名もなき風景の中で
第7号 二つの<越境>の間のめまい


 5月10日、中国・瀋陽にある日本総領事館で起こった、亡命を
求めた朝鮮民主主義人民共和国の住民と思われる5人の駆け込みと、
中国武装警官による阻止・連行という境界線をめぐって繰り広げら
れた出来事。この事件は、その一部始終が映像と写真によってメデ
ィアを通じて発信され、大きな衝撃とともに受け取られている。新
聞各紙は事件以降、一面トップで取り扱い、また社説等を通じて積
極的に論じている。

 領事館内への中国・武装警察官の侵入。その一方で、朝鮮民主主
義人民共和国から、中国、そして日本総領事館内へと走った5人。
これは主権や国境という境界線を越境した二つの出来事である。こ
の二つの<越境>は、現在議論されている主権の侵害や領事館と外
務省の失態という論点を越えた領域へと、「私たち」を引き入れる
可能性を持つものだ。そのことに気付く時、二つの<越境>の間で、
私は軽いめまいのようなものを覚える。今後、事件の収集が行われ
る前に、二つの<越境>からにじみ出る問いについて考えてみたい。

◇何が問題とされているのか

 亡命者の侵入阻止と連行をめぐって内外の政治家やメディアは何
を論点にしているのか。ここでは日本の新聞報道を通してスケッチ
をしてみたい。

 一つは、中国の警察官の行為がウィーン条約に違反したのではな
いか、という論点である。

 領事館は、海外での自国民保護任務、経済・文化関係の促進、行
政機関事務(例えば査証の発給や紛失旅券の再発給手続き)など、
領事任務を行う主体・場所である(筒井、1998: 341)。領事任務を
行う国(派遣国)と、それを受け入れる国(接受国)とは、派遣国
への外交特権・免除を認め合う。通信の自由や課税の免除だけでな
く、今回の事件で問題とされている公館の不可侵という特権が認め
られており、領事関係のルールは「領事関係に関するウィーン条約」
によって定められている(筒井、1998: 343-343)。

 ウィーン条約で定められている「公館内への不可侵」について、
日本政府と中国政府は真っ向から対立している。日本の川口外相は
10日、駐日中国大使にウィーン条約違反であることを主張すると
ともに、5人の身柄返還と陳謝を求めた。一方、中国駐日大使は公
館内への侵入を認める一方、「身分不明の人の突入を防ぐ総領事館
の安全確保」のため、「世界中で反テロ活動が続く中、総領事館を
守る責任を果たす」ため取った措置であるとし、ウィーン条約には
違反していないという見解を示した。中国政府の対応に対して、日
本側のメディアは厳しい批判を行っている。例えば産経新聞は、
「中国は国際常識重視せよ」、「亡命者連行 『主権』踏みにじる
中国」、「文明社会のルール破る」というタイトルを付け激しい批
判と感情的な反応をしている(『産経新聞』2002年5月11日・朝
刊: 2-4)。このように、中国側の対応がウィーン条約違反であるか否
かを論点として、「主権国家として当然である領事館内不可侵のル
ールが破られた=日本の主権を侵された」という批判がされている
のだ。

 二つ目の論点は、領事館・外務省の事件への対応や危機管理に関
するものだ。館内へ侵入した5人を連行した中国の警察官を目の当
たりにしながら、領事館の職員は何ら対応をしなかったというのだ。
「ウィーン条約違反という認識が職員にあったのか」(村井仁国家
公安委員長)、「今の外務省の役人は国家を守るため体を張る気概
があるのか、まずやるべきことは総領事を召還し、免職処分にする
ことだ」(自民党・亀井静香)、「ビデオを見る限り、日本人職員
が積極的に動いているように見えない」(扇千景国土交通相)と、
領事館職員及び外務省への厳しい批判が行われている(『産経新聞
』2002年5月11日・朝刊: 2)。新聞各紙も「しっかりせよ外務省」
(『朝日新聞』2002年5月11日・朝刊:2)といったタイトルで、
中国武装警察官による上記のような主権の侵害行為を阻止・排除で
きなかった領事館と外務省を批判している。

 報道は以上の二点に異常な程に集中している。後述するように、
中国の警察官による領事館への侵入という出来事を、「中国という
国家・国民」による「日本という国家・国民」への侵入というイメ
ージへと意識的・無意識的に結びつけられることによって、ナショ
ナリスティックで感情的な反応が広がっている。

 一方で、北朝鮮からの亡命者、脱出者をめぐって、その近年の傾
向や原因から今回の事件を捉えようとする視点も、それほど多くは
ないが存在する。例えば毎日新聞は「ニュースの背景」というコー
ナーで「急増する北朝鮮脱出者:繁栄韓国にあこがれ」と題して一
面を使い解説を行っている(『毎日新聞』2002年5月11日・朝刊
: 9)。

