EPS闘病記録

腹膜洗浄中にEPS(被嚢性腹膜硬化症)と診断されたmamajoの個人的記録です




【EPS-被嚢性腹膜硬化症】

EPS(被嚢性腹膜硬化症)はCAPD(腹膜透析)の重大な副作用です。

EPS(被嚢性腹膜硬化症)はCAPD(腹膜透析)が続けられなくなるばかりか、
腸に強いダメージを生じ、
口から一生、食べ物はおろか水も飲めない状態になる病気です。
実際に口からの食べ物の摂取を諦め、埋め込みポートからの点滴を選択した方もおいでになります。


初期の場合はステロイド等で抑えられるケースもあるそうですが、
完全なEPS(被嚢性腹膜硬化症)と診断されてしまったら、今のところは腸管剥離術という特殊な手術を受ける他はなさそうです。
この手術を行えるのはごく限られた先生方で、しかも10時間から16時間を超える手術となります。

私の周りには絶飲食のまま、水を飲むこともできず点滴だけで数年間を過ごし、その後亡くなったケースもあります。
また、手術を受けることなく痛みを訴えながら亡くなったケースも目の当たりにしています。

それどころか、EPSと診断がつかずに消化器科や外科をたらい回しにされているケースもあります。

これらは「CAPDの重大な副作用」とひとことでは片付けられない事実だと思うのです。
しかもこの病気を確実に防ぐ方法が確立されていないこと、検査やデータではEPS(被嚢性腹膜硬化症)を予兆しきれないことなどが厄介です。

この恐ろしい病気の現状をCAPD(腹膜透析)を導入予定の方にも、CAPD(腹膜透析)に関わる医師にもぜひ知っていただきたいと このサイトを立ち上げました。


(EPS-被嚢性腹膜硬化症についての医学的に詳しい説明は、手術を受けた土谷総合病院のサイトを参照ください)
http://www.tsuchiya-hp.jp/hpt/tty/jinsikkan_eps.htm


【私はなぜCAPDを選択したか】

透析導入は1994年9月、その前年から家庭でのサイクラー使用に保険が効くようになったことから、
最初からBaxter社のサイクラー「パックX」でのCAPD(腹膜透析)を選択。
その後、Baxter社の「ゆめ」を使用してHD(血液透析)移行までCAPD(腹膜透析)を続ける

1994年当時、通院していた病院の血液透析は、当時の透析婦長の方針だったのでしょうか、
一日の飲水制限を300ccと厳格に守らされたり
透析中に体を動かすとすぐに機械の警告音が鳴り響き、そのたびに強く叱られたり
また、透析日の変更は近親者の葬儀のみ、、、娘さんの結婚式への出席も諦めた方がいたり
なによりも私にとって不可解だたのが患者同士の情報交換禁止というもの。

透析導入直前の患者が情報を得ようと透析患者とお話ししていると
当時の婦長が飛んできて
「患者同士の情報交換はやめてください」と咎められた経験を持ちます。

また、更衣室が男女別れていなかったので、カーテンで仕切って欲しいと要望したら
「患者のくせに生意気」と却下されたように
すべてにおいて、透析患者を人間としてみていなかったことに対する不満があり、
自宅でできるCAPD(腹膜透析)を選択した次第。


【長期CAPDになってしまった理由】

1.清潔操作を確実に守り、腹膜炎を起こさなかったこと

2.医師の注意を守り食事制限をかなり厳しく守っていたため
リン以外の検査数値に問題が無かったこと

3.PET(腹膜平衡試験)のカテゴリーがずっと「Low Average」だったこと。
中皮細胞診の結果も、むしろ前年よりも、大きい細胞の数や変形細胞の数が減っていたこと。

