『もう何も聞きたくなかった』




 もう何も聞きたくなかった。
 他人の声も自分の声も。


 だから膝を抱くように座り、手で耳をふさいだ。
 周りは薄暗く、先を見渡せば真っ暗闇だった。
 そして目を閉じた。


 耳をふさげば、他人の声は聞こえない。
 目を閉じれば、姿も見えなくなる。
 だけど。
 耳をふさいでも目を閉じても、自分の声だけは消すことができなかった。
 自分を非難する声。


 独りで進むことに不安を嘆き、周りに従うことも許せない自分。


 じゃあどっちに進めばいいんだよ。
 立ち止まったまま、動けない。
 動かないのに、嫌な汗だけをかいていく。
 次々と色んなものが僕を追い抜き通り過ぎていく気配がする。
 おいていかないでよ。
 焦りだけがどんどん身体に染み込んでくる。


 ふと背中に感じる気配。
 人か? 動物か? 物か?
 さらに僕の背中へゆっくりと触れ、上から覆いかぶさるような気配。
 ――なにかが覆いかぶさってくる
 僕はだんだん怖くなり、恐る恐る目を開いた。


 目の前には逆さ人間。
 長い髪が僕の顔を覆っていた。
「うああああっ!! 化け物っ!!」
 思わずその場から飛びのく。
 おでこに何かぶつかったが、気にしていられない。
 さらに逃げようとするけど、腰が抜けている。
 でも、逃げなきゃ! ほふく前進で距離をとる。


「はぁ、はぁ、はぁ……」
 僕を覆った物体は動こうとはしない。
 何とか距離をとったところで、僕はゆっくり振り返った。


「痛たたた……」
 僕を覆った物体はどうやら人間のようだった。
 しかも、痛がってうずくまっている。
 遅れて、僕のおでこも痛くなってきた。
 飛び退いたときにぶつかったのか……
「もうっ、痛いなあ!」
 うずくまっていた人影は立ち上がって、僕へと向かってくる。
 僕に近づいてくるにつれて、やがて姿がハッキリとした。


 長い黒髪に白いワンピース。
 背格好は小さく、子供ようだった。
 腰を抜かしている僕の前で、おでこを摩りながら彼女は立ち止まる。
「いくら私が世界一不幸者だからって、これは酷いんじゃない?」
「世界一……不幸? もしかして君は……」
「ミザリーよ。以後よろしく」
 目の前に立っていたのは、あのミザリーだった。


 僕が噂で聞いたことがある彼女の説明は……
 世界一不幸なミザリー。
 彼女の前では誰も不幸自慢はできない。
 理由は二つある。
 一つ目は、彼女の不幸に比べれば、自分の不幸など小さくて、恥ずかしくなってしまうから。
 もう一つは、彼女を見て、下には下がいると安心するから。
 どちらになるかは本人の自尊心一つだ。


 突然現れて……なんだっていうんだ!
 この子に比べれば、お前の不幸や悩みなんて取るに足らないとでもいうのか!
 もしくは、蔑みの存在になるとでも思ったのか!
 僕は腹立ちながら彼女へと視線を向ける。
 すると彼女の口から言葉が漏れた。
「あのさ……」
 聞かないぞ!
 誰の言葉は聞かない!
 お前が、僕より不幸だとしても。


 僕の不幸がなくなるわけじゃない!


 僕はとっさに耳をふさいだ。
 誰も僕の不幸や悩みを肩代わりしてくれるわけでもない。
 誰も僕の不幸や悩みを助けてくれるわけじゃない。
 目も閉じるんだ。
 そしたらまた元通り……
 僕が目を閉じようとした瞬間、ミザリーが僕の目の前で何かを話し出した。
 当然、耳を塞いでいるので何も聞こえない。
 彼女の唇の動きと身振り手振りが目に映る。


 両手
 塞いだら
 何も
 できなくなるよ


「余計なお世話だ! 放っておいてくれ!」
 僕は立ち上がるような勢いで、彼女に食ってかかった。
「ほら……」
 中腰の僕に彼女の両手が近づく。
 小さくて柔らかな手が僕の耳を塞いだ。
「――なっ!?」
 驚く僕に微笑みながら、すこし塞ぐ手を緩めた。
「これなら両手が使えるでしょ?」
 いや、使えるけど……
 僕が両手を使えるということは、目の前のコイツが……
「お前はどうするんだよ」
「言ったでしょ? 私は世界一不幸なんだって」
 鼻を鳴らして「当然でしょ?」って言いたそうな顔をしてやがる。
 不幸になるのが当然だって?
 僕の耳を塞げばお前が代わりに僕への罵詈雑言を聞かなくちゃならないんだぞ。
「ふふ〜ん♪」
 だけど、彼女へ何を言っても無駄だろう。
 どれだけ説得しても「それで? 世界一不幸だから当然でしょ」と答えるに違いない。
 まったく、嫌になるね。


