
 
2 保全の必要性の欠如(仮処分申請の違法性、訴訟詐欺的申請)
 
1) 反訴被告による訴訟詐欺的仮処分申請、すなわち保全の必要性もないのに、その旨裁判所を欺いて仮処分を申請した結果、後記4のとおりの執行による著しい人権侵害を招いたことはいうまでもない。
 
2) 団地の取り壊し時期
 
光が丘団地の棟のうち、最後の棟の取り壊しが行われたのは1999年秋頃であった。そうであれば、居住の継続を希望していた反訴原告の住む棟を、何より優先して取り壊す必要はまったくなかったのであり、このことだけからも本件仮処分申請がおよそ必要性のないものであったことは明らかである。
 
強制執行が行われた1993年11月26日の直後に、反訴被告は、実際には十分居住できる建物である33号棟を、ベニヤ板や角材で釘付けにして封鎖した。その後、簡易トタンで周囲を囲んだものの、少なくとも1年間はこれを放置して、取り壊しもさなければ新築にかかることもなかった。これも、本件仮処分申請に保全の必要性がないことを明白ら示すものである。
 
反訴原告が居住していた33号棟の取り毀しは、登記簿上は1996年9月10日であり、閉鎖は同年12月16日である(乙99)。
 
同年度の固定資産税の台帳にも、33号棟は登載されており、公的文書上、この時点でも建物は存在したということである(乙100)。
千葉県に対して、反訴被告が建物が建ったことの届をしたのは平成7年2月23日、28日であり、その確認を受けたのは、平成7年3月29日付になっている(乙101)。
 
ただし、現実には、反訴原告や住民の記憶では、執行から1年以上後に、取壊された建築に入っていたと思うということであるが(反訴原告Bの14ページ)、いずれにせよ明渡断行が必要であるとの緊急性がなかったことは疑う余地がない。
 
また、現在、33号棟の跡地は駐車場になっており、建物は建っていない(乙102、156、157、220、221)。そもそも取り壊す必要さえなかったということである。
    
3) このような事実に照らせば、明渡断行という人権侵害を犯してまで反訴原告を強制的に住居から追い出す必要性など皆無であったものである。客観的な資料を呈示しながら住民の意向を聞き、条件についても十分な話し合いをすれば、解決の可能性はあったのだし、時間的余裕も十分すぎるほどあったというべきである。
 
4) ところで、反訴被告は、33号棟の特定は仮処分決定の物件目録によるべきであるとし、取り壊しは1994年3月31日であると主張する(甲71、72)。 
    しかし、公図上の特定、照合がないばかりか、前記乙99〜101の存在を説明できていない。
    また、強制執行終了から取り壊し完了まで4か月もかかるはずなどなく、反訴被告の主張によっても、相当期間放置されていたことは明白である。
反訴被告は、本件強制執行直後の1993年12月1日から、同じく断行仮処分を経ていた須賀氏とは十分なやりとりをして、代替地への転居について合意に達し、申請を取り下げている(乙153〜155)。このことは、反訴原告についても、直ちに執行する必要などなかったことを示すものであるとともに(須賀氏と反訴原告について、当時の主張も立場も何ら変わるところはなかった)、反訴原告に対する強制執行が明らかに見せしめであったことを示すものである。客観的には、反訴原告との間でも、話し合いの時間的猶予があったことは明白であり、保全の必要性がなかったことは明らかである。
    
  5) なお、33号棟の特定については、反訴原告としては柏市と十分なやりとりを経て、主張をしているものである(乙173〜182、乙218、219後述の除却届については乙222)。
    反訴原告が、なお甲71、72を33号棟であると主張するのであれば、これに対する反証を行うべきである。
   
  6) 特に問題であるのは、反訴被告において、建築基準法15条で定められている建物除却届を特定届出官庁に届け出ないまま、33号棟を取り壊したことである(乙173、174)。柏市は、反訴被告から、33号棟の除却届を受けていない旨明確に回答しているのであり、本件建替えが重大な手続き違反を犯して行われたことは明らかである。公権力に等しい反訴被告の立場で、法律違反を犯すことは言語道断のことである。
 
7) 前述のとおり、光が丘団地の建替は、反訴原告が入居する以前の1989年には、すでに計画されていたものである。遅くとも、反訴原告の入居より約4か月前の元年12月、公団と柏市の協議が行われていたものである(乙80)。
    1990年には、反訴原告も含む居住者への説明会が具体化され、その後、公団と柏市や千葉県との協議が行われた。これら協議の席で、柏市は公団に対し、あくまで居住者の意向を尊重するよう主張し、千葉県は居住者との十分な合意形成をすべきであると要求していた(乙82、87〜90)。にもかかわらず、このわずか後に、反訴原告に対する執行が敢行されたのである。
   さらに、反訴被告は、平成5年3月31日付文書でも、住民との合意形成をするようにとの千葉県の要望を了解したとし、それを条件に千葉県が建替えの許可をしているのである(乙150)。
   反訴被告は、これら行政の要望や行政との了解事項をまったく無視して、本件断行仮処分申請を行ったものであり、その不当性は反訴被告自ら十分認識していたことである。
   仮処分申請にあたり、反訴被告はこれらの行政と交わした書類等を一切提出しなかった。これに書類が、裁判所の目に触れていれば、その判断が異なったであろうことはいうまでもない。
 
