貴方の元に…
序 章 ―回想―
今、私の目の前に一件の家がある。お母さんの手紙に書いてあった住所と表札の住所は同じ。表札には全く知らない名前が書いてある…。でもお母さんの手紙を…私の本当のお父さんが『ここ』に居ると信じて…呼び鈴を押した。
第零章 ―突然の孤立―
自分では永遠に続くと思っていたなんでもない平凡な日々が突然音も無く崩れ去った。私にとっての平凡はお母さんと二人の生活だった。
突然のエンジントラブルで飛行機は飛行が不可能になり、近くの空港に着陸を強行・失敗。乗客の8割の人がこの世から去った。この事故で私はお母さんを失った…。涙が出なかった。人間にはショックや喪失感があまりにも大きいと現実の認識力が狂うらしく、私自身の現実とは思えなかったせいなのかもしれない。
お葬式の夜、あまり顔の知らない叔父や叔母が集まっていろいろと話し合っていた。どうやら一番の論点は私の今後…誰が私を引き取るかということでもめているらしい。私はその間、棺の中で眠っているお母さんの側を一時も離れなかった。
第一章 ―新たな生活―
全ての葬儀も終わり、私は叔父の元に引き取られることになった。中学生の私では一人だけで生活が出来ない以上、私に選択権はなかった。叔父夫婦には息子が1人いるのだが、今は地方の大学に通っている為に叔父達とは別に暮らしているとのことだった。
その日から叔父夫婦とのギスギスした生活が始まった。その生活は決して楽しいものではなかった。息子を大学に行かせている事もあり、叔父の家は決して裕福ではなかったし、そこに私がお世話になるという事を快く引き受けたわけではないのは解っている。しかも、私は私でお母さんを失った喪失感と孤独感からは立ち直れていなかったので、叔父夫婦相手に愛想笑いも出来ない状態。
ある晩、叔父のが私の部屋を尋ねて来て『私とお母さんが暮らしていた家の物を売ること』を告げた。私とお母さんとの思い出をお金にすると言うのだ。私が納得の言葉を発さず黙っていると叔父は
「お前の生活の面倒をみるのにも金がかかるのだからな」
私の返事を待たずに、叔父は部屋から出ていった。
次の日曜日、私は叔父と二人で主の居なくなった私の自宅に行った。
「最小限のお前の必要な物だけをこれに入れときなさい」
叔父はそう言うと中くらいのダンボール箱を一つ投げてよこした。私はその箱の中にお母さんとの写真や思い出の品々を大事に詰めていった。その中でも一番大切な…お母さんが最後まで持っていたバイオリンを箱に入れている時に叔父が私の手に持っているバイオリンを睨んでいるような気がした。
第二章 ―手紙―
数日後、私はお風呂から上がり自室に戻ると叔父が居た。日曜日に私が荷物を詰めたダンボールの中身をすべて広げている。
「な、何をやっているんですか!」
「この間のバイオリンを出すんだ!」
と怒鳴る叔父の顔は鬼のようだった。そして、私の目の前に立ちはだかり返事を待っていた。
「バイオリンをどうするのですか?」
そう尋ねると叔父は一言
「買い手がいるのであれも売るんだ」
あまりの唐突さに私は言葉を失った。しばらくの沈黙の後、
「あのバイオリンは私にとって一番大切な物なので他人に譲ることはできません!」
叔父はチッっと舌打ちし、
「だめだ! あのバイオリンは引き取ってもらう人が決まっているので出しなさい!」
と続けて怒鳴った。私はこれだけは納得するわけにはいかなかったのでじっと叔父を睨んでいると今日はあきらめるといった感じで叔父はきびすを返し私の部屋から出ようとした…その時
「来週には買い手が来るので出してもらうぞ! でなければここから出ていけ!」
バタン! 叔父はわざと力を込めてドアを閉めた。
私はこんな血も涙も無い血縁者がいることを呪った。確かにあのバイオリンは高価な物であることは承知している。だが、それ以上に私にとってはお母さんが一番大切にしていたこのバイオリンは何よりも大切な、お母さんの思い出そのものなのである。あの日、叔父がダンボールにしまうバイオリンを睨んでいた時にイヤな予感がしたのでクローゼットの下に隠しておいた。私はそこからバイオリンケースを取り出してそっと開けた。思えばお母さんの遺品として警察から渡されてからこのケースを開くのは初めてであった。中には…傷一つ無いお母さんのバイオリンと一通の手紙が入っていた。封筒の表には『唯へ』とお母さんの字でハッキリと書いてあった。私は無意識のうちに封筒から手紙を取り出し目を通していた。その手紙は飛行機が着陸を失敗する前に書いたのであろうお母さんの残した遺書であった。手紙の最後には…
