雷鳴 (1)
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「ヤツが高校を辞めるらしい」 その噂が流れ出したのは、5月のこと。 デビルバッツに近しい面々ほど、その噂を否定したがったが、その予兆はあった。 クリスマスボウル以降、部活に顔は出すものの、その練習メニューはもう試合に出ない立場として後輩を指導するというよりも、現役プレーヤーとしてのそれであり、体を鈍らせたくない、と言う程度の甘いものではなかった。にもかかわらず、春大会に出るかと問えば、出ない、と言う。 かと思えば、栗田や雪光らが駆けつける練習試合には顔すら出さない。週末の行動は不明。 学校に来ているかというと、来ていた。授業に出ているかというと、出ていた。 だが、その態度は今までとは違う。授業中にも奴隷への指示に余念が無かった頃とは違い、格段に静かになった。真面目に講義を受けているのかと思えば、そうでもなく、堂々と愛用のノートパソコンを立ち上げて、何やら作業をしていた。だが、銃器を乱射したり、ドスの利いた威圧感のある声で脅しつけたりということは激減し、周囲からは「魂が抜けたのではないの?」と言われていた。 そんな感じで進級し、最高学年になっても、デビルバッツに対する態度は変わらなかった。 「俺たちがヒル魔さんに頼りっきりにならないように、ほったらかしてくれてるんだよ」 実はヒル魔を全面的に信奉している一人であるモン太はそう言って、同僚の部員達の自立を促したが、誰もがいまひとつ釈然としないものを感じていた。さりとてモン太の言っているように、自立は必要なことだったので、加わった1年生部員達を率いて練習に試合に精を出していた。 「姉崎・・・先輩?なにか知ってませんか?」 との問い、これはクリスマスボウルを観戦してデビルバッツに惚れて入部した新1年生の問いであるが、満足いく回答は得られない。蛭魔妖一は憧れのプレーヤーだと宣言する新入りQBは、おおいに落胆したのだが、お目当てがグラウンドに姿を現さなくなったのではないので、蛭魔と同じメニューをこなすべく早起きを続けていた。命知らずにも蛭魔を尊敬し、アメフトに関してずばずばと質問するその1年生によると、蛭魔はまるで練習の面倒など見てくれない、どころか明らかに邪魔者扱いはするものの、真剣に質問すれば答えてくれる、とのことである。 訊かれたマネージャーはというと、さすがに今までどおり毎日部活に出席というわけにもいかず、週に何回か、曜日を決めて練習の手伝いに来ていた。 4月下旬。高校アメフトの春大会が始まる。デビルバッツは新入りQBの経験不足に悩まされながらもなんとか勝ち上がり、5月中旬になってもデビルバット達の大会は続いていた。もっとも、地獄の司令塔しか知らないデビルバッツから見れば、どんな将来有望なQBでも、1年生では経験不足に見えるに違いなかったが。栗田、ムサシ、雪光といった引退した面々も応援に出掛ける。チアリーダーの鈴音は2年生に上がったばかりなのでもちろん参加し、姉崎まもりも、1年生マネージャーにやり方を教えるという名目で何試合かベンチ入りしていた。 ・・・しかし、蛭魔は1試合たりとも観戦に来なかった。 デビルバッツの面々も、ここに至って遂に、蛭魔の真意を質すべく動いた。トーナメントを勝ち上がっているチームの元主将が、1試合も観戦に来ないで、翌日にはグラウンドで練習しているとあっては、行動の一貫性がないこと甚だしい。部員達もやりにくさを感じるというものである。 新主将の小早川セナから、栗田を通じて蛭魔への連絡が入ったのは、デビルバッツが敗退した5月下旬のことである。部員を集めて蛭魔妖一の言葉を聞くから、日時を指定して欲しい、というものだった。 しかし、その連絡は届かなかった。1週間、蛭魔妖一は完全な音信不通になってしまったのである。 「蛭魔妖一は学校を辞めるらしい」 という噂は、その1週間で発生し急速に広まった。クラスメート達に真偽を訊かれて、部員達は否定したが、否定する根拠があるわけでもなかった。単に、辞める理由がわからなかったし、辞めて欲しくない、という願望があっただけである。 空白の1週間は明けた。 月曜日、何事もなかったかのように早朝にグラウンドに現われた金髪の悪魔に、栗田が詰め寄る。