十五歳の露國少年の書いた 勘察加旅行記
ジヨルジ、クラマレンコ著、ゲ、ア、クラマレンコ監修、松本高太郎譯、今井昌雄編

7月24日〜7月30日

七月廿[四]日水曜日

再び出獵す
朝八時に起たら、順風が吹いてゐるので、荷物を片附け出發の準備に取り掛ると、一時間を經て風向きが變つて逆風となつた。
豫想が外れて退屈だから、一同は再び熊獵に出かけた。
然し熊獵は最う一同が飽きて居たから、孰れも元氣なく黙々として歩いた。
午後五時に林の中を通つた時、風が全然凪て草の中から數萬の蚊が飛び出し、一同は手巾で面を覆ひ手袋をはめ、絶えず手を揮つて、襲ひ來る蚊を拂つた。
一齊に射撃
一時間を經て溪流に近づき、細い白樺や、榛(はんのき)の生へた險しい谷底に下りかけ、不圖先方を見ると、百歩程の先に二匹の仔を連れた牝熊が居た。
牝熊は其仔と共に、草の上に寢轉んで、溪流で捕つた鮭を食べてゐる。
軅て一匹の仔熊が、我々を勘付いて相圖らしい聲を出すと。
親熊は後趾で突立ち、四方を見廻した。
距離は遠くないから、我々は親熊に向つて一齊射撃した。
愍然の感情
撃たれた親熊は、一たび倒れたが起上つて其仔を搜すらしかつたが私の最後の一發で斃れた。
之と同時に仔熊の一匹も斃れ、他の一匹は逃げ出したが、ミロノフの一發で矢張り斃れた。
此の時私の心に變な感じが起つて親熊と仔熊を愍然(かわいそう)に思つた。
而して撃つ時に、何故此の心が起らなかつたかと自分ながら不審がつた。
撃つた三頭の熊を積み重ね、其側に我々が立つて寫眞を撮つた。
後皮剥ぎに取り掛り、私は一匹の仔熊を自分で剥いだ。
皮剥ぎの時は、ナイフが忽ち鈍るから、磨石を側に置いて、度々ナイフを磨がねばならぬ。
私が一頭の仔熊を剥ぐ間に、ミロノフは早親熊と仔熊の皮を剥ぎ終つた。
蚊が螫して私等の仕事を妨げるから父は蚊燻しを仕た。
皮を剥ぎ終つて、ミロノフは三つの毛皮を括り、背嚢(はいのう)のやうに之を背負ひ、私は自分の銃と熊の内臟を持ち父は二挺の銃を擔ぎ、アーシヤは食ひ殘りの食品袋を負ふた。
明るいうちに野營に歸り、急いで食事を終はり寢に就いた。

