生活リズム





蛭魔妖一の生命を救った2つの奇跡。




悪魔が本性を現すのは、深夜に違いない、とか思っている人は多いだろうし、その例に漏れない悪魔は数知れない。だが、例外もいる。

 当然のことだが、スポーツマンの朝は早い。
 蛭魔妖一は、たいてい朝5時くらいには起きたいというタイプである。スポーツを生業とする人間にとって、体調管理は基本中の基本である。夜更かしなどという不摂生はもってのほか。
 もっとも、新しいスキルの習得に夢中になって、ついつい日付が変わってしまう、などということもたまにはあったが、そんな場合は、無理に切り上げる方が、かえって練習効率が悪い。夢中になっているときの能力の伸びは、生活時間サイクルを多少崩すリスクを補って余りあるほど大きいからである。
 今では、NFLの一軍の試合に出ているので、シーズン中は週に一度のナイトゲームのために、逆にわざと寝坊しなければならないという状況だが、とりあえず安定した生活リズムを刻むことができている。


 しかし、かつて泥門デビルバッツを率いていた当時の蛭魔の生活サイクルは悲惨なものだった。起床時刻はスポーツマンらしいのだが、就寝はむしろビジネスマンと呼びたい時刻になってしまう。選手としての活動は健康な生活時間の中におさめられても、監督兼主将兼主務の仕事はいつまで経っても終わらない、というより、やればやるほど増えていく類のものである。数えるのすら面倒な人数の奴隷を総動員して仕事に協力させたとしても、集めた情報や材料は蛭魔自身が把握して、いつでも使えるようにしておかなければ、試合で役に立たない。奴隷達は懸命に情報を集め、様々な裏工作の実行犯となってくれる・・・が、情報を整理してアメフトに使える形に再構成することや、自ら裏工作の計画を立案したり、実行の段階で不具合を感じて臨機応変な修正したり、というのは能力と意識のレベルからして、奴隷達には不可能だった。となれば、蛭魔の直接指揮に頼らざるをえない。
 肉体も頭脳も、延々と続く酷使のため、とっくに限界が来ていた。そろそろ灼き切れるか、という危機を何度か乗り越えた。もし、こんな生活を誰か他人に強いられていたのだとすれば、その非人道性はどう甘く見ても犯罪にあたるであろう。
「クリスマスボウルに行くまで、保たせる、なんとしても」
その強烈な意志で、疲労をはねのけてきた。

 このころの彼がアメフトの数多くの技術以外で身につけた特技のひとつに、寝付きの良さ、というものがある。ひとたび寝るとなれば、昼であろうと夜であろうと、泥のように深く眠る。浅い眠りや、うとうとしている状態を回避できる能力である。このスキルは、多忙をきわめる彼にとって便利で有用な武器となった。この武器を手に入れると同時に、彼は夢を見る時間のほとんどを喪失した。もっとも、蛭魔妖一は夢の中の夢よりも現実の夢を追い求める男であるから、以後永遠に夢を見られなくなったとしても、それほど痛痒を感じなかったであろう。さらには、この時期の彼が夢を見たところで、それが良い夢である可能性はきわめて低かったように思われる。
 そのようなわけで彼は、人が眠って夢を見るという現象そのものを、対戦校データのうち古くて使えなくなった部分と一緒にして、記憶の本棚の「忘却可」のスペースに放り込んでしまった。


・・・状況は好転しない。
デビルバッツの創世メンバーの一人が欠け、一年次の春、秋ともに1勝もできず、これほど酷烈なサイクルで生活しながら次々に策を講じていても、無為に過ごしている気さえしてくる。
 フィールド上での戦術、それを実現するための戦力増強のための戦略、さらには小規模ながら部の運営、経営といった政略レベルまで、ほとんど一手に引き受けていたのだ。生半可な人間ならば、激務でとっくに過労死していたであろう。巨体の相棒が、彼に休息を勧めたことは一再ではない。だが、彼の回答は簡潔をきわめた。
「勝ちゃいいんだ、心臓が爆け飛ぶ前に」
―――事務的な、あるいは戦略的な仕事では自分が力になれないことを自覚した相棒は、せめて選手としての貢献を最大にするべく、午前2時から練習、などという気違いじみた無茶をはじめる。それによって彼の仕事が減るわけではないが、その態度を見れば、ここで潰れるわけにはいかない、との決意を新たにするのは難しくない。
 しかしだからといって、頑張ってさえいればきっとうまくいく、と考えるほど楽天家にはなれない。現実的に、このままでは二年次でも一年次の再現をするだけで終わる。そして、後継者などいない泥門デビルバッツは消滅し、人数ゼロでアメフト部は廃部となる。
 およそ思いつく限り、あらゆる手を打ってはみたものの、その一年間で成功したことといえば、能力の欠如した、あるいは意識の低すぎる奴隷を大量に調達できたぐらいのもので、悲惨な状況で2年生になった。

 苦境だが、逃げ出す気は毛頭無かった。自ら望んで地獄に身を置いたのだ。死地に立つことを苦しいとは感じても、不幸だとは微塵も思わない。
 だが、もうあとがない・・・。



奇跡が、起きた。
ほんの小さな奇跡。
しかし、これから大きく育つ力を秘めた奇跡。


彼は、ある小柄な少年を見出した。「この幸運、逃してはならない」と直感して、かなり強引だったが味方に引き入れた。奴隷ではなく、初めて増やした、味方。頼りないが、これから鍛えればよい。