4.水の許容範囲が上下ともに少なく、少しの脱水でも脳虚血を起こす私には
ドライの厳しいHD(血液透析)は向かないだろうという医師の判断

5.それに何よりも、「これだけ長く続けられたのはよっぽど管理が良かったのですね」
というお褒めの言葉と
「もしかしたら長期CAPD(腹膜透析)の記録ができるかも」などという業者の方のおだての言葉。

6.導入当時(1994年)からHD(血液透析)に変更するまでEPS(被嚢性腹膜硬化症)に対する説明を受けていなかったため、
EPS(被嚢性腹膜硬化症)の危険性、特に腸に症状が出るということを自覚できていなかったこと。

7.一度、体験した禁止事項の多い規制ばかりのHD(血液透析)の恐怖からのHDトラウマがあったこと。

これらが重複して、CAPD(腹膜透析)13年という長期になってしまったのです。
もちろん、6の「EPS(被嚢性腹膜硬化症)についての詳しい説明を受けていない」や7の「HDトラウマ」が根本的な理由ですが
特におだてに乗りやすい私は5の「誉められること」に快感を持っていたのと
3のPET(腹膜平衡試験)や中皮細胞診の結果が良好だったので安心して続けていたことが大きな理由です。
同じような理由で長期PDになってしまった方は他にもいらっしゃるのではないでしょうか。
2007年7月、土谷総合病院で一緒になった同年輩の女性も、元看護婦さんということで
「清潔操作はもちろん、PETや中皮細胞診の結果は問題がなかった」とおっしゃっていました。
多分、この方は私よりもかなり重症で腸のバイパス手術も提案されていました。



【EPSのはじまり】

2007年1月に腎臓ガンによる手術のため、HD(血液透析)へ変更するまで何度かのカテーテル口感染を経験したものの
腹膜炎の経験はせずにすむ。

HD(血液透析)移行後は、一日一回の腹膜洗浄を続ける。

今、思うと、、、ですが

最初のイレウスを起こす半年前(2006年11月頃)、右下腹部にキリッという痛みが走ることが
たまにあった(結局、そこが一番、癒着していた)

2006年12月頃から大きなフィブリンが排液の中に混じるようになる

しかし、同じく2006年12月に受けた中皮細胞診も、前年の結果よりもむしろ大きい細胞の数や変形細胞の数が減っていたことなどから問題がなく
PET(腹膜平衡試験)のカテゴリーも「Low Average」だったため、私もCAPDを診ていた横須賀の病院でもEPSを疑うことはしなかった。

2007年4月頃から注排液に極端に時間がかかるようになり、透析液にヘパリンを混注して腹膜洗浄を続ける
この頃までCAPD外来は横須賀の病院で受けていたが、PTX((副甲状腺摘出術)、腎臓ガンによる右腎臓摘出、シャント手術を受けた虎の門病院に拠点を移す。

