十五歳の露國少年の書いた 勘察加旅行記
ジヨルジ、クラマレンコ著、ゲ、ア、クラマレンコ監修、松本高太郎譯、今井昌雄編

まえがき

主人公は十五歳のロシア人ジヨルジ・クラマレンコ君。彼はロシア革命の翌年一千九百十八(大正七)年に暑中休暇を利用して父と弟の親子三人でカムチャッカを旅行しました。これは彼が書いた旅日記で、旅で見聞した事柄を詳細に記述し、日記として書かれていますが、紀行文として読んでも違和感なく読みやすいものです。
彼の父、ゲ、ア、クラマレンコ氏とカムチャッカで鮭工場を経営する「デンビー商会」二代目アルフレッド・デンビー(文中ではデムビ氏)と共に有力な漁業者として知られています。
日記には地理調査のために訪れた著名な探検家アルセニエフ氏との出会いなど興味深いものがあります。
戦前のカムチャッカは漁業が盛んで、日本の鮭工場が造られるなど日本との往来がありました。戦後は米国に最も近いソ連領で、第二次世界大戦後は軍事的な意味もあって閉鎖されていましたが、一九九九年にカムチャッカ半島への渡航が解禁されました。
この日記は、元ハリストス正教会司祭兼翻訳者の松本高太郎(まつもと たかたろう)氏が翻訳し、同窓関係にあった高岡新報の友人に寄稿したもので、連載は一九二三(大正十二)年七月十二日から始まり、同年十月二日まで続きました。
高岡新報の前身は一八八四年に創刊された中越新聞です。その後、改題され高岡新聞となり、昭和十五年に他の新聞社と統合され富山県を代表する北日本新聞となりました。
入手した原文は、新聞原紙及びマイクロフィルムから複写したものですが、隨所に印字のかすれがあり鮮明ではなく、全体的にインクが滲んだような状態でした。そのため判読できない文字は、□で表記しています。漢字の字体は、原文と同じく旧字体で載録しました。新聞連載ということもあり、校正が充分でなく、誤字や字句の二重表記、文章が前後したものなどがあり、編者の判断で加筆修正を行いました。ウラジオストクの地名漢字が「浦潮」「浦鹽」「浦汐」の三つが混在して使われていますが、当時はいずれも使われており、頻出が多い「浦鹽」に統一して表記しました。
文中に差別的な表現と思われるところもあるかもしれませんが、当時の時代背景と作品の表現を明確に伝えるために原文のまま掲載しています。
(今井昌雄記述)