●1970年 3月 27日
アフリカ系アメリカ人とベネズエラ系の血を引く宇宙工学技術者の父・アルフレッド・ロイ・キャリーとアイルランド系移民族の子として生まれたアイリッシュ系の血を引くオペラ歌手、母・パトリシア・キャリー(旧姓ヒッキー)の間に生まれる。黒人系の血を引く肌の白いマライアは、幼い頃から数々の人種差別の問題に直面し辛い経験をしてきている。

マライアには10歳も年の離れた兄姉がいる。今現在は、兄は身体に障害を、姉はHIVに感染しているという状況である。兄は,マライアがデューする前の音楽活動に協力し、またマライアは姉に代わって甥の面倒見るという、そこには素晴らしい兄弟愛があるようだ。〜と思ったら、姉(アリソン・キャリー)がマライアの暴露本を出版!?!?!。やれやれ。。。が、ここで母パトリシアが姉に一喝!マライアと姉はマライアが3才の頃から一緒には住んでいないし、事実無根だと主張!これで姉の暴露本の出版予定はなくなったようだ。〜〜〜1973年、マライアの両親は人種差別などの問題から夫婦生活も上手くいかなくなり、またいろいろな状況が重なって離婚。マライアは母パトリシアの元へ。兄姉は父アルフレッドの元へ。後に母パトリシアは再婚。マライアと母パトリシアは本当に仲が良く、マライアにとって母は時にベストフレンドであるみたいだ。その仲の良さはビデオでもうかがえる。〜〜〜後にマライアはひとりでニューヨークへ、ウェイトレスなどのバイトをしながら、友達ふたりと同居し、音楽活動に励む。マライアの友達はちょくちょくマライのビデオ・クリップに登場しています。

●1988年
マライアを成功に導くきっかけを与えたともいえる恩師、シンガーのブレンダ・K・スターのバックコーラスを勤める。その年の11月、コロンビア・レコード会社社長トミー・モトーラ氏の出席するパーティーに、ブレンダに連れられてマライアも出席。そこでトミー・モトーラにデモ・テープを渡すチャンスを得た。パーティーからの帰り路、リムジンの中でマライアから手渡されたデモ・テープを聴いたトミー・モトーラは、急遽パーティー会場へと引き返すが、マライアは既にいない。このエピソードは超有名。そう、ここからマライアのシンデレラ・ストーリーは始まるのである。翌日、マライアはトミー・モトーラと連絡が取れ、この年の12月、CBSコロンビアと正式に契約が成立。

●1990年 6月 2日
記念すべきデビュー・ーシングル『VISION OF LOVE』が全米ビルボードチャートHOT100に73位で初登場。この月の30日、デビュー・アルバム『MARIAH CAREY』が全米ビルボード・アルバム・チャートに80位で初登場し、じわじわと上昇し始める。

●1990年 8月 4日
デビュー・シングル『VISION OF LOVE』がじわじわと上昇し始め、遂に全米ビルボードチャートHOT100で堂々の1位(4週連続)に輝く。

●1990年 8月 22日
デビュー・シングル『VISION OF LOVE』とデビュー・アルバム『MARIAH CAREY』で遂に日本デビュー!!!(同時発売)

●1991年2月
第33回グラミー賞にて、新人賞最優秀女性ポップ・ヴォーカル賞を見事受賞!その後デビュー・アルバム『Mariah Carey』が全米11週連続No.1を記録するロング・ヒットとなる。

●1993年 6月9日

コロンビア・レコード会社社長 トミー・モトーラ氏と結婚。

後に離婚。どうやらマライアは夫トミーの、ガードマンを付けたりとしつこい監視に自由になれないという不満があったようだ。トイレにまでも付いて来て相当窮屈感を抱いていたようです。トミーは音楽に関してはよく知っている人である(社長だから当たり前なのだが)、マライアが曲にラップなどを取り入れることには反対していたようだ。そしてマライアが映画に出ることにも反対していたらしい。こういうことからお互いの意見の食い違い生じたりして最終的に離婚に至ったようだ。このころ製作・リリースしていたアルバムが『BUTTERFLY』。これを機に、新しい一歩を踏み出したのである。同タイトルのシングル『BUTTERFLY』は自分に「自由に羽ばたきなさい〜」と訴えかけるように、その時の素直な気持ちを歌っているようだ。『BUTTERFLY』は日本でも大ヒットした『HERO』の次の段階を意味しているようです。

●1997年
ソニー系列のマライア独自のレコード会社『Crave』を設立。第一弾アーティスト、アルーアをはじめ、7マイルなどの新人アーティストを発掘しリリースさせた。アルーアのデビュー・アルバム『allure』は日本でも20万枚を売り上げるというすばらしい高成績を治めた。大健闘!!!
後の1998年、設立したレコード会社『Crave』を自主的廃業。

この頃、トミー・モトーラとの離婚問題など、いろいろな事情があったみたいだけど、本当の理由はおそらく、マライアの個人的な事情からだと思う。『Crave』はこのまま続けていてっも成功はしたと思うけど、マライアとしてはもっといろんなやりたいことに専念したかったのではないだろうか。その証拠に毎年アルバムやビデオなどリリースし、コンサート・ツアーを行ったりと、何かのかたちで私たちファンを楽しませてくれている。ん〜通常、洋楽アーティストとしては、年1枚のペースでアルバムを出すのは普通ではないかな。2年に1枚のペースでもかなり早い。それに、前は『今は興味がないと』と言っていた映画にも関心を持ち始め、演技の勉強をするため、学校にも行って、自ら指導を受けているようだ。既に映画『プロポーズ』では脇役をこなしている。

