2004.4.16

日本の反戦平和運動を考える

道場親信の2本の論文「『反戦平和』の戦後経験――対話と交流のためのノート」(『現代思想』20036月号特集反戦平和の思想)と「『核時代』の反戦平和――対話と交流のためのノート2」(『現代思想』20038月号特集「核」を考える)を読んだ。

ここ数年、沖縄などの米軍基地反対運動や沖縄をめぐる市民運動、イラク反戦デモに関わったり参加する中で感じた「これまでの日本の市民運動や反戦運動の成果や課題は何だったのだろう?同じ取り組みを同じようにやってはいないか?」という素朴な疑問。日本における社会運動、市民運動、特に反戦・平和運動の歴史を東アジアや世界政治との関わりの中で調べ、考えたいと思っていた。

道場論文を読んで刺激を受けた点をいくつか記しておきたい。

1.「この戦争に反対」という個別的反戦論、「あらゆる戦争に反対」という絶対平和主義。個別的反戦論は正当な戦争、聖戦、良い戦争を成り立たせてしまう論理である。イラク戦争や自衛隊派兵をめぐって、反対派も賛成派も「大義」を強調して止まないが、それは「大義ある戦争」や「大義ある軍事基地」を容認してしまわないだろうか?一方絶対平和主義は「諸次元で進む軍事化への抵抗、社会の非軍事化」、「軍需産業の解体」、「戦争・軍事行動の違法化、国際法整備」、「過去の軍事行動の責任追及」、「構造的暴力の解消」といった射程をも持つ。その一方で軍事力やテロリズムを含む反植民地主義運動などのすべての運動を同様に反対できるのか、という問いも生まれる。

2.戦後の反戦平和を規定するもの。@核兵器と核戦略体系、A戦争違法化と国際連合結成の流れ、B米ソ2大ブロックの存在。「戦争はもうこりごり」という「巻き込まれ」意識・心理と核という人類滅亡の危機という意識が絶対平和主義的傾向を支えた。「だが、多くの人々にとって、人類絶滅の危機という意識は、戦争、平和、核、中立、軍事基地といったそれぞれの分析に要する問題を(悪い意味で)ひとつながりのものとし、個々の問題を深めさせない効果」をもち、「戦争そのものを廃棄していくための具体的想像力は不徹底なものにとどまったといえはしないだろうか」(道場、2003a:130)。反戦平和運動が国民的記憶と運動と絡み合ったときに生まれる一国平和主義や「平和」の実現の国民国家内部への収縮現象のような傾向を読み取ることができる。「戦後」や「もう戦争はこりごり」という言葉が「平和な今」を想定していることを想起させるが、日本(人)の平和が沖縄や朝鮮半島の熱戦化・軍事化・戦時化とパラレルな関係にあることにまで視点を広げた時、戦後日本の反戦・平和運動のひとつの限界に気付く。

3.1950年朝鮮戦争のインパクト。@個別的反戦論の立場としての社会主義者。しかし帝国主義戦争に反対しつつ、社会主義革命という正義の戦争は容認するため、反戦・平和思想の深化はなかったのではないか、という問いが生まれる。「現実には『反戦平和』の大衆運動はこうした『勢力』[帝国主義戦争反対論をとなえる社会主義者たち]こそが組織していたのであり、『あらゆる戦争に反対』する人々とのあいだの関係は、一つは世界革命による戦争の究極的廃絶、という社会主義の物語と、もう一つは坂本[義和]の指摘する『心理主義』によって接合されたということができる。」(道場a2004:132

A絶対平和主義は「この戦争に反対」することの具体的思考と積極的関与を深められず、「戦争にまきこまれるな」という結果的に国際主義という名の孤立主義、ナショナリズムの傾向へと進んでいく。「こうして冷戦体制のサブシステムとしての自らの位置を見失うことに成る。『日本』という空間が自己完結的な閉鎖空間として表象される回路を『反戦平和』運動が提供することになるのである。」(道場a2004:139)。日本の戦争責任をいかに問うのか、という姿勢も希薄になり、朝鮮戦争や沖縄の米国占領などの「問題」への具体的応答へは届いていないという指摘も可能である。

4.核時代の反戦・平和

「あらゆる戦争に反対」の立場は、具体的な戦争に反対しない限り(「この戦争に反対」の反戦運動を展開しない限り)、「あらゆる立場の人々をむすぶ全国民の運動」たりうるものである。それゆえ、対立点を抹消し、そのために具体的な戦争に反対できないとしたら、「戦争に反対」すること自体が無意味化する危険をはらんでいる(道場、2004b:162)。

