草笛 自然との接点
自然との接点とか、自然からの贈り物などと云われる草笛ですが自然とは何でしょう。
私たちの体がどのぐらいの分子が集まって出来ているのかはよく知りませんが、多分、一億の一億倍の又一億倍のその又何十倍か何百倍かになるのだと思います。
山へ登るとき千メートル登るのは容易でありませんが、車で走っても千キロはなかなかの距離です。光の速度は1秒間に約30万キロ、私たちが表面にへばりついて生きている地球を七周り半する早さだそうですが、その光速度で太陽系を出、2年も3年も進んでも星らしいものは見当たらないようなのです。
地球に生命が誕生してから何億とか何十億とかの世代を重ねて今があるのでしょうが、地球に大気が存在し、水があり、酸素が有り、諸々の特性が備わって初めて生命が生き延びて来られたに違い有りません
自分自身の誕生を考えてみても、自分がこの世に生まれたことにより生まれることが出来なかった兄弟たちが何億もいるのです。
地球という星があり、幸運に恵まれた条件が整い、生命が生まれ、様々な進化を遂げ、そして今生まれたという、云ってみれば宝くじの特等に何千億回も当たるような幸運が重なって今が有ると云う外ありません。
それほどの恩恵を与えてくれた自然に対し、私たちは日常的に感謝して生きているでしょうか。時に「自然を征服する」とか「自然を保護する」とか、思い上がっていないでしょうか。私たちは文明が進むほどに、自然の大きな懐に抱かれて生かしてもらっていることを忘れて行くような気がします。
草笛を初めて吹こうとするとき、いくら力んでも息が切れるばかりでさっぱり音になってくれません。ところが何回も何回も葉に触れ、葉と仲良くなる頃、ちょっとした拍子に音が出るようになるのです。そして又音が出なくなり、あれこれやっているうちに又出る、こんなことを繰り返しながらやがて何時でも音が出るようになり、音階が吹き分けられるようになります。
これは純粋に技術の問題ですが、長い時間苦闘している間に様々なことを考えます。考えることが良いのです。『生きているとは何か』から始まり、やがて『生かされている』に至ります。
もう一つ、木の葉にしても草の葉にしても「どのような葉を使ったらうまく吹けるだろうか」というところから植物を知ろうと努力します。知るほどに植生の豊かさに驚き、進化の過程に思いを馳せ、やがて彼らも自分と全く同じ命を宿していることに気付くのです。
自然科学についての知識が有りませんので勝手な推量ですが、よく「セミは7年も地中にいて、やっと地上に出てきたと思ったら僅かな日数で死んでしまう、可愛そうに」と言うようなことが言われます。しかし、一生を土の中で過ごす生き物は無数に居るでしょうから、地中での暮らしが不運とは全く決められません。 これと同じように、人間とその排泄物を食べるウジムシと比べ、人間のほうが幸せと誰が言えるでしょう。
生まれてから30日で死んでしまう虫が居たとして、「短い生涯だなあ」と思いがちですが、虫に考える力が有ったとして彼らは「短い生涯だ」と思うでしょうか。
多分、私たちが実感する一生も30日しか生きられない生物が実感する一生も、1万年(仮に有ったとして)生きられる生物が感じる一生も、余り変わらないのだろうと思われます。
進化の過程で様々な形に分かれてきたとはいえ、夫々の命は、夫々に満ち足りた喜びに包まれて生涯を過ごすのではないでしょうか。人間だけが『幸せ』のはずが有りません。
種から芽生え、これから成長しようという、花も咲かないうちに摘み取られてしまう草はたくさん有りますが、例え数十日でもこの宇宙世界に生まれ出ることが出来たという幸せは何物にも代えがたい尊さを持っているに違いありません。
木漏れ日を浴びて一人草笛を吹いている時等、どうしてもそう思えるのです。
『一枚の葉を唇に当てて息を吹く』物理的には単なる葉の振動に過ぎないのですが、その響きは耳に懐かしく、唇に伝わる震えは無上の心地良さを伴います。
何事も思い様で同じかも知れませんが、生きている葉と共に有るためか、そこは宇宙の深淵の入り口です。
命と命、心と心を結ぶ『響きの糸』が次々に生まれ、生きていることの嬉しさ、喜びを分かち合うことの、その歓び。 多くの友と合奏しても、たった一枚の葉と二人だけの時間で有ってもその先に無限の命のつながりを実感するのです。
このページについての感想をお聞かせください。
E-mail m_tadahirojp@ybb.ne.jp