 それにしても僕の正面で両手を塞いでいるから、顔が近い。
 世界一不幸だって言う割には、彼女の瞳に力があった。
 不幸になるからって何かを失うってわけじゃない。
 光を宿した瞳がそういってる。コイツはまだあきらめていないのかも。
 僕と視線があうと、彼女は瞳を細めた。
「これで進めるね」
 進めるわけないだろ。
 何歳も年下(に見える)少女に慰められてんだぞ。
 ミザリーは見るものによって姿をかえるという。
 っていうことは僕が彼女を少女と見ているわけだ。
 ――僕は少女趣味じゃないぞ。
「っていうか、お前と僕じゃあ背が違いすぎて、中腰のままなのだけど」
「あぁ……そうか。立ったら耳を塞げないし、中腰じゃあ何もできない」
 「うーん」とか言って本気で悩んでいる。
 ぷっ。後先考えずに行動するところなんかが子供なんだよ。
 おっちょこちょいだなぁ。
 彼女は耳を塞いでいないにも関わらず、律儀に僕の耳付近で両手を上げながら、ソワソワと足踏みさせる。
「ど、どうしよう……」
「しょうがねえな。ほれ」
 僕は彼女を肩車した。
「うわわわっ!」


 少女を背負う男の図。
 なにこれ、知らない人が見たら誤解されちゃう。
 ってか、通報されちゃう。
 僕の肩付近で足をじたばたさせながら、何とかバランスを取り、彼女は頭に手を置いた。
「世界一の不幸者を背負うのも悪くないさ」
「えっ?! えっ!?」
 今だに状況がつかめない様子の彼女。
 だけどやがて落ち着きを取り戻したのか、僕の頭をぺたんと軽く叩いた。
「……ありがと」
「別に。だって耳を塞いでくれるんだろ」
「そうだけど……」
「どうした?」
「私でいいの?」
 何をこの期に及んで。
 からかっているんだろうと考えたが、すぐに打ち消した。
 頭に触れた手が微妙に震えているように感じたからだ。
 自分から急かしていおいて、いざとなったら怖気ずくなんて。
 なんだか急に馬鹿らしくなった。


 彼女はおずおずと僕にたずねる。
「私の手、小さいよ。嫌な声が漏れ聞こえてくるかも」
「いいよ」
「耳を塞いでいる間、私が悪口を言うかもしれないよ」
「いいよ」
 どうせ耳を塞がれても相変わらず非難する自分の声は聞こえてくるんだ。
 そして非難の声も聞こえるけど、同時に彼女の手の暖かさも伝わってくるんだ。
「まぁ、手は時々開けるべし。じゃないと、お前の話が聞こえないだろ」
「え?」
「話したいことないの?」
「……うん、ある」


「それに俺が愚痴れば、上にいるお前にも聞こえるぞ」
 彼女は、しばらく「うーん」と考えた後、
「まあ、いいけど。聞くぐらいならできるし」と答えた。
「ホント。聞き上手だな」
「知らなかったの?」とクスリと笑う。
「ううん、知ってた」僕は少し胸を張った。
「だから、たまには私の愚痴も聞いてね」
「世界一不幸者の愚痴か……重いなぁ」
 僕の言葉に反応して彼女の体重がぐっと肩にかかる。
 落ち込んでんの?
 すると「……ごめん」という彼女。
「肩に乗ってるこの重さよりはマシだろ」
 するとミザリーは「あっ」とか言って僕の上で身体を震わせる。
 自分の体重は気になるのかよ。
 そして彼女は叫びながら、ぽかぽかと僕の頭を叩く。
「あほ、あほ、あほっ!」
 叩かれる痛みを感じながら僕は歩き始めた。


 まぁ、これからも愚痴を言いたくなる日も来るだろう。
 だって彼女がいたところで、僕の不幸がなくなるわけじゃないのだから。
 でも、世界一の不幸者がついてる。
 怖いものはないさ。
 なんだって来い。
 僕は不幸を背負ったまま進むことに決めたんだから。






終わり



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