 8) いずれにせよ、本件断行強制執行が、きわめて異常なものであったことは異論の余地がないはずである。
   柏市は、文書において、反訴原告のテント生活の状況を庁内で報告し異例の関心を寄せていた(乙151、152)。
    前述のとおり、久米川団地では、申請自体却下されたものであるし、申請が認められたとしても、本件のような激しい抵抗を排してまで強制的に追い出したケースは、全国的にも皆無であった。
 
9) そもそも強制執行は、建替えの実行においてまったく必要のないものであったというべきである。
久米川団地の例でも、計画段階で予定されていた工事が止まったままの状態で、何の支障も生じていない。第2ブロックの半数以上が現在もまだ空き地のままであり、放置されたままである(証人良島Aの17ページ、乙129、130)。旧建物を若干残すことに、何の問題もなかったはずである。
本件光が丘団地も同様である。33号棟の跡地は駐車場であることはもとより(必要な駐車場は、広大な敷地内にいくらでも配置できたはずである)、建替え後の予定(乙122)に反して、実際には建築されていない場所も相当数ある(12棟は建たないままである。乙123、反訴原告Cの1ページ〜、8ページ〜)。
また、1989年まで900世帯以上あった光が丘団地の住民は、反訴被告が呈示して譲ることのなかった移転期間の2年が経過してもなお860世帯であった。しかし、平成13年には、651世帯と激減している(乙158〜164)。 建替え後の予定入居者数が1550世帯であったことからすれば、建替え計画の杜撰さ、土地の有効利用という建前とは程遠い現実が浮かび上がる。
    このようないいかげんな実態を秘匿したまま、反訴原告に強制執行という人権蹂躙を敢行した反訴被告の責任は重大である。
 
10)  現在、反訴原告が居住していた33号棟は、駐車場であり、他にもただ塀で囲んだだけで、建築予定地でありながら放置されている区域がある(乙220、221)。そもそも建築ができない建物であれば、あえて住民の居住権を奪って取り壊す必要などなかったものである。そのまま建物を維持ないし改修して、住んでいた住民に賃貸していれればよかったのである。反訴被告の存在とその業務は、国民の資産を食いつぶす財投によって成り立っているのであるから、少しでも収益を上げるべく努力することは、当然の義務であったはずである。
 
3 反訴原告に対する迫害・社会的抹殺状況 
 
  1) 反訴原告が、本件当時どのような社会的環境にあったかは、乙116の陳述書に詳しい。
 
2) 本訴、仮処分、人を選んで意図的にやるのは、どこの団地も似たようなものであり、反訴被告の常套手段であったようである。
1993年3月31日、公団から柏市に、居住者との話し合いは十分にやりますと回答した(乙150)。ところで、この回答から4月30日の本訴提起までのこの1か月間、仮処分申請の2か月半の間、反訴被告と反訴原告の間にも、また住民との間にも、特に問題となる状況は何もなかったものである。
反訴被告は、なぜこの時期、反訴原告をターゲットにして本訴を提起したのであろうか。 
反訴原告の作成した映画「白と黒とわんぱくたち」は、1993年3月末に完成し、プレス用試写会を経て映画の記事が新聞に掲載されたのは同年4月20日である。この映画のラストシーンに、分限処分を告知するところがあり、不愉快に思った権力側の意図が、公団の追い出し作戦と目的を合致したと考えられる。一方で、「白と黒とわんぱくたち」は、社会的評価も高く、広く長く関心を集めた映画であった。反訴被告とすれば、面倒な人物が光が丘にいる、これをまずやっつけないと他への影響も大きいのではないかとあらぬ心配をしたものである。
しかしながら、反訴原告は当時、現実には他ボアをきわめていて、それどころではなかった。つまり、反訴被告の建替え計画と実行に反対する立場を鮮明にして、自治会や反対運動の先頭に立つというような活動は一切していなかったもので、そのような時間を持つことなど不可能なほどに多忙だったのである。本件については自治会と弁護士におまかせで、運動の中心だったことはない。
結局、公団は、反訴原告を過大に敵対視し、執行の対象としたものである。
しかし反訴原告としては、筋の通らぬことを認めるわけにはいかないので、人間としてあるまじきはずの執行に対しては鉄鎖を巻いて抗議した。その結果、反訴被告は、その悪辣さを自ら世間に公開することになったというわけである(反訴原告Bの31ページ〜、44ページ)。
 
4 建替えに関する柏市と公団の関係 
 
1) 住宅・都市整備公団は、1989年にはすでに光が丘団地の住宅建替を画策し、柏市と協議を行っていた。住宅・都市整備公団が住宅供給事業を始めるにあたっては、所在地の地方公共団体の長の意見を尊重しなければならない(住宅・都市整備公団法三三条)という規定があり、公団では、光が丘団地の所在地の長である鈴木柏市長(当時)の意見を聞いていたが、同市長は住民の意見も十分聞くようにとの意見であり、公団の建替計画には慎重な姿勢であった。
    反訴原告が光が丘団地に入居したのは、すでに右のような建替計画が進められていた最中であって、入居後直ちに建替事業の問題に巻き込まれることになったのである。
    