『お母さんに何かあったらここを尋ねなさい。あなたのお父さんが居ます。』
そして住所が書き添えてあった。
(私の…お父さん…)
私が産まれたということは父親がいるのは当たり前だ。幼少の頃、お母さんに
「唯のお父さんって居ないの?」 と尋ねた覚えがある。その時のお母さんはひどく寂しい笑顔で
「唯のお父さんはずーっと遠くにいるのよ」
とだけ教えてくれた。時が経ちお母さんの言葉から(私のお父さんは死んでしまっている)と勝手に決め付けていた。お父さんは生きている、そして手紙にある住所に居る…ひどく混乱した。だが、同時に頭の中で思ったことは…。本当のお父さんが居るのならば会いに行こう!
この叔父さんとのギスギスした生活を続けていくよりも、本当のお父さんの元へ!
次の日の早朝、叔父夫婦に気づかれないように叔父宅をあとにした。お母さんのバイオリンと手紙を手に…。
最終章 ―そして…―
私があなたの家にお世話になるようになって、もう1ヶ月が過ぎようとしているよ。お母さんの手紙に書いてあった私のお父さんは居なかったけれども…。でも、あなたは見ず知らずの私に
「ここでお父さんを探せばいい」
って言ってくれたね。私とっても嬉しかったよ。叔父さんの事もあって自分以外の誰も信じられなくなっていた私をいっぱい・いっぱい励ましてくれたよね。
でも、今日で約束の1ヶ月。行く当てはないけれども…約束は約束だよね。今日あなたが帰ってきたら話そう。
『ピンポーン』 玄関の呼び鈴が鳴った。あの人が帰ってきたのかな?
でも自分の家に帰ってきたのに呼び鈴なんて押さないよね。
『ピンポーン』 もう一度呼び鈴が鳴ったので急いで玄関に行く。
「はーい!今出ま〜す」
鍵を外しドアを開けた。ドアの向こうに居たのは一番会いたくない人…叔父だった。叔父は私の顔を見たとたんに
「唯!ここで何をやっているんだ!」
といきなり怒鳴られた。私が言葉を失って立ち尽くしている間中、叔父は私を睨み付けていた。どれくらいたったのだろう私には何時間も経ったように感じられた後、突然私の前に立っている叔父の後ろから声がした。
「私の家になにか御用ですか?」
あの人だった。叔父は今まで私に向けていた態度とはまったく違う態度で
「私はこの娘の叔父です。うちの唯が大変ご迷惑をかけて申し訳ありませんでした。すぐに連れて帰りますので…。唯、さあ早く支度をしてきなさい」
その時の叔父の目を見た時、私は悪寒を感じた。こんな形で去るのは嫌だったけれども私に選択権はなかった。私がどんなにここに居たくてもそれは無理な話。赤の他人の家に居て、そこに血縁者が迎えに来たのだ。1ヶ月過ごさせてもらっていた自室に戻り、荷物をまとめていた時にあの人はやってきて
「本当に叔父さんのところに戻って君は幸せになれるのかい?」
優しく問いかけてくれた。どうやら私の心情を少なからず察していてくれているみたいだった。この人の優しさにすがりたかった。だけど私には黙って肯くしかなかった。
全ての荷物…とは言っても小さな鞄に詰めた荷物を一つと、そしてお母さんのバイオリンを手に持ち部屋を出た。部屋を出てすぐの居間に叔父が居た…そして妙にやさしい口調で
「荷物、重いだろ? 一つ持っていってあげよう」
そう言うと私の手からお母さんのバイオリンを強引に取り上げた。
「か、返して!」
「おいおい、荷物を持ってあげているだけだぞ」
叔父は己の手にあるバイオリンを見てニヤリと笑った。このままでは二度とお母さんのバイオリンは私には戻ってこないと確信した。私は必死だった。無我夢中で叔父の手からバイオリンを取り戻そうと叔父の手にしがみついた。だけど当たり前だが叔父の力のほうが強くてバイオリンを取り戻せない…
「いいかげんにしないか!」
パシン! 叔父の手が私の頬を打った。そこにあの人がやってきた。
「な、何をやっているんだよ!」
「お前には関係の無いことだ! 黙っていてもらおう!」
しばらくの沈黙が訪れた。私は叩かれた頬を押さえ床に座り込んで泣くことしか出来なかった…。沈黙を破ったのはあの人だった。
「あなたのような人にはこの娘を預けられない!
