名もなき風景の中で
第9号 沖縄と「向こう岸」、そして私
     −−「復帰」30年と終わらない廃墟の記憶−−No.2


1.終わらない植民地主義?あるいは廃墟の記憶
 ――「向こう岸」と沖縄――

 西川長夫氏との再会のあと、とりあえず身の回りにあった本を
読み返したり、手を着けていなかった本や論文を読む作業をした。
読み返しするうちに、ラテンアメリカを経由して沖縄を考えるこ
と、またその逆の意味を深めることができた。「向こう岸」を経
由しながら、日本と沖縄を考えるときに浮かぶ問い。それは現在の
ラテンアメリカ、沖縄、そして私たちの身体や認識枠組みは、未
だに植民地主義的な関係性に深く、強く規定されているのではな
いか、ということだ。  

 過去に植民地の経験した諸地域の多くは未だに終わらない植民
地主義的規定を経験し続けている。それは中央―周辺という関係
が肥大化した経済的事象に顕著に現れている。数ヶ月前、沖縄県
名護市から輿石正さんという方が一坪反戦地主会・関東ブロック
の集会に招かれたが、その講演内容でとても印象的であったのは、
政府から「本土復帰」後提供されてきた振興策・振興資金や特別
な保護法といったものが、沖縄県内の自立した企業や産業を育て
ることをやめさせる絶大な効果があったし、あり続けているとい
うことだった。30年間の補助金漬けは「文字通り沖縄を飼い殺
しにして手なずけたという、時間をかけてきた沖縄の本土化」
(輿石、2002)をもたらし、沖縄県の経済は観光、公共事業、
基地産業という国や政府に大きく依存した構造をずっと持ち続け、
それゆえ、基地誘致をもいとわないという現状が出来上がったと
言える。ラテンアメリカを経由しながら中央―周辺関係(那覇と
いう中央と、本島北部や「離島」などの周辺という沖縄内部の
関係も含めて)、世界システム、あるいは「終わらない植民地主
義」といった諸概念を念頭に置いたとき、名護市でのヘリポート
基地新設決定という衝撃的な出来事を私はうまく飲み込めてしま
った。

 終わらない植民地主義、ポストコロニアルという問題設定は経
済的な事象にとどまるようなものでもない。ポストコロニアルと
いう文脈においてハイチやマルチニックなどのカリブ海地域が現
在注目されているのは文化やアイデンティティの混淆・雑種性・
関係性といった事象でもある。「アメラジアン」と呼ばれる米軍
属男性とアジア系女性(沖縄の女性など)との間に生まれた「混
血」の人々への沈黙、タブー化、差別が未だに根強い沖縄とを簡
単に並べることは難しいかも知れないが、文化やアイデンティ
ティの雑種性・混淆・関係性…について沖縄においても考えてい
くことは必要なことのように思われる。なぜなら、アイデンティ
ティや文化の混淆や雑種性という事象は、政治・経済・社会とい
った領域にまで射程を広げうるからである。例えば、血統主義や
静態的な文化観に基づく多文化主義(多文化主義を静態的な文化
観に基づいているというのは一面的ではあるが)を批判的に問う
「『多様性の中にしか普遍性はない』という考え方に基づく」社
会編制原理としてクレオール(・モデル)の提唱が「向こう岸」
を経由して行われている(ベルナベ・三浦・西:2000: 7-13)。沖
縄という場から、混淆や雑種性の可能性について考えることは、
日本という「共同体」の編制原理を批判的に問いながら、沖縄と
本土という単一の関係性から複数の関係性へと思考を開く営みへ
とつながっていく。植民地主義の暴力が満ちた「後」に、終わら
ない植民地主義的な関係性と、そこに生まれる可能性について、
ハイチやマルチニックなどを経由して沖縄へと思考していくこと
は非常に興味深い試みになるのではないだろうか。

 ポストコロニアルな現在――植民地主義が残し、再生産する傷
跡と可能性の真っ直中――において、人々が抱く葛藤――例えば
「自治か、独立か」、クレオール礼賛か――は人々が未だに植民
地主義的関係性に規定され続けていることを示している。沖縄で
は基地とともにあることで苦しむ一方で、自立的な経済、自治の
強化、あるいは琉球王朝時代へのノスタルジーを含めつつ広く海
洋ネットワーク圏のような構想を主張する声が発せられる。「向
こう岸」だけでなく沖縄をはじめ世界の様々な地域において植民
地主義的関係への自己再規定と「脱植民地化」の試みが行われ、
求められ続けているということだろう。

 「向こう岸」を経由しながらの旅の途上、私は大江健三郎に出
会った。

(次号に続く)

参考文献
○ APO、2002、『EDGE』no.12(特集 想像の共同体<日本>
<沖縄の子ら>はどのように日本人になった/されたか?!) 
○ 大江健三郎、1970、『沖縄ノート』、岩波書店
○ 輿石正、2002、「1・19基地にたよらず 命の自立を!」、
名護ヘリポート基地に反対する会『美ら海通信』vol. 27
○ 崎山政毅、2001、『サバルタンと歴史』、青土社
○ ジャン・ベルナベ、三浦信孝、西成彦(司会)、2000、
 「ネグリチュードからクレオール性へ:エメ・セゼールを
 めぐって」、『立命館言語文化研究』12巻3号
○ 杉田敦、2000、『権力』、岩波書店
○ チュン・リー、2001、「桃太郎になれなかった鬼子は<問い>
 の無限旋律を生きる」、『EDGE』no.12
○ テッサ・モーリス=鈴木2002、(市民外交センター設立20周年
 記念シンポジウム「『多民族・多文化社会』の実現に向けて〜先
 住民族の実践から見えてくる未来〜」2002年6月3日@明治学院
 大学白金校舎 でのコメント)
○ 冨山一郎、1998、「赤い大地と夢の痕跡」、複数文化研究会編
 『<複数文化>のためにーーポストコロニアリズムとクレオール
 性の現在』、人文書院
○ 西川長夫、1998、『国民国家論の射程――あるいは<国民>と
 いう怪物についてーー』、 柏書房
○ 西川長夫、1999、『フランスの解体?――もうひとつの
 国民国家論――』人文書院
○ 西川長夫、2000、「序 『向こう岸』からの問いかけ」、
 西川長夫他編『ラテンアメリカからの問いかけ――ラス・カサ
 ス、植民地支配からグローバリゼーションまで』、人文書院
○ 西川長夫、2002、「マルチニックから沖縄へ――エメ・セゼ
 ールに会って考えたこと――」、酒井直樹他編、
 『岩波講座 近代日本の文化史 第1巻』、岩波書店
○ 野村浩也、2002、「沖縄とポストコロニアリズム」、
 姜尚中 編『ポストコロニアリズム』、作品社
○ 浜忠雄、2000、「ハイチからの問いかけ」、
 西川長夫他編『ラテンアメリカからの問いかけ――ラス・カサ
 ス、植民地支配からグローバリゼーションまで』、人文書院
○ 松田素二、2000、「共同体の正義と和解――過去の償いはいか
 にして可能か――」、『現代思想』vol. 28-13.
○ 三浦信孝、2000、「マルチニック紀行――クレオールへの旅
 ――」、西川長夫他編『ラテンアメリカからの問いかけ――ラ
 ス・カサス、植民地支配からグローバリゼーションまで』、人文書院

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著者:大野光明、「名もなき風景の中で」発起人、編集者

著者プロフィール:
「名もなき風景の中で」発起人、編集者。
1979年千葉生まれ。現在、団体職員。

2002年7月21日