名もなき風景の中で
第8号 沖縄と「向こう岸」、そして私
     −−「復帰」30年と終わらない廃墟の記憶−−1


数年前、立命館大学で言語文化研究所主催の連続講座「国民国家
と多文化社会:向こう岸(ラテンアメリカ)からの問いかけ」が開
催された。「ラテンアメリカ」と呼ばれる地域についてそれほど興
味の無かったけれど、ほとんどの回に出席していた記憶がある(残
念なことに、バイトの時間とバッティングすることが多く、いつも
途中で退席していたことも覚えている)。

いつかの回で、ある報告者が講座のタイトルに付いている「向こ
う岸」という言葉に対して反応した。それは日本から見ればこその
「向こう岸」であって、そのような眼差し自体を問題化するような
試みこそが大切である、という批判であったように思う。だから、
その報告者は「向こう岸という言葉には『』を付ける必要があると
思う」と指摘した上で報告を始めた。

あれから数年経った今、私はもう一つの意味で「向こう岸という
言葉には『』を付けること」が必要だと感じ始めた。それは、「ラ
テンアメリカ」とは「向こう」にあるのではなく、「こちら」の問
題と深く結びつき、同時代的なテーマを相互にねばり強く問題化す
ることができる土地でもあると気付いたからだ。すなわち、「ラテ
ンアメリカ」とは歴史、国民、国家、植民地主義、帝国主義、グロ
ーバリゼーション、人種主義・差別、移民、開発、ジェンダー、国
境、アイデンティティ、反乱、先住民、環境…といった今日、日本
だけでなく世界の様々な地域をめぐって議論されているテーマと相
互に通底するものとしてありうるのである(西川、2000: 15)。そ
のようなことを考えるきっかけとなったのは、今年のゴールデンウ
ィーク中に、立命館大学言語文化研究所・前所長・西川長夫氏と再
会し、「マルチニックから沖縄を見ること」(西川、2002)という
テーマを提示された出来事だった。

これから書き進めていくこの文章のテーマは、「本土復帰」30
年を迎えた沖縄と日本について考える時に「向こう岸」からの視点
を含むことは、どのような意味を持っているのだろうかということ
である。「本土復帰」が達成された後も、軍事基地の集中と沖縄の
人々への人権侵害という現実は大きくは変わらないまま維持されて
きた。この現実はひょっとすると1960年代前後の「本土復帰」
運動や現在の沖縄、そして「向こう岸」が規定されている関係――
植民地主義的な関係?――に原因があるのではないだろうか。

「向こう岸」とともに沖縄を問うことは、日本人という主体や戦
後日本をどのように位置づけ直す作業なのだろうか。沖縄の「本土
復帰」闘争を批判的に再検討することを通じ、これまで良心的な人
々が取ってきた「沖縄を通して日本や日本人を問う」という枠組み
の両義性や限界についてあえて考えてみたい。そのことが一つ目の
ポイントである。

(引用ここから)
[大江健三郎の『沖縄ノート』では――大野]「日本人とはなに
か、このような日本人ではないところの日本人へと自分をかえるこ
とはできないか」という文章が十回ほどもくるかえされる。幾度悔
い改めても、どれだけ批判しても、帰ってゆくところは結局「日本
人」なのだ。それは沖縄人に日本人であることを強いることになら
ないのだろうか。私は『沖縄ノート』が反日本人論の形をかりたウ
ルトラ日本人論であることを知って茫然とした(西川、2002)。
(引用ここまで)

「沖縄」を「日本人」として考える大江健三郎(大江、1970)。
大江健三郎の言葉を、帰ってゆくところは「日本人」でしかないと
読むことは自明の事柄なのだろうか。読むこととは、複数の読み方
から一つを選ぶという、文字と私とを相互に規定するパフォーマテ
ィブな営みに他ならないと言えるのであるならば、ある「日本人」
が、「日本人」と自らを規定し、名乗り、ある他者へと呼びかける
営みの中に芽生える、自己の生成変化と自己をめぐる関係性の変化
こそが論じられなければならない。自己を表す「名前」は空っぽで
、コンテクストに応じて変幻自在に意味を変えていく。自己を「日
本人」として規定し、呼ぶことへの極度の拒否反応をとりあえず置
いておき、テクスト、アイデンティティ、そして主体の生成変化の
強調から見えてくる可能性について考えてみたい。このことが二つ
目のポイントである。「向こう岸」と「沖縄」に出会うという経験
は、私をどのように変容させていくのか。そのことをうまくこの文
章で伝えることができれば、と思っている。

「本土復帰」30年目の沖縄にある現実。私は何を問われている
のだろうか。私は「沖縄を通して日本や日本人を問う」という枠組
みに縛られながらも、どこまではみ出していけるだろう?「マルチ
ニックから沖縄へ」と題された文章(西川、2002)を頭のどこかに
置きながら、「沖縄」からの/への問いについて考えてみよう。

(次週に続く)

参考文献
○ APO、2002、『EDGE』no.12(特集 想像の共同体<日本> 
<沖縄の子ら>はどのように日本人になった/されたか?!)
○大江健三郎、1970、『沖縄ノート』、岩波書店
○ 西川長夫、1998、『国民国家論の射程――あるいは<国民>と
いう怪物についてーー』、柏書房
○ 西川長夫、2000、「序 『向こう岸』からの問いかけ」、西川
長夫他編『ラテンアメリカからの問いかけ――ラス・カサス、植民
地支配からグローバリゼーションまで』、人文書院
○ 西川長夫、2002、「マルチニックから沖縄へ――エメ・セゼー
ルに会って考えたこと――」、
○ 酒井直樹他編、『岩波講座 近代日本の文化史 第1巻』、岩
波書店
○ 野村浩也、2002、「沖縄とポストコロニアリズム」、姜尚中編
『ポストコロニアリズム』、作品社

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著者:大野光明、「名もなき風景の中で」発起人、編集者

著者プロフィール:
「名もなき風景の中で」発起人、編集者。
1979年千葉生まれ。現在、団体職員。

2002年6月24日