名もなき風景の中で
第10号 沖縄と「向こう岸」、そして私
      ――「復帰」30年と終わらない廃墟の記憶――No.4

3. 生成変化する「自分」を生きる
(1)テクストの歴史性を読むこと
 大江健三郎のように「沖縄を通じて日本人・日本を問う」良心的な人々は、現在も複合的な差別によって虐げられているマイノリティの声を聴いているかのようだ。
 例えば徐京植は『半難民の位置から――戦後責任論争と在日朝鮮人 ――』という著書において、繰り返し繰り返し「日本人としての責任」の必要性を半難民である在日朝鮮人という位置から主張する。

(引用ここから) 国会議員は主権者である国民の投票によって選出され、政府は国会 の承認を得て政策を実行する。国民の税金はある場合には戦争費用 にも用いられ、別の場合には戦争被害者への補償金に用いられるこ ともあるが、その使途を決定するのは窮極的には納税者である国民 である。国家が政策を誤ったとき、それを変更させる責任は第一義 的に国民にあるのであり、国家が他者に被害を与えてしまった場 合、それへの謝罪と保障を政府に行わせる責任もまた国民にある (徐、2002: 110)。 重ねていうが、筆者はこの法哲学者[森村進――大野]や、西川 [長夫――大野]のいう「コスモポリタン志向の現代の若者たち」に、日本民族への帰属意識をもつよう求めているのではない。自分 たちが「国民(主権者)である」という事実をありのままに認識 し、加害国の国民として、被害者への政治的責任を果たしてほしい だけなのである(徐、2002: 114)。 (引用おわり)

 徐京植が強調する国民という帰属意識や主体性・誇りを立ち上げることへと回収する力学と、戦争被害者への謝罪と責任を取る営みを分けることはどこまで可能なのかは分からない。しかしながら、「非国民をつらぬきつつ責任を果たす(あるいは果たさない)狭いわずかな可能性」を探すという言明(西川、1998: 17)が、半難民 というポジションからは「(非)国民主義的(無)責任論」(徐、2002: 105-117)と捉えられてしまう。「日本人としての責任」を訴える、徐の働きかけに耳を傾けることは、どのような意味を持つのだろうか。聴くことによって、私は新たな国民という主体を立ち上げてしまうだろうか。それとも、戦争責任・戦後責任を通じて自分と世界との関係を問うことによって、国民へと帰ることができない内 破の旅に出発することができるのだろうか。
 このようなコンテクストにおいて、自己規定・他者からの規定という名付け=主体化のプロセスにはらむ生成変化についてこだわってみたい。
 冨山一郎は「赤い大地と夢の痕跡」という文章において、まず民族や文化の解釈をめぐる本質主義か非本質主義(構築主義)かという二項対立によって、「ポストコロニアリズム」によって提起された脱植民地主義をめぐる議論がからめとられるような傾向を、バカげたものであると主張する(冨山、1998: 119)。冨山がからまりあった二項を対立させて論じる図式と批判的距離を取って試みるのは、テキストの歴史性を読むことである。

(引用ここから) 黒人の歴史を記述するのに、アカデミズムの中での「本質主義/非本質主義」という両極化は何ら役に立たないというP・ギルロイの 発言に注釈を加える形で、A・マクリントックは、歴史的言説を生み出している権力や暴力こそ問題にしなければならないという。全く同意する。構築されたものとして表象をあつかうことは、現在と いう高見から神話を暴く作業などではなく、表象を権力や暴力の作動するプロセスにおいて問題化することに他ならない。いいかえれば、テキストの歴史性こそが問題にされなければならないのだ(冨山、1998: 120-121)。
 主要な運動ではないという活動家からの攻撃と、どういう運動なの か説明してあげましょうという学者からの誘惑の中で、状況を切り 開く力が、既成の運動に従属させられたり、あるいは解釈されたテキストへと定着されてしまうという困難さである。(…)こうした 困難を、ロゴスの高見から批判する人たちにも、それが闘争に何の役に立つかといって指弾する人たちにも、ややうんざりしている。(…)歴史を書くとは、権力や暴力の作動していくプロセスにおいて生成途上にあるテキストに、歴史化されない歴史の可能性を見いだし、それを場の論理に閉じこめず、書くという実践において外に開き、今に提示していくこと以外にはないとも思う(冨山、1998: 122)。 (引用おわり)