2) 1991年秋の市長選挙において、建設省の審議官を退職するや否や本多氏は、柏市長選に立候補した。本多氏は、地元建設業者対し公団建替工事の発注を見返りとする支持を集め、本命視された鈴木市長の後継者として立候補した関谷氏を破り柏市長に当選した。そして、当選するやいなや本多現柏市長は、住宅・都市整備公団に対して建替事業の推進を具申した。この秋の選挙は、建替事業の推進をもくろんだ建設省と住宅・都市整備公団の合作であるとしかいいようがない。
    その後の建替計画は、三割以上の住民は建て替えられた住宅に戻れないことが予想されており、高齢者向けの住宅を充実させるべきだと主張していた鈴木元市長の意見は黙殺されてしまった。
    光が丘団地の建替政策は、政治目的での政策推進の対象であり、利権の温床でもあったということである(以上について、反訴原告B23ページ〜、Bの37ページ〜、乙190 191)。
 
5 居住権の否認、蹂躙の違法性
 
1) 問題の所在−本件事態の有した意味
 
@ 反訴原告に関する経過と問題性
 
 @ 本件にあっては、前述のとおり反訴原告は、すでに具体化していた立替計画の存在を全く知らされないままに、反訴被告の前々身たる住宅公団との賃貸借契約に入らせしめられたのであったが、立替計画を遮二無二強行せんとする住宅公団は、一方的な計画の押しつけに納得できない反訴原告を含む一定の居住者との契約を、一方的に解除した上で、更には明渡しの断行の仮処分を申立て、千葉地裁松戸支部より命令を得て、強制執行を行い、厳寒時に反訴原告を叩き出した。
   しかしながら、反訴原告が居住していた建物は、工事に取り掛かることもなく長らくそのままに放置されていた。(着工後も、付属的な資材置き場というまさに不要不急そのものであるような状況であった。)そしてその後、ようやくに整地されたが、駐車場ということで、現在に至っている。
 
 A これは一体どうしたことであろうか。立替計画・そのために必須であるからとされたからこそ、仮処分命令が発出され、強制執行が行われたのではなかったか。
   本件を巡る、その後の状況は、そもそもの仮処分命令の妥当性・その執行の妥当性について、深刻な疑いを起こさしめるものである。すなわち、この長期間の放置という問題は、次のことを意味しているのではないか。
   立替計画自体については、仮に一応前提としたとしても、真実には、反訴原告を即刻立ち退かせる必要性は全く無かったにもかかわらず、反訴原告個人に対するもっと政治的な理由・ないしは団地に於ける住民の反対に対する公団の隠微な思惑等から、明渡しの必要性について虚偽の申立・立証を行い、裁判所を欺罔し、一個の訴訟詐欺として保全命令を獲得し、暴力的叩き出しを強行したのではないか。(契約に基づき適法に入居した反訴原告が、それまでと全く同じ方法で、市井の一市民として住み続け、生活するという、ただそのことによって、なぜ、「債権者が権利を実行することが出来なくなったり、実行するのに著しい困 難を生ずるおそれがある」ということになってしまうのか、全く理解困難である。)
 
B 厳寒期に住居を奪われること、これは、生存の危機に直結する重大事である。(もちろん、問題は冬期に限られるものではないが、この季節が最も危険である。)
   そもそも住居は、人間が生存してゆく上で、最も基本的な生活手段である。これを奪われ、ないしは喪失することが、人間の生存にとっていかに重大な時代であるか、そのことは、この「文明国家」たる現代日本に於ても、いわゆるホームレスと呼ばれる野宿労働者に発生する冬期の凍死者は、例えば東京都だけでも、毎年50名を越すと報告されている、その一事をとっても自明のことである。それほど、住居を奪われること、とりわけ冬期のそれは、人間にとって厳しい事態なのである。
 
C そもそも法制度上、仮処分は「著しい損害または急迫の危険を避けるため必要な」場合にも認められることになっているが、しかし、その厳しい実情から見るならば、「住居からの叩き出し」という、このような行為こそが、まさに、「著しい損害」「急迫の危険」(ないし旧民事訴訟にいわゆる「現実ノ強暴」)そのものであることが、疑いの余地無く明白であろう。
   いわゆるホームレス状態の危険性、ということからするならば、反訴原告は深刻な危険に直面させられたわけである。
 
D 「人間一人の生命は、地球より重い。」
   かって最高裁は、死刑制度の憲法適合性を判断する大法廷の判断を示すに当たって、このように説き起こした。ただ最高裁は、このように宣明しながらも、結論的には、地球より重いはずの生命を持った国民の首に、国家が綱をかけることを是認したのであり、その不徹底性は批判さるべきであるが、しかし、「生命の根元的尊厳性」を真正面から認めたこの命題自体は、日本国憲法下の司法が立脚しなければならないところの、絶対的真理であるというべきである。けだし、遺憾ながら、一般犯罪・政治やイデオロギー故の殺人・戦争等々、この人間社会は多くの殺人行為に充ち満ちているのが現実であるが、もし司法が、これを究極的に肯定してしまうならば、それは「強き者による実力行使に対する容認」を意味しているのであり、そもそもの司法の存在性自体の自己否定以外のなにものでもないからである。
 
 E ところで以上のとおりであるところ、仮にもし、本件強制執行の結果、いわゆるホームレス状態に突き陥とされた反訴原告が、この急迫の危険に抗し得ず東京都の50人以上の不幸な人々同様に、路上で落命してしまっていたとしたら、問題は一体どのようなものとして考えられたであろうか。
(なお公団が強行してきた、立替問題に関連しての「人の死」と言うことからするならば、痛ましい或る心中事件の存在も忘れられてはならない。それは、予想予定もしていなかった高額賃料を、公団から押しつけられた結果、これを苦にした老夫婦の心中事件である。 立替政策の強行は、更にこのような問題の深刻化が必須であった。しかし公団は委細構うことなく、一方的 立替計画を強行してきた。追い立てられた老人達の生存権がどのような運命を辿ったのか。公団には関心外のことである。)
 
