僕はその日が来るのを何ヶ月も待っていた。2004222日。「Against SDF Dispatch to Iraq!! Party Demonstration」というイラク派兵反対デモ。退屈で、お行儀の良いデモではなく、サウンドシステムから流れる音に身をまかせる、ストリートパーティーのようなデモ。色々な場所で、体験者から、主催者から、そのデモについての噂を耳にしたり、読んだりしていた。パーティーデモ、サウンドデモとか言われる、日本ではまだ新しいデモに参加をしたいとずっと思っていたが、ちょっとしたすれ違いで行けずにいた。今回は一週間近く前から開催を知り、まだかまだかとその日が来るのを待っていたのだ。

少し話を迂回すれば、僕はデモなどに積極的に参加するような人間ではなかった。デモは目のギラギラした拳を振り上げて叫ぶようなおじさんたちがやるもの、といった偏見と拒否感を持っていた。しかし、9・11以降のアメリカによる正当性も合法性もない「戦争」と呼ばれる「侵攻」に腹が立ち、また、それに追随するかのような日本政府・日本社会のなし崩し的な対米追従の態度と右傾化にも疑問や怒りのようなものを感じていた。自分の関われないと思われる場所で「戦争」が決定され、行われる中で生まれた気持ちを表現できる場所はどこなのか、と思い始めていた。

昨年5月、待ち合わせ時間になっても来ない友人を渋谷駅で待っていると、反戦デモの列がわーっと渋谷の坂を下りてきた。その時、僕はいてもたってもいられなくなり、その列を遡り、坂の上の公園からその列におそるおそる加わったのだった。労組の団体、教職員組合、家族連れ、学生や若者たち(きっと僕と同じくらいかもっと若い)などなど多様な人たちがこんなにも集まっている。そして路上へ。なんなのだろうこの開放感は。いつもと違ってみえる渋谷の街。それは歩行者天国になった道からいつもより高く開けた空を見上げたときの感覚に近かった。僕の隣にはインド雑貨屋か何かで売っていそうなシャツと帽子の女の子二人が、「No War」という文字の入った手作りのカラフルな布を持って歩き、「戦争反対、戦争やめろ!」と叫んでいる。僕は声を出そうか、出さまいか迷った。が、後ろから聴こえるシュプレヒコールや隣の女の子の声が、僕を溶かしていく。「戦争反対、戦争やめろ」小さな声で。「戦争反対!戦争やめろ!」少しずつ大きな声で、僕は叫び始めた。うーん、良い感じだ。何よりイラクでの戦争にこれだけの人たちが反対していることに嬉しくなった。そして、このぽっかり開いた空間に、人々に自分の思いをぶつけられるということの快感。一方で、感じた違和感もあった。警察と機動隊によってきれいに並べられ、区切られるデモに対する疑問。また、僕らを眺める反対車線の車たちやデート中のカップル。社会から眼差され、異質な<他者>として扱われているような感覚。さらにデモ参加者自体が社会的視線の中の一線――警察のライン、規範のライン、ふるまいのライン――を越えぬよう意識しているようにも思えた。目立たないように、この空間を不安定にさせないようにといった配慮を感じた。小学校や中学校の頃の、ちょっと浮いた言動を先生や友人にとがめられた経験はないだろうか?あの感じである。騒げば良いというわけではない。けれど、「反戦!」と主張することは、戦争の指示・協力・黙認を許す場において、緊張を作り出す行いであるはずだ。それを避けるようなところを感じてしまった。「殺したくない」、「殺されたくない」という感覚・違和感・無力感・怒りのようなものをより素直に直接的に表現し、解放するような、一線を書き換え向こうの他者との関係を切り開いていくようなデモに参加してみたいと思ったのだ。誰かを抱きしめるように、歌を歌うように、音楽に魅せられ踊るように、デモに参加することはもっともっと気持ち良くていいはずなのだ。