 私にとって、このような冨山の言明――テクスト・主体化・自己規定化・名付け・アイデンティティを暴力の作動するプロセスと歴史性において問題化し、それらを生成途上のものと見なし、そのプロセスを外へ外へと開く試み――に触発されることで、沖縄との関わり、営みが豊かになった。常に生成途上のプロセスとして、運動体としてテクストと主体を捉え直すこと。そのとき、前述のとおり 「日本人」として考えるという営みを「ウルトラ日本人論」として読むだけでなく、「日本人」や国民という主体を再考しながら外へと開き、宙づりにする契機を呼び入れる読むを引き入れたい。成り立ち得ないにも関わらず主張してしまう「日本人」という両義性をプロセスにおいて考え開くこと。私にとって大江健三郎や徐京植との対話はそこから始まらなければいけない。そのとき、複数の沖縄を時空間横断的に問うこと――戦争責任を問い考える営みや<植民 地化された身体>から沖縄の先生たちを問う営み――はどこまでそ の射程を広げることができるだろうか。ポイントは生成変化としての 私という視点である。

(2)私の生成変化と出会い
 崎山政毅は『サバルタンと歴史』において、サバルタンスタディーズが切り開く可能性を次のように読む。

(引用ここから) まさに具体的なこころみの位相において、現在に開かれた歴史におけるサバルタン的生成変化に対して応答可能であろうとすると同時に、開かれた責任を負おうとするような、サバルタンになる(自己変形)作業が問題なのである。すなわち、記述の秩序構成を揺るが す<主体化>と多様で複数の<出来事>とに開かれたサバルタンの たたかいと、そして自らサバルタンになることを通じた、異なる位相における<主体化>と<出来事>とを結ぶその追求作業とが問題となっている(崎山、2001: 111-112)。 (引用おわり)

 すなわち、記述の秩序において、常に周辺に置かれたサバルタンと記述の秩序構成を揺るがすような作業=「出会い」によって、自らも自己変形、生成変化させていく試み――異なる位相としての Subaltern BecomingとBecoming Subalternの「出会い」と交渉(崎山、2001: 105-112)――をサバルタンスタディーズから崎山は 学び取るのである。
 「出会い」あるいは「交渉」という言葉には批判的に距離を取る必要があるだろう。なぜならば、「出会い」もしくは「交渉」に先 だって、私なるもの、サバルタンなるもの、沖縄なるものは予め想定されえないからだ。「サバルタンと歴史」であるとか、「沖縄と私」と言うとき、「と」とは常に相互変容のプロセス・関係性であるのだ。「サバルタンのもとに出かけていくこと」は予めサバルタンと出会えることを想定せず、そのような欲望を宙づりにし、複数 のサバルタン、複数の私、複数の沖縄に向き合わせる。
 ここまで思考を進めていくと、私が「ラテンアメリカ」と「沖縄」 に出会うということは、「日本人」を意識しつつも、それらが「中央-周辺」の関係、「沖縄」と「日本人」を相互に規定し続けてきた植民地主義的な関係性や言説変成の起点をずらしつづけることを通じて、「われわれの主体-位置に固着している『本質』に抵抗」(崎 山、2001: 82)し、複数の出来事・関係性へと開きうるような試みとして、その射程を広げるものである。よって、「日本人」という 言葉や自己規定としての言明は、プロセス化されたものとして、何かに開かれうるものとして複数に読み直される必要があると思うのだ。植民地主義的な「中央-周辺」という関係のみに規定される「私」 や「沖縄」なるものを、その規定から逸脱した波打ち際のような力の場において「一個の力能」として現れる瞬間を記すことが求められている(崎山、2001: 11)。

(引用ここから) 剥き出しの周辺、周辺としての周辺はつねに「中心」が制御しえない脅威なのだ。それはどこか実体をもつような固定された土地ではない。剥き出しの周辺とは、秩序を画定する種々の境界を越えて入り来たる人々、あたりまえに越境し労働し生活を営み、ときにはふ たたび移動したり逃散するような人々の自律的な諸関係である。
(…)そうした「異質」を生きる人びと――サバルタン――は、意識 的にであれ無意識にであれ、「中心」にしばりつけられることをつう じて訓化された「周辺」にすべてをまかせて甘んじることはない。彼(ら)や彼女(ら)は一個の力能だと言ってもよい(崎山、 2001: 11 )。(引用おわり)

 ふろしきを広げすぎてしまった。私は、沖縄において力能としての周辺はいかに働いているのか、関係化しているのだろうかと問いながら、単数の沖縄ではない個々の出来事や言葉、声にならない動作に出会い、聴き、知り、行動していきたいと考えている。最後に、「向こう岸」から「沖縄」・「日本」・「私」への旅の途中、最近出会った人々のことを記したい。