一体どうしたの、と。 蛭魔の回答は、不十分ながら具体的だった。放課後、練習後に話が聞きたい奴は集まれ。自分の今後を話す。 そのメッセージは朝練のうちにデビルバッツ全体に広まり、このままいけば、この日はずっと集中力散漫な練習になるところだったが、この日の蛭魔はかつてのように陽気に銃器をぶっ放し、ケルベロスを動員して特訓を敢行したので、デスマーチに参加したメンバーを中心に、嬉々として練習した。朝も、昼休みも、放課後も、昨季より部員はやや多くなったが、かつてのデビルバッツが戻ってきたようだった。 日が暮れる直前、この季節特有の大雨。夕立と言うやつである。雷も鳴り始め、デビルバッツは用具を抱えて部室に逃げ込んだ。練習時間は数分しか残っていなかったので、わずかに早いけど今日の部活は終わり、蛭魔の言葉を聞くことにする。部室に集まった面々は緊張していた。汗で体を冷やさないように着替えを済ませて、金髪の悪魔の言葉を待つ。栗田、ムサシ、雪光といった面々も集まっている、これは蛭魔が呼んだのか、デビルバッツのメンバーの誰かから伝わったのか、どちらかだろう。元マネージャーの姉崎まもりは来ていなかった。 夕立はひどくなり、グラウンドは洪水になっていた。雷も鳴っていて、いつものこの時間帯よりもずっと空が暗い。 練習時の活気に満ちた雰囲気は急速にしぼみ、全員神妙な面持ちになってしまう。 「・・・なんだ、テメェら、これから死刑判決でも聞くようなツラしやがって。安心しろ、死刑になるとしても死ぬのはテメーらじゃない、俺だ」 笑えない冗談だ、とセナは思う。たぶんわざとやっているのだということがわかりかけているセナたちはともかく、新入部員たちにこの冗談はキツい。 「ま、とりあえずだ、テメーらには俺に訊きたいことが色々あるみてぇだから、忘れないうちに訊け、俺の話はその後だ」 「じゃあ、まず、その、すごく失礼な話題なんでさっさと片付けたいことから行きます」 セナが先頭を切る。こういう時、主将というのはツラい立場で、周りにとってはありがたい。 「蛭魔さんが、その、学校をお辞めになるというとんでもない噂が流れているんですが」 「事実だ」 間を一髪ほどもおかずに即答した。セナをはじめ、聞いた者全員が息を呑んだ。十秒以上、沈黙が続く。 「・・・なんだ、質問はそれで終わりか」 意地悪なことを言う。まだ回答が終了していないではないか。辞める理由を添えて答えるべきところを、あえて無視している。 「何でそんなことを言うんだよ」 「そうだぜ、いきなり辞めるなんて、何が問題なんだよ」 「ガッコに不満でもあんのかよ。ありえねーと思うけど、イジメ、じゃねえ、嫌がらせでもあったのかよ」 「フゴッ。き、急過ぎ!」 根が無遠慮な性質のライン連中が耐え切れず、敬語も省略して次々と続ける。すると、いままで声を出しづらそうにしていた1年生やモン太たちも質問を出す。 「なんでこの1週間来てくれなかったのですか」 「なんで試合を見に来てくれなかったのですか」 といった質問がなされた。 いつもなら「いっぺんに答えられるか!ひとつずつにしやがれ!」と銃を乱射して、要領を得ない質問者達を罵倒するところだったが、蛭魔はニヤリと笑って、ようし、これで質問はだいたい出揃ったようだな、と言った。 まず、辞める理由だが・・・と前置きしてから 「泥門高校に不満や不備があったかというと、そうじゃねえ」 「ってことは、問題があったのは蛭魔の方」 ドカッ。蹴られて悶絶する栗田。 「だったら退学で今頃ここに来てねーよこの糞デブ!!」 う〜ん、この人だったら退学の理由そのものを抹消してしまうような、という疑問は敢えて言わずにおいた。 部室の窓で、稲妻が派手に光り、一年生マネージャーが小さな悲鳴を上げる。 「つまり簡単に言うとだ」 周りが栗田への突っ込みをほほえましく思っていた矢先、淡々とした口調で言ったのである。 「プロになる」 ―雷鳴。 全員がその言葉の意味を理解するのに、ゆうに数秒を要した。プロ。蛭魔がそういうからには、プロのアメリカンフットボール選手ということであろう。 蛭魔妖一がプロのアメフト選手になる。 文字にすれば一行の、たったそれだけの情報を咀嚼するのに、ずいぶん掛かった。 (え、だって、今からじゃ今年のシーズンに間に合わない・・・) (バカ。