そんなことを考えながら、どこか退屈なデモに何回か遭遇した後、このパーティーデモ、サウンドデモという試みが広がりつつあることを知ったわけである。

2時半頃、会場の渋谷宮下公園に到着。家を出るとき、留学中にワシントンで行われた世銀とIMFの総会に対するNGOによる大規模なデモに出会ったときの友人の言葉を思い出した。「自分の身分証明になるようなものは何も持っていかなかったよ。」彼はカメラと体だけでデモに参加・取材に行き、機動隊とNGOが睨み合う場に遭遇し、NGOとともにバリケードを突破し機動隊と揉み合い、そして逮捕されたのだった。

日本では「警察・機動隊の介入が激しくなっている」ということをどこかで読んでいた僕はワシントンで逮捕された友人の言葉のとおり、身分証だけでなくケータイさえ持ってこなかった。この身軽さは良いなあと逆に感謝したくなったが、一緒に参加する友人たちは僕が掴らないと気を揉んでいたみたいだった。ケータイを持たないということ、ケータイによって繋がるのではない関係を生きることと、戦争に反対することがひょっとするとどこかでつながっているのではないか。この場限りの偶然を必然へと変えていく力を、ケータイと戦争は奪っているように思えた。

公園では2ヵ所でDJを中心にダンスの輪が広がっていた。そこに挟まれるようにしてシンポジウムが行われていた。

そして5時。陽が暮れかかり、肌寒くなった頃、デモが、ストリートパーティーが始まった。サウンドシステムを搭載した車を先頭にたくさんの人が宮下公園前の路上に流れてきた。スピーカーからのDJ(瀧見憲司)の声、「今日は楽しんでいこーぜ!」、みんな「イェーイ!!」と拳を上げて応えている。スピーカーからの電子音とビートが奏でられると、周りの人々の熱と興奮を感じられるようになった。何より、僕も興奮し、早くもっと大きな音、のれる音をくれ!と思う。音に合わせ「ヘーイ、シブヤ!みんな踊ろうぜー!!戦争反対、派兵反対、殺シタクナイ、愛シアイタイ。ブッシュの嘘にだまされるな!」というDJの呼びかけと大きくなってきた音に、街全体に届けたくなるようなエネルギーで声を上げた。うーん、良い感じだ。気持ちが良い。ずっと求めていた心から体全体から主張すること。僕やまわりの人々が叫び、奇声を上げ、音に体で反応し、飛び跳ねるごとに、街の風景が変わっていく。街を、世界を取り戻すこと。そう言えば良いだろうか。5月のデモで感じた、誰か他の人たちの街に、わずかに提供されていた空間を享受するような弱々しさではなく、音の広がりが街の彩りを変え、自らを解放し、空間を切り開くような力強くしなやかで美しいデモ。いかに日常においてこの街が、社会が、世界が自分とかけはなれたものになっていたかを逆説的に感じるようなデモ。

青山通りのあたりでプツッと音が切れる「えー!!」と落胆の声が広がる。ジェネレーターが止まったらしい。僕にはサウンドシステムについての専門的な知識はないのだが、車の上に即席のサウンドシステムを作り、それを坂の上を運ぶのだから、かなりの困難があるのではないかと思えた。音のある時空とない時空。この大きな違いを実感する。それをカバーするかのように後ろからドラムを鳴らす一群がやってきて、僕はそれに身をゆだねた。青山通りに入ると、機動隊の数が急に増えた。デモが一車線に追い込まれ、長細い列にさせられ、その一部は歩道へとはみ出さざるをえない。その歩道では、なぜなのかまったく分からないが機動隊が進行方向を阻んでいて、デモとの小競り合いが生じていた。主催者らしき女性が「ここは自由な歩道ですよ!通しなさーい!」と叫ぶ。僕らはブーイングを機動隊に浴びせて応援する。この感覚、すごく懐かしい。うっとうしく、胡散臭い学校の先生の教室での行動に、声を出したくても出せなかったことを思い出した。反抗すること、抗うこと。うーん、ひさしぶりだ。

