1974年 12月28日生まれ。現在29才。仕事を議員活動に絞り、奮闘の毎日。

 少年期、毎年の家族キャンプで唐津の海や山に惚れ込む。

 中学高校と「宇宙の成り立ちを探求したい」と京都大学進学を勝手に目指す(夢くらいは見ていいでしょ!)。
 当時は、相対性理論で有名なアインシュタイン氏や理論宇宙物理学者のホーキング氏を敬愛し、中学生には高価だった月刊科学誌「NEWTON」の定期購読を両親にせがむ。挿絵や