大好き





その頃、小早川セナの所属する球団のチーム状態は最悪だった。

それは単に、戦力が不足して負けが込んでいるというだけではない。事実、地区で最下位だったが、好転させるべき要素が何も無いことの方がいっそう深刻だった。
選手同士は敗戦の責任をめぐっていがみあい、選手起用法をめぐって監督への不信感は募り、コーチと監督、コーチと選手、選手と監督がお互いを信じていない、どころか、派閥を作って牽制しあっているありさまだった。
そこそこ名声はあるものの、個性的な起用法をする監督が就任してから、歯車が噛み合っていなかった。チームの体質に監督の性格が適していなかったといえばそれまでだが、それを解決しようとする努力を怠った選手や経営陣であるオーナーらにも責任があることだった。


セナ自身は一軍に帯同して、控えではあるが、後半を中心に、試合には出場していた。だが、好プレーをしても凡プレーをしても、チームメイトの反応は冷たかった。セナに対してだけではない、誰に対しても、そうだったのである。誰もが、自分の出場機会の確保に汲々として、他人の活躍を自分達の勝利に繋がるものとして喜ぶ余裕など無かった。


・・・こんな状態で、勝てるわけがない。
個が寄り集まってチームになるといっても、チームの勝利を自分の勝利と同一視できないようでは、士気は無きに等しい。

セナは、辛かった。デビルバッツで戦っていた時期は、味わったことのない辛さ。あの時は、出場機会が欲しくてたまらないと目をぎらつかせているメンバーなどいなかった。雪光学が、恨み言ひとつ言わずにベンチで出番を待ちつつサポートしてくれていたことを、今更ながらに思い出す。部員の多い強豪校では、いまのセナのチームと同じ現象があったのだろうか。だが、監督を更迭すべきという派閥ができたり、自分から移籍を願うメンバーがいたり、などというのは、学生スポーツでは絶対に起こりえないこと。
 プロのチームスポーツの困難という困難の全てが、セナのまわりには充満していた。

こんなチームで戦っても、楽しいはずがない。セナの実力はほとんど発揮されない。
誰も、セナのスピードと小さな体を活かした攻撃など考えず、義務的なブロッキングをするだけで、抜けなければ、それをセナの当たりの弱さのせいにする。 精神的には、通常の試合の数倍は疲労する。それも心地良くない疲労感だ。



セナとて、何の手も打たなかったわけではない。チームの仲を改善するべく、色々と手を打ってみた。上手くもない冗談を言ってみたり、小さな約束事を共有しようとしてみたり、練習時間ができるだけ多くのメンバーと重なるようにしてみたり・・・・・・だが、いずれも思うような効果は出なかった。もともと、人心収攬に長けているわけではないセナが、似合わないことをしてもうまくいかない。なにより、まだまだ若く、下っ端のセナでは発言力も影響力も小さかったのである。
 セナ以外にも、チーム状態の改善のために動いた選手はいたが、残念ながら、そういった選手とセナとの連携が取れないほど、このときのチームはひどかったのである。






1日目


もう、数えるのも嫌になってきた、今シーズン何度目かの敗戦後。宿舎に帰ったセナが少女の来訪を受けたのは、そんな時だった。



「やー!セナ、元気!?」

「・・・・・・」
アメリカに留まっているのは知っていた。たまに来てくれるから。だが、この時のセナは、励ましの言葉より、一睡が欲しかった。ぎすぎすした雰囲気で試合を終えた後は、心身ともに疲れている。
あまりに元気な鈴音の声に、かすかに不快感を抱いてしまう。

「元気ない?」

「うん・・・」

「大丈夫?」

「うん・・・」

「大丈夫じゃあ、ない?」

「うん・・・」
なんという意味の無い応答だと思うだろうが、そんなことを考えるのすら、この時のセナには面倒だった。

「あがってもいい?」

「うん・・・」

遠慮がちに、なるべく足音を立てないように、セナの個室に入る。鈴音は変わらぬ殺風景に嘆息しつつ、セナに視線を戻す。
セナの個室は、一部屋を簡単な仕切り板で二つに区切った構造で、奥の狭いほうがベッドルーム、玄関側が机やTV、流し台のある部屋だった。

「疲れてるみたい・・・」

「プロはみんなそうだよ。キツイのは同じ」
その台詞なら、勇ましく言うのも可能なはずだが、なんだか、投げやりな口調だった。

「なんだかセナ、辛そう・・・」

麻製の粗いじゅうたんの上に腰をおろすと、セナもクーラーから出してきたお茶を持って座る。
「そんなことないよ」

「だって・・・」

辛くて仕方がなかった。でも、蛭魔さんやまもり姉ちゃんには頼っちゃいけない。今までだって、自力でやってきたと胸を張れるほどではないのだ。たまに向こうから連絡があった時に、訊きたいことがあれば訊く、それで十分なはず。それ以上は甘えすぎ。なんといっても、チームとしては敵同士なのだ。


