至宝
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新しい生命
「んー!これであと何ヶ月かすれば、妖一もお父さんかぁ」 両手を伸ばして、背を伸ばすようにしながら言いたい台詞だったので、受話器を肩と耳で器用にはさんでいる。 「早すぎるってか?」 「うーん、むしろ遅いぐらいじゃない?」 「遅いのかよ」 初産にしても、父親も母親も若すぎるくらいなのだが。 「だって妖一、いつも本気じゃない。今までこういうことがなかった方が不思議なくらい」 こういうこと、があった部分を撫でてみる。まだ外見上は何も変わって見えない。この時期は何グラムが通常だったか、などと考えながら。 「そっちだって、嫌がらなかったじゃねえか」 「それは、だって・・・それが、普通なんだと思ってたから・・・」 「おー、そりゃすまねえ。間違った性知識をうえつけた、俺の責任だ」 「でも、あの時から、授かってもいいって思ってたんでしょ?」 「さて、どうだったかな」 「ふふっ。初めての頃から、容赦無かったもんね」 ・・・というより、お互い手加減を知らなかった。 「生ぬるいのは好みじゃねえ・・・ってのは、お互い様だろ」 ********* 時間は少々巻き戻る・・・ ********* 「ね、授かっちゃったらどうするの?」 こんな質問をしたのは、初めて想いを遂げた時・・・では、もちろんない。 幾度目だったか、その点に関して何も言わない蛭魔妖一に対して、さすがに不安になって問いをぶつけてみたのである。 「さあ、どうすっかな。とりあえず・・・」 「とりあえず?」 「祝う」 まもりは、段差もないのに地面を踏み外した気がした。質問の意図と回答がものの見事にずれている。彼女の疑問点を素通りして、彼の視点ははるか未来に向いている。 蛭魔妖一は、進清十郎とは微妙に異なった意味で、世間一般常識から遠い人間である。彼女が、新しい生命を授かる可能性ぐらいは承知の上だろうし、それに対してどうするか、明確な意志を持っていたにもかかわらず、彼女に伝えるのを失念している。これは、彼が迂闊だったのではなく、彼女が当然抱くであろう不安や焦慮というものが、彼を素通りしてしまったためだろう。蛭魔妖一はまもりに関して、彼女自身以上に深く理解していたのは間違いないが、通り過ぎた道に小石が落ちていても、前に歩く障害になるはずがないから気に留めなかった。さらに、もと来た道を振り返るのは蛭魔の気性からいって似つかわしくない。 このようにして、産み育てることに関して何の疑問も持っていないことが、確認された。 ***** ***** 「子供、欲しいと思う?」 「さてな。子供の方が産まれたがってるんだったら、拒む理由は無え」 胎児に自由意志があるはずもないのに、時として蛭魔妖一は奇妙な表現を用いる。 「いつまでも二人きりだったら、寂しかったりするのかな」 「あのな、無駄に悩む前に先手を打ってやるが、一組の男女がいて、仮に欲しいのにずっと授からなかったら、責任の半分、正確に50%は男にある。六四でも七三でも無え、正確に半分だ。まあ、故意にどちらかが拒んでたってんなら話は別だが。・・・たとえばこいつは、くだらねー話だがな、どっかの王室は、障害児が生まれた責任を妃に押しつけて母子を毒殺した、なんつー過去があるらしい」 「うん」 ありうることである。王の偉大な血統を正しく伝えなかった罪であろう。王の血に障害児が産まれるような劣弱な部分があってはならない、という論理である。 「だがなんで王を一緒に殺さねえ、不公平じゃねーか。・・・と、俺はそう考えてきた」 「・・・・・・」 「だからだ、テメーひとりが責任感じるような事態にはならねー。テメーが苦しい時ぁ、必ず俺も苦しいんだ」 これは気遣いではなくて、事実。 「ん、一緒・・・ね」 「ただし、陣痛は例外だ。それだけは共有すんのは無理だ」 「くっ、ふふふ・・・」 「おい、そこでなぜ笑う。せっかく俺が百年ぶりぐれーに真面目になってやってんのに」 「だって、陣痛って・・・ふふふ・・・」 こんなとき、笑うのを止めもせずに聞いているあたりは、蛭魔妖一がまるくなったのか、それとも特別な相手だから、無意識に気遣っているのか。 笑い声がおさまると、また彼女の声に、心配性の酒精分が混じってきた。 「それで、妖一はどうなの?欲しいと思ってる?」 彼女の心配性は常に他人に対して発揮される。自分の心配をしろ、と言っても効果がない。なので、彼女が自身の未来図についてあれこれ心配するのは珍しい。しかし、今や彼女の将来はそのまま蛭魔妖一の将来なのだから、彼を案じれば必然的に自分自身を見つめることになるのだった。 さて、今回の彼女の心配は「彼は欲しいと思ってて、もし授からなかったらどうしよう」というものらしい。どうやって彼女の心にかかる霞をはらってくれようか。 「産まれないとする。俺はテメーを独り占めできる。