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保育園の入園に関連する経過

2005年 8月1日
れおな初登園。介護ボランティアを同伴していく。8:30〜10:30という2時間短い時間だったが、地域交流会や夏祭りに参加したのもあって、れおな本人は無難に過ごすことが出来た。今月は、7月20日の面接時で決まったとおり、月曜日と木曜日の午前のみの保育を予定。9月以降は、様子を見ながら話していこうと考えている。このままでは、私の仕事がなかなか出来ないので、なんとか時間と曜日を徐々に増やしていけたらと思う。

2005年 7月23日
保育課より7月21日付で「保育所入所承諾書(決定通知)」が郵送で届く。実施期間は平成17年8月1日から平成19年3月31日とし、希望(内定)保育園になっている。希望(内定)保育園にて夏祭りがあり、たまたま沢西保育課長とも顔を合わせる。少し細かいことの確認をする。

2005年 7月20日
内定した保育園にて面接を受ける。沢西保育課長同席のもと、園長、看護師2名、担任の先生と話をする。在籍クラスは、同年齢の子と同じキリン組(年中クラス)に決まる。8月は、ならし保育ということと園側の職員の休暇都合でで、週2回、月曜日と木曜日の午前(昼前まで)ということで決まる。緊急時の対応なども話をする。介助ボランティアと職員、親の連携をしながら、保育園に慣れていく(れおな本人や介助ボランティア、職員等)方向で話を進める。コミュニケーションの方法や他の園児や父母の理解を得られるようにしていければということで、話をする。その他、細かいことの確認などを行った。

2005年 7月19日
園医(指定嘱託医)の診察を受ける。

2005年 7月14日
「保育所入所(内定)面接について」という書類(内定通知)を保育課より希望保育園を通して渡される。園医(指定嘱託医)の診断を受けて、7月20日(水)午後1時30分より、希望保育園で面接をすることになる。その後、「入所決定の児童については、保育所入所承諾書を送付」するとなっている。

2005年 6月28日
6回目の審査会が行われる。審査会後、沢西保育課長と話し合い。ついに審査会をクリアーする。しかし、正式内定は面接などを経てからになり、入園まではもう少し時間がかかるとのこと。れおな、5歳になる。東京小児療育病院で6名医療的ケアの研修を受ける。

2005年 6月27日
永瀬鈴音鳴医療機関関係図を保育課に提出する。

2005年 6月24日
6月25日、都立清瀬小児病院にて内視鏡の検査などを行い、特に、問題がなく、状態は心配しなくても良いとのこと。その、診断書を持って、本日、沢西保育課長と話し合いを持ち、健康状態については問題がないことを確認する。また、医療的ケアの研修済み2名の同意書を渡す。6回目の審査会を来週火曜日にでも行う予定とのこと。こちらは、再度月曜日までに医療機関の関係図を保育課に再度提出することで決まる。7月1日に入所は、事務手続き上難しいとのことでしたが、沢西保育課長は次の審査会は入園の可否については前向きに検討する方向で考えていることが充分伝わってきた。
れおな、退院する。

2005年 6月22日
れおな、検査入院する。

2005年 6月17日
沢西保育課長と話し合い。6月15日の地域交流会で再度保育園へいったこと、吸引研修の予定などを報告する。また、現状のれおなの診断書を提出する。入園をするには、れおなの健康状態を最優先に考慮してから、入園について考えるということで確認する。

2005年 6月15日
れおな、今週も午前、希望保育園の地域交流会に参加する。新聞紙をちぎって作ったプールや絵本などを読んで過ごす。園長先生を始め、保育士の方から、今後についての相談をさせて頂く。

2005年 6月8日
れおな、午前、希望保育園の地域交流会に参加する。リトミックスダンスや紙芝居をみたりする。保育園側がとても親切に対応してくれる。相互理解が深まることを目標に来週以降も参加する予定。午後、沢西保育課長に午前の交流保育のことも含め近況報告する。喉頭分離手術後、吸引の数が減ったこと、酸素補助がなくなったこと、心拍が落ち着いていること、体温調節も以前に比較して良いことなどを挙げる。また、吸引研修の方法などをこちらから質問する。準備等が整い次第、再度審査会を開催する方向で確認する。