2007年5月、注液に時間がかかるため、ナースが透析液の袋を自分のお腹の下にはさみ込み、力ずくで押して注液する。

力を思いっきり入れての注入に驚いた私は「腸に負担がかからないか、大丈夫か?」と聞いたが、「大丈夫」との返事。

しかし、この時、右下腹に強い圧迫を感じ、また、このナースの行為は長期CAPD(腹膜透析)で劣化した腹膜や腸に過大な負担をかけたに違いない、、、と考えている。

その夜、激しい腹痛。

ナースコールで「激しい痛みを訴える」が、お当番の消化器の先生が診察、レントゲンを一枚撮りあまり変化は現れていなかったので様子を見ることに。

あまりの痛みを再度、訴えると「カロナール」の痛み止めを処方される。

痛み止めは効かず、何度も痛みを訴えたがナースに「がまんしろ、騒ぐな」と言われる。

今、考えると、最初のイレウスを起こしていたわけで、この時ほど苦しく辛い思いをしたことは無かった。

あまりの痛みに入院中のベッド上から携帯で救急車を呼ぼうとさえ思った。

痛みはどんどん激しくなり冷や汗をかき、また嘔吐を繰り返すようになる。

「騒ぐな」と言われても、口からどうしても、うめき声が漏れてしまう。

仕方が無いのでタオルを口にくわえ、それを思いっきり噛みしめて我慢を続けた。
翌朝、タオルはボロボロになっていた。

翌朝、腎センターの医師が診察。レントゲンで大量のニボーを確認。
イレウスと診断。

この時、はじめて私の痛みを理解したのか当のナースから「我慢させて申し訳なかった」と謝罪があった。

多分、CAPD(腹膜透析)患者の突然の腹痛なので、このナースは「腹膜炎」とたかをくくったのであろう。

CAPD(腹膜透析)の患者が突然、激しい腹痛を起こしたらこれからはEPS(被嚢性腹膜硬化症)も疑って欲しい。

EPS(被嚢性腹膜硬化症)によるイレウスを一晩「騒がないでください。周りの人が驚いてしまいます」といわれ我慢させるような野蛮なことを
もう、二度としないで欲しいと思ったが、後にもこの病棟1階では残念ながら同じような我慢をさせられることになる。

胃チューブでお腹の圧を下げてもらい、痛み止めのソセゴン注射でやっと楽に。
その後、造影CTを受け、EPS(被嚢性腹膜硬化症)を疑われる。

食止めを数日間、その後、食事を五分粥食に戻すと再度、腹痛。
これを数回、繰り返したことと、造影CTの結果、EPS(被嚢性腹膜硬化症)と診断される。


【EPS(被嚢性腹膜硬化症)診断後】

痛みは突然、襲って来る。

今までに経験したことの無いような激しい痛みで、波状的に押し寄せてくる感じ。

痛みの状態で一番、近いと思うのは陣痛の一番強い段階。これが延々と続く。

すぐに痛み止めのソセゴン、アタラックスPを血管内に点滴で落としてもらい
落ち着く。

ただし、激しい痛みがすぐに繰り返すことも多く、何度も痛み止めの点滴を必要とすることがある。

私の場合は、割とスムーズにすぐに痛み止めを打ってもらえる状況だったのだが

一度だけ、ソセゴンの痛み止めを我慢させられ、一晩辛い思いをさせられたことがある。

ベッドの都合で4階から1階へ病棟が変わった翌日、申し送りがきちんとされていなかったのか、ナースの勘違いか
イレウス症状を起こし痛み止めのソセゴンを要求したのが、カロナールの服用でごまかそうとする。

「カロナールでは効かない旨と今まではソセゴンの点滴でしのいできたこと」を訴えたのだが信じてもらえず
そのまま一晩、痛みに苦しんだ。

またしても1階。

ここでもEPSによるイレウスの辛さを、ナースがきちんと理解していなかったために起きたこと。

CAPDを実施している病院のナースはきちんとEPSの辛さを把握して欲しいと思っている。

痛みが起きた時は、飲食止めとソリタT4にビタミン類、ブドウ糖などを加えた液を24時間点滴で落とす。

食止め、補液で腸を休めることでイレウス症状、腹痛は緩和。

流動食、低残渣食、五分粥食と進めたところで再度、腹痛、イレウス症状。
これを何度か繰り返し、腸管剥離手術を受ける決心をする

2007年7月1日、腸管剥離術を受けるため広島の土谷総合病院へ転院。

手術のための前検査、注腸、小腸造影などを受ける

手術の前処置で一番辛かったのはイレウス管の挿入。
担当の外科の先生が1時間以上もかけて挿入しようとしたのが、鼻の穴を通らず
次々に他の外科の先生方が来ては試したものの、入らず、、、
3時間かけて入ったところが
鼻の中にたくさんの傷をつけてしまい、発熱、、、
結局、抜くことになり
手術も1週間延びてしまった。