NFLのプレシーズンが始まるのは8月だ) 球技は夏が真っ盛りだと思い込んでいる、アメフトにまだ慣れない新入部員達が囁き合う。 「ものわかりの悪いテメーらにもわかるように話すと、だ」 外の雷雨は激しさを増し、少し大声で喋らないと聞こえなくなる。 クリスマスボウル以降、目標も無くアメフトを楽しむことなどできなかった蛭魔は、早々に高校の部活の第一線から身を引いた。栗田、ムサシがそれに倣ったのはこの3人組であれば当然に思える。雪光は大怪我で選手たりえなくなっていたから当然引退した。石丸は陸上部に戻ったから、2年生、つまり現在の3年生は全員しりぞいたことになる。泥門高校を含めて、大学附属でない高校の部活動は3年の夏までだから、厳密に言えば春大会は出場できたが、全国大会に繋がっていないから、蛭魔は興味をそそられなかったという。 もっとも、秋の無い3年生が春大会に出場するなどということは、弱小校の記念出場でもない限り有り得ず、大半は2年の秋大会までで終わるので、蛭魔の決断はごく正常なのであるが。 「ま、もう一度出て金剛兄弟の泣きっ面を拝むというのも一興だったが、他にやりたいことがあったんでな」 もっとアメフトがやりてえ。その気持ちは消えなかった。日本には社会人リーグ、つまりアマチュアしか無い。世界にプロフェッショナルのアメリカンフットボールリーグは欧州リーグの他には、有名なNFLがあるのみである。日本では大学アメフトは盛んだが、そこへ行くには当然来年まで待たなきゃならない。そう考えた時、蛭魔の心は決まった。一路、アメリカへ。4月中旬のNFLのドラフトで採用されるべく、あらゆる手段でアプローチを行い、デビルバッツの練習に参加したのは、ドラフトで落選し、テスト入団となったときに備えて鍛えていたのだという。 その結果、NFLのあるチームが蛭魔妖一を年俸3万ドルで雇うことになった。プロ選手としては最低額だが、日本人で、まだ高校も出ていない若僧ということを考えれば、ドラフトに掛かっただけでも奇跡というべきだろう。先方では食事つきの独身寮で生活するので、さしあたって野垂れ死ぬ心配は無い。そして、この1週間は、ルーキーキャンプに参加していた、とのことである。週末に出てこなかったのはNFLへの売り込み工作の為で、授業に出ていたのも、蛭魔妖一の推薦書を一つでも多くかき集めるため、有望な生徒であった、との既成事実作成のためであったという。(校長を脅迫するのも含めて?と思ったのは3兄弟ら複数名) 「泥門高校を辞めるのは」 耳をそばだてる音が聞こえるようだった 「7月中旬のトレーニングキャンプが始まる時だ」 次々と明かされる事実の洪水に流されないように必死になりながら、セナたちは慎重に言葉の意味を理解した。 つまり・・・ あと2ヶ月足らずで、蛭魔妖一は渡米する。 あと2ヶ月足らずで、泥門高校から悪魔が消える。 蛭魔妖一は、デビルバッツと別れる。 もう、泥門高校グラウンドで一緒に練習することすらできなくなる。 デビルバッツの創世メンバーが欠ける。 ・・・・・・。 沈黙を破ったのは素っ頓狂な声だった。 「アハーハー!素晴らしい!おめでとう!素晴らしい!何だい、みんな何を黙りこくってるんだい。だってプロだよ?NFLだよ?世界で一番アメフトがうまいとこに入れるんだよ。僕らより少し先に行って待っててくれるっていうんだから!アハーハー!いやあ、素晴らしい!」 空気を晴らそうとして言っているのか、本気の発言なのか掴みかねるところだった。が、とりあえず沈黙は破れたので後に続くものが出た。蛭魔を敬愛する1年生QBである。 「おう、そうだよな。うん。凄いことだよな。蛭魔さん、その、おめでとうございます」 おめでとうございます。頑張ってください。応援します。できれば、観戦に行きます。絶対テレビで見てます。全部録画しますよ。 型どおりの賛辞が寄せられる。 発言順序が学齢に左右されないあたり、デビルバッツのチームカラーというか気風が出ていた。この雰囲気が醸成された理由は、キャプテンがセナというのもあっただろう。根が体育会系のモン太や、反骨心旺盛な十文字の方がキャプテン向きの性格かもしれないが、その場合はこの、ある種の柔らかい雰囲気は望めない。 ・・・・・・? 何か、空虚だった。 