2005年 6月6日
れおな退院する。

2005年 6月3日
れおな入院する。

2005年 5月27日
保育園入園に向けて、介助ボランティア2名が医師による医療的ケアの研修を受ける。れおな退院する。

2005年 5月20日
れおなの5回目の審査会が開催される。審査会後、沢西保育課長と話し合い。審査会が保留になったとのこと。ただし、かなりれおなの入園に関して前向きに考えていることが示される。なるべく早い段階で、医療機関との連携や保育園への理解を得る必要があるとこちらも努力する必要があると考える。

2005年 5月18日
別件で沢西保育課長と電話する。5月20日に審査会を開催する予定を教えて頂く。

2005年 5月17日
4回目の審査会が行われる。審査会後、沢西保育課長と話し合い。審査会では、沢西保育課長より、主治医医師書面と主治医医師との話し合いの報告と4月12日に行われたれおなとの面接の報告を各委員にはじめにし、前回の審査会の課題整理を行ったとのこと。介助ボランティアについては、れおなが障害が重度であるために日常生活を送れないと言うことで、保育の実施者ではなく身体の一部として整理したとのこと。介助ボランティアの医療的ケアについては、本年3月に厚生労働省より通知された在宅ALS患者以外のたん吸引の整理をもとに実施を考えたいとのこと。つまり、医師や看護師との連携が不可欠であることとのこと。細かい点では、園行事なども考えなければならないが、それはその場その場で判断するということ、他の園児や保護者に対しては、時間かけて理解してもらう必要があるということ、保育園の現場保育士や看護師も最低限医師の研修を行う必要があるということが審査会の内容だったとのこと。こちらとしては、来年度まで、(代替措置もない)保育園に入園できない、となると、親のどちらかが仕事を辞めざるを得なくなるため、なんとか今年度の入園が必要であるということ、代替措置がない中では、基本的に自治体は入所不承諾の決定を出すことはできないということ、また、障害児枠の在園児の転籍希望申請者と新規申請者の選考については、基本的に保育園の役割は保育に欠ける児童を入所させることが第一の目的であるわけだから、在園児は保育が現時点で保育が保障されているので新規申請者が選考・内定されるべきであると言うこと、医療的ケアにかかる諸課題である介助ボランティアの医師の研修や書面の作成は、6月までに一定解決できること、研修を受けた介助ボランティアの同伴できる日にしか通園しないなども可能であるということ、保育園現場側に不安などがあることに関しては、保護者がはじめは園内などで待機する、週1回の通園から始めて、徐々に通園日を増やしていく等の保護者側で出来る協力はするので、逆に6月1日付で入園決定を出すということで再考して頂きたいということを述べる。再度整理してみるとのこと。また、必要がある場合は、今月中に再度審査会を行う考えを示す。

2005年 5月16日
東久留米市長、こども家庭福祉部長、保育課長宛に506人署名と「緊急公開要望書 永瀬鈴音鳴さんの保育園入園を支援する署名と入園決定の考え方について」を提出する。

2005年 5月13日
れおな、保育園入園のことも視野に入れ、肺炎などを予防するためにも喉頭分離手術を受ける。手術は無事成功し、術後の経過も良好。吸引の数が減る。

2005年 5月12日
れおなが沢西保育課長、三沢係長、障害児保育審査委員園長代表2名と障害児保育審査委員看護師代表2名との面接を行う。主に、委員からは食事の仕方や、排泄、姿勢保持、移動の仕方、コミュニケーションの取り方などとADL(日常生活動作)について質問される。また、次女めいなが通う保育園長からは、妹との関係なども質問される。また、こちらからは「永瀬鈴音鳴のふだんの様子」(主に写真が掲載されているもの)を資料として提出した。約1時間くらいの面接で終了した。思ったより医療的側面について質問がなかったため、全体の印象としては、よくとれば具体的に保育園に入園したらどのような生活、時間の過ごし方をするのか審査会委員が考え始めているように感じた。逆に悪い方に考えれば、障害の程度をみることによって、従来の「集団生活」になじむか否かを判断しているとも感じた。まだまだ結果はどうなるかわからない。沢西保育課長は、面接終了後、「前向きに検討している」と発言はしていた。また、5月17日の審査会終了後、審査会の内容を前回同様話をする時間を設けると約束してくれた。
午後、れおな病院に戻る。

