露領沿海洲「秘密の山奥」
露國二等大尉アルセニエフ著、松本高太郎譯、今井昌雄編

著者緒言

   此書は予が一千九百六年にシホタアリン山脈地帶を旅行した記事で書中には經由の地理と日記が收めてある。 書中に記す土地の状況は今日大に變化して過去の歴史となったものが少くない。
 烏蘇里極地は最近十五年間に非常に變化した。原始の處女林は燒き盡され以前虎の吼えた地に今は汽笛響き支那人の獵師小屋の在った地は露人の村となり原始の土人は北に去り野獸の數は著しく減じ烏蘇里極地は其特色を失った。就中變化の甚だしきは烏蘇里南部の地と烏蘇里河右岸支流の下流地帶で、シホタアリン山脈地帶の緯度四十四度以北には今尚ブデシチェフ氏、ウェニコフ氏(一千八百五十七年乃至一千八百六十九年)旅行當時の大森林が在る。
 予は旅行當時を回顧する毎に烏蘇里河上流地のゴリド人デルスウ、ウザラのことを想い起す。烏蘇里極地に於てゴリド人はダウビへ河の河口までの烏蘇里河谷に住み其一部分は往時ウラヘ河と其支流の河谷に住んだ。然し之は往時の事であって今日は烏蘇里河上流地に於てゴリド人を見ることなく彼等は悉く死滅した。
 ゴリド人の中には河谷に住んで漁業に從事する者と山中に住んで獸獵に從事する者との二種おれども其人種は全然同一である。山に住むゴリド人は獸獵に驚くべき知識を有し予はデルスウと共に旅行し彼が野獸の所在を知る知識の發展して居るに驚いた。彼は恰も書物を讀むが如くに野獸の所在を讀み頗る正確に凡ての出來事と判斷する。
 デルスウは大に予が旅行を助けたから予は彼と始めて出會った一千九百二年のチムヘ及びレフウ河視察旅行記と先づ書き然る後に一千九百六年の旅行記事に移る。
 予は一千九百十年に其旅行を終り爾後三年間專門家諸君の後援を得て、此書の起草に從事した。一千九百十七年に烏蘇里極地旅行記及びシホタアリン山脈地帶旅行記の草稿が成ったが出版するに至らず原稿の儘で友人に(其中に教育家も多くある)廻讀せられた。而して彼等の批評と意見は予として此書の出版が大に社會から歡迎せらるゝを信ぜしめた。
 然るに露國に革命が起って出版事業が停止したから出版するに由なく時期の到來を待って居たが偶々イワド氏が厚意を以て其所有活版所で割引印刷を承諾して呉れたから予が此書は始めて世に出づるを得た。
 一千九百二十一年浦潮斯徳に於て
著者ウ、ケ、アルセニエフ識
(松本高太郎記述)