七月二十五日木曜日

野營の撤去
父は早朝に起きて、順風が吹くと知つたから、私等を起した。
私等は急いで朝食を為し、野營を分解して荷造りを仕た。
傳馬船に荷を積み、棹で湖水まで漕いで、此處で船に帆を張つた。
時に晝の零時半であつた。
之で我々の熊獵は終つた。
初め私は濕地のツンドラや山の中を歩けまいと心配したが、漸々馴れて、遂に私はミロノフに歩き後れなくなり、アーシヤは父に後れなくなつた。
週間に五頭
一週間の獵の間に、我々は十七頭の熊に出逢ひて、其中の五頭を斃した。
今は午後の四時で、最うネルピーチエ湖を通過し、カムチヤツカ河の支流なるネルピーチエ河に出た。
此處から約一時間で、船が埠頭に着く。
デムビさんは、大方私等の船を見て居るであらう。
我々の獵の結果を想像して居るであらう。
我々は五頭の熊の毛皮を獲たから、大いに誇り得らるゝ。
埠頭の歡迎
デムビさん兄弟と店員が、我々を埠頭に迎へた。
ボーイや支那人のコツクなども出て來て、我々の獲物を珍しさうに觀た。
晩食の時に私等は委しく種々の出來事を話した。
晩の喫茶の後に、男の親子連れのカムチヤツカ土人が、我々の家屋内に居るのを知つた。
父親は六十歳、息子は三十歳で、彼等はカモキ村[(Камаки)]から此處へ治療に來たのである。
前にも言ふた通り、デムビさんの處には病室があり、醫者も居るからだ。
息子は頭を繃帶して居るから、什うしたかと私が問ふたら、彼は斯う話した。
遭難の實話
「今から六ケ月前、昨年の秋に、私等三人の兄弟は、他の伴侶(つれ)と共に、黒貂(くろてん)獵に出た(カムチヤツカ土人は犬に橇を曳かせ黒貂獵に行き永い間山中に穴居する)。
或日私と弟と他の一人の伴侶が黒貂を搜しに行き、雪が深くて膝まであるから、スキーを履いて出かけた。
私と伴侶のは彈の銃で、弟のは散彈であつた。
軅て熊の趾跡を見付け、其趾跡を踉(つ)けて行くと、熊が見えたから、追跡して適當の距離に近づいた時、伴侶が先ず撃ち續いて私が撃つと、熊は身を轉じて此方に向つて來た。
私は呆然てゝ肩から銃を外さうとして躓き倒れると、熊は襲ひ來つて私の腕を折り、私の頭に噛み付いた。
伴侶は怖がつて逃げ出し、弟が私を救はうとして散彈で撃つと、今度は熊が私を棄て弟を襲つた。
幸に私等は一匹の獵犬を連れて居たので、此の犬が後から熊に噛み付くと、熊は犬に敵(むか)つて行つた。
乃で熊は十歩程の距離に、我々を離れたが、引返して我々を襲ふであらうから生きた心地がなかつた。
折しも長兄が來て、此の光景を見て、熊を撃ち止めた。
此の熊は非常に大きなものであつた。
私等は運ばれて家に歸り、幸に村に良い醫者が居たから、其醫者の治療を受けた。
若し彼の時犬が居なかつたら、我々は熊に噛殺されたであらうと」
深い爪傷痕
此の男の頭の傷は、未だ治らず、面には熊の爪に劈(さ)かれた深い傷痕があり、熊に挫(くじ)かれた腕は、未だ釣つて居る。
私は此の話を聞いて、父とアーシヤが、而も日暮に牝熊から襲はれた時の危險を想像して悚然(ぞっと)した。

七月二十六日金曜日

永田丸入港
今日函館から汽船永田丸が來て、多數の書翰、新聞雜誌、小包を持つて來たが、私等のは何もなかつた。
デムビさんは、客が永田丸で來るかと待つて居たに、誰も來ないので、少からず失望した。
永田丸では唯日本の緒方領事と、其隨員が來たのみである。
緒方領事は、今度新たにカムチヤツカのペトロパウロフスク[跳劃]を命ぜられたので、我等の家屋内に一時滞在し、便船を得てペトロパウロフスクヘ赴くのである。
衣服の修繕
熊獵で服が破れたから、今日私とアーシヤは、服の繕ひを仕た。
脱れた釦を着け、綻を縫ひ、シヤツに補布を當た。
一番骨の折れたのは毛糸靴下の繕ひに全日を費した。

七月二十七日土曜日

ウンカニ島
今日私等はデムビさん兄弟と、發動機船フオレリに乘つて、ウンカニ島へ鴨撃に行つた。
ウンカニ島は、新工場より少し先の、ネルピーチエ河の分岐點に在る。
父の言ふに、十年前此處へ鴨獵に來た時は、鴨が澤山居たが其後人口が殖えて、鴨を濫獵し、又土地の者が、毎年春に、鴨と鷗の卵を一日に千個宛も取つたから、今は鴨が殆んど全滅したと。

七月三十日火曜日

今日永田丸は、鮭の鑵詰二萬個を積んで、函館に向ひ出發した。