2005年 5月11日
れおな入院、自宅外泊する。

2005年 5月7日
メーリングリストなどを使用して、ネット署名を始める。今まで、多くの応援メッセージを頂いたが、それを署名という形にして、市に正式に提出するため。1日で約30名分の署名が集まる。

2005年 5月6日
沢西保育課長にこちらから電話する。今月の予定の確認。5月12日に、保育課長、障害児保育審査会園長代表2名と障害児保育審査会看護師代表2名との面接。5月17日に、4回目となる障害児保育審査会が行われる予定。障害児枠入所の可否を決定し、(入園可ならば)その後、もう一名の申請者との選考・内定、(選考されれば)園医診断、園との面接、6月1日付けで入園という流れ。一方、病院との話し合いで、れおなが喉頭分離手術を受けることも決まる。手術は5月13日。順調ならば2週間くらいで退院できる予定。手術は、今の状態が悪いために急を要しているわけではなく、保育園入園も含めて、れおなの生活をよりよくするために、行うといいと親、及び医師が判断したため。

2005年 5月3日
れおな退院する。

2005年 4月27日
たまたま市役所にいた際、三沢係長から声をかけられる。5月12日午前に審査会委員、看護師代表2名と園長代表2名、保育課長とれおなが面談をすることになる。

2005年 4月22日
れおなに関する3回目の障害児保育審査会が開催される。夕方、保育に訪問。沢西課長との話し合い。審査会前に現主治医の梅村医師と救急病院で診断書を提出して頂いた小児科医師に訪問調査に行ったとのこと。(異例の)4時間半もの話し合いが行われたとのこと。審査会の位置づけと3月16日と3月29日の審査会の内容を新委員に説明、共有し、検討が行われたとのこと。課題として@人的側面、A施設(環境)的側面、B介助ボランティアと園との関連についての主に3点が挙がったとのこと。結局、意見集約が出来ず、5月1日付の内定は保留し、5月に再度(4度目)審査会を開催し、6月1日付の内定を目指すとのこと。内定が先延ばしになっていることは、各委員責任を感じ、沢西課長より謝罪の言葉がある。児童福祉方24条1項についてどちらにしても検討しているとのこと。また、沢西課長より「前向きに検討していきたい」、「行政はガードが堅い、それをほぐしていきたい」という発言も出る。こちらとしては、@については、介助ボランティアによって、解決を図り、Aについては希望保育園では特にバリアフリーの改修などは必要ないこと、Bについては市内普通学校で実施されているような形で保育の所でも実施していくことが望ましいという考えを示す。
れおな再度入院する。

2005年 4月21日
れおな退院する。

2005年 4月19日
保育課沢西課長よりメールが来て、4月22日の午後に審査会を行う予定を知らせて頂く。確認することがあったので、こちらから電話もかける。現主治医の診療所に4月20日に佐藤部長、沢西課長で訪問して、「お預かりする立場として、医療の部分をこちら(保育課)から質問したい」とのこと。また、審査会に現主治医を招致することは考えていないということを言われる。4月22日、夕方保育課をこちら側が訪問することを伝える。

2005年 4月15日
保育課沢西課長に、「緊急公開要望書 次回開催予定の障害児保育審査会での考え方について(2)」と資料を提出する。資料の中には、「肉芽を認めず、大出血の危険性も今のところない」という医療機関(救急病院)の診断書も添付。また、いくつかこちらから確認する。まだ、3月30日に佐藤部長と約束された現主治医の所に意見を聞きに行くということは行っていないとのこと。昨年度は三沢係長より、審査会の委員を教えて頂いたが、本年度は現段階では教えられないとのこと。また、審査会が継続する可能性も示唆される。審査会の内容がペンディングになった際には、内容については一切教えられないとのこと。こちらからは、要望書を本年度の審査会委員に一人一人配布するように要望。審査会の日程については、まだ未定とのことで、決まったら教えて頂けるとのこと。

