名もなき風景の中で
第5号 国際開発:援助という名の独善
何十年も続けられてきた開発援助がなぜアフリカの貧困問題を解
決させないのか?それは謙虚さと理性にかけた豊かな国の人々が、
援助される国のことを正確に理解していないからだ、という著者の
思いが前面に現われた一冊を書評としてお届けします。
現在まで、多くの人類の富と英知が途上国援助に投入されてきた
が、グローバリゼーションの進展と相まって途上国と先進国の経済
格差はむしろ広がっている。その原因は何か?その答えを見つける
カギがこの本にあるのではないか?援助を考える上で必要な冷静な
現実主義的視点と謙虚さを与えてくれるのが、本書である。
援助というのは、ほどこしとは異なる。ほどこしとはもっぱら上
下関係の意味を内在させるものであり、援助はあくまで対等の関係
をも内在させ、とりわけ開発援助においては、窮状にある相手の自
立的発展を側面から支援するのが原則である。しかし、現在の国際
援助システムは世界銀行、国際通貨基金などの超国家的(supra-na
tional)組織が主導し、圧倒的な経済力を背景に、「超国家的」の
名に良くも悪くもふさわしい上からの援助がなされている場合が多
い。他方で、こうした現状に異議を唱え、対等な立場で援助を行っ
ている者の中にも、「援助しているのだから感謝されているはずだ」
とか、そこまで言わなくとも「自分はすばらしいことをやっている」
と、独善的な思い込みをしている人間が多いのも事実である。
著者は、アフリカ開発を巡る以上のような開発関係者を、冷徹な
プラグマティストとして鋭く批判し、アフリカ援助に欠けているも
のを指摘している。
東大卒で、日本銀行、ルワンダ中央銀行総裁、世界銀行副総裁と
いう肩書きからは想像できないくらい、冷静に国際機関の有用性に
疑問を呈し、翻って安直なセンチメンタリストにも批判を加え、先
進国にないアフリカの自然・文化を手放しで賛美する人間は、アフ
リカでは当惑の対象となり、「我々アフリカ人をいつまでも未発展
の状態に留めておき、観賞の対象にしようとの考えのあらわれだと
いう者さえいる」と指摘する。
(引用ここから)
よく、アフリカへ行って、アフリカの人とお友だちになりたいと
いう若い人たちに会うが、おそらく『人に優しく』、あるいいは
『人類みな兄弟』などという、うわついた教育とジャーナリズムの
影響かと腹立たしさを覚える。友だちはそう簡単にできるものでは
ないし、大切なのは、相互に干渉しない、お互いの人格を尊重した
対等の人間関係であることを知らない、幼児的大人が多いことは憂
慮に耐えない。こんな気持ちでアフリカに行ったら、アフリカ人の
反感と軽蔑とを招くだけであろう。何より大切なのは大部分のアフ
リカ人は誇り高い人たちであることを忘れないことである。
(中略)
援助しているから感謝されているはずだとの思い込みは、政府援
助に限らずNGOの人々にも多く見られるところである。
(引用ここまで)
こうした記述を読むたび、私自身の考えの浅はかさを感じると同
時に、ではどうすべきかという問題意識が生まれてくる。この点に
関し、著者はこのような問題が生じる最大の原因は私たち先進国の
人間がアフリカを正しく理解していないという点にあるという。
そこで著者が紹介するのは、植民地時代の歴史と独立後のアフリ
カの推移、そしてアフリカの現状である。アフリカというのはどの
ような課題を背負っているのか、また、背負わされてきたのか、高
校までの地理・世界史レベルしかない私にとっては大変興味深い。
特にサブ・サハラアフリカ諸国においては、外国からの民間直接
投資額よりも、この直接投資から得られた利益の外国への送金額の
方が多い点は、なぜグローバリゼーションが先進国と途上国との経
済格差を助長する一助となったのか、傾聴に値する指摘である。グ
ローバリゼーションによって「アフリカへの資金の流入量は増加し
ている」と考える人々は、このような現実を直視し、グローバリゼ
ーションがアフリカにとっても有益となるよう、修正すべきであろ
う。
本書の最後の章において、著者は「日本の援助を考える」と題
、日本がよりよい援助を行うための視点を読者に提供している。
その中で印象に残った点を紹介したい。
(引用ここから)
ある雑誌に曽野綾子氏のエチオピア飢餓の実情に関する感想が紹
介されていたことがあるが、その中で、曽野氏は『分からないこと
が多い』と当惑を述べておられた。
たとえば、そばに牛がいるのに『飢えて』いる人たちはそれを奪
って食べようとしない。(中略)これはおそらく救援物資の配給を
待つほうが楽だからであろう。救援物資が配給されるという期待が
ある限りこれを待つのが合理的行動だからである。
(中略)
度を越えた慈善は悪である。したがって慈善を施す場合、曽野氏
の言葉を借りると『真心とか温かい心とかは案外困りもので、むし
ろ冷静な計算が必要』なのである。安直なセンチメンタリズムは豊
かな国の人の思い上がりに過ぎず、人間の尊厳の軽視なのである。
小遣いを千円だしたら人が救えるなどと子供に思い込ませることは、
この思い上がりを次の世代にまで伝えるという意味で曽野氏の言わ
れるように『真に怖いこと』なのである。
(引用ここまで)
開発に対する議論は多い。しかし、これらの多くが開発援助の対
象である途上国、途上国の人々のことを正しく理解せずに、または
十分に考慮せずになされていることが多い。さらには、相手がまた
環境に応じた合理的思考をもっている同じ人間であるということを
忘れた上からの押し付け的援助、また、一部の独善的援助がまだ多
いのではないだろうか。現在の国際機関・政府とNGOとのパートナ
ーシップが盛んに議論されているが、これらはあくまで途上国への
最善の援助を行う点に奉仕すべきであって、単なる世論迎合的な政
治力学によってなされてはならないものである。
【小林貴誉志】
書籍名:「援助する国される国 アフリカが成長するために」
著者:服部正也著(元ルワンダ中央銀行総裁・元世界銀行副総裁)
単行本 - 257 p 2001年2月1日発行
中央公論新社 ; ISBN: 4120031047 ;
サイズ(cm): 18 x 13 ; 定価1900円(税抜)
Amazon.comからの注文はこちらのURLより。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/
4120031047/qid=1018081769/sr=1-1/ref=sr_1_0_1
/249-4183135-5505110
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著者:小林貴誉志、「名もなき風景の中で」スタッフライター
著者プロフィール
法学と国際開発、国際経済学が専門分野。論文、
「国家責任における過失責任主義と客観責任主義」
を執筆した。現在、京都の大学院にて修士号を取得中。
2002年4月7日