   しかしながら、結果的には、反訴原告中村秀樹の「地球より重い生命」以上に、立替計画を進める債権者公団の権利の方が重いとして、ことは進行せしめられたというわけである。
 
F 「一人の生命の重さは・・・・・」 最高裁の死刑制度に関する判決の、この書き出しについては、万人がこれに賛意を表した。
   その理由は、改めて言うまでもない。すなわち、そもそも単純な物理学的事実からするならば、一人の人間の重量が地球より重いと言うことはありえないであろう。しかし、人間存在は単なる物理的存在ではなく、人格性という、数量数値的評価を絶した、すなわち、「数える」こと、そして「比較する」ことが拒絶されたところの、それだけで絶対的なものであるという、人格の絶対的尊厳性、このことが、端的に表明されていたからである。
 
 ( なお、そのような絶対的評価を人間についてのみなすことは、人間の思い上がりであり傲慢性でしかない。人間のみならず、およそ存在する万物について、同じ事が考えられ、尊重されなければならないはずである。反訴原告は、常々このことを強調し、現在社会に於るその実践を追及してきた者である。しかし、ここでは議論の簡明のために、仮に、「人間性」という点に限定して議論を進める事にする。)
 
G  日本国憲法は、この真理を「個人の尊厳性」として宣言している。(13条)実に、全ての基本的人権の究極的根拠は、ここに存しているのである。
   しかし、公団の考え方はそうではなかった。公団は、全国の団地につつましく居住し続けてきた、住民個々の人格性よりも、立替計画なる抽象を、比較して後者をヨリ価値の高いものとみなし、その前にあっては前者は価値なきものとみなして、権力による暴力的掃討を強行したのである。恰かも、いうところの「小の虫を殺して大の虫を生かす。」的発想であり、施策であったのである。
 
 H だがこれは、人間の人格性を認めず、その価値を「可算的」なものとみなして「比較する」という考え方である。日本国憲法が厳しく戒めたところである。しかもこれを権力的・暴力的に強行しようというのである。「立替計画」なる一個の抽象・観念のキャタピラーにより、生きた個人を容赦なく踏みつぶしてゆくことを辞さないという思考である。
 
A 立替問題・政策およびその強行そのものに於ける人格権否認性
 
@ ところで、そもそも公団の立替政策そのものには、その政策的合理性に多大の疑問が存在しており、社会的にも大きな問題となっていた。その上、本件立替計画なるものには、具体的に更に問題性があったのであり、また、仮に被保全権利の存在を前提としたとしても、今では、その保全の必要性の無かったことが明らかになっている。
   にもかかわらず、反訴原告は暴力的に叩き出され、生命の危険に直面させられた。そして公団は、このように反訴原告を叩き出した後は、これさえ達成すれば十分とばかりに長らく放置していた。
 
 A 上記F・Gで述べたとおり、ここには明らかに、「地球より重い」はずの人間の命・個人の人格性・尊厳性への、徹底した無価値視の思想が存在している。
   そもそも公団の立替計画に反対の意思を表明した人達は、単に結果として、そのようにならざるを得ずして、そうなっていったという存在である。我々の目に、本法廷で証言した良島証人の姿が浮かぶ。公団反対イデオロギーというものが先験的に存在し、それゆえにその信奉者が、「とにかく反対」ということで反対を言っているものではない。誰だって、生活は安穏でありたい。年齢がゆけばなおさらである。誰が好きこのんで、長年の家主である公団と争い、人と口角泡をとばして論争し、裁判所通いを続けるであろうか。しかし、全く普通の市井人であるに過ぎなかった一老人をして、公団の立替計画とその一面的強硬政策は、いつの間にかそのような存在たらざるを得なくし、以降そうあることを強い続けてきたのである。
   そもそもこの人達の要求は、何であったろうか。それは、有り体に言えば要するに
 
   a 老年期を控えて、ないしはこれに入って収入増は望めない状況にあって、支払いきれないような増額家賃では困る。
   b 新家賃が設定されると言うことであれば、その根拠を示してほしい。
    (何も絶対に払わないと言っているのではなく、これに納得がゆけば払うつもりである。)
   c 何年も何年も住み続けてき、地域社会を人的にも環境的にも形成してきた。これらを尊重し、コミュニティづくりの計画策定に住民を参加させてほしい。
  
等々がそれであった。どれも至極もっともなものばかりである。当該団地に居住している者であれば、誰であっても当然に希望する内容である。
    しかるににもかかわらず公団は、このいずれにも応ずることを拒否した。たしかに「説明会」は開催されたが、それは居住当事者と計画を共に作ってゆくというもので全くないばかりか、交渉ですらなく、ただただ自分達が予め決定した内容を、一方的に提示し、これへの同意を取り付けようとする、政策伝達の場として設けられ、運営されたに過ぎなかった。
    良島氏をはじめとして、各団地の住民は、上記@〜B如きが当然に話合われるだろうと予想期待して、この問題に接していった。ところが豈c図らんや、そのような場では全くなかった。ただ、公団の住民無視・官僚主義的姿勢をいやと言うほど見せられ、味あわされただけであった。
    なお公団が、暴力的叩き出しを強行した反訴原告については、公団は別の見方をしてきたのかも知れない。しかし、反訴原告も本件訴訟に於て和解が課題とされたとき、根本的にそれに反対したという者ではない。ただ、これまでの公団の仕儀は余りに住民無視であるから、この点についての謝罪を求めるとの立場をとったに過ぎない。当然のことである。しかし、公団がこれを拒否したが為に、更に延々訴訟となっているのである。このように公団は、普通の市民である住民を、勝手に種々位置付けることによって、徒らに問題を紛糾せしめ解決を困難にしてきたのである。
 