●1998年 11月 18日
全米ビルボードチャートの1位に輝いた曲だけを集めた、シングル・コレクション『THE ONES』を発表。日本だけでも350万枚以上を売り上げた。

新曲5曲に加え、更に『Without You』と『恋人たちのクリスマス』が収録されていて超お得!あまり聴かない人にも、私はだ〜いぶお勧めです!!!『THE ONES』はあくまでもシングル・コレクションでベストではないとマライア本人が主張しています。収録された曲を1位に導いてくれたファンへの感謝の気持ちを込めてのプレゼントだそうです。わかるかな〜。つまり、マライアはこの時点でベストを出すにはまだ早く、それにベストにするなら『BUTTERFLY』や『BREAKDOWN』も収めたいと言う希望があったようです。

●2001年4月
レコード会社「SONY」から「Virgin」へ移籍。最高額136億円でVirginと契約。この段階でリリースされるニューシングルとニュー・アルバム『GLITTER』は日本のみSONYからのリリースとなる。

●2002年1月22日
EMI系列レコード会社Virginがマライア・キャリーに解約金38億円を支払うことを発表。Virginへの移籍後、マライア初主演映画『グリッター』のサウンドトラックともなる第一弾アルバム『Glitter』が予想売上を大きく下回り、38億円の解約金で、Virgin側からの解約となる。

このアルバム『Glitter』発売直前(2001年7月)にマライアはハードスケジュールから来る精神的肉体的過労から体調を崩し入院(この時、ホームページに『今の私には休養が必要なの・・・』という内容のファンへのメッセージを残して失踪。入院に至ったのは翌日のこと。世界的に大きなニュースとなった。)。このことが原因かどうか(?)、海外でのアルバムリリースは3週間ほど延期となり(9月11日に延期、日本では予定通り8月18日のリリース)、結果、アルバムと映画のプロモーション活動を大幅にキャンセルせざるを得なくなる。そしてこのアルバム『Glitter』発売直後、さらにアメリカ・ニューヨークで同時多発テロが起こり、マライアはもちろんジャネット・ジャクソンのワールドツアーなど、各アーティストたちの活動が困難となる。この時期、マライアはまだ体調が不安定であったが早くもチャリティーにも参加し、活動を再開する。

※私のコメント〜 アルバム『Glitter』。マライアの初主演映画『Glitter〜きらめきの向こうに』のサウンドトラックともなるこのアルバムは80年代のミュージック・スタイルを取り入れ、またマライアの新しい一面が見えたと思ったのだが、今までにないほどファンの間では評価がはっきり別れた。これが声を聞くと”最悪の出来”という人もいれば、今までのアルバムの中では”一番好き”という人もいる〜〜〜アルバムタイトル”Glitter”。同時多発テロとほぼ同時期に”キラキラ光る、輝く”の意はちょっとタイミングが悪すぎたかもしれない。特にアメリカ国民にとっては、少なくとも日本人よりは意識するところだろう。これがチャリティーや復興などの活動を通し、未来へ向けての夢や希望といった意味で制作・リリースされていればと思う。このアルバム『Glitter』。少なくともマライアにとっては忘れてはいけない様々な出来事を思い出させる貴重な一枚となっただろう・・・。最後に私個人的な評価は・・・★Goodです!!!
   

●2002年後
  EMI系列レコード会社Virgin解約後、新たに The Island Def Jam Music Group よりマライアレーベルMonarC Islandを設立し、この年11月に第一弾アルバム『Charmbrecelet』をリリース!日本ではユニバーサル・インターナショナルからのリリースとなる。

契約以前にはマライアのコンディションダウン、アルバムの売上不振などから、最近のマライアは声が出ていないなどいろいろ囁かれていたが、移籍後の活動は目覚しく、即のアルバムリリース、今年(2003年6〜7月)日本をかわきりにワールドツアーを行うなど積極的に音楽活動に取り組む。一気に押し寄せた数々の不運を乗り越え、また一段と強くなったマライアとマライアの実力を見せ付けられた!
 
最終期日:2003.12.28
Billboard Hot 100 全米シングルチャート マライア・キャリー No.1ソング
年 月 N o . 1 ソ ン グ 収録アルバム
1990年08月
 11月
1991年
03月
5月
10月
1992年
06月
1993年
09月
12月
1995年
09月
12月
1996年
05月
1997年
09月
1998年
05月
1999年10月
2000年
02月
2005年
06月
12月
2008年
04月
Vision Of Love - デビュー・シングル (4週連続1位)
Love Takes Time (3週連続1位)
Someday (2週連続1位)
I Don't Wanna Cry (2週連続1位)
Emotions (3週連続1位)
I'll Be There (2週連続1位)
Dreamlover (8週連続1位)
Hero (4週連続1位)
Fantasy (8週連続1位)
One Sweet Day (16週連続1位-史上最長記録)
Always Be My Baby (2週連続1位)
Honey (3週連続1位)
My All (1週1位)
Heartbreaker (2週連続1位)
Thank God I Found You (1週1位)
We Belong Together (計14週1位)
Don't Forget About Us (計2週1位)
Touch My Body
Mariah Carey
Mariah Carey
Mariah Carey
Mariah Carey
Emotions
MTV Unpugged EP
Music Box
Music Box
Daydream
Daydream
Daydream
Butterfly
Butterfly
Rainbow
Rainbow
Mimi
Mimi (Deluxe Edition)
E=MC2

デビュー曲『Vision Of Love』〜『Thank Got I Found you』までは『Greatest Hits』にも収録されています。