2005年 4月8日
新しい保育課長沢西さんから電話があり、4月の第4週に再再度審査会を開催するとのことの連絡を受ける。又、れおなが今入院している病院からも意見書がほしいとの話を受ける。こちらからは、審査会に現主治医を招致するように再度要請する。

2005年 4月5日
保育課に様子をうかがいに行く。まず、人事変更があり、関課長がいなくなり、新しく沢西さんという方が課長になっていて、三沢係長を仲介に紹介して頂く。沢西課長は、現在問題の整理中とのこと。まだ、現主治医の所には訪問していないと言うことを確認。こちらは、口頭で現主治医を主治医として、且つ保育園医の専門家として、審査会に招致することを要求する。それについては、今後検討すると返答される。さらに内定はまだ出していないことを確認。現在は5月1日付で障害児枠の内定を出す方向で考えていると言われる。

2005年 4月1日
妹・めいなが第一希望とする公立保育園に入園。

2005年 3月30日
ある方の仲介により、子供家庭福祉部長と保育課長との協議の場を設定して頂く。まず、部長からはこの問題はとても重要な件であるという認識であることを説明される。しかし、前日(3月29日)に審査会を再度開催し、前主治医の意見書(れおなちゃんの保育園入園は危険であるという内容の文書)をもとに、入所不承諾という決定をしたことを説明される。保育課としては、文書も前主治医から出して頂き、さらに病院に訪問し、確認をとったとのこと。しかし、こちらとしては、3月22日の要望書の資料にも添付してあるように、現主治医は梅村こども診療所医師で、現主治医の方が、障害児保育に専門的知識があること、医療の態勢から考えても、地域性が高く、万が一の時には園医や大病院との連携ができることを上げ、前主治医による審査会の判断だけではなく、再度、現主治医の意見を聞いた上で判断することを要求する。部長もそれについては了承する。確認した点は、入園の可否については、現状では医療的側面だけであることとした。また、内定については、再度、現主治医からの聞き取りを行った上で出すことを要求、これについても部長に了承して頂く。この日の話し合いで入園そのものもかなり厳しい状況となるが、4月1日の入園はどちらにしてもなくなる。

2005年 3月28日
れおなが入院する。

2005年 3月22日
希望保育園の園医のところに訪問する。保育園に入園を希望している旨を説明し、新しい主治医(梅村こども診療所医師)から、園医宛の文書を渡し、園と園医と主治医の連携を図ることで、万が一の緊急時の対応ができるようにお願いする。園医からは保育園に入れた場合、メンバーの一員として積極的に関わっても良いと口頭であるが確認する。また、ある方からの情報で、元主治医から保育課に玲於奈ちゃんの保育園入園は危険であるという文書がわたったことが判明する。急遽、新しい主治医の意見書も資料に併せて、野崎市長宛に緊急公開要望書を提出する。また、多くの個人やメーリングリストによって、情報を流し、この件を一市民との問題ではなく、東久留米市の姿勢そのものが問われているという位置づけになる。翌日(3月23日)より、多くの方が自主的に、保育課や市長宛に電話、FAXをし、中には実際に保育課に直接行ってれおなの保育園入園を要望して頂く。

2005年 3月19日
関課長、三沢係長との話し合い。先日提出した緊急公開要望書の回答をいただくが、ほとんどがあいまいな内容でしか回答しておらず、保育課の考えがまったくわからない内容。関課長より、市の基準がおおむね中軽度だが、重度の人も入れないわけではないと言う説明があったので、東京都保育事業実施要綱では、1に特別扶養手当の受給対象者が障害児保育の対象になっていて、2に中軽度の障害児も入園できるとなっていることを確認してもらう。通常、障害児申請に対して、審査会を開催するのは1回だけであり、再度審査会を開催する予定はないということを説明される。ただし、最終的な判断は現状ではまだわからないという説明をされる。

