十五歳の露國少年の書いた 勘察加旅行記
ジヨルジ、クラマレンコ著、ゲ、ア、クラマレンコ監修、松本高太郎譯、今井昌雄編

6月13日

六月十三日木曜日

古い都仙臺
午前九時に私達は眼を覺ました。
此の時汽車は日本の古い都の仙台を通過した。
仙台は東京と青森の中間だと言はれて居る。
服を着けて私達は食堂へ行つた。
食事を命じたら、鷄肉のカツレツを出した。
小さなカツレツだが、可なり好かつた。
唯何故かパンが少ない。
次に卵の半熟と何やら出し、終りにコーヒーを出した。
何と云ふコーヒーだらう、宛然(まるで)食器を洗つた洗ひ流しの水のやうである。
食事して私とアーシヤは日記を書いたが、父は札幌の其進口へ行く日本人と談話を仕て居た。
十二時に空腹を感じたので、再び食堂車へ行つて食事した。
此の時は鷄肉のカツレツの外にビステキと何やらを出したがパンは矢張り少しである。
而して其パンをカツレツやビステキを食べた後に出した。食後にはバナゝと蜜柑が出た。
食事終つて父が勘定を聞き、自分で計算して見たら、勘定に誤りがあるので、ボーイに注意したら、計算が間違つたと言つて謝罪した。
日本人は歐羅巴人を欺く癖がある。
欺かるゝは日本語を知らぬからであるが、日本語を知る者もあるから、何時も欺くことは出來ぬ。
車窓の眺望
汽車は今山の多い土地を走つて居る。
空氣が急に冷たくなつて來た。
此處の田地は、日本南部の如く行き屆いて居らぬ。
稻も晩く植えたらしい。
青森に到着
三時半に汽車は青森停車場に着いた。
赤帽が手荷物を停車場と並んで居る。
埠頭へ運び、私達も其埠頭で傅馬船に乘り、小蒸汽に曳かれて青森函館間の連絡船田村丸へ乘り移つた。
汽船田村丸
比の汽船は、郵便船で、青森函館間の海峽を往復する高速度の旅客用汽船である。
舷側の梯子を登つて甲板に出で、それから船室を占めた。
郵便物積込
何も為す事がないから、私とアーシヤは、郵便物を積むのを見て居た。
二人の勞働者が、傳馬船から手速く麻袋の郵便物を船艙へ投げると、船艙に居る二人の者が之を受取り郵便官吏の指圖に從つて之を積む。
他の乘客も船に集まつて來て、船は出般の用意をした。
錨を揚げて居る時に、モーターボートが全速力で舷側に來た。
多分乘り後れた客を乘せて來たのであらう。
田村丸は最後の笛を鳴らし、午後五時に出航した。
船客の充滿
私達は二等室に居たが、其處は船客で充滿し、且つ日本風に靴を脱いで坐らなければならぬので、父は一等室に席を取り、私達は其處へ手荷物を運んだ。
汽船の速力
此の後私とアーシヤは甲板へ散歩に出た。
冷たい風が吹いて、雨が尚々降り、濕氣があつて寒い。
船が一時間に十四乃至十五哩(マイル)走るから其速力で風が起り寒いのである。
機関部參觀
新鮮の空氣を吸つて、私等は船室へ行つた。
船室に來たら、父が機關部を見に行かうと言ふ。
私等は勿論之に贊成した。
三人は機關士に逢つて許可を求めたら、機關士自身が私達を案内して説明して呉れた。
最初機關士は三つのトルビンの處へ案内したが、外から見えず、唯喞筒(ポンプ)に取り卷かれたシリンドルが見え、其脇に二つの冷却器が在つた。
機關士は親切に説明して呉れたが露語を少しも知らず、英語を僅に知るのみで、私等は日本語が少しは解るが、充分に其説明を解し得なかつた。
重なる機關を見て、私達は船尾機の方へ行つた。
トルビンの汽船は、プロペラーが小さい、それは軸の廻轉を速くするためである。
プロペラーの直徑は四呎(フィート)であるが、其代り廻轉數が多い。
船尾ではプロペラーの激しい廻轉のため、船体が震動し、音が喧しくて人の談話が聞き取れぬ。
機關士に禮を述べて、私達は機關部を出て、一等船客の休憩室へ行つた。
此處には日本の雜誌が置いてあり、居合せた日本人の船客がそれを私等に説明して呉れた。
食慾の促進
夜は八時になつて、私達は空腹を感じ、食堂へ行つて美味く夕食をした。
海の空氣が食慾を促進(そそつ)たのであらう。
食事の時、父は八年前に私の兄ガーガを連れて、此處を通つたことを思ひ出して、私等に話した。
ガーガは其時十一歳で、矢張り父と共にカムチヤツカへ行つたのである。