  B ここに、公団の根本的イデオロギー性が存している。それは住民を、それぞれかけがえのない人格性を有した個人として見、そのように遇するというのではなく、単に住居を供されるものとしてのみ位置付ける考え方である。これが基本となって、その供給方法の変更について、これに肯んじない者は、「反対的存在」としてこれを位置付け、否認の対象としてゆく思考である。
    厳寒期に路上に叩き出す・・対象者が生命生存の危機に貧することとなっても、それは所有権利者の法的権限に属することについて、権利者の意向に従おうとはしなかった本人の自己責任の問題、本人の選択した結果である、との立場である。  
 
 B 法制度上の問題性
 
 @ 公団の、非人格権的思考の構造は、以上のとおりである。
   公団の、このような非人間的思考・政策が、厳しく批判されなければならないことは、当然である。
 
A しかし、ここで更に考えられなければならないことがある。それは、このような実力による強制的な排除を認めている、制度そのものの問題性である。
   たしかに、本件の強制排除に関する実体上の権利の主体は、公団であった。そして公団は、本件に於いて、保全の必要性等について虚偽を述べて裁判所を欺罔し、訴訟詐欺的に債務名義を得、国家権力を発動させ、その暴力によって反訴原告を叩き出した。このことの不当性・非道性は、いかに非難されてもされ過ぎるということはない。
   だが、そもそも、公団のこのような不法が可能であったこと、このこと自体が大きな問題である。
   住居を奪われること、それは人間存在・生存の根本手段を奪われることである。それは当然に、その対象者に属する一切が否定され、消滅させられるということである。ここでこのように否認させられる法益以上に大きな法益というものが、他に存在しているであろうか。
   そのようなものは存在していないのである。
 
 B それゆえに実は、力によって立ち退きを強制させる制度、これそのものに根拠が無く誤りがあるのである。私的強制はもとより・公権力によるそれも、問題は同じである。
 
 
2) 国際人権法に於ける「居住の権利」「強制立ち退き禁止」の権利
 
 @ 実は、この問題の重要性は、世界的にも自覚され、現在では「居住の権利」「強制立ち退きは許されない」権利として、それは確立されているのである。
 すなわちこの間、先進国・途上国を問わず全世界的に、失業問題をも含む貧富の格差の深刻化、急激な都市化と開発、農村の没落解体といった社会構造上の変化が進行し、厖大な数の「ホームレス」者が生み出されてきている。例えば、いわゆるストリート・チルドレンとして、一生、家族生活・教育・福祉の機会を与えられることなく生育し生涯を送ることを運命づけられた人達の厖大な存在は、現代世界・社会の矛盾の深刻性を考えさせずにはおかない。
 
 A こうした絶対にあってはならない悲惨な現実は、何に起因しているのか。
   社会・経済上の原因の存在していることは言うまでもないが、実は、誤った「方の支配」なるものによって、「権原無き居住」についてこれを徹底的に否認し、権力を以てこれを「強制的に排除」するとの考え方が許容され、そのための制度が存在し、現実にそれが実施運用されていること、このシステムの存在が、多くの人民をその居住の場から引き剥がし、追い立てることによって、かかる深刻な現象が存在するに至っているのである。
   それゆえ、多くの人民の生存・存在の危機を招来している事態の、直接の根拠となっている「強制立ち退き」のシステム、そのような法制度事態が停止され禁止されなければならない。それなくしては、厖大な人民の生存すら維持され得ないだろう。
 
 B このような観点から形成され確立したのが、国際人権法上の「居住権」なのである。
   その詳細は、乙第111号証ないし同第113号証に記述されたとおりであるから、ここではそれら全てを援引用することにする。
 
 C これらよりするならば、本件は国際人権法によって禁止された「強制立ち退き」そのものであって、絶対に許されないところである。
 
 D また、国際人権法の権威である、阿部浩己 神奈川大学教授による鑑定意見書が、反訴原告の要請を受けて現在作成されているところである。ここでは、
a「居住権」・「強制退去禁止」についての国際人権法の内容
b およびこれらの日本国内に於ける規範性
   について詳論がなされ、更に、
   c これに踏まえての本件の評価
   
が明らかにされている。
 
以上a〜cの詳細に立脚した反訴原告の主張は、別の書面で提出するところである。
 
 
第4 反訴被告の責任(その1 債務不履行)
 
1 解約通知(乙86)の無効
 
1) 解約事由、更新拒絶事由の不存在
 
反訴被告が主張する解約事由ないし更新拒絶事由は、光が丘団地の建替事業の必要性・合理性をおいて他になく、この点は、反訴原告2000年9月29日付準備書面第8項及び前記第3の1のとおりである。  
 
2) 反訴原告の居住の権利(契約上の権利)
 