2007年7月24日、腸管剥離術実施、前処置を含め10時間近くの手術となった。

入院中は夏休みを利用して主人が1週間、息子が1週間泊り込みで付き添ってくれたのは とても心強かった。

2007年8月31日、常食を食べられるようになり土谷総合病院を退院。
食事が取れるようになったのは、大変な喜びであった。
なにしろ、手術前約2ヶ月、手術後約1ヶ月、合計3ヶ月近くは絶食が続いたのだから。

この広島土谷総合病院の看護体制は見事で、医療的には清潔操作などで少し疑問が残るが
精神的なケアは今まで入院経験のある他のどの病院よりも優れていたと思う。
何よりも看護婦さんたちの人柄が明るく暖かく、とても親切だったのには驚かされる。
土地柄なのでしょうか。これは、こちらから行った入院患者の殆どが感じていたと思う。

手術後はノルバデックス100mgが手術をした土谷総合病院から 処方される(術後1年間の服用、私の場合は2008年7月27日に服用が終了した)

ノルバデックスは本来、乳ガン手術後の患者に与えられる抗がん剤だが、腸の再癒着を防ぐために処方されたらしい。
ノルバデックス本来の治療目的で使用するのではないので、自費扱いだった。(一日分、一錠500円)

しかし退院後、1週間ほどでイレウス症状が再発、虎の門病院へ入院、1週間ほどの食止めと補液で回復。

上記の症状を一ヶ月に一度ぐらいの割で繰り返し、一ヶ月に一度の入院を余儀なくされた。

激しい腹痛にはソセゴンの点滴、後は絶飲食で腸を休め補液で対処。
一週間ほどで回復。その後、流動食、五分粥食で様子を見て退院ということが多い。

2008年2月、この頃、自宅にて激しい腹痛を起こし救急車で腎センターのある近くの病院へ搬送される。
病院の救急外来にて急患担当の内科の医師の処置を受ける。
虎の門病院で診てもらっていること、EPSでイレウス症状を起こし、
激しい痛みの時はソセゴンの点滴でしのでいることを言ったが
多分、EPSをご存じなかったようで

「ソセゴンでごまかしてばかりじゃ駄目です。ちゃんと治療するなり手術するなりして治さないと駄目じゃないか」

と怒られた。
腎センターのある内科の医師でさえEPSのことは知られておらず、このように患者は痛いだけでなく
嫌な思いをしなければならない現実を腹膜透析の透析液の業者は知っているのだろうか。

それ以後は激しい腹痛でもタクシーか自家用車で1時間かけて、かかりつけの虎の門病院まで
行くことにしている。

嬉しいことに虎の門病院の主治医は、土日を含め、いつでも嫌な顔ひとつせず対応してくれるのでとても助かっている。

上記の症状を繰り返していた2008年2月頃
腸の炎症を下げようと服用したユナシン、フルマリンの副作用で激しい下痢。

一日に何十回もの下痢が続き、透析中も何回も切り離してトイレに駆け込む状況が続く。

そのうち、トイレも間に合わないことが多く、尿取りパットを当てていたが、
それも間に合わなくなり自分でおむつを付ける。

下痢は10分置きになり、真緑の不思議な液体が球状(油状)の雫にになって出る。

160cmの身長で48kgだった体重が40kgを切り、脱水状態でふらふらに。

この頃は、もう一生口から食事をとる事を断念していた。

そのような状況で直接診てくれていた担当医と主治医との意思の疎通がいまひとつだったのか、
土日だったこともあり医師に状況が伝わっておらず、ヒステリックに「主治医への連絡」を訴える。

日曜日の夜遅くに主治医が来てくれて、それまでの薬の服用の中止と下痢止めの措置、クラビットの服用を指示。

その後、IVHから点滴と絶食。それでどうにか回復。

腹痛を繰り返しながらも3月末に退院。

しかし退院後すぐの4月2日、激しい腹痛、レントゲンで多数のニボーを確認し、再入院。

IVHからの補液と食止め、その後、流動食。

2008年4月、この頃から主治医の下に付いて下さった新しい担当医は、
朝晩の回診をはじめ、まめに患者と接触してくださるのと
何よりも主治医との連絡を密にして下さるので、
患者として自分の言いたいことを100%訴えることができ、精神的にかなり安定した。

