
| 20代の後半からオートバイに乗り始めた。今から20年ほど前の話である。本当はもっと若い大学生の時、オートバイに乗りたかった。当時、ホンダから発売された新型オフロードオートバイ−XL250S(XLの系譜は、その後もXLR等として継承されているのでご存知の方も多いだろう)。こいつは、「16インチのワークブーツ」というキャッチフレーズで発売された。16インチというのはフロントホイール径である。他のオフロードバイクより大きく、障害物を乗り越える時、頼りになりそうであった。ワークブーツというのも、いかにも北海道の大自然を想起させた。こいつに乗って北海道をツーリングするのが、大学生だった頃の私の憧れだった。しかし、いかんせん当時は免許も金もなかった。結局、オートバイの免許を取って乗るようになったのは、社会人になって自分で稼ぐようになってからである。 それでも、何十年もたった今でも、その時なんとかして免許を取り、北海道ツーリングをしておけばよかったと時たま思うことがある。それは大学生にとって、贅沢なことには違いなかった。しかし、どうしてもやりたかったのなら、やってやれないことはなかったはずだ。社会人になってから免許を取ったのは、そういう後悔の念が胸の奥にくすぶっていたせいかもしれない。学生時代にやれなかったことを社会人になって私はやった。オートバイで北海道を2回ツーリングしたのである。北海道はほぼ全域回った。それで何とか溜飲が下がる思いはあったが、完全に収支が合ったとは思っていない。なぜなら、若い時にしておけば、その時でなければ得られないような感動が間違いなくあったはずだと思うからである。年をとれば取るだけ、若い時と同じことをしても確実に感動は薄らぐ。それは年を重ねる過程で防御のため様々な精神の鎧を心にまとうからであり、逆に言えばそれが物事に動じない胆力を生むもとにもなるのだが、それで感動が薄らぐというのは、やはり寂しいものだ。それでも私は、年をとってもやりたいと思った時にやりたいことをするべきだという主義である。いつだって、やりたいと思ったときの自分がいつも一番若いのだから。 さて、JAZZを楽器で演奏できるようになりたいな思ったのは、今から5年ほど前のことである。私は学生時代の授業以外楽器などやったことはなかったし、譜面も読めなかった。しかし、好奇心からJAZZの演奏をやりたいと思った時、私は迷わずサックスを購入し、ヤマハの音楽教室に通い始めた。今でも下手なサックス奏者ではあるが、音楽を始めたお陰で人間関係も広がったし、何より人生が豊かになったと感じている。音楽を始めて本当によかった、心からそう感じている。私の判断は、正しかったのだ。 JAZZ演奏に好奇心を持ったのは、他の音楽にはないアドリブに憧れたからである。JAZZのアドリブには、一般的に曲のコードに沿ってそのコードの構成音を中心として演奏するという約束事はあるけれど、あとは自分で好きなように演奏する自由がある。ベースとなる曲には、よくスタンダードと呼ばれる昔のミュージカルや映画などで使われた曲が多く、全くのJAZZの新曲というものもあるが、その割合は低い。これが「JAZZに名曲なくして、名演あり。」と言われる所以である。ただし、これはJAZZマンが作曲の能力が低いからということではない。そうでなければ、あれほど素晴らしいアドリブ演奏が出来るわけがない。なぜなら、アドリブとは言ってみれば、瞬間の作曲の連続だからである。瞬間の連続に全精力を傾けるのが、正しいJAZZマンたる姿である。テーマが演奏され、アドリブに移るその瞬間、あたかもかごの鳥が抜け出して大空に羽ばたくような、そんな自由と開放感を感じることができるのである。そんな音楽はJAZZだけだ。 私は、この年になっても、たまにオートバイに乗ってみたいと思う時がある。世に車といういつも快適で早い乗り物があるのに、ほんの短い時期を除いて年中ほとんどいつも快適ではなく危険なオートバイに、なぜ乗りたいと思うのか。それは、オートバイには、車にはない、JAZZのアドリブのような自由があるからだと思う。オートバイは、人を大勢、安全に、早く運ぶという乗り物の義務を放棄している不埒な乗り物である(早く、という点だけは、クリアしているかもしれないが)。しかし、だからこそオートバイは、乗ればどこか誰も知らない場所に運んでくれる、そんなセンチメンタル思いをも感じさせてくれるのかもしれない。そんな乗り物を、複葉機以外に、私は知らない(複葉機には、まだ乗ったことはないが)。 JAZZのアドリブとオートバイ、共通するキーワードは「自由」ではないだろうか。自由という言葉は媚薬であり、それは、若者の心を捉えて放さないが、40を過ぎた中年の心をもとろけさせる魔性の魅力を持っている。しかし、万人がその魅力にとりつかれる資質をもっている訳ではない。そのことは案外、幸せなことなのかもしれない。 |