十五歳の露國少年の書いた 勘察加旅行記
ジヨルジ、クラマレンコ著、ゲ、ア、クラマレンコ監修、松本高太郎譯、今井昌雄編

予告広告・父の書いた序文

十五歳の露國少年の書いた カムチヤツカ旅行記
近日中より本紙上に連載


 之れに依つて祕密郷たる北地に關する智識を得ると共に小説を讀むが如き興味は次から次へと盡きる所が無い、此の原文は露國通の松本君が直接筆者なる少年の父から得たもので松本君は我社片山江南君の同窓關係で我社へ寄稿したのである
 露人ゲ、ア、クラマレンコ氏は自らの教育方針を其の子供等に實施にすべく、一千九百十年に、當時十一歳の長男をペトログラドから、カムチヤツカの漁業地へ連れて行き、其の後一千九百十八年に二人の息子を日本からカムチヤツカへ同伴した、然るに九歳の弟と共に父に隨行した十五歳の少年ジヨルジ、クラマレンコ君は、天禀の文才と精透せる觀察力を以て長文の旅行記を書いた
 近日本紙に連載するのが即ち夫れである、譯者は露文に精通せる松本高太郎君で、原書挿入の寫眞は、著者たるジョルジ少年の肖像と共に、我社寫眞部に於て製版し、好讀物に錦上の花を添へる、勘察加は北日本に於ける漁業家に取つて最も有望の發展地であるから、一面には之れによりて地方を資益するところも亦多かるべきを信する
高岡新報 大正十二(一九二三)年七月九日

父の書いた序文
私の息子ジヨルジ・クラマレンコの日記を出版するに臨み一言するが、此の出版は營利や自己廣告の目的でなく、第一に世の旅行家銃獵家に、未だ世人に多く知られて居れぬカムチヤツカを案内し、第二に私の我が子に對する教育方針を世の父兄に紹介するのが目的である。
ロシヤの革命で、ペトログラド*から日本へ投げ出された十五歳の少年は、固より完全な文章を書き得る筈なく、此の書の文は私が添削したが、書中の事實と觀察は、本人の見聞其儘で少しも改竄して居ない。
私は自分の教育方針を長男に實施して好結果を收めた。
暑中休暇を利用して當時十一歳の長男をカムチヤツカへ旅行させたが、此の旅行で幼き小兒の見聞を博め、經驗や、忍耐力や、獨立心を養つた點が少くない。
私自身も十三歳の時から諸方へ旅行した。
一千八百九十二年に飢饉地方民救濟の慈善富籤を買つて千留(ルーブル)の籤を引き當てたから、其金で郷里のアルハンゲリスク*から極東へ旅行した。
アルハンゲリスク生れであるから、漁業にも多少通じて居り、偶[々]新聞でサガレン*と黒龍江の漁業の有望なことを讀んだから、極東の旅行を思ひ立つたのである。
サガレンへ來て、配流の住民や日本漁夫に接し、未開人のアイノ人、ツングス人、ギリヤク人、オロチ人と交際し、彼等の奇なる祭りに臨みて大に見聞を博めた。
獰悪な配流人の間に居て、警戒と勇氣を涵養し、冬は四十度の嚴寒に、犬に橇を曳かせて雪中を旅行し、夏は浪の一撃に堪えざる獨木舟で、サガレンの海を漕ぎ廻り、勇敢の氣と膽力を養ひ得た。
此の經驗から、私は自分の子に見聞を博めさせ、勇氣忍耐獨立心ある者に教育するの[が]目的で、一千九百十年に當時十一歳の長男を、ペトログラドからカムチヤツカへ旅行させ、一千九百十八年に二人の息子を、日本からカムチヤツカへ旅行させたのである。
ゲ、ア、クラマレンコ識

ペトログラド=帝政ロシア時代の首都で、ペトログラード、レニングラード、そして再びサンクトペテルブルクと時代とともに名称が変わってきた
アルハンゲリスク=ロシア連邦北西部、アルハンゲリスク州の都市。白海のドビナ湾奥、ドビナ河口に臨む港湾都市
サガレン=樺太(サハリン)。ポーツマス条約調印以降の日本では、単に「樺太」と言えば南樺太を指したため、区別の必要から北樺太を薩哈嗹(サガレン)と呼んだ