蛭魔妖一の決断ならば変えようが無い、ということがわかっていても、あれだけ他人の運命に干渉して、デビルバッツのメンバーに一人残らず影響を与えてきた人間が突然、デビルバッツを、ある意味で捨て去って行ってしまう。何か違う気がした。蛭魔妖一に言いたいのは、こんなことじゃない。 そう感じたのは自分だけではない、と2年生以上は全員どこかで思っていた。それでも、口から出るのは決まりきった送別の言葉ばかり。 「・・・蛭魔さん」 「何だ、糞チビ」 「それ、延ばせませんか。あ、いやその、延ばす、じゃなくて、早すぎやしないかな、と、つまり、高校卒業してからでも遅くないんじゃないかな、とか」 「ばッ。何言ってんだセナ。俺たちが引き止めてどうするよ」 モン太が慌てたようにフォローを入れようとしたが 「いや、その、そうなんだけど。なんて言うか、みんなはそうは思わないの」 セナのその問いは、声は大きくも強くもなかったものの、デビルバット達の肺腑を揺らした。 この金髪の悪魔に、まだいて欲しい。それぞれが、程度や質の差こそあれ、そう思っていたことを、確認させられる。送別の言葉で本音を誤魔化しているのだということに気付く。 だが、今そのことを言ってはならないんじゃないか。セナの発言は、わがままなのではないか。 「ケケケケ、寂しいのか糞チビ」 「あ、いやその。えと、寂しいとかそういうんじゃなくて。ええと、いやもちろん、そういうのもあるけど、もっとアメフトを教えて欲しいというか、蛭魔さんから教わったことの十分の一も吸収できてる気がしないっていうか」 語尾こそ曖昧だったが、実は凄まじい向上心の発露だな、とムサシは思う。 トレーナー溝六の立つ瀬が無いが、アメフトに関して蛭魔が与えるアドバイスは常に的確をきわめていたので、失いたくないと思うのも無理からぬことである。いつの間にか、チームのレベルアップばかり考えるようになったじゃねえか、自分ひとりで手一杯だった仮面の男が。 「ホホーゥ、ずいぶん冷静に自分の実力を評価してやがるな、いい傾向だ」 「それに、プロになったらアマチュアを指導しちゃいけないそうですし」 「馬鹿かこの糞チビ!!そりゃ日本の野球界の話だ!!」 「ええええ!?」 セナの向上心をちょっぴり尊敬したことを後悔する部員が続出する。こういう天然ボケの炸裂はこの男の長所というべきか・・・。 蛭魔が先程のムサシのように向上心に感心したかどうかはわからないが、再びケケケと笑い、やや語調を変えて続けた。 「よし、そんなに俺のコーチングが欲しいっていうんなら、仕方ねえ、練習を見てはやれねえが、宿題というか、目標をひとつやる」 「?」 「小早川セナを、俺と同じフィールドまで連れて来い」 「・・・え」 「勝て。勝ちまくって一つでも多く試合をやれ。練習試合でも負けらんねえ理由を作って組め、賊学戦の様にな。運動部歴まだ一年そこそこの、経験不足のこの糞チビを鍛えて鍛えて鍛えまくれ」 「・・・・・・」 「そうすりゃ、プロのスカウトならぜってー見逃さねえ。必ずテメーを獲りにくる。去年以上に鍛えりゃ間違いなくドラフトに掛かる。ダメならテスト入団でも構いやしねえ。チーム数多いからたぶん俺とは敵になるだろうな。NFL、世界最高の舞台だ、先に行って待っててやるから、登ってこい。ねじふせてやる」 「・・・!!!」 蛭魔の、珍しく長い台詞をゆっくりと理解しながら、デビルバットたちの表情が、戦士の表情になってゆく。 「お・・・」 「おお!」 「おおーッ!!」 よっしゃ、やるぞ。やるぞ。小早川セナを鍛えるんだ。勝つんだ。たくさん勝つんだ。 蛭魔が解散を宣言したので、1年生達は勇躍して帰り道を急いだ。走って帰ろうぜ、という声も聞こえる。 小早川セナは、なんだかほっとしていた。そうだ、こういう人だった。蛭魔妖一は、人を無理矢理巻き込んで、他人の人生を強制的に規定のルートから蹴飛ばして、自分の背中を追わせる人だ。そして自分はさらに先を走って、何かを追いかける人だ。 そんなことを考えつつも、外に走り出す部員に「まだ、雨ひどいから風邪引かないように」と声掛けるあたり、まもりの心配性が伝染しているのではないかと思う。 |
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