2005年 3月17日
ある協力者により、保育課が急に態度を硬化し始めた理由がわかる。すでに保育課では判断ができない問題になっていることが判明。また、この件を子供家庭福祉部長が一際知らなかったという点も判明。つまり、一連の問題を今まで、保育課内で処理しようとしていたが、この件については市長をはじめとする理事者の判断で決定する方向で話が進んでいることがわかる。

2005年 3月16日 
障害児保育審査会開催(15日から変更。変更理由は不明)。審査会の終わった夕方に保育課に訪問。関課長、三沢係長との話し合い。審査会の内容については、はじめ全く説明をせず。いろんな問題が出た、これから市と協議すると説明については態度を硬化する。まったく内容が明らかにされないので、議事録はあるのかと問うが、それは本当にない、普段(今まで)もないと説明。公的機関である審査会で議事録もとらないのは、異常であると言及する。審査会の内容については、全く説明されず、これから上と協議するということだけしか話してもらえず。これでは、何もわからないので、先日提出した緊急公開要望書の回答を3月19日にするということで折り合いを付ける。


2005年 3月15日
三沢係長と話し合い。審査会のメンバーを確認する。予測通りほとんどの審査委員が保育園現場と事務局で構成されていて、専門家や医師、または申請者の障害の状態を把握している委員がいない状況が明らかになる。翌日(3月16日)の審査会に要望書を提出する。集団保育の定義の問題、入所可否を判断する問題、欠員に関係なく関係なく公正、且つ公平に審査することの要求を行い、翌日夕方に審査会の報告を受けることで約束する。また、今までれおなの保育園入園について応援してくれていた医師が、態度を一転し保育園にはいることは危険であると認識している文書を渡される。やむを得ないので、主治医を変更することにする。

2005年 3月11日
関課長、三沢係長、鷺池係長との話し合い。まず、3月10日の在園児優先問題の確認をする。保育課は「在園児優先の原則はない」と言いながら、「在園児であることは考慮する」と言葉遊びでごまかし始める。また、「集団保育」の定義について追及する。現状では、市の中に集団保育の言葉の定義がないことがはっきりし、こちら側から逆に「集団保育」の現代的なインクルージョンの理念も含めた形で解釈することを要求する。

2005年 3月10日
三沢係長との話し合い。新規申込者と在園児転籍者が欠員を巡り競合した例はないことから、在園児優先の原則はないと一転態度を変える。しかし、今までは、保育課の事務手続きが、申込み→選考(内定)→審査会→入園だったことは事実であることが判明し、審査会を開くなら、申込み→審査会→選考(内定)→入園が原則的、且つ公平であることを指摘。また、欠員に関係なく審査会は設けられるべきで、その後の選考に関しては、保育に欠ける要件の高い基準の人から、障害児枠も選考するべきだと話をする。また、一般選考基準の中で、在園児優先の原則は明記されておらず、極めて選考が不公平に成ってしまうことも再指摘する。

2005年 3月8日 
三沢係長と電話で話し合い。
面談は今週中(3月12日)までにする方向で考えているが、申請者とまだ連絡が取れていない状況。園サイドとの話し合いについては、調書がもともと出てくるので、必要ないという考えを示すので、改めて、審査会にて、事務局として判断するための材料として、園との話し合いも行うべきだと伝え、三沢係長は検討するとの回答。

2005年 3月7日
障害児枠選考予定(結果選考せず)