5月、流動食と点滴両方からの水分過摂取のため、透析の時の除水が多くなり4時間で5kg、翌々日は4kgと
大量の除水を続けたら透析後、夜、狭心症の発作を起こす。

これは、絶食が続き栄養不足でアルブミンが2.5を切ってしまうような状態だったので
足の甲などにむくみが残ってしまう状態でも、血管内は脱水になってしまい、
除水がうまくいかなかったことも関係していたようだ。

この時、胸が苦しくてナースコールを押すがなぜかすぐに切られてしまい、何度押してもキャンセルされてしまったので
見かねた手術後すぐの同室の方がご自分のナースコールを押してくれた。

やっと来てくれたナースに苦しさを訴え、ナースコールが壊れている旨を話したら、
「具合が悪く上の空で押したのでちゃんと押せてなかったのではないか」とのこと。

確実に押してキャンセルされてしまったことを訴えたが、信じてもらえなかった。
実際、ナースコールをキャンセルされてしまうので、自宅に電話をして相談したのは確かなので、上の空というのもにわかには信じがたい。

多分、それまで元気だった私がコールしたので「後で良い」と考えたナースが、ひとまずキャンセルをしたのだろう。
同室のナースコールを押してくれた患者は手術後すぐだったので「大変だ」ということで、すぐに来てくれたのだと思う。
それまで元気な患者でも、突然、様態が代わるのが患者、、、医療者なら肝に銘じて欲しい。

その日はそのまま個室に運ばれ、ベッド上安静の措置がとられた。

その後、諸々の心臓の検査の結果、心臓には問題がなく、過除水による狭心症だったいうことに落ち着き、過除水の帳尻を合わせるため 土曜日に一回、透析を増やし週4回透析することで対応した。

2008年6月、この頃になるといままでのイレウス症状での痛みでなく、癒着した腸が食事を取ることにより擦れて痛み、炎症、発熱などを起こすようになる。

痛み、熱発は午後、、、38度から39度の熱を夕方から起こし、かなりぐったりすることが多かった。

熱にはカロナールを服用、腹痛にはブスコパンの点滴、ソセゴンやアタラックスPの点滴で対処した。

今までは少し改善すると退院していたのを、今回だけは粘り強く治療してもらい
食事も取れるようになり
腹痛も痛み止め(ソセゴン、ブスコパンの点滴)ですぐに回復するようになったので
2008年2月から続いた入院だったがその年の8月に退院。

自宅に戻った後は、腹痛には維持透析施設及び病院にて痛み止めを受けることで
対処し、熱には入院時と同じくカロナールを処方してもらい対処。
激しい腹痛で無い時は、一食か二食、食事を控えることにより回復。
自宅での生活でもどうにか対応できるようになる。

しかし、9月、10月とそれぞれ数回、腹痛を起こし、入院、食止め点滴を繰り返している時
「流動食でずっと行くことも考えたら」という提案を受け、非常にショックを受ける

嬉しいことにその提案は、ひとつの案であるだけで、主治医や担当医の方針では無いことが判明
私としても、一ヶ月に一度ぐらいの腹痛や入院は構わないので、なるたけ口から栄養を取っていきたいと 希望をはっきりと伝えた。

その後、2008年11月頃からシプロキサンの服用により、炎症反応も下がり
熱も全く出ることがなくなり、腹痛も殆ど起こすことはなくなった。

食事はイレウス食から炎症性腸疾患の食事に変え、
朝食と昼食のみにして夕食は抜いてお腹を休ませることにより、
よほど消化の悪い物以外は食べることが可能になった。

2009年1月現在、腹痛はたまに起こることはあるが、以前のような強烈な痛みではなく
数日間の絶食、点滴で回復するようになっている。

抗生物質シプロキサンは2008年11月から服用を続けているが そろそろ一度、切る話も出ていて、シプロキサン服用を中止したらどうなるか、、、かなり不安を持っている。