  反訴被告は反訴原告に対し、本件賃貸借契約の本旨に従い、賃貸人としてその平穏な居住を継続させる義務を履行すべきことは当然である。
 
  本件契約書においても、契約の法定更新が原則とされており、反訴被告の解約や更新拒絶は厳しく制限されている。
  ところが反訴被告は、1993年3月、反訴原告に対し光が丘団地の建替えを理由に契約の更新を拒絶すると伝えてきた。契約書上、建替え事業が解約理由、更新拒絶理由となっていないことはもとより、そもそも公団の建替え事業を正当化しうる法規も存しない。
  本件契約が終了する理由はなく、反訴原告が団地に居住する権利が奪われる理由はないのであり、反訴被告の債務不履行は明白である。
本件賃貸借契約が「長期間の居住の継続」を前提としたものであったことは、公団法1条の趣旨だけからも当然のことである。1年間の期間を2回程度更新した後に更新拒絶されることがわかっていれば、反訴原告はもとより契約を締結する者がいるはずがない。
 
3) 契約上の義務違反
 
ところで、反訴被告の主張によれば、光が丘団地の建替え及びこれに伴い反訴原告が早期退去を余儀なくされることは本件契約当時から存した事情だったということである。しかるに反訴被告はこれを秘匿して本件契約に至ったのであり、反訴原告はこのことを了解して契約したものではない。そうである以上、反訴被告は反訴原告に対し、通常の賃貸借契約において賃借人が期待する居住の権利を確保すべき義務があった。要するに一般的には、公団に入居できるということは、相当程度長期間の居住の継続が期待できるということであり、実際にも公団入居者の居住期間は長期間にわたる場合がほとんどである。反訴原告もこのような期待を持ち、長期間の居住を前提に自らの生活設計を立てた上で転居したものである。
 
4) 以上、反訴被告は、賃貸人としての義務を怠り、反訴原告に対し居住を継続させる義務を履行しなかった。建替えの時期や方法につき反訴原告の権利との関係で賃貸人として誠意ある対応をするなどの努力も怠り、法的根拠のない建替えのみを理由に反訴原告に退去を強要するなど、反訴被告の不履行は悪質なものであった。
反訴被告は、無効な解約により反訴原告の蒙った損害を負担すべきことは明らかである。
 
2 契約締結上の故意・過失
 
1) 一般に、賃貸借契約を締結した2か月半後に、当該建物を建替えるというようなことが許されるはずもない。まして、建替予定がすでに決まっているのにこれを告げずに契約し入居させるようなことはあり得ないことである。転居までの期間が2年間は居住できるので問題はなかろう、などと考慮したということも論外である。
   いずれにせよ、これだけ明確な計画が存した以上、本来であれば新規契約は控えるべきであり、少なくとも十分な説明は必須であり、それでもなお賃借人が2年以内の転居に同意した場合に限り契約すべきであった。
 
2) 本件では、本件契約の締結にあたり、反訴被告は反訴原告に対して、以下のことを説明すべきであった。光が丘団地が建替えの対象となっていること、建替え計画が進んでいること、具体的な日程として反訴原告との契約を締結した年度内(平成2年)には説明会を開き、2年以内に移動してもらう予定であること等である。
反訴被告はこれらの説明を一切していない。反訴原告が配布された資料には、建替え計画のことは全く記載されていない(乙118〜121号証)。反訴被告が提出した甲70号証は業務用であり、このようなものを反訴原告は見たこともない(反訴原告A1〜2ページ)。
なお、反訴被告において、この点の説明をした、あるいはしなかった場合の理由についての主張はない。
 
3) 事柄の性質上、契約時の説明の欠如は単なるミスというようなことではなく、意図的に秘匿したものというほかない。
前述したとおりの、反訴原告が光が丘団地に転居した事情からすると(反訴被告@8〜25ページ)、仮にこのような説明がなされていれば、光ヶ丘団地に入居したはずがない。
    反訴被告の行為は詐欺的な契約締結であり、これにより反訴原告に生じた損害について賠償責任を負うことは当然である。
 
4) そもそも、本件賃貸借契約にあたり、反訴被告は反訴原告に対し、賃貸人としてその平穏な居住を継続させる義務が履行できることが前提であったはずである。
    しかるに、反訴被告は、光が丘団地の建替え事業なるものを独自に計画、具体的に進行を開始していた。つまり、これに伴い反訴原告が早期退去を余儀なくされることを十分知りながら、反訴原告との本件契約を締結したということである。また、反訴被告の主張によっても、これらのことは本件契約以前から存した事情だったということである。そうであれば、そもそも本件契約時、反訴被告が反訴原告に対する賃貸人としての義務を履行する能力はなかったということである。
    なお、当時、公団の建替を知り、これに反発していた住民は、反訴原告は建替のことをわかっていて入居した公団の手先やスパイに違いないと風評し、反訴原告は予期に反して近隣住民とのコミュニケーションを全くとれなかった。
 
  5) 以上のとおり、反訴被告には、契約締結上の故意、少なくとも重大な過失があったことは明らかである。
 
6)  反訴被告準備書面に対する反論
 
@ 反訴被告平成14年1月25日付準備書面の1〜3甲について、反訴被告の主張によれば、本件契約時、光ヶ丘団地の建替え事業はいまだ決定に至っていないから、契約時特段の説明義務はなかったとか、反訴原告も甲70添付の申込書を用いたはずであるから、そのほんのわずかな「前書き」や「ご注意」の記載に気づくべきであったというような反論がされている。
しかし、公団団地に居住するにあたり、膨大に手渡された各種資料や書類の中に、ごく一般論として数行記載していたはずであるというだけで、反訴原告が建替えを承知で契約の上入居したとする反訴被告の主張は暴論である。反訴被告が言っていることは、反訴原告において、ある資料から光ヶ丘団地が昭和30年代に供給されたことを認識し、それに別の資料も繋ぎ合わせて、建替えプランの対象になっているのだなと理解し、その上その時期が契約時からどの程度先かも推測で見通した上で、契約に至ったというのである。このような非現実的なことを要求する姿勢も大問題である。
以上、反訴被告の反論は、わずかなパンフレットの記載を繋ぐと、建替えもあるだろうと考えたはずだということだけであり、結局、契約時において、何も説明していないことは認めたということである。
 