その少年が、初めて自らの意志で彼の味方になることを主張した日、もうひとつの奇跡を起こすことに、彼は成功する。求めてやまなかった、だが諦めていたもの。精神的な戦いを分担してくれる、能力と高い意識とを十分に備えた者。多少の工夫を要したが、引き入れることに成功する。蒼い目の少女である。


 アメフトに関する知識不足を一晩で解決してしまう、知的な蒼い瞳を持つ少女。この少女を得てからの蛭魔妖一の生活は、忙しさは変わらないものの、なんとか人間的なレベルにまで持ち直した。まともな休養を取れなかったため薄まらざるを得なかったトレーニング効果、特にフィジカル・トレーニングの効果は目に見えて改善した。戦術指揮系統は蛭魔が引き続き掌握するが、情報整理と伝達系統の半分を少女が担当する。この二人が、後に精密な意思疎通で驚異の知略戦を展開し、チームの戦力不足を補うことになる。



絶望的だった状況は、好転した。
少年が知り合ったキャッチングの名手を端緒に、メンバーは徐々に増加し、決して十分とはいえないが、最低限の駒は揃った。百万分の一であっても、確かに勝算が存在する布陣でクリスマスボウルに挑める。

・・・・・・。

あるとき、彼の知己の一人が「テメェと俺と何が違うってんだよ」と言ったことがある。
その男は、自分の足跡と蛭魔妖一の足跡が似かよっていることを指摘した。
しかし、男と彼は違った、勝者と敗者に分かたれた。
他人はよく、その差異は「人望」とか「人心掌握力」だとか、あるいは「統率力」と言うが、はたしてそうだろうか。それは彼が勝ったから、何かしら理由を付けたくて、無難で反論のしにくい言葉を取って付けただけではないか。
もし、本当に人望が差異の全てであり、彼には人望があるなら、昨年、1勝たりともできないチームが彼のもとにできてしまった理由をどうやって説明するのか。もっと別のところに違いがありそうな気がする。人望で勝てるなら、宗教家か大統領にでもチーム作りをやらせてみるがいい、そう考える蛭魔だった。

男は、脅して作った味方を頼ってしまった。最後の最後、土壇場で、それしか頼る味方がいなかったのが悲劇であった。
一方、彼はいわゆる「奴隷ども」を使うことはあっても、その能力を当てにしたことは一度も無い。

脅して作った味方を頼るという考え方に至る、そこまで追い詰められるまでに、頼るべき者を見出せなかったのが大きな違いである。仮に、あの小柄な少年を、彼が見出す前に男が見つけたとして、チームに引き入れるという発想に至ったかどうか。その長所に気付いても、あまりにあからさまな欠点、つまり体格の無さが目に付きすぎて、見逃した可能性が高いのではないか。

だが、それをもって、男が無能だというのは不当な評価かもしれない。彼には巨体の相棒もいれば、戦線を離れていたものの、驚異の脚力の親友もいた。男には無かったものである。
さらに、彼には少年と、少女と出会うという2つの奇跡が訪れた。
奇跡を活かした彼の力は確かに傑出しており、幸運だけではないにしても、なにかしら偶然のようなものが働いたのは間違いない。

もし、奇跡が起きなければ、彼も恐らくは脅して作った仲間を頼らざるをえず、最後の大会まで余裕の無い生活サイクルを強行して・・・・・・





「・・・ぅ・・・」

「あれ、起きたの?妖一」

「・・・・・・」
起きたばかりで頭がはっきりしない。

「まだ寝てていいのに」
今日は夜から試合なんだから、とは言わなくても伝わる。

「ああ」

「・・・どうしたの?」
寝起きのいい彼が、いつになくぼんやりした様子なのを気遣わしげに見つめる蒼い双眸。

「夢、見た」

「ゆめ?」

「そういえば」

「なに?」

「おまえと会ってから、夢を見られるようになったんだった」
正確には、一緒にアメフトをやり始めてから。
「・・・・・・」

「・・・あなたに詩人の才能があるなんて、ちょっと意外」

「そうじゃねえ」

「?」

彼は上体を起こすと、頭を掻いて息を吐いた。
「よく眠れてるってこと」

「それだけ?」

「もっと何かなきゃダメか?」

「ううん。今日の夢は、どんなの?やっぱりアメフトの夢?」

「ああ、アメフトが大部分」

「楽しかった?」

「アメフトがつまらねえはずあるかよ」

「夢のアメフトと、現実のアメフトと、どっちが楽しい?」

「現実に決まってる」

「そうなの?」

「そりゃそうだ。でもな」
ひとつ伸びをすると、愛妻に向き直る。意外に真剣な表情に、思わず相手の眼から外れてしまいそうになる、蒼い視線。
「夢のおかげで、現実がもっと楽しくなるってこともある」

「それは・・・素敵ね」

「ああ」
不意に顔が近づき、羽毛の様に柔らかい接吻。
「・・・ありがとな、まもり」

無垢な言葉に赤面し、いつもより優しい接吻に戸惑ったけれど、柔らかく抱きしめてくれるのを振り払うのももったいなくて、同じくらいの柔らかさで抱き返して、より一層の優しさで再び唇を受けた。


・・・少しの間そのままで、彼女は目を閉じていたが、顔の筋肉が動いて空気が揺れたのがわかり、相手が目を開けたのだと感じ取った。
「ん・・・」
離れようとした時、彼を抱き締める力が、かすかに強くなった。
「もう少し、夢、見よう」
声どころか視線も交わしていないけれども、彼にはそう聞こえて、離れるのを止めた。
自分の意識が自分を解放してくれるまで、このまま顔を合わせていようか・・・


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