名もなき風景の中で
第4号 名護市長選挙が問うもの(後編)
4.わったー市長を選ぼう会の可能性
「わったー市長を選ぼう会」とは今回の名護市長選で「米軍ヘリ
ポート基地建設計画を推進する現在の名護市政を改め、市民ととも
に市政を進めていける市長を誕生させる市民運動」である(わった
ー市長を選ぼう会、2001:23)。会を支えるのは、既存の団体や政
党ではなく、会員や賛助会員など個人一人一人の主体的な参加であ
る。会は基地建設に反対できる市長候補者を名護市内・外から公募
し、公開討論会などを通じて市長としての資質・能力を判断し、会
員の投票によって一人の市長候補者を決定することを目的としてい
る(わったー市長を選ぼう会、2001:23)。
2001年4月27日に結成され、名護市の財政問題、基地建設問題、
環境問題、市民自治などをテーマに自主的な勉強会を開いてきた。
その後、応募のあった3名の候補者と共に、財政・経済・産業・環
境・教育・福祉・文化についての公開討論会を重ねていった。参加
している市民は会を通じて学び、気付き、考え、議論する場を作り
ながら、候補者を選ぶ作業にも参加する。
残念ながら、応募のあった候補者3名の辞退により、市長選候補
者を選ぶことはできなかった。「候補者を選べなかったという点で
は失敗であったかもしれないが、名護市での基地建設反対に向け細
かな各論にまで踏み込んだ形で学び、討論することができた。プロ
セスの中で蓄積した知識・情報は今後必ず活かすことができる」と
評価するのは輿石氏だ。
候補者を選べなかったことは、振興策に頼らざるを得ない財政・
経済の危機的状況を視野に入れながら、基地建設反対の具体的な政
策を提示することの難しさを物語っていると言える。また、「基地
反対か、生活か」という論理を根底から批判し、市民の心を揺り動
かすことの困難さも示しているのだろう。しかし、「停滞と沈黙」
の中で、参加者それぞれが気付き、学びながら、政治的選択を行っ
ていくという新たな形の市民運動の可能性は大きいと言える。
わったー市長を選ぼう会の『記録報告集』に掲載されている討論
の議事録から、一つの印象的な声を引いてみたい。立候補者による
「米軍基地反対運動が盛り上がるプエルトリコへ行こう」という提
案への応答として発せられた、ある男性の言葉だ。
【僕はプエルトリコに行くこと自体はいろんな意義があると思いま
す(中略)だけど同時に、(中略)この間名護に住んで、いく人か
の動きを見ていて感じるのは、どうしてみんな外に行きたがるのか
と。(中略)ある人はヤマトの集会に呼ばれて、自分たちと基本的
に同じ考え方の人たちの前で、名護の代表であるかのような顔をし
て、あるいは沖縄の代表であるかのような顔をして、立派な演説を
ぶってくる。
だけど本当にきついのは、同じ職場の隣の同僚に話しかけること
ではないのか、と思うんです。
僕はこの公開討論会を始めとして、「わったー会」のやったこと
がもし意義があるとすれば、名護という街の中で市民一人一人に少
しでも話しかけようと努力したことではないかと思っています(わ
ったー市長を選ぼう会、2001:283)。】
物理的な距離として近いはずの「隣の同僚」や「隣の人」に声を
かけることのきつさ。「隣」の遠さ。「前提を共有していない」と
いう前提で、他者へ呼びかけることの困難さが当然あること。
現在沖縄では、沖縄戦の記憶や「沖縄の心」を拠り所として基地
を考えることが困難な人たちが年々増えてきていると言われる。歴
史的経験・記憶や文化的・経済的背景が大きく異なる多様な人間が
沖縄には住んでいるのだ。身近に基地を意識せずに暮らしている人
たちもたくさんいるだろう。「声をかけるのがつらい」という言葉
には、「沖縄」に接しようとする私のような人間が忘れがちな、沖
縄の現在が刻まれている。だから、近くて遠い他者とともに、個人
がそれぞれの生活の場(今・ここ)から考え、語る作業を続けなが
らも、その営みを沖縄をめぐる国内的・国際的な構造を揺り動かす
方向へ繋げていく試みが今求められている。わったー市長を選ぼう
会その小さな一歩であると言えるのではないだろうか。
5.少女への回答
わったー市長を選ぼう会の取り組みに積極的に関わってきた目取
真俊(沖縄県今帰仁村生まれの小説家・批評家)は稲嶺知事が普天
間基地の移設先を名護市・辺野古沖と決定した直後、次のような言
葉を記していた。
【多数者が幸福になるためには少数者が犠牲になるのはやむを得な
い。「ベターな選択」の底にある論理はこれだ。しかし、辺野古と
沖縄県全体との間に成り立っているこの論理は、そのまま、沖縄と
日本全体の間に成り立っている論理でもある。その論理を選び取り
、「基地との共存共生」を受け入れたとき、二一世紀を生きていく
私たち、あるいは、私たちの子や孫は、この沖縄の地で、本当に幸
福に生きていけるのか。選択の責任は稲嶺知事や、岸本名護市長だ
けにあるのではない。県民一人ひとりにあるのだ。そして私たちは、
自ら下した選択が、四年前に米兵の犯した犯罪を告発した少女の訴
えに対する回答でもあることを、心にとどめるべきだろう(目取真、
2001:50-51)。】
昨年9月11日に起こった同時多発テロと、その後展開されてい
る対テロ戦争によって、私たちは軍事基地とは何なのかとくり返し
問い、問われる場面に出会っている。例えば、沖縄県への観光客の
激減は、基地と経済が両立できないことを示しているだろう。また、
私たちの生活を守っているはずの基地が、新たなテロの標的であ
ることに気付くならば、基地は私たちの生活を脅かす存在でもある
はずだ。さらに沖縄や日本にある米軍基地がどこへ向かい、どのよ
うな目的のために存在するのか、という問いも受け取ることができ
る。
名護市長選挙の結果によって決定的となった名護市・辺野古沖へ
の新たな基地の建設。名護市長選の結果と私たちの現在を、「米兵
の犯した犯罪を告発した少女の訴えに対する回答」として捉えたと
き、あなたはどう考えるだろうか。私たちは無数の問いの中で生き
ているはずだ。
【参考資料】
○井上雅道、「グローバル化のなかの『沖縄イノシアティブ』論争
――記憶、アイデンティティ、基地問題――、『思想』No. 933. 2
002.
○輿石正、「特集にあたって」『けーし風』(第33号:特集U
「名護市民運動5年・その記憶の断片」)、新沖縄フォーラム刊行
会議、2001.
○ 高里鈴与、『沖縄の女たち 女性の人権と基地・軍隊』明石書
店、1996.
○ 目取真俊、『沖縄/草の声・根の意志』世織書房、2001.
○安次富浩、「名護市長選をふり返って!」(2002年2月16日沖縄・
一坪反戦地主会・関東ブロック総会記念講演会でのレジュメ).
○『琉球新報』2002年2月4日.
○わったー市長を選ぼう会、『わったー市長を選ぼう会 記録報告
集2001年2月〜10月』、2001.
【参考ウェブサイト】
わったー市長を選ぼう会(http://www5.ocn.ne.jp/~watta)
名護高等予備校(http://www.edic-121.co.jp/)
沖縄・一坪反戦地主会・関東ブロック
(http://www.jca.apc.org/HHK/)
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著者:大野光明、「名もなき風景の中で」発起人、編集者
著者プロフィール:
「名もなき風景の中で」発起人、編集者。
1979年千葉生まれ。現在、団体職員。
2002年3月27日