2005年 3月4日 
三沢係長との話し合い。調査報告を受ける。また、メモを写してもらう。こちらの指摘していた転籍の仕方が現場サイドの意向が強く働いている問題が調査数字で明らかになる。これでは、選考の段階で、新規申込者は極めて不利な状況で、選考の段階で不公平になっていることを再度指摘する。加えて、その可能性が非常に強いため、申請に至った経過、本当にその児童が障害枠で適切なのかどうか調査するために、転籍申請者や現場(保育園)と面談する必要性があることを強く要望するが、三沢係長だけでは、この問題を判断することができないので、同日夕方再度訪問し、関課長も含めた話合いをの場を設定してもらう。
同3月4日 関課長、三沢係長、鷺池係長との話し合い。
緊急公開要望書を提出。課長は、先ほどの調査報告をみても、基本的には、園サイドで障害児枠欠員に対し、内部調整を行っている実態には、双方の視点が違うというなかなか理解しづらい見解で否定されていました。
また、緊急要望書に対しては、はじめ@Aも難しいとの答えでしたが、@「新規申込者の保育に欠ける程度が高いと認められる場合には、在園児からの変更申請について保育課として在園児保護者及び園との話し合いの場を設け、平成17年度普通児枠での対応が可能かどうか協議を行う。」という点は、障害児審査会前に保護者との面談を行うことを約束し、今回の同園転籍申請者がどのような経緯で障害児枠の申し込みに至ったか、本当に障害児枠を望んでいるのかなどを聞き取り、また、本当に障害児枠での保育の実施が適切か否か、普通児枠での保育が可能か否かを調査することになる。

2005年 3月3日
関課長、三沢係長との話し合い
現状の保育運営の実態を説明する一方、こちらの問題指摘には一定認める。こちらでさらに問題を追及する。転籍児の問題は、現場サイドの意向がかなり強く働いて、園内において障害児枠に空きができる場合、普通児枠の中から、園にて内部調整しながら、転籍児童をピックアップしているのではないかと指摘。それを、親からの申請と称して、在園児優先の原則でその転籍児童は枠に入ることができ、選考の段階で、新規申込者に対して不公平な状況で、入園できないという実態ができているのではないかと詰め寄る。
しかし、保育課としては、必ずしもそういったことではないというので、こちらは、障害児枠の入園状況を調査するように要求しました。


2005年 2月28日
保育課に対し、「公立保育園障害児枠の在り方についてを提出し、転籍児の問題を改めて指摘する。


2005年 2月25日
三沢係長との話し合い。
園長会の意見集約「重度心身障害児のボランティア同伴による受入お願いについて」が保育課より提出される。内容としては、現場サイドから市への質問・要求内容になっており、「介護ボランティアを論じる場はない」との返答。これでは、現場で話し合いを持つことは非常に困難であることから、先に永瀬鈴音鳴の決定を出し、その後具体的に、現場とは詰めていく方法しかないのではないかと提案する。しかし、永瀬ともう1名みなみ保育園障害児枠申請者がいることを説明され、その児童は現在健常児として普通枠に在籍していて、転籍希望者だと言うこと、且つ、在園児優先の原則から、1名の欠員枠に対し、その児童が優先的に選考されると言うことを説明される。その場でも、その在園児優先の方法は極めておかしいと言うことと、非常に今、永瀬の家族状況もひっ迫している説明をする。

2005年 2月22日
園長会の意見集約ができていないということで「重度心身障害児のボランティア同伴による登園の受け入れのお願い(2)」を再度提出。


2005年 1月27日
翌日(1月28日)の園長会に向けて、医師の意見書と「重度心身障害児のボランティア同伴による登園の受け入れのお願い」を提出。

2005年 1月20日
関課長、三沢係長との話し合い
「障害児に介護員をつけることについて」が保育課より提出される。保育課としては、「保護者からの派遣による介助員配置は医療行為ではなく生活的行為の内容により受け入れることは可能ではないかと考えています。」と、ボランティア同伴について、一転前向きな姿勢になる。しかし、障害児保育実施園共通の問題として検討する必要が保育園での意見としてあるため、園長会に投げかけてみる方向で決まる。

2005年 1月14日
関課長、三沢係長との話し合い。
改めて、話し合いが双方とも平行線になる。永瀬より「保育課の役割は何なのか?保育に欠ける児童を保育することが本来役割ではないのか?重度障害児だからといって、入所できないと言う規定はどこにもないのではないか。現状では難しいという言葉は何度も聞いた。今後検討していく課題と何度も言われた。5月から何度も話合いに来ている。それなのに、その間、何か一つでも保育課では変わったのか?人的・財政的理由を挙げるから、ボランティアの話を提案した。なぜ、そのような社会資源を有効に使わないのか?」と、少し強い姿勢で質問する。翌週までに、ボランティア同伴の件について検討するように要請した。


