十五歳の露國少年の書いた 勘察加旅行記
ジヨルジ、クラマレンコ著、ゲ、ア、クラマレンコ監修、松本高太郎譯、今井昌雄編

6月14日〜6月15日

六月十四日金曜日 函館

夜の函館
甲板へ出たら、ぴかりぴかりと光る燈臺が見え、先へ進むと又一つの燈臺が見えた。
船が灣内に入ると無數の燈火に美しい函館市が、眼の前に展開された。
間もなく田村丸は埠頭近くに錨を下ろし、乘客は順々に船から降りた。
父はきよろきよろ埠頭の方を見て、出迎へに來て居る筈の自分の懇意の人を搜した。
が其知人は見えなかつた。
夜の九時であつて、父は運送人に私達の荷物を船から埠頭へ運ばせた。
ダニチさん
ダニチさんは函館のデムビさんの店に勤めて居る。
父は東京でお母さんと別るゝ時、私達の出發のことをダニチさんへ電報で知らせることを頼んだが、お母さんが他の事に紛れて此のことを忘れたのであらう。
突然の訪問
仕方がないから、私達は雨が降つて泥濘(ぬか)る道を人力車に乘り、デムビさんの店に行つて、ダニチさんの家を問ひ合せ、それから其家へ行つた。
ベルの音に脊の高い、少し太つた眉幅の廣い主人が、ドアーを開けた。
主人は私達を見て驚いた、何の報知もなく突然私達が來たからである。
日本人の妻
ダニチさんは慇懃に私達を迎へ、自分の妻――日本婦人を私達に紹介した。
奧さんは優しい、見るからに心の良さうな人である。
露西亞料理
夫婦は私達を食堂に連れて行き、最初ロシヤ風の食[事]を御馳走した。
赤い鮭の筋子、脚詰、鮭の燻製などである。
これは私が最う一年以上も食べなかつたもので、私達は珍しく大喜びで食べた。
ザクースカ(前菜)の後に、矢張りロシヤ風のスープ、若い馬鈴薯を附合せたシニーツエリ*、甘いキセリ*を御馳走した。
寢室へ案内
食事を終つた時は、最う夜の一時であつたから、私達を二階の寢室へ案内した。
父を別室へ私とアーシヤを他の室へ案内した。
私達は旅行で疲れて居たので、直服を脱いで寢床に入り忽ち眠つた。

シニーツエリ=(シュニッツェル)子牛のカツレツ
キセリ=果物や野菜を砂糖入りの水で煮たスープに片栗粉を加えたゆるいゼリーの総称

[六月十五日土曜日]

子供を紹介
ぐつすり寢て、朝の九時に眼が覺めた。
ダニチさんと奧さんは最う服を着て、茶の準備も出來て居た。
私達は服を着て食堂へ行つた。
食堂でダニチさんは、私達に自分の子供を紹介した。
四歳の女の子と、三歳の男の子と、九ケ月の男の子である。
ダニチさんは急がしいので、私達と食事して、直店に行つた。
市中の見物
父とアーシヤと私は、市中見物に出かけた。
父は函館へ度々來たから、市中の樣子を好く知つて居る。
準備の散髮
最初父は私等を理髮店へ連れて行つて、髮を短く刈らせた。
カムチヤツカへ行くに、髮の長いのは不便であるからである。
理髮店を出て、私達はいろいろ細かい買物をなし、晝食の為にダニチさんの家に歸つた。
私達が歸つた時は、ダニチさんは居なかつたが、間もなく歸つて來て一緒に食事した。
食事の時に、ダニチさんは晩に日本の劇場へ行きませうと誘つた。
演劇は晩の六時から始まるのである。
私達は之に同意して、晩の喫茶の後電車で出かけた。
函館の劇場
私達と一緒に、父が懇意の露國領事レーベデフ氏と、其奧さん、十二歳の息子さん、外に二組のロシヤ人夫婦も行つた。
劇場へ行つて、入口で切符を買つたが、見物席へ入るには、靴を脱ぐのであつた。
床には柔かい綺麗な[疊]が敷いてあり、見物人は其上に坐るのである。
此の流儀は、脱ぎ穿きの容易な下駄をはく日本人には便利であらう。
下手な舞踊
演劇が始まつた。
外題はアメリカ物を日本語に翻譯したものらしい。
終りに歐羅巴のオペラの一幕があつた。
俳優は皆日本人の男と女であつた。
拙(つたな)い下手な演じ振りで、歌は宛然(まるで)成つて居らない。
私達は腹を抱えて失笑つた。
一人の女優
併し最後に一人の日本女優が出た。
八年間外國で學んで來た女優だとのことで華美(はなやか)な衣裳を着て身振りと足運びは頗る輕快であつた。
此の女優はロシヤの女舞踊家の如く踵の高い靴を穿いて踊り、凡てに於て他の俳優と違つて居た。
此の女優は歐羅巴の女優に似て居た。
演劇は十時に終り、私達は自働車で家に歸つた。