4.おわりに
 先日、市民外交センター主催の「市民外交センター設立20周年記念シンポジウム『多民族・多文化社会日本』の実現に向けて〜 先住民族の実践から見えてくる未来〜」と、自由人権協会(JCLU)国際人権訴訟プロジェクト主催の「第5回自由権規約(市民的・政治 的権利に関する国際人権規約)審査のためのJCLU NGOヒアリング 第3回部落民・先住民族の今」という集会に参加した。
 これらの集会を通じて、「沖縄人」あるいは「沖縄人女性」の人権問題を訴える運動が日本政府や日本国民向けの国内でのものに収まらず、国連先住民作業部会や反人種主義世界会議など国際的な場・ネットワークへも広げている人たちがいることを知ることができた。 彼ら・彼女らは、「日本人」や「日本」という政治的・経済的・社会的な枠組みの中で基地問題や「沖縄人」の人権問題を訴えるだけでなく、自らを「先住民」や「マイノリティ」として意識的に規定し、そのほかの先住民・環境問題・人種差別・女性差別といった世界の様々な活動と関わり合いながら、「沖縄」を訴える場を多様化し、「沖縄」を考える視座を多様化しているように思えた。
 国連先住民作業部会に参加したある男性は、これまで対等に交渉もできなかった日本政府・外務省に対して国連という場において直接物を言うことができることの意義を述べた。また、これまで「沖縄」に係るあらゆる意志決定に「沖縄」自身が参加することができなかったが、国連先住民作業部会を通して、別の形で意志決定プロセスに参加しているのだ、という率直な実感を伝えていた。彼ら ・彼女らは、これまで足を踏み入れたことのない場所=関係において、自らを再発見・再規定し、「当たり前であった」ことを「当たり前ではない」ことと捉え直し、複数の関係性の中で戦後の沖縄を沖縄たらしめた現実を批判的に捉え直す。
 例えば、沖縄市民情報センターの喜久里康子さんは、沖縄における女子高生のシンボル化を批判的に再考する必要性を述べていた(喜久里、2002a)。県民総決起大会での女子高生のスピーチ。沖縄サミット中の平和の礎で行われたクリントン大統領の傍らでの女子 高生のスピーチ。それらをシンボル化し、喜ぶ日本人。そこには、沖縄を女性化する欲望がある。その欲望は現在の軍事基地の集中と 無縁なのだろうか。また、喜久里さんは、3つのF(フード、ファッション、フェスティバル)を通じて沖縄が沖縄を発信する戦略をもう取りたくないと言う(喜久里、2002a)。それはNHKの連続テレビ小説『ちゅらさん』で描かれたような、古き良き家族像、なんでも許してくれるような無垢さや癒しを本土に提供するだけの沖縄像への批判でもあると私は感じた。これらの主張は、沖縄が本土や アメリカとの関係の中で規定され、発信された沖縄像こそが、沖縄を沖縄たらしめ続けている、という反省と批判であるだろう。おそらく、「そうではない沖縄」を人権問題や基地問題を解決するために発信し、多くの人々に伝えていくことの意味は予想以上に難しく、それだけに意義深いのだ。そのフィールドは国内だけではなく、女性、先住民、環境、植民地主義、人種主義、持続的発展、人権とい ったタームを通じた国際的な場であり、国内的な場と国際的な場とを空間的に横断する「新しい政治の場」を創り出すことでもある。それは「向こう岸」と「沖縄」をどこかでつなぎながら考えていた私にとって刺激的な出会いであった。
 沖縄をめぐる空間と時間の横断と越境。「沖縄の子ら」を想像の共同体日本人へと帰一化させた「沖縄の先生たち」の戦後責任を問うことは、日本の戦争責任や植民地主義を東アジアにおいて問う試みと連動しうるだろう。日本の植民地主義の責任を東アジアとの関係において沖縄との関わりの中で問うことと、沖縄に集中し続けている軍事基地をどうしたら減らすことができるのかを問うことを 連動させること。沖縄の中での北と南の経済格差や差別を問うことと、植民地主義的な関係性に基づく世界システムを問うこと……。いくつもの視座、いくつもの越境……。
 10年にもならないだろう新しい活動の展開は、時空間を横断し 「新しい政治」や「新しい政治の場」を生み出しながらも(モーリス=鈴木、2002)、個人個人が接している非常にローカルな場で、 声を聴き、伝える地道な作業でもある。
 そのとき私は、加害者でもあり被害者でもあるような、国民国家 「日本」という枠組みにこだわりながらも乗り越えていくような、軍事基地の集中に異議を唱えながらも生活や経済を基地に頼らざるおえない現実を目の当たりにするような、二重性、三重性を意識し生きることになるだろう。
 常にある複数性と両義性を生き、その両義性の真っ直中で問いを生きること。「私」の名称が何であれ、どのような関係を築き続け、それとともに<私>がどのように生成変化し続けているかを問うこと。友利の言葉を借りるとするならば、埋もれている可能性としての鉱脈を掘り当てる作業へと私やあなたはは誘われているのだろう。
(おわり)