問題無えな」 「う、うん・・・」 「産まれたら、俺は母子とも独り占めできる」 「変わってないじゃない!」 「そのとおり、変わってねえ。わかるか。テメーの心配事ってのは、その程度だ」 つまり「そんなの杞憂だ」ということなのだが、直截的な言葉にしても、「妖一は優しいから気遣ってくれてるんだ」などと幸せな過大評価から不幸な誤解が生じるだろう。こうして一笑に付したほうが、真意が伝わる。 「うー、なんかくやしい。いいもん。わたしがお母さんになったら、赤ちゃんはわたしが独り占めしてやるんだから」 ・・・蛭魔妖一の愛妻は、一笑に付されて、黙って引き下がるほどに従順ではない。 「途方も無えアホだな。テメーが子供を独占しても、俺がテメーを独占するんだから、結局俺は子供を独占できるだろが」 「ひどい!身勝手!悪魔の三段論法!」 「『悪魔の三段論法』か。響きはまあまあだ。もうひとひねり」 ********** 「・・・ええ!最初ッから容赦なかったの!?妖一兄」 「ええ、そうよ」 「うわあ、すごーい」 「やるねえ。まだ学生の頃から、二人分の人生背負う気でいたんだ。いや、自分を含めりゃ三人か」 病院の面会の台帳には「露峰」と「瀧」とある。他の字は無いので、偶然重なっただけらしい。 「これが生半可な男なら、後先考えない好色バカの無責任な行為だろうけど・・・」 「妖一兄に限って、それはないでしょ」 「あら、あの人が自分勝手で無責任なのは相変わらずよ?」 えんえんと続きそうな鈴音とメグの賛辞を、まもりが遮った。 「そなの?」 「その割には大事にされてるんじゃない?」 「うーん、それはね・・・ちょっとちがうの」 「というと?」 「あの人の中で、こう、『自分』と『他人』の境界線があるとするじゃない?」 すい、と指で宙に線を描く。 「うんうん」 「で、あの人は自分勝手だから他人に迷惑掛けるでしょ?でも、あの人の中で『自分』の側に入っちゃってる人には、いかにあの人でも迷惑掛けられない。自分で自分に迷惑掛けるなんて、変だものね」 「あー、わかった。つまり、あの男の考えでは、あんたは既に自分自身の一部になっちゃってる、と」 「そ、あの人自身も同様」 「一心同体だぁ!」 「まーもーりーちゃん?あんたそれで惚気ていないつもりなのね」 「え、いや、そんな、のろけだなんて」 「やー!聞いてるこっちが恥ずかしい!」 より正確を期するならば、蛭魔妖一の中で「自分」と「他人」の境界は気分や状況によって変わることがある。瀧鈴音がデビルバッツのメンバーと一緒に、「蛭魔妖一」の側に取り込まれたことがあると、まもりは知っている。いつか、鈴音自身も気付く時がくるだろうか。 ********** 「俺の目指すところに行くためには、あの女がどうしても必要だからな。実際、ぶっ倒れられたら困る」 「そうだろうそうだろう。もし倒れたら、全てを放っぽって駆けつけるだろう、お前は」 「そういう意味じゃねえ、戦力が落ちるという話をしてるんだ」 「そりゃ、姉崎がいるといないとじゃ、蛭魔妖一のモチベーションはずいぶん違うからな」 「だからそういう意味じゃ・・・ま、いい。とりあえず、俺のモチベーションを上げる要因をもうひとつ作ってくれるっていうんだから、利用しない手はねえ」 「つまり、生まれてくる子供に、お父さんの格好いいところを見せてやりたいと」 「テメーな・・・」 真面目に相手する気が無いムサシと、生真面目な妖一。いつもと逆。たまにはこんなこともある。 「ひとつ訂正を求めておくぞ」 「なんだ」 「全てを放っぽって駆けつける、なんて言いやがったな」 「ああ」 「さて、ここで問題だ。あの女が道端でつまづいたら、俺はどうするか」 ここで言う『道端』には、文字通りの意味と、比喩としての意味があるだろう。たとえば人生の道程、などの意味が。 「手を差し出す?」 「はずれ」 まずは、常識的な答を言ってみた。結果はムサシの予想通り。 「一緒に倒れこむ」 これはどこかで聞いた話だ。ムサシが知る回答は、確かこれだった。 「それもはずれだ」 「してみると、正解は?」 「『ほっといて先を急ぐ』・・・だ」 「それはまた」 「そうすりゃあの女のことだ、すぐ立ち上がって、必死で追いかけてくるだろーが」 「・・・なるほど」 自信家だな、とは言わなかった。その自信は過剰ではない。蛭魔妖一の言は事実だろうから。 「追いついてきたら、手くらいつないでやるか」 「ほお、そりゃお前らしくないな。歩みが遅くなるんじゃないのか?」 「それがそうでもねえんだ。まったく面白えことにな」 「うん?」 「ひとりで走るよりも二人三脚の方が速いとは、ちょっと前までは思っちゃいなかったぜ」 「そうか、そいつはどえらい発見だ。生きてると退屈しないってのは本当みたいだな。で、三人四脚になったらどうなる?」 「さあ知らねえ。もっと速くなるのか、変わらねえか、少しだけ遅くなるのか、ま、工夫次第だな」 |
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