聖フランシスコの祈り




わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。
憎しみのあるところに愛を、いさかいのあるところにゆるしを、
分裂のあるところに一致を、疑惑のあるところに信仰を、
誤っているところに真理を、絶望のあるところに希望を、闇に光を、
悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください。
慰められるよりは慰めることを、理解されるよりは理解することを、
愛されるよりは愛することを、わたしが求めますように。
わたしたちは与えるから受け、ゆるすからゆるされ、
自分を捨てて死に、永遠の命をいただくのですから。











ゲシュタルトの祈り




私は私のことをします。
ですから、
あなたはあなたのことをして下さい。
私は、あなたの期待に添うために
生きているのではありません。
そして、あなたもまた、
私の期待に添うために生きているのではありません。
あなたはあなた、私は私です。
でも、私たちの心が、
たまたま触れ合うことがあったのなら、
どんなに素敵なことでしょう。
でも、もしも心が通わなかったとしても、
それはそれで仕方のないことではないですか。
(何故なら、私とあなたは、
独立した別の存在なのですから)










平安の祈り




神様 私にお与え下さい
変えられないものを受け入れる落ち着きを、
変えられるものを変える勇気を、
そして、その2つを見分ける賢さを








基本的に、自分は無宗教です。
ただ、すきなお祈り・・・として、挙げてみました。 かつて約1年間ほど、AC,及びAAミーティングに通ったことがありました。 妙な経緯で知り合った相手が、「自分はアル中なんだ」と言いました。 わたしは、お酒に慣れ親しんだ生活を送っておりましたし アルコールに関しては、依存してしまう、という程の症状はなかったのですが、 アルコールに限らず、人間依存(関係的依存)が当時、強く出ていたことを指摘され、 納得いかないまま、AAに通いました。 そのうち、ACという意味の深さを知ることとなり、〔気づき〕をもらえたと 今では素直にそう思っています。 AAやACは、アメリカが発祥地ということもあり、 かなり、キリスト教色の強い経典のようなマニュアルがありました。 かつて通った高校は、 朝の礼拝で賛美歌を歌い、聖書を朗読する、といった校風でしたので (実家は仏教です。そこの高校しかバカで入れませんでしたw) さほどの抵抗感もなく、入れたのだと思います。 * 神様は、いるのかな? キリストの形をした像を前に、わたしは祈れません。 熱心な方には不謹慎極まりないと、お叱りを受けそうですが わたしは、祈れません。 偶像礼拝、というものに何の魅力も感じないからです。 じゃ、 死んだら神様になれるのかな? 天国に往けた人は天使になれて、地獄に往っちゃった人は悪魔になるの? ** 2度目の再婚相手は 実家が創価学会の熱烈信者でした。 と、いうわけで、嫁に入ったわたしもその日から〔婦人部〕なる所に所属させられ、 義姉からは、よく解らないビデオを何本も見せられ 創価学会以外の宗教には、目もくれてはならない、と教えられました。 そもそも、疑ぐり深いわたしですww そんな話、真っ向から信じられるわけがありませんでした。 でも、立場上、義理の家族と共に、最低限の活動はやむなくしていました。 他の宗教の話さえ、聞いても読んでもいけない、という教えでした。 己の信じる宗教に自信があるのなら、 他を排除する必要はないと思いました。 (現在の創価学会の方針は存じ上げません。現学会関係者さまには悪気はございませんのでw) 新興宗教についての話題やそれにまつわるトラブル、 1箇所が沈静すればまた1箇所、という神様だいすきな王国、日本です。 信仰を続けるために 高額の費用がかかる、というのも変てこりんなお話です。 *** 宗教に関して、偏見のカタマリのように思われるかもしれません。 でもわたしは 何かひとつ 信じられるものがほしい、 自分の中にそれを見出せれば、それ以上の至福はないでしょうけど。










































祈り