十五歳の露國少年の書いた 勘察加旅行記
ジヨルジ、クラマレンコ著、ゲ、ア、クラマレンコ監修、松本高太郎譯、今井昌雄編
8月4日〜8月9日
八月四日日曜日
監視巡洋艦
今朝漁業監視局所屬の巡洋艦が來た。
此の艦は日本漁業家の濫漁を監視するのである。
艦の名は「コマンドルベーリング」である。
視察團來着
此の艦に乘つて浦鹽から十五名の視察團が來た。
其中の一部の人は、鮭の養殖事業視察の任務を帶び、他の一部の人は土人の生活状態と地理調査の為に來たのである。
今は午後三時である。
「コマンドルべーリング」は[拔]錨してコマンドル群島へ出發した。
コマンドル群島は、此處より百哩(マイル)の東に在る。
此の群島に多數の獵虎(ラッコ)と、青狐(せいこ)*が産するさうだ。
父の舊知人
視察團の一方の長は、パウレンコ氏で、一人の寫眞師と、鮭の養殖技手を連れて居る。
この技手曾てはリボニヤの或る養殖場に勤めて居たさうだ。
他の長はアルセニエフ氏で、カムチヤツカ河流域と、其住民を調査するのである。
アルセニエフ氏は、父を見て直ぐ思ひ出して父を識つた。
今から八年前、父がカムチヤツカを旅行してペトログラドに歸り、地理協會で自分の撮つた寫眞と活動寫眞を見せ、カムチヤツカ視察講演を仕た時、同氏も其席に居たからである。
哥薩克將軍
尚此の視察團と共に、一人の測量家と數人の大學生と、哥薩克のサウヰツキイ將軍も來た。
此の將軍はアルセニエフ氏の補佐の資格で來たのである。
將軍は滑稽談をするので、食事の時は何時も陽氣で私等は腹を抱えて笑つた。
青狐=ホッキョクギツネのうち、冬毛が灰青色を帯びるものの俗称
八月六日火曜日
武藏の來港
靜かな晴れ渡つた日である。
日本の軍艦武藏が來た。
艦長や將校が上陸したので、デムビさんは會食に招待した。
食堂は客で稠密(ぎっしり)で、客の半分は日本將校である。
デムビさんは日本語を能く話し、父も幾分日本語を解[す]るから、會話で賑はつた。
日本將校の中[に]獵の好きな人があつたから、デムビさんは獵を勸めた。
會食後日本將校が、河向ふの村を見たいと言ふので、發動機船フオレリで其方へ行つた。
父も同行した。
曰記の交換
喫茶後アルセニエフ氏が私等の處へ立寄つた。
同氏は私の日記を見て、自分の日記を私に示した。
アルセニエフ氏は久しく日記を書いて居り、其日記に黄教僧の教具、犬橇、土人の獵具などが畫いてある。
氏は畫が上手で、色鉛筆で實物の通りに彩色して居る。
氏は土人に關する多くの著書を出し、又地理協會で其研究の報告講演をした。
私は氏の日記と、其挿繪を見て博識なる旅行家であることを知つた。
挿畫の必要
氏は日記を書く必要條件を私を話し、又畫を入れることを私に忠告した。
旅行中に見た物を言語にて言ひ顯し得ざる時、畫でそれを示すは必要であると言つた。
有益なる此の會話の最中、食事に呼ばれ、話の中絶したのは殘念であつた。
八月七日水曜日
川向ふの村
今日朝に此處へ來てから、始めて河向ふの村へ行つて見た。
父は八年前に、私の兄ガーガと此の村に居たことがあり、其時家を借りた家主を訪問したいのである。
家主夫婦は懃懃(ぎんぎん)に私等を迎へガーガのことを問ふた。
村を散歩した時、父は村から少し離れた處に在る家を指して、之が以前自分の家であつたと言つた。
此の家は父が自分の漁場に建てたもので、漁業を廢めてから、此の家をデムビさんに賣つた。
今日軍艦武藏の將校と、水兵百名許りが、再び河向ふの村を見に行つた。
八月八日木曜日
アナヅイル
今「コマンドルベーリング」が歸つて來て、此處からアナヅイルへ*行く準備をして居る。
アナヅイル河は、チユコツトスキー半島*の附近で、此處から東北に當る處に在る。
其處までの途中各所に漁場がある。
私等の家に居た日本領事は、今朝軍艦武藏に乘つてペトロパウロフスクヘ行く豫定である。
鮭を寄贈す
デムビさんが軍艦武藏を訪問すると言ふから父と私とアーシヤも一緒に行つた。