2  4項のうち、2年間の話し合い期間を設けたとの主張には、以下のとおり反論する。
2年間の長期の話し合い期間ともいうが、これで足りるはずがない。住民としては、何の契約違反もしていない矢先に、いきなりある日説明会が行なわれて、それまでの生活やライフプランの変更を言い渡されて、2年間の猶予期間をやる、といわれても、直ちに納得できたはずがない。公団団地は、社宅や官舎とは根本的に異なり、短期間での転居を前提に入居した者はほとんどいない。2年間という期間は、家族の人生を左右するにはあまりに短い期間というべきである。
 
B 4項のうち、複数の工区に分けて便宜をはかったという主張には以下のとおり反論する。
そもそも、1ブロック、2ブロックであるとか、先工区、後工区といった区別が、具体的にどのように決められたのか、便宜的であるというならば、なぜ当該ブロックないし区域が先工なんか後工なのか、合理的な説明はいまだに示されていない。結果的にみると、たとえば光ケ丘団地に限らず、当時公団の中で快適で住みやすいともっぱら評価されていたテラスハウス(反訴原告もテラスハウスに住んでいた)の住民が建替えに反発するのではないかと先んじて考えた反訴被告が、テラスハウスを先工区にしたのではないかと、推測することもできる。しかし、このようなことについても、反訴被告からは現在まで、まったく説明がないままである。
 
4  4項のうち、仮処分断行について、命令後に、反訴被告が代替社宅を確保の上任意明け渡しを説得したとの主張は否認する。反訴原告は、反訴被告からこのよえな説得を受けたことはない。この点は本件で重要な争点であるところ、具体的日時や説得内容を明らかにしない反論は、およそ説得力がない。
 
5  5、6項は否認ないし争う。
 
 
第5 反訴被告の責任(その2 不法行為)
 
 1 建物賃貸借契約の権力主義的否認
 
   以上に述べたことは、建物賃貸借契約の暴力的権力主義的否認として、一連の不法行為と評価できるものである。
   前記第3の事実経過に述べた事実、すなわち契約直後の建替えを秘匿して契約を敢行し、その後の説明も怠ったまま一方的解約通知を発し、話し合いを求める反訴原告に対し明渡し本訴を提起の上断行仮処分を申請し、強制執行に至らしめ、あげく反訴原告をテント生活という苛酷な状況に追い込んだという反訴被告の行為は、一連の行為として不法行為を形成するものである。
   しかも、建築基準法に定められた建物除却届を提出しないままであるという法規違反も犯したままである。
  公権力の暴力的やり方は、たとえば乙170号証に詳しい。
反訴原告の主張は、乙165〜169、171とうのとおりである。
 
  
2 反訴被告の不法行為(必要性のない仮処分申請と強制執行)
 
  1) 前述した1993年年11月26日の断行強制執行後、約1年間の長期間にわたり、反訴被告は、建物を建て替えるどころか取り壊すこともせず、現状のまま放置していた。仮処分申請時から強制執行までのわずか5か月あまりの間に、反訴被告が主張した保全の必要性を基礎づける事情が変更したというようなことはまったくない。要するに、仮処分申請時において、反訴原告の居住する権利を奪取してまで保全が必要である事情など存しなかったのである。
    また、新旧の住宅地図から一見してわかることだが、設計上、新建物の建築のために旧棟を毀す必要などなかった。反訴原告が居住していた旧棟のあった場所は現況空地(駐車場)である。
 
2) 光ヶ丘団地の建替については、そもそも対象地選定にあたりいかなる基準に拠ったものか皆目明らかでない。また、反訴被告は、工事進行として先行区・後行区に分けて着手するとしたが、どの棟や区域を先行区とするかの基準も明らかでない。具体的な工事の進行についての必要性、合理性はまったく説明されていないのである。
反訴被告は、何の合理性もなくただ恫喝のためだけに、反訴原告ら建替に反対する居住者の居住区域を先行区に指定したものと思われる。このようなやり方が許されるはずがない。
    また、反訴原告の立場からすると、反訴被告のやり方は、建替に乗じて反訴原告の活動を排除しようとの意図を持って対応したとしか考えられないものでもある(前記第3の3)。 
  
3) 以上、反訴被告は、法律上の要件である保全の必要性の存否を偽って明渡断行仮処分申立を行ったのであり、裁判所を欺き原告の賃借人としての権利を奪うための道具として利用したというべきである。かかる反訴被告の行為は悪質であり、右仮処分申立行為が不法行為を構成することは当然である。
 