この指摘は重い。反核運動としての反戦・平和運動は「唯一の被爆国」という自民族中心的=被害者意識的な表象を中心にして、在日の朝鮮人や中国人や核実験による世界各地の被爆者などの非日本人の存在を消し、つながりを断つだけでなく、日米安保体制など日本の政治性・イデオロギー性を隠す効果もあっただろう。

5.ベトナム反戦運動における反戦・平和運動の深化

「この戦争への反対」として始まった運動が、安保条約やアジアの現実への認識を媒介として「あらゆる戦争への反対」へと拡大していく(道場、2003:172)。それはベトナム−沖縄−日米安保−アメリカといったつながりを理解する中で、生まれた加害者性と被害者性の両方の自覚(小田実の加害者/被害者論)、鶴見良行による「国民断念運動」、市民的不服従運動、脱走兵支援運動、日本国憲法のもつ反国家的理念の検討などが生まれていった。日本の戦後体制や国民国家の構成原理に深い亀裂を入れるような現象として反戦・平和運動が展開される。反核運動も「被害者の運動」から「再び加害者にならない運動」への転換が原水禁被爆27周年大会で宣言される。

以上、道場論文の内容とヒントを得られた点である。強い問いを意識した。個別的反戦運動の強度を保持したまま、いかに絶対平和主義を作りうるのだろうか、と。「誰にとっての平和であるのか」や「『この平和』によってもたらされる暴力や被害はないだろうか」と問いつつ、「まだまし」/「よりまし」な状態へと移行させること。国家安全保障という名の平和と、異なる平和の対立の歴史。植民地主義・帝国主義的支配の経験と冷戦という国際環境の拘束性の中で展開された運動と、その拘束性を書き換えるような運動。戦後日本の反戦・平和運動の孤立主義的/一国主義的傾向とそれを乗り越えるようなアイデアや活動との<交渉>過程を注意深く研究していきたい。今日的な文脈で言えば国境を積極的に越えていく横断的・越境的な反戦・平和運動は、「この戦争/平和」と「あの戦争/平和」をつなげていくことで個別的反戦運動と絶対平和主義の往復運動を生み出す可能性があると考えられないだろうか。他国の核実験や劣化ウラン弾による被爆者との出会いから、「唯一の被爆国の被爆者」としてのアイデンティティが溶けていく経験。あるいは沖縄の米軍基地を国内問題としてではなく、東アジアあるいはグローバルな規模でのポストコロニアル状況という通時性と共時性の中で捉えることで見える可能性。つねに<個別的>な運動はある拘束性や運動の範囲の外の暴力に盲目的になる。相対化しつつ、個別的に強くあること。<出会い>の力をひきいれること。

 

反権力運動は、すべて集団あるいは組織とその成員である個人との強い緊張関係によって支えられていなければならないがゆえに、日本の運動をもう一度個人の次元にまでもどさなければならないと考えているからである。ひとりひとりの「[国民になることからの]断念」から国家権力にたいする「抵抗」や「反逆」が生まれるだろう。(・・・)「国民としての立場を断念する」ということを発想する(鶴見良行『鶴見良行著作集2 べ平連』みすず書房、2002:84

差異を残し、対立点と多様な意見交換の場を開きつつも、共有しうる「この戦争」および「あらゆる戦争」、構造的暴力に反対することはどのように可能であるのか?<個人>の立場に戻ること。それは一つの出発点であるように思う。なぜ戦争に反対し、軍事基地による占領に反対するのか?それは翻って<暴力>によって自分自身が何を奪われているのかという問いでもあるのではないか。奪われている可能性を一変に取り戻すというよりは、理念と実状の<交渉>とせめぎ合いからしか始められないものなのだと思う。

朝鮮戦争時の反戦運動とベトナム戦争時の反戦運動の性格がこれほどまでに異なっている理由はどこからくるのか?という点が気になった。



参考文献
道場親信「『反戦平和』の戦後経験 対話と交流のためのノート」『現代思想』Vol. 31-7、2003a.
道場親信「『核時代』の反戦平和 対話と交流のためのノート2」『現代思想』Vol.31-10、2003b.
鶴見良行「日本国民としての断念」『国家』の克服をいかに平和運動へ結集するか」『鶴見良行著作集2 ベ平連』みすず書房、2002.