参考文献
○ APO、2002、『EDGE』no.12(特集 想像の共同体<日本>  <沖縄の子ら>はどのように日本人になった/されたか?!)
○大江健三郎、1970、『沖縄ノート』、岩波書店
○ 喜久里康子、2002a、「沖縄にとっての女性」(市民外交セン ター設立20周年記念シンポジウム「『多民族・多文化社会』の 実現に向けて〜先住民族の実践から見えてくる未来〜」2002年6月2日@明治学院大学白金校舎での報告)
○ 喜久里康子、2002b、「沖縄人の人権」(JCLU主催「第5回自由権規約審査のためのJCLU NGOヒアリング 第3回部落民・ 先住民族の今」2002年6月8日@東京麻布台セミナーハウスでの報告)
○ 輿石正、2002、「1・19基地にたよらず 命の自立を!」、名護ヘリポート基地に反対する会『美ら海通信』vol. 27
○崎山政毅、2001、『サバルタンと歴史』、青土社
○ ジャン・ベルナベ、三浦信孝、西成彦(司会)、2000、「ネグリチュードからクレオール性へ:エメ・セゼールをめぐって」、『立命館言語文化研究』12巻3号
○杉田敦、2000、『権力』、岩波書店
○ 徐京植、2002、『半難民の位置から――戦後責任論争と在日朝鮮人――』、影書房
○ チュン・リー、2001、「桃太郎になれなかった鬼子は<問い>の無限旋律を生きる」、『EDGE』no.12
○ テッサ・モーリス=鈴木2002、(市民外交センター設立20周年記 念シンポジウム「『多民族・多文化社会』の実現に向けて〜先住民族の 実践から見えてくる未来〜」2002年6月3日@明治学院大学白金校舎でのコメント)
○ 冨山一郎、1998、「赤い大地と夢の痕跡」、複数文化研究会編 『<複数文化>のためにーーポストコロニアリズムとクレオール性の現在』、人文書院
○ 西川長夫、1998、『国民国家論の射程――あるいは<国民>という 怪物についてーー』、柏書房
○ 西川長夫、1999、『フランスの解体?――もうひとつの国民国家論 ――』人文書院
○ 西川長夫、2000、「序 『向こう岸』からの問いかけ」、西川長夫 他編『ラテンアメリカからの問いかけ――ラス・カサス、植民地支配 からグローバリゼーションまで』、人文書院
○ 西川長夫、2002、「マルチニックから沖縄へ――エメ・セゼールに 会って考えたこと――」、酒井直樹他編、『岩波講座 近代日本の文化史 第1巻』、岩波書店
○ 野村浩也、2002、「沖縄とポストコロニアリズム」、姜尚中 編『ポス トコロニアリズム』、作品社
○ 浜忠雄、2000、「ハイチからの問いかけ」、西川長夫他編『ラテン アメリカからの問いかけ――ラス・カサス、植民地支配からグローバリ ゼーションまで』、人文書院
○ 松田素二、2000、「共同体の正義と和解――過去の償いはいかにして 可能か――」、『現代思想』vol. 28-13.
○ 三浦信孝、2000、「マルチニック紀行――クレオールへの旅――」、 西川長夫他編『ラテンアメリカからの問いかけ――ラス・カサス、植民地支配からグローバリゼーションまで』、人文書院

参考ウェブサイト
反差別国際運動日本委員会(IMADR-JC):http://www.imadr.org
市民外交センター:http://www3.justnet.ne.jp/~peace-tax/
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著者:大野光明、「名もなき風景の中で」発起人、編集者
著者プロフィール: 「名もなき風景の中で」発起人、編集者。
1979年千葉生まれ。現在、団体職員。


2002年7月28日