◇<越境>=恐怖のイメージ

 以上のような概観から、主権をめぐる解説・報道に比べて5人の
立場、あるいは難民・亡命者の立場からの報道は極めて少ないとい
うのが率直な印象である。

 ある政治家が「領土内へ入った亡命希望者を引きずり出すという
のは拉致と違わない」というような主旨の意見を述べているのを聞
いた。この発言に象徴されるように、この事件を日本人拉致疑惑や
不審船事件と同じコンテクストの中で意識的・無意識的に論じてい
る人が多い。主権の及ぶ土地に外国の人間が認めないまま侵入した
ということは、確かにそれぞれの事件に共通なものかもしれない。
もちろん、日本政府は中国警察官の5人の住民への対応や、事件後
の中国政府の対応を問題にし、批判をするべき理由があると思う。

 しかし、主権の範囲とされる総領事館への武装警察官の侵入とい
う出来事が、領土への不審船や工作員の侵入という異なる事件と重
ね合わせられながら、「『われわれ』=国民」の安全が脅かされて
いるというコンテクスト=大きな物語に埋め込まれ、共通=想像の
恐怖を増強させていく効果・戦略が意識的・無意識的に取られてい
ることの危険性や罠について落ち着いて考える必要がある。例えば、
現在大きな問題を含みながら政府によって進められようとしている、
いわゆる有事法制やメディア規制法案を推進する方向へと、「私た
ち」は気付かない間に自らの頭と足で歩き始めてしまう危険性があ
るのではないだろうか。事件への対応を「国家の威信をかけた」
(『産経新聞』2002年5月11日・朝刊: 2)ものとして捉えること
は、国家権力の範囲を法によって拡大し、新たな統治を進めていく
不気味な動きへと接続されてしまう危険性があるだろう。主権とい
う言葉、不可侵という言葉、武装警察官という言葉が一人歩きし、
「私たちを侵す外国=中国」という物語へと接続される危険性をも
う少し考える必要があるのではないだろうか。

◇もう一つの<越境>――難民・亡命者をめぐって

 排他的な主権を強調する論調によって、今回の事件を通じ、ナショ
ナルな記憶・物語へと自己を同一化していく動きを、もう一つの<
越境>についての考察を深めることによって、批判的に捉え直すこ
とができるだろう。

 もう一つの<越境>。つまり、難民あるいは亡命者という越境者
をどう捉えるのかということである。日本領事館に逃げ込もうとし
た5人は(日本は亡命を受け入れていないため、日本領事館を通じ、
他の国への)亡命を希望した朝鮮民主主義人民共和国からの人々であ
ったと言われている。

 朝鮮民主主義人民共和国から中国への脱出者は近年急増している
と言われる。毎日新聞によれば、94・95年にアジアを襲った豪
雨被害を契機に目立ち始め、慢性的な食糧不足などが原因となって、
中国に住む朝鮮族の親族に食料を求めたり、食料を得るための出稼
ぎとして中国国境を越えていったという(『毎日新聞』2002年5
月11日・朝刊: 9)。近年、中国で活動する韓国の民間団体が元朝鮮
民主主義人民共和国の住民とともに、脱出者の亡命を助ける活動が
行われており、今回の駆け込みもNGOの協力がバックにあったと
報道されている。韓国へ亡命した脱出者の数は、95年に52名で
あったが、昨年には583名にまで増えているというデータもある
(『毎日新聞』2002年5月11日・朝刊: 9)。

 最近の亡命急増に対し、中国当局は「不法入国者」として摘発す
る動きを活発化しており、摘発される人数も増加している(『毎日
新聞』2002年5月11日・朝刊: 9)。このことは大きな意味を持つ
だろう。なぜならば、難民として認定されない「不法入国者」には、
難民としての権利が認められないからである。

 難民とは何なのだろうか。

 【難民とは、戦争、革命、クーデター、独裁政権の無法など、理
由は何であれ、みずからの居住地で生活を続けると、生活や生命、
あるいは自由や権利を脅かされる危険が迫り、同地を離れざるをえ
なくなったり、あるいは戻ることができなくなった結果、保護を提
供してくれ、かつ権利も主張できる国を喪失した人たちである(大
畠、1993: 481)。】

 【難民――人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員
であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるとい
う十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であ
って、その国籍国の保護を受けることができないもの又は受けるこ
とを望まないもの及び常居所を有していた国の外にいる無国籍者で
あって、その国に帰ることができないもの又は帰ることを望まない
もの[難民条約1A(2)参照](筒井、1998: 264)。】

 難民条約の定義から、朝鮮民主主義人民共和国からの脱出者たち
は難民と認定されるかについては議論があるのかもしれない。しか
しながら、国家からの保護の提供を受けられなくなり、権利さえも
喪失した人々として難民を広い意味で考えたとき、難民の視点から
今回の事件を捉え直してみることの意味は大きい。

 難民の地位に関する条約及び難民の地位に関する議定書によって、
難民の追放・送還の禁止など難民の法的保護が規定されている。し
かし、前述の通り、中国政府は中朝間には難民問題はないとして、
脱出者を「不法入国者」と捉えている。よって、公的にはその保護
を行う必要がなく、摘発と母国への強制送還を行っているのだ。日
本政府は亡命者の受入を行っていないということも付け加えておき
たい。