2005年 1月4日
妻が常勤職員として働きはじめ、両親共働きとなる。


2004年 12月21日
東久留米市12月議会本会議で陳情書が趣旨採択される。

2004年 12月10日
17年度4月入所の申し込みを公立保育園障害児枠実施園に絞り、且つ4月に一つ枠の空く「みなみ保育園」を第一希望に長女、普通枠で次女を申し込みする。その地点で(17年度4月入所申し込み最終日)に、同園障害児枠にもう一名申請者がいるとの説明を受付にて聞かされる。


2004年 11月25日
東久留米市議会に「すべての障害児が通える保育園の実現を求める陳情」陳情書を提出

2004年 10月7日
三沢係長、鷺池係長との話し合い。
保育課としては、重度障害が理由で保育ができないわけではないと言うこと、医療行為ができるかどうかが争点、障害児の対象は、集団保育が可能で日々保育に欠ける児童と言う点で、検討しているとのこと。集団保育ということについて市に規定がない。各自治体によってそれぞれの際限で行っているが、集団保育には指針がないと説明される。医療類似行為については、保育園に看護師がいるからといって、すぐにできるというものではなく、医師の指示などがなければできない。東久留米の現状においては難しいとの話をされる。緊急時、責任問題、安全性の部分で市としては踏み込めないところがあるとの説明。「永瀬鈴音鳴は枠が空いたら審査会にはかけるのか?」という問いに対し、「申し込み自体は有効だが、審査会にかける前の段階」と、障害児審査会にあげることにも微妙な言い回しで返答される。入り口の段階で話し合いにならず、具体的にどのようにすれば入園できるのかと言った内容には踏み込めないまま、双方平行線のまま話し合いが終わる。

2004年 8月9日
保育課関課長、三沢係長、鷺池係長との話し合い。
医療類似行為等について、市の方では人的にも経費もつけるのは難しい。市政として変わらなければ、担当部署としては、責任もって受け入れられない。その子の発達保障という面では、他の機関の方が望ましいと考えを示される。一方、人的、または経費としての問題ならば、園内ボランティアを同伴して医療類似行為など全般を介助してもらいながら登園することはどうかと質問するまた、園内ボランティアは家族で探しても、市、または園で探してもかまわないことを説明する。その場では、第三者が入ること、保険の問題などを挙げ、検討もしないで拒否される。さらに質問し、他の一般のボランティアが保育園に入るのは良くて、なぜ介助員として園内ボランティアを同伴するのはいけないのか聞くが、あいまいな返答のみ。新座市(埼玉県)、東村山市(東京都)では、重度の児童も受け入れてきている事例もあることを提示。市で、都内多摩地区でどのような状況か調査すると返答。

2004年 7月6日
保育課関課長と三沢係長との話し合い。
東久留米市障害児保育実施要綱の中に「中軽度の障害」と明記されていることを説明される。しかし、要綱は何度も「一部改正」されているが、基本的に昭和50年代にできた制度を運用していて、大変古い物であること、また、「重度障害」が入所対象にはなっていないとは明記されていないことを指摘(これについては、保育課も認める)。しかし、「永瀬さんのお子さんはわかくさ学園の方が、知識、専門職がいるのでベターではないか」、入所については「前例がない」、「現状の中では実施できない」、「改善していく方向性は今現在考えていない」と、双方平行線のまま終わる。


2004年 5月28日
障害のある長女を障害児枠で、次女を普通枠で保育課窓口で16年度(途中)入所申請する。

2004年 5月26日
東久留米市役所保育課に保育所入所申込書を取りに行く。
障害児の申請をしたいと申し出ると、保育課係長(三沢さん)と健康福祉部障害福祉課指導員と共に別室に誘われ、子供の詳細な障害状況を聞かれる。吸引等、医療類似行為等が必要であること等を話す。障害児枠に現在欠員がないこと、障害児枠では障害児審査会があること、発達障害児が健常児枠から障害児枠へ転籍する事例などがあることを説明されるのと同時に、市立わかくさ学園(療育機関)に通所しながら、パートで働くという方法もあると提示される。「東久留米市障害児保育実施要網」を頂く