突然音が蘇った。その瞬間「オーッ!!」と大歓声があがる。DJの瀧見さんが「さー楽しもう!!ジェネレーターが落ちないように、ジェネレーターが落ちないように!戦争反対!派兵反対!」と呼びかける。「機動隊も踊れぇー!」の声に、大歓声。そうだ、踊れ踊れ。こんな素晴らしい音と時空間に、仏頂面して立って群衆を押し戻すだけの機動隊の内心はどんなだろうと想像した。「こいつらバカだなぁー。踊って騒いでそれで何が生まれるんだ!?」という人も、「くそー、俺も踊りたい!」と思う人も、「あーかったりー」という人もいたのだろう。それは休日の青山でデモに出会ってしまった街行く人々も同じだったのかもしれない。デモに加わってくる人、通行を妨げられ警察に抗議をしている人、パレードを眺めるように笑顔で接してくる人・・・。印象的であったのは沿道の子供が音に合わせて踊っていたこと。彼には「ハヘイハンタイ」という大人の言葉を理解することなく、この音の心地よさに感応していたのだと思う。そのことはきっとこのデモに参加している人たちにも言えることなのかもしれなかった。

デモは青山通りから表参道を経て、原宿へと向かう。思い思いに踊り、歩く人たち。すると、ビニール袋にビールを入れた人が一言二言話しながらビールを配り始めた。すると受け取った人はビールを一口飲むと隣の人へ渡し始めた。機動隊に囲まれながら行われる、ビールのリレー。名前も知らない、ただここにたまたま居合わせた者同士がビールを回していく。僕にとってこの日一番心を打たれたのはこの光景を見た時だった。見ず知らずの人同士が出会えるということ、「飲みませんか?」「ありがとう」と言葉を交し合うことができるということ。こんなどこにでもありそうな光景をひさしぶりに見たのだ。平和とはどのような状態を言うのかを暗示しているような気さえした。ビールを通じて交わされた言葉、表情、心。その瞬間、隣の人間は絶対的な他者から、何かを通じ合える、あるいは対話を始めることのできる他者となった。見ず知らずの集まった人それぞれがこの場を楽しんでいる。そして、音とともにお互いの存在を認め確認し、どのような形・内容であれコミュニケーションと関係の変容が生まれる。自己主張と表現の場が切り開かれる。それは一線を越えていくような出来事である。踊り、言葉を交わし、ビールを回し飲む空間。路上とは人と人とが無条件に出会い、コミュニケートしうる場所であったのだとこの出来事を通じ気付いた。戦争への協力・参加というムードに<占領>されていく中で、路上は風穴を明ける1つの美しくはかないこの場限りの抵抗の場。「派兵反対」ともう1つ掲げられていたこのデモのスローガンは「路上解放」である。デモのフライヤーの言葉を引用しよう。

戦争はたしかに遠い国で起きている。けれども同時に、いま、ここでも、それは起きている。遠い国の戦場に日本国の兵士が行かされることでこの街が奪われるものは、誰もが言いたいことを言い、知りたいことを知り、デモンストレーションをする自由だ。報道するな、兵隊さんに感謝しろと、戦時下の例のリクツが見る見るうちに街を占領していく。街頭へ、路上へ出ること、サウンドシステムの音に体を解き放つことは何て簡単なことだろう。そもそもこうして普通の生活してるだけで、すでに戦争に反対しちゃってるってことじゃないか?人と話し、飯を食い、仕事に遅刻して単位を落とすこと、そして音楽を聴くこと・演奏すること。喜びを内に含んで―――。それこそが、誰かさんの妄想や恐怖ときっぱり手を切るという意味での反戦行動だ。「歓喜のデモ」に行こう。戦争と“戦時下”に真っ向から反抗する、喜びのデモに。秩序と監視が戦時下モードにバージョンアップした瀕死の街に、極上の混沌と猥雑と音楽を!そしてバカでかいジョークを!