「悩み事とか、あるんじゃない?」
見るからに、精神的にやられている雰囲気の少年の表情や仕草に、そう尋ねたくなってしまったのを抑えられなかった。

「どうして?」

「ありそうだったから・・・」

「ないよ」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「それ、嘘でしょ、セナ。私に相談して」

鈴音のその台詞、セナの心の琴線の、特に敏感な部分を露出させた。

「鈴音。その、『嘘でしょ』っての、なに・・・」

見るからに不機嫌そうになっていくセナ。声も不愉快さが滲んでいる。

「だって、何か、ひとりで抱え込んでるみたいだったから、誰かに相談した方が・・・」

「鈴音ッ」

「わたしじゃ不足だったら、まも姐とかに相談したら」


「まもり姉ちゃんは関係ない!!」

明らかな怒声。鈴音はセナの逆鱗に触れてしまった。セナにとって、自立は至上の命題だった。それを叩き壊すような今の台詞は、どんな善意から出たものだとしても許せない気がした。

思いがけない大声に驚いたのは、鈴音ばかりではなく、セナ自身もだった。すかさず、口調を必死に抑えつつ、だが抑えきれずに、言い足す。
「僕は大丈夫だから!心配なんていらないから!心配しに来るんじゃなくて!気楽に遊びに来てくれていいんだ!」
今までの言葉少なさを補うかのように、長い台詞を短く切りながら続ける。

「セナ、だってどう見ても無理してるよ!」

「してないよ!チームのみんなと同じだけ、頑張ってるだけだよ!」

「辛そうだもの!今のセナ、泣きそうだよ。必死で何かこらえてるよ!」

「鈴音ァ!」

少女の視界が急転する。背中に衝撃を感じる。
気が付いたとき、セナの表情は逆光で見えなかった。ただ、笑っていないことは確かだった。
鈴音は仰向けに床に押し付けられれていた。

(まさか、このまま・・・?)

鈴音は、ある予感がしながら、動けなかった。動けたとしても、鍛えているセナの膂力は鈴音の予想をはるかに上回っていたので、体勢を変えることすら難しかっただろう。鈴音の二の腕は両方とも、セナの両手で肩ごと押さえつけられていた。

セナの顔が近づく、鈴音の首すじに。
「いっ・・・!!」
みし、という音がしただろうか。セナの腕の中で、鈴音の腕と肩の骨が軋む。その瞬間、セナの動きが止まった。

怒りをたたえていた瞳に、別のものが宿った気がした。

少年は、少女を離した。


「・・・ごめん」

「セ、ナ・・・?」

鈴音は、押し倒された体勢のまま、まだ起き上がれずにいた。見たことの無い、暴力的なセナを見てしまったことに混乱していた。セナが今にも噛み付きそうだった、首の左側面が敏感になっている気がする。
セナは、鈴音の襟をつかんで起き上がらせると、細腕からは信じられないほどの力と持ち前の俊足で、そのまま玄関へ引きずるようにひっぱって行った。

「帰って・・・くれる?」

「・・・ううっ・・・」

「お願い・・・だから・・・帰って・・・」

「・・・セナッ!!」

「帰って・・・ごめん。いまは・・・ひとりに・・・」

「ひとりになんて・・・!!」
させられない、という言葉は、出てこなかった。出すまでも無かったし、なにより、泣きそうで発音できなかったのだ。

「今夜は、早く、寝かせて」

「・・・・・・」

「試合、負けたから」

「・・・・・・」

セナが、床に転がっていたハンドバッグを持ってきて、手のひらに押し付けると、鈴音はいつもより深くお辞儀して、走って去った。

鈴音が泣いていることは、セナにもわかった。




 少女を見送ることもできず、セナは自己嫌悪の真っ只中だった。なぜ、あんなことをしてしまったのか。チームがうまくいっていない、その八つ当たりを鈴音に向けるという、最低の所業をしてしまった。もし、あのまま止まらなければ、どうなったか。怒りや獣欲にまかせて、彼女に取り返しのつかないことをしてしまったのではないか。いや、さっきのあれだけでも、取り返しがつかないことに変わりはないけれど。
 毛布に潜り込んでも自己嫌悪は止まなかった。寝付くことは寝付けたが、ろくな夢を見られなかった気がする。いつもどおりに起きられたとしても、また、仲の悪いチームメイトとグラウンドに出ると思うと気が重かった。・・・そして、やはりいつもどおりの時刻に起きてしまった。鍛えぬいた生活習慣が、少し恨めしくなる。


 鈴音は大急ぎで帰った。ひどい顔をしているのは明らかだったし、今日のセナの様子だと、どうアプローチしても逆効果だと思ったからである。早く帰らされたおかげ、というわけでもないが、鈴音が滞在しているところまでは終電が間に合った。セナとの件に関して、甲斐甲斐しく面倒を見てくれるまもりに電話して、セナの異状を報告しておきたかったが、時間が遅いので明日にすることにした。

 この時期、鈴音はまもりとマメに連絡を取っていたが、これは甘えているのではない。そもそも、まもりが鈴音の世話を焼いてたまに宿を貸してくれるのは、鈴音がセナを射止めるためなのだから、セナの様子を伝えるのは礼儀であり義務であった。その状況自体が甘えているといわれれば反論の余地がないけれど。






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