新工場の前の沖にデムビさんの小蒸汽が我々を待つて居り、其處へ行くには、小さな漁舟に乘るのである。
漁舟は街岸の砂原に揚げてある。
大きな浪が來て、舟を浮かせる時を待つて、日本人の船夫が急いで舟を海に押し出し手早く櫓で漕ぐ。
斯うして小蒸汽まで行き、乘り移つて軍艦に行つた。
我々は皆晴衣を着て居た。
海に張つた網の側を通つて、デムビさんは船を止め網に罹つた鮭を數尾捕らせ、軍艦の將校と水兵に贈つた。
武藏艦訪問
日本人の船夫が話すに、軍艦武藏は三十二年前の建造で、艦の外側は木造だが、堅い樫の木で造つてあると。
然し吃水線の下部には銅が張つてある。
船橋の下に一人の水兵が居て、我々を案内し、艦の入口に將校が立つて居て我々を迎へた。
艦内に入つて司令官と將校に挨拶した。
司令官は艦の甲板に在る自分の室へ我々を案内した。
室内は清潔で頗る整頓して居る。
軅て艦長は我々を應接室に案内して、デムビさんと父に酒を馳走し、私とアーシヤに茶を馳走した。
此の時司令官が昨夜東京から無線電信で露國に關する好い通信があつたと話した。
同席の日本領事は露語で其事を私等に通譯した。
父がお願ひしたら司令官は艦内見物を私等に許して呉れた。
水兵が私とアーシヤを案内して測距離機を見せた。
而して三吋砲の照準法を説明した。
此の艦の一番大きい砲は三吋砲で、それが八門ある。
司令官の許を辭して父とデムビさんと私等は將校に挨拶し、船で家に歸つた。
晝食後、私とアーシヤはテニスをした。
アナヅイル=(アナディル)ロシアの最東端の町
チユコツトスキー半島=チュコト半島
八月九日金曜日
河口の事件
今朝不幸の出來事があつた。
「コマンドルベーリング」の水兵等が小さなモーター船に傳馬を曳かせ網を持つて河へ鮭捕りに行つた。
仲間は九人で、事務長も之に加はり、皆モーター船に乘つて居た。
カムチヤツカ河口には海の浪と河流と衝突する危險の淺瀬があり、此處で遭難した人や船が少くないが、彼等は水路を知らず、淺瀬へ乘り入つたのである。
淺瀬でモーター船が浪を被り沈沒したので、乘組員は傳馬に乘り移つたが、傳馬も轉覆して河から海へ流された。
事務長の死
幸にデムビさんの工場の人が之を見付けて、二隻の大きな海上モーター船で急行し、溺れた人を救ひ上げた。
皆助かつたが、事務長だけは岸に泳ぎ着かうとして、力が盡きて溺死した。
遭難者救助
救助に向つた船が、河に歸つて來た時、大勢の人が埠頭に集まつて遭難者を見舞つた。
救助された人々は、眞青な面をして寒いので震へて居る。
先づ彼等を鐵の暖爐のあるバラツク内に入れて暖を取らせ、ウオツカを飮ませた。
バラツクで暖まつてから、彼等は私等の家に來た。
私等の家の應接室に褥(しとね)を列べ、それへ寢かした。
デムビさんの店に勤めて居る若い人は、溺死した事務長と學友であつて、彼が死を聞いて非常に悲しんだ。
溺死した事務長の死体は、河口附近に漂着するに相違ないが、其漂着は數日の後であらうと豫想された。
燃るに彼の學友の人は、何故か今日漂着すると言つて其搜索に出かけた。
私等が夕食をして居る時、其者が事務長の死体を河口の州で發見したとの報があり、私とアーシヤは急いで夕食をなし走つて河口へ見に行つた。
私等が駈け着けた時は、死体は最う岸に上げてあつた。
其上部半身が裸である點から察すると水中で服を脱いだものらしい。
顏と頭は青紫色で、手と胸は非常に蒼白い。
軅て大勢の人が集まつて、死体を工場に運んだ。
私とアーシヤは死んだ人を氣の毒に思つて家に歸つた。
野羊狩勸誘
歸る途中[の]デムビさんに逢つたら私を呼び止めて英語で話を仕掛けた。
最初は漂着死体のことを聞き、後私に明日野羊狩りに行くが一緒に行かぬ[か]と言つた。
思ひ掛けない此の誘ひに、私は嬉しくて、デムビさんに禮を言ひ、急いで家に行つた。
日は最う沒し始めて、少し暑くなつた。
父に此の事を話して、必要の携帶品を纏め、後熱い風呂に入つて寢に就いた。