十五歳の露國少年の書いた 勘察加旅行記
ジヨルジ、クラマレンコ著、ゲ、ア、クラマレンコ監修、松本高太郎譯、今井昌雄編

9月11日〜9月15日

九月十一日水曜日

晝食後デムビさん兄弟と、父がフオレリに乘つて、再びネルピーチエ湖へ鴈獵に行き、八羽撃つて晩に歸つて來た。
イ、ゲ、デムビさんと、ウ、ゲ、デムビさんのはブラウニング銃で、ア、ゲ、デムビさんと、父のは二筒銃であつた。
イ、ゲ、デムビさんが、一人で四羽撃ち、ウ、ゲ、デムビさんが三羽撃つて、一羽だけ見付け、父は二羽撃ち、その一羽は大鴈で、目方が十二フント[(四千九百g)]((一フントは百九匁)あつた。
ア、ゲ、デムビさんが一羽撃つた。
不勉強の罰
アーシヤと私は、未だ鴈を撃つたことがないから、此の獵に行きたかつたが、昨日日課を行(や)らなかつたから、其罰として私等を連れて行かなかつた。

九月十二日木曜日

鴈獵の同行
朝に大風が吹いて、空が眞黒に曇り、海に大浪が立つて、汽船との交通がない。
晝頃に風が歇んだ。
晝食後デムビさん兄弟と、父は再び鴈獵に行つた。
這次は私とアーシヤをも連れて行つて呉れた。
空が曇つて雨が尚々降る。
獵の場處へ着いて、我々は數組に分れた。
這次は鴈が多く居なかつた。
唯一度ア、ゲ、デムビさんの方へ一群が飛んで來て、同人が其中の一羽を落したのみである。
私には鴈を撃つ機會がなかつた。
非常の美味
其代り歸宅した時に、食卓へ二羽の鴈の蒸燒が出た。
之に加へて蕎麥の薄粥もあつた。
私は初めて鴈を食べて、非常に美味く、其味は忘れられぬ。

九月十三日金曜日

歸期の接近
今日は朝から雨が降つて、終日雨天であつた。
私とアーシヤは學校へ歸る時期が近づいたから、學課を復習した。

九月十四日土曜日

汽船の歸來
北から汽船スタウロポリが歸つて來た。
此の船で勞働者の一部が浦鹽へ行き、我々とデムビさん自身と、店員が日本へ行くことに約束してあつた。
乃で私等は急いで出發の準備した。
服や靴の破れて廢物になつたのが多く、又古服の一部分を土人に與れたから、手荷物が大に減つた。
樂しく愉快に日を送つたカムチヤツカを去るのが殘り惜いが、仕方がない。
横濱の學校へ歸らねばならぬ。
夕刻迄に私等は荷造りを終つた。
デムビさんは航海中の食料に充つる為め、銃獵した野禽其他の食品を船に送り家具器物は箱に入れて、我々が居た家の一室に藏ひ、窓を板で塞がせた。

九月十五日々曜日

船室を造る
スタウロポリの船室が滿員で、空席がないと知れたから、デムビさんは大工を船に遣つて、上甲板に我々と店員十八名の室を造らせた。
勞働者四百八十人の席は、船艙と甲板が充てられた。
デムビさんの食堂で、最後の晝食を為し、晝食後居殘りの店員やミロノフに別れを告げて、新工場へ行つた。
手荷物や食料品はトロツコで、人夫が新工場へ運んだ。
船室の割當
新工場の側で大きな漁船に乘り、發動機船に曳かれて汽船に行つた。
汽船スタウロポリは、以前一會社の所有船で、當時の船名はマテクであつて、數年前私の兄ガーガがこの船に乘つて矢張りカムチヤツカから歸つた。
私等が甲板に上つた時は、大工が最う我々の臨時板張りの船室を作り終つてゐた。
室は二つで、小さい方に三人のデムビさん兄弟の室に充てられ、他の廣い方は、私等と工場の技師店員の室に充てられた。
手廻りの必要品は自分の室に運び、其他は船艙に入れた。
キヤビンの造作が終つて、父は上板の棚を我々の席に占つた。
藁布團の代りに、日本の綿布團を用ゐた上に敷布を敷き、枕を置き毛布を掛けた。
釘を打つて服掛けを作り、萬事整頓した。
此の時スタウロポリに最後の荷を積み終つた。
無風晴天で頗る好天氣である。
見渡せば工場の建物や周圍の山が、夕陽を浴びて、種々の色彩に光つて居る。
最後の汽笛
最後の汽笛が鳴り、食料品の買入れに村へ行つた司厨事が、歸つて來ると共に、船長の號令「掌帆長當直」が聞え、錨を拔き、軅てスタウロポリが動き出した。
私は遠くなりつゝ行く工場や、漁場や、美しい山を眺め、殊に煙に罩められた、偉大なるクリユチエフ山を眺めた。
清い氣持のよい海の風が吹く。
一夏は夢裡
嗚呼一夏は夢の如く過ぎた。
カムチヤツカは愉快であつたが、終々(とうとう)別るゝ時が來た。
再び人口稠密(ちゅうみつ)の日本へ歸らなければならぬ。
司厨へ交渉 船中の混雜
父とカー爺は、船に持込んだ食料品の世話係りであつたから、我々の給與に關して、司厨事の許へ交渉に行つた。
交渉の結果、デムビさんのコツクが、我々の食事調理を擔當し、司厨事が我々の持込み食料品を買上げて食事を給し、之に對して我々が、一人分一晝夜の食費十留を支拂ふことゝなつた。
晩に我々は携帶の食品と、茶で夕食を濟ませた。
アーシヤと私は早く寢たかつたが、同船の人々が混雜して居て、二時間後に辛つと寢ることが出來た。