4) 1993年7月、国連人権委員会で採択された「強制立ち退きに関する決議」は、「強制立ち退きなる行為は、人や家族や集団を無理矢理に家庭やコミュニティから連れ去ることによってホームレス状態を悪化させ、住居と生活条件を劣悪にするものであることを認識し、また強制立ち退きによるホームレス問題は社会的な対立と不平等を先鋭化し、常に社会の中で最も貧しく弱い対場にある人々に対して影響するものであることを懸念し、強制立ち退きを防ぐ究極的責任は政府にあることを強調する」としている。この決議には日本政府も3加し賛成しており、反訴被告が公益目的で設立された公法上の法人である以上、この決議の趣旨にのっとった行動をすべきことは言うまでもなく、この点でも反訴被告による必要性のない強制執行に至らしめた行為は、国際的趨勢からも社会的責任からも、看過できるものではない。
    さらに、憲法98条2項は、批准した条約及び確立された国際法規の誠実な遵守を定めており、反訴被告による本件暴挙はこの点でも憲法に違反しているものである。
 
  5) 右の違法な仮処分申請の結果としての強制執行の際、反訴被告は反訴原告に対し代替居住地の提供をしていない。そのため、反訴原告としては、現在に至るまで正当な居住地は確保されておらず行き場のない状態が続いている。
    1993年11月24日午後6時頃、尾嵜代理人と大橋弁護士が電話で話した際、尾嵜弁護士は「反訴原告には行くところがない。どこか代替地はないか」と尋ねたことに対し大橋弁護士は「もうダメだ」と拒否した。強制執行の前々日に代替地の提供を申し出たにもかかわらず、反訴被告はこれを明確に拒否したということである。
    反訴原告の損害は現在も継続しているのであり、その意味で本件は継続的不法行為に該当する。
 
 
3 名誉毀損(反訴原告2000年9月29日付準備書面第9のとおり)
 
 1 強制執行に関する報道
 
   反訴原告に対する強制執行の様子は、テレビ、新聞等により、実名、顔写真を含む画像や活字となって全国に流布された。
   右報道にあたり、反訴被告は、マスメディア等に対して、本件の事実経過を歪曲し、「強制執行の事態に至ったのは、反訴原告が話し合いに応じないからであるとか、反訴被告の提示した条件に納得しないからである」などと一方的に虚偽の事実を告知した。
そのため、実名、顔写真を含む強制執行のニュースには、右のような趣旨のコメントを付して行われ、反訴原告は私欲に駆られて明渡しを拒否する者との評価を受けることになったもので、反訴被告による名誉毀損は明白である。
 
 2 「The New KEY」の記事
 
   1998年11月7日付週刊新聞紙「The New KEY」には、次本件本訴において反訴原告以外の本訴被告ら8名が和解したことについて、代理人弁護士へのインタビューの体裁をとって次のような記事が掲載されている(乙115)。
   「光が丘団地の訴訟について1戸だけ独自に裁判を継続することになったことについては(反訴原告を指すことは、公団に住む者にとって明らかなことである)、その者が明け渡しを認めた裁判所を含めた謝罪がない限り(和解に)応じたくないと主張した。司法制度上無理難題な主張である」
   しかしながら反訴原告は、反訴被告の謝罪を求める意思は強かったものの裁判所も謝罪しない限り和解には応じないと述べたことはない。
   本件記事について反訴原告は全く取材を受けておらず、従って居住権及び国権・行政権力の強制執行を問題としている反訴原告の主張は記載されていない。発言者とされている代理人弁護士は、これらが自らの発言ではないと述べており、反訴被告が取材に対し作話を告げたことは明らかである。
   その結果、本件記事は反訴原告があえてトラブルを起こす問題者という評価を与えられることになった。
 
   以上、反訴被告による反訴原告に対する名誉毀損行為も決して軽視することはできない。
   
 
第6 被害弁償されるべき反訴被告の被った損害
 
 1 反訴原告は、光が丘団地が建替えられるとの事実を知らされないまま賃貸借契約を締結させられ転居をした上、その直後に右建替えのことを知ら   された。その後も、反訴原告において何度も説明を求めたにもかかわらず、きちんとした説明もないまま、必要性もない強制執行という屈辱的な退去を強要されたのである。これら反訴原告の実損及び精神的損害が多大なものであったことは多言を要しない。
 
2 その内訳は、平成13年10月26日付反訴原告準備書面のとおりである。
  そもそも、共生舎を開設していたマンションから光ケ丘団地への転居にあたり、2度も引越しをした。しかも、後縦靭帯骨化症を患いながらの転居作業であった。
この光が丘団地を追い出され、テント生活を経て現在にいたる間も転居の繰り返しを余儀なくされた。その都度、映画製作のためのチラシやその他の活動のためのパンフレット等印刷物に刷り込む連絡先としての共生舎映画の所在を変更しなければならなかった。美術印刷であるためその損害も高額なものであったし、一般通信費や映画のフィルム、クレジットなどを入れると、実損害は膨大なものになる。強制執行で損害を受けた機材、家財道具もある(反訴原告Aの5ページ以下。同Bの10、11ページ。積極損害の根拠については、乙197〜214のとおりである)。
 
3 慰謝料について付言する。
  反訴原告にとって、光が丘団地への転居は、それまで共生舎でやってきた大切なこと、人との交流ができなくなってしまうというしんどさがあり、その中で、日本の過去を記録に残すための映画製作を選択した経過がある。そのため、失うことへのしんどさを抱えながら、それゆえ一方で映画製作にはさらなる努力を注ぎ込むという思いでの転居の決断であった。
反訴被告の一連の行為は、反訴原告のこれらの生き方を奪ったということである(反訴原告Aの9ページ等)。強制執行により蒙った心身の損害は、第2の3の7)に詳しく述べたとおりである。
 
 
 
  
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