デモが原宿駅を過ぎ、公園通りを渋谷へと進み始めた時、小西康陽がDJに変わったことがその曲調ですぐに分かった。そのときの盛り上がりようはすごかった。道路の両側のビルに鳴り響く音に吸い寄せられるように、人が前へ前へと押し寄せてくる。音がこんなにも街の景色を変えていく。僕の場所から群集の盛り上がりにガッツポーズと雄叫びを上げている小西さんがよく見えた。彼がこんな場所に出てきて音を鳴らすということがイマイチイメージできなかった。彼の流すポップでスタイリッシュで、それが逆に街を良い意味で塗り替えるパワーをもっている音であることを知ったとき、驚くとともに嬉しくなっていった。歓喜のデモ。自己主張を顕在化させ、隣に居合わせた人々と体が触れ合い、声を聴く中で自分が変容していくような時空間。

デモを開始して約2時間後の7時、サザンオールスターズを大音量で鳴らしながら、宮下公園へと戻った。公園に着くと、目の前に小西さんがいて、誰かからインタビューを受けていた。「ええ、僕がこういうことをやることで、若い人たちが政治を考えるようになればと思っていました」と彼は話していた。僕の抱いていた小西さんのイメージを良い意味で壊された一日だったように思う。

サウンドデモ、パーティーデモ、歓喜のデモ。音の力。退屈な整列させられるデモとは異なり、路上を可能な限り自由で多様な歓喜の場へと変えていく力があったと思う。こんなにも街や路上が人と人とがコミュニケーションを取り、何かを受け取り受け返すような場であった/ありうるということを気づかされた一日。いみじくもフライヤーの言葉が示したように、「戦争」を支持し加担したこの日本という国では、自由にものを言い、表現することを押さえ込もうとする傾向が強くなってきていると感じる。それは街の人々を「一線を越えない様に」と規律させていくだけでなく、自らがそのような主体へと変形することで喜びを見出してしまうような管理社会の深化でもあるだろう。であるならば、僕は音に身を委ね踊ることで、叫ぶことで、ビールを受けて回すことで、不安を喜びと可能性に変えることになるだろう。そのことは、戦争状態が社会と僕のすみずみにまで行き渡る=<占領>されることに抗う営みなのだ。

もう1つ。サウンドデモの中に多様性があり、境界線は絶えず走っているべきだ、ということも常に冷静にどこかで考えていた。音へと熱狂することは、ある意味で扇動され一塊の集団へと仕立て上げられていくような不安もあった。サウンドへの応答はもっともっと多様で豊かであっていい。また「戦争反対!派兵反対!」の理由やデモに集まった理由はそれぞれ違うだろう。ある人にとっては自衛隊の安否を考えてのことであり、ある人にとってはイラク人の立場から考えてのことであり、ある人にとっては自衛隊や軍隊そのものに反対しているのかもしれない。あるいは小西さんに会いたくて来ているという人もいただろう。僕はそれでいいと思う。理由も立場もばらばらの人間たちが区分けされることなく、可能な限り自由なコミュニケーションが行える場で出会えることが何よりも喜びなのだと知ったからだ。不在ではなく、他者の他者となること=関係が生まれることから始まるコミュニケーションを<占領>によって画一化されてはいけないのだ。多様性と差異を残しつつ、いかに戦争と<占領>に抗しうるのか。そのための創造力が求められているだろう。

そして、このデモは2004年2月22日14:00〜19:00に夢のように現れた時空間だった。その時空間に何が生まれ、戦争と派兵に対する抵抗がどのように今後展開され、展開できるのか。多くの人は「お前ら踊って戦争が止まったらみんなやってるよ。他にやることあるだろ!」などと思っていたりするんじゃないだろうか。僕にはその言葉を受け流したい。僕にとってこのデモに意味があると思うのは、瞬間のコネクションとコミュニケーションが音の力によって生まれたこと。そして、その場で言葉を伴ったり伴わなかったりするコミュニケーションが成立しえたこと。そこから始まる何かに、芽生えた何かに僕は小さな期待をする。





美しくはかないこの時限りの空間で
―――パーティーデモンストレーション狂想曲―――

2004/03/16