 この居場所を無くした人々は、世界中が主権を前提とする国家に
よって覆われている現在、最も厳しい状況を生きていると言える。
国家によって守られるべき国民というカテゴリー=主体から、自ら、
あるいは国家から居場所を取り上げられた人々にとって、排他的な
主権によって区切られた境界線は命がけの<越境>を必要とするも
のである。しかも<越境>の後に、保護があるかどうかも分からな
いのである。

 総領事館への逃亡は、彼ら・彼女らにとってはまさしく生命をか
けた行動であった。女性たちの悲鳴と子供のゆがんだ顔は、その状
況の厳しさを痛切な形で私たちに伝えている。国民ではないこと。
国民ではいられないこと。国民とは何なのか、という問い。その現
在的で痛々しい意味を、難民という位置から考えることができる。

 目を日本国内に向けるならば、同じ様な悲鳴や歪んだ顔が現れて
いる。それは「同じ」越境者としての外国からの労働者であり、滞
在者であり、在日韓国・朝鮮人であるように思う。例えば、徐京植
は在日朝鮮人と呼ばれる人々を、国家と世界戦争によって自らの居
場所を喪失した、難民あるいは半難民であると言う(徐、2002: 56
-60)。

 【在日朝鮮人は、植民地支配と世界戦争の時代が産み落とした一
種の難民である。朝鮮人はすべて一九一○年の「韓国併合」によっ
て無理やり日本臣民に繰り入れられたのだが、そのうち日本敗戦後
も日本国の領域内に残された者が在日朝鮮人である。一九五二年の
サンフランシスコ条約発効にともない、かつて朝鮮人に押しつけら
れた日本国籍が今度は一方的に剥奪されたが、その当時南北に分断
された朝鮮半島では内戦の真っ最中であった。在日朝鮮人にとって
自らが帰属する国家はまだ存在しないか、あるいはきわめて不安定
な形でしか存在しない状態だったのだ(徐、2002: 57-58)。】

 国民として認められなかったり、自ら国民というアイデンティテ
ィからアウトしたがゆえに、居場所を無くした人々。それは「外国
人」だけではない。路上の段ボールの中で横たわる人々、学校教育
になじむことができなかった不登校者も程度の差はあれ、同じ様な
境遇を生きていると言えるのではないだろうか。これらの人々を目
の当たりにするとき、私たちが信じて疑わない主権や安全保障、国
家の法というものの、排他性、暴力性、ひいては<不法性>という
ことが頭に浮かんでくるのだ。しかも、国民/非国民というラインを
再生産しているのは、私たち自身であるということも付け加える必
要がある。

 国民になり損ねた居場所のない人々にとって、安全や権利、法に
よる救済はとても遠いところにある。領事館のゲート上=境界線上
で叫ぶ彼女たちを、国民や国家から排除される人々と重ね合わせた
とき、主権や国境の意味が別のものとして見えてこないだろうか。
あの境界線は「私たち」の内なる国境線と重なり合って問いかけて
くる。今回の事件を通じて見てしまった二つの<越境>をめぐって、
このような問いを深めていく必要があるのではないだろうか。

◇二つの<越境>の間で

 「中国による主権の侵害」という<越境>を論じる言葉。そして、
亡命者・難民・移民という(日本における)越境者たちをめぐる言
葉。前者は主権という排他的・絶対的な権力をイメージさせ、「他
国=われわれではない他者=脅威」を国境線において防ごうという
思想へと近づいていく危険性がある。それは亡命者・難民・移民と
して生きる人々の声をどこかで遮断する可能性のある思考回路であ
る。人、モノ、カネ、情報が国境を越えて行き来するグローバリゼ
ーションの時代において、人の移動は不可避的な状況にある。

 事件をめぐって議論が集中している「領事館内への不可侵」とい
う主権論をめぐる言説が、亡命者の叫び声と歪んだ顔と交差し反響
するとき、その両義性のまっただ中で軽いめまいをおぼえる。難民
や亡命者を保護するべきなのは、NGOなどの民間組織だけでなく、
国際機関や国家でもある、ということに対しても。引き続きこの世
界では、この日本では、難民たちの、移民たちの叫び声と歪んだ顔
は、私たちの見えないところで、目の前で現れ続けるのだろうか。
事件の「解決」とはいったいどのようなもになるのだろうか。


◇参考資料
○ 筒井若水・編集代表、『国際法辞典』、1998、有斐閣.
○ 大畠秀樹 他編、『国際政治経済辞典』、1993、東京書籍.
○ 徐京植、『半難民の位置から 戦後責任論争と在日朝鮮人』、
2002、影書房.
○ 『毎日新聞』2002年5月11日朝刊.
○ 『産経新聞』2002年5月11日朝刊.
○ 『朝日新聞』2002年5月11日朝刊.

【2002/05/12】

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著者:大野光明、「名もなき風景の中で」発起人、編集者

著者プロフィール:
「名もなき風景の中で」発起人、編集者。
1979年千葉生まれ。現在、団体職員。

2002年5月13日