十五歳の露國少年の書いた 勘察加旅行記
ジヨルジ、クラマレンコ著、ゲ、ア、クラマレンコ監修、松本高太郎譯、今井昌雄編
1918年4月〜6月12日
一千九百十八年四月 日本横濱
入院の時
此の年の一月に私が東京の金杉病院に入院して居た時、父は度々見舞に來て、或時私に向ひ「汝は永く忍耐して施術を受けたから、何か汝に褒美を遣りたいが、熊を撃つ銃を買つて遣らう」と言つた。
父の約束
而して其時父は若し用事が早く片附いたら、一緒にカムチヤツカへ行かうと言ひ加へた。
愉快な想像
私は嬉しかつた。
而して銃を持つた時の愉快を想像した。
が父の約束は何だか當てにならぬやうに思はれた。
四月十九日金曜日
父の褒美
私と私の弟九才のアーシヤは、横濱に在る聖ヨセフ學院の生徒で、最う二年間其寄宿舍に居り、四月十九日金曜日に用事があつて家に歸つた。
用事といふのは、父と一緒に裁縫店に行き、服の寸法を取らせるのである。
家に歸つて私と弟が憩んで居ると、父が衣服戸棚の中から何やら取り出して、之を私に與れて曰ふに「汝が病院に居た時、私が銃を買つて遣ると言つた――之はそれである」。
私は喜んで直袋を除け、お父さんに禮を言つて銃を見た。
銃は四十四口徑の米國ウヰンチエスター銃で、彈は二百發ある。
銃を藏(しま)つて父に連れられて裁縫店に行き、私とアーシヤは其處から學校へ歸つた。
旅行の決定
復活祭休みの後、父はカムチヤツカ旅行問題を決定したが、五月の末に出發する豫定であつたのが、事情あつて一ケ月後れて出發すると言つた。
不意の延期
一ケ月の延期と聞いて、私とアーシヤは失望したが、仕方がないから、其時を待つことにした。
一千九百十八年六月[十二日]水曜日 横濱
大急の出發
カムチヤツカへ漁業に行くデムビさんの汽船が、函館から六月二十日頃出帆するらしいので、父は十五日の土曜日に、私等を學校から家に招ぶことに極(き)めて居た(デムビさんと私の父が一千九百八年にカムチヤツカ漁業會社を創立したが、後父は此の事業を棄てゝペトログラードに住んだ)。
然るに十二日の水曜日に、突然函館から電報があつて、カムチヤツカから殆ど毎日汽船が來て荷揚げをして直再び引返す、荷揚げには二日を要するのみだと知らせて來た。
此の電報を受けて此の日の午前十一時に母が學校に來て、校長さんと私等に電報のことを話し、今日出發するのだから、急いで準備せよと私等に命じた。
思ひ掛けなき此の報知に、私等は喜んで、直に自分の學校道具を整理した。
辛き別れ
學校では水曜日毎に、晝の食事後生徒一同が散歩に出る例であるので、友達に別れを告げることが出來なかつた。
唯校長さんにのみ別れを告げ、荷物を持つて人力車に乘り家に歸つた。
母の祝福
家では母が私等の防寒シヤツ、防水外套などをトランクに入れて居た。
父は家に居らなかつたが、間もなく歸つて來て、私は父と共に學校から持つて來た品の中から、入用のものを選り分けて、トランクの中に入れた。
晩の六時に全部の荷造りを終り、私等は休息した。
急に母が泣き出した。
私も悲しくなつて此の刹那に[種]々の思ひが頭に浮いて來た。
遠い未開の土地、寒い人口の少い土地ヘ行くのだ――お母さんは一人日本に遺る。
嘸淋しからう、私等のことを心配するだらう――などゝ考へた。
二人の阿兄
私は二人の兄さんガーガとコーカのことを思ひ出した。
此の兄さん達と共に、初めツアルスコエ村で學び、後イギリスで學び、久しく一緒に居たが、今此の兄さん達は遠いアルハンゲリスクに居る。
兄さん達のことよりも不幸な姉さんマルーサのことを思ひ出した時、私は一層鬱いで來た。
昨年(一千九百十七年)ロシヤの革命の初めに、父は高等女學校からマルーサを引取り、母さんマルーサ私とアーシヤを日本に出發させた。
日本に來て、マルーサは精神病に罹り、病院に入院せねばならぬことゝなつたが、ぺトログラードヘ行く精神病のドクトル夫婦に頼み其方へ連れて行つて貰つた。
精神病は日本で治らぬといふからである。
小さな聖像
母の顏を見て私も涙含んで來たが努めて涙を抑え、私とアーシヤがカムチヤツカへ行くのは、好い修學旅行であると言つて母を慰めた。
少し休息して、私とアーシヤは母に祝福を求めた。
母は小さな聖像で私等を祝福し、道中安全で無事に歸つて來るやうに祈つて、聖像に接吻させた。
母の手から聖像を受取り、接吻して之れを衣嚢に入れ、十字を身に[畫](か)き室から出た。
上野停車場
日本人のボーイに別れを告げ、自働車に乘り、停車場に行つた。
横濱停車場から三十分を經て、汽車は東京停車場に着き、此處から再び自働車に乘つて上野停車場に行つた。
此の停車場から汽車は函館へ行くのである。
夜の十時
最う夜の十時であつた。
私達は食堂に行つて、少しばかり食べて、プラツトホームに行つた。
寢臺車の私達の席は、赤帽が占つて置いて呉れ、荷物も運ばれてあつた。
二度目の鈴が鳴り、母と最後の別れをなし、車内へ入つた。
軈て三度目の鈴が鳴り、汽笛が鳴つて汽車は動き出した。
母は私等の方を見てハンケチを振り、其ハンケチで面を掩ふて泣いた。
汽車は速力を出し、だんだん遠くなつた。
私とアーシヤは悲しくなり、母の姿の消えるまで窓から顏を出して居た。
六月十二日
之は一千九百十八年六月十二日であつた。
眠れぬ車内
日本の寢臺車の寢室は、車輛の長さに合せて作られてあり、幕が垂らしてある。
夜の十二時近くになり、私等は荷造りで疲れて居たから、寢床に入つた。
眠たいけれども、車内は暑苦しくて眠られぬ。
窓を明けて初めて眠られた。