唯は私が引き取ります!」
私はその時あの人が言った言葉の意味を一瞬理解できなかった。
「は? 何の関係もない無い、あかの他人の君が何を…」
そこで叔父の言葉は遮られた。
「この娘は私の妹です! だから私が引き取ります!」
叔父の口がポカンと開いたままだった。だが叔父はすぐに薄ら笑を浮べながら
「フッ、解りましたよ。じゃあこの娘の面倒は全てあなたが責任を持ってくれるのですね。ならばこの娘はあなたに任せるとしましょう。では、宜しくお願いしますよ。」
と言い残し立ち去ろうとした。私はいまだ叔父の手に持たれたままのバイオリンを見ていた。叔父が私に背中を向けた瞬間、叔父の肩があの人の手で捕えられ無理矢理振り向かされた。
「おい! そのバイオリンはこの娘のだろ! この娘に返してもらおうか!」
初めて聞くあの人が本当に怒った時の声だった。叔父の手からバイオリンを取り返し、いつもの優しい声で
「はい、大切な物だろ」
私にバイオリンをそっと渡してくれた。叔父は全身を震わせ怒りをあらわにしていたが、次の瞬間あの人に睨まれると脅えた犬のように小さくなったように感じた。叔父は私のほうを見て
「よかったな唯。このロリコンお兄ちゃんにせいぜい可愛がってもらうんだな」
捨て台詞を吐き、背中を向けてそのまま家から出ていった。
私はバイオリンを胸に抱きしめながら嬉しさで泣いていた。するとあの人が目の前に屈み込んで俯いた私の顔を覗き込みながら
「勝手なことを言ってしまったけど…良いのか?」
「ありがとうお兄ちゃん。とっても嬉しいよ」
ごく自然にその言葉は出た。私の『お兄ちゃん』って言葉に照れて頭を掻きながら
「そか、今日はいろいろ疲れただろう? ゆっくりと休みなさい」
そう言いながら両手で私の両肩をポンポンと軽く叩いた。すると、なんだかとっても落ち着くことができた。
ベットに横になっていろいろ考えていた。これまでのこと、これからのこと。そして、この1ヶ月ずーっと考えていた『あの人』をなんて呼べば良いのか…。さっきは自然に『お兄ちゃん』と言えたが考えれば考えるほど顔が上気していくのが分かる。目を閉じると
「この娘は『私の妹』です!」
この言葉が頭の中でずーっと繰り返される。なんだかとっても嬉しかった。この家に居ても良いことも嬉しかったが、それ以上に言葉では表せない何かが暖かい気持ちにさせてくれた。明日から本当の『お兄ちゃんと私』の生活が始まる。目を閉じて明日からの生活を思い浮かべているうちに私は眠りについていた。
そして…お兄ちゃんの家での生活は今でも続いている…
物語の続きは貴方の部屋で…