『ひとでなし』



偉い人が言った。

「楽しく生きるためには、あまり悩まないことです!」

「何事もほどほどに、穏やかに暮らしましょう!」

「人間というのは『人』『間』にいるからこそ人間なのです。
決して一人では生きられない。皆さんも人間らしく生きましょう!」


その場の雰囲気に飲まれたのか、会場の皆は感動していた。
僕は独り取り残された。


僕は独り、席を立った。知り合いの人に無理に頼まれて、この講演会に来たのだが、もう限界だった。
立ち上がった僕を皆が見た。僕はそれを無視して、会場を出ようとした。すると僕の手をつかむ人がいた。
「おい、失礼じゃないか!!あんなにいい講演をしてらっしゃるのに!!」
中年の恰幅の良いオヤジはそう言って、僕の手を引っ張った。
「・・・・・・」
僕はそれを振りほどいて会場を出た。


ロビーは静かだった。人は全然いなかった。僕はとりあえずのどが渇いたので、自販機のある場所へ行く。僕はコーヒーを買うと、一息で飲んだ。
「あなたも抜けてきたの?」
後ろを振り向くと、そこにはベンチに座っている女性がいた。
「ああいうの聞くとウンザリする。本気で信じる人間が、信じられないわね。まぁ、座りなさいよ。お互い脱走兵同士なんだし」
「脱走兵?」
「だって、あそこから抜けてきたんでしょ?」
そういうわけで僕とその女性は話し始めた。


「私・・・・昔は信じてた」
そういうと女性はポケットからタバコを取り出し、吸い始めた。女性の上には『禁煙』の張り紙があった。
「あの人たちが言うのは『正論』だから・・・・でも、最近ようやく分かったことがあるの。何だと思う?」
僕はその女性が何を言いたいのか、良く分からなかった。
「何ですか?」
女性は煙を一吐きすると、上を見ながら言った。
「あれは『正論』だけれども『生論』じゃない。言葉が死んでる・・・」


すると、女性は立ち上がり、僕の方を見た。そして、足を肩幅ぐらいに開き。胸を張って言う。

「本当に生きるためには、とことん悩むことです!」


そう言うと女性は笑った。つられて僕も笑う。

「何事にも全力を尽くし、戦って勝ち取りましょう!」

「人間というのは『人』『間』にいなければ、人間じゃないんです。
独りの人間は決して人ではない!」

「皆さんも『人でなし』らしく生きましょう!」



僕は何気なく下を見る。
するとそこには血だまりが出来ていた。その血は女性のものだった。手首から血が流れ落ちていた。
女性もその視線に気づいたらしく、僕を見てこう言った。
「上っ面の言葉にだまされて、ここまで来ちゃった」
僕に向かって、その女性は愛想笑いを浮かべた。少なくとも僕にはそう思えた。彼女の笑顔も上っ面の笑顔だ。
「だから私、この講演が終わったら、あいつを殺そうと思って・・・」


目の前で人殺しが起ころうとしている。僕はどうすればいいのだろう?
「そういえば、名前聞いてなかったわね。聞いておくわ、最後に会話を交わす人だと思うから」
「・・・・・・・・・・・土屋・・・・・祐介・・・・・・・です」
「・・・・・・そう、ありがとう祐介君。私のくだらない話に付き合ってくれて・・・・・後悔しなしように生きてね」
そう言って、彼女は拍手喝さいの会場の中へ入っていった。
僕は彼女を止めることが出来なかった。


だって・・・・・僕も独りで・・・・『人でなし』だから。




終わり



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