【今の気持ち】

私がCAPD(腹膜透析)を導入した1994年は、はっきりとしたEPS(被嚢性腹膜硬化症)ということは言われていなかった。
CAPD(腹膜透析)を選択したのも私自身ですし、当時、導入して下さった先生方を責める気はありません。

しかし、CAPD(腹膜透析)導入から数年後、EPS(被嚢性腹膜硬化症)の怖さが判明してきた時に、医師も業者も説明してくれなかったことは少々、不信感を持っている。
その段階で、なぜ、詳しい説明が無かったかが一番の不満。

最近こそ、自社の冊子でEPS(被嚢性腹膜硬化症)を説明するようになりましたが、当時、まったくEPS(被嚢性腹膜硬化症)の情報を患者に明らかにして来なかった業者には強い憤りを感じます。

特に腸にこれほどのダメージを受けること、食事が取れなくなること、激しい痛みを伴うことなど
ぜひ、説明が欲しかった。

またPET(腹膜平衡試験)の結果や中皮細胞診等の検査で異常がなくても、腹膜炎を起こさない患者であっても
除水に問題がなくても、EPS(被嚢性腹膜硬化症)は起こりうる
ということを、
今現在CAPD(腹膜透析)を実施している患者も
医療者にもぜひ知って欲しい。

また、私の周りの何人かはCAPD(腹膜透析)実施中は問題が無いことが多く、HD(血液透析)移行後に EPS(被嚢性腹膜硬化症)を発症していることも知っておいて欲しい。
特にHD(血液透析)移行後の発生だと、PD(腹膜透析)を診ていた病院から透析施設を変わっている場合も多く
患者の実態を把握できてない場合もあるのではないかという危惧を持っている。

HD(血液透析)移行後数年経ってもEPS(被嚢性腹膜硬化症)発症の危険が少しでもあるのなら
CAPD(腹膜透析)経験者の追跡調査はぜひ必要だと思うし、CAPD経験者の腹膜の検査は継続する必要があると考える。

CAPD経験者のデータは全て、透析液の業者が持っている筈なので、その責任として追跡調査の実施に力を貸すべきだろう。


お世話になった土谷総合病院のEPSのページの最後に
「すでにEPSは致死的な合併症でなく完全に克服された病態であると断言されます」とありますが
これは、土谷総合病院のように日ごろより予防に心がけ、また手術の可能な病院でこそ言えることだと思います。
死に直結することはなくなったかもしれませんが、実際には、まだまだ苦しんでいる患者は多いのです。
また、手術を受けることができても、いつ再発するか、いつ発症するか不安に思っている患者も多いのです。

EPS(被嚢性腹膜硬化症)は腹膜透析が続行できなくなるだけでなく、激しい腹痛と度重なる食止めによる栄養不良を伴います。

CAPD(腹膜透析)医療に関わる医療者、
CAPD(腹膜透析)透析の業者、
今現在もCAPDを薦めている医師、
そしてCAPD(腹膜透析)を支援している機構の方などは
その責任として、ぜひ、EPS(被嚢性腹膜硬化症)に対する治療方を研究して欲しい。

これからもCAPD(腹膜透析)を薦めるのなら、確実なEPS(被嚢性腹膜硬化症)の回避方法を確立してからにして欲しいと考える。
せめて「EPS(被嚢性腹膜硬化症)はCAPD(腹膜透析)による重大な副作用」であること、「EPS(被嚢性腹膜硬化症)は腸に重大なダメージをもたらす」ことを、きちんと患者に説明して欲しい。


EPS(被嚢性腹膜硬化症)は強烈に痛いです!

EPS(被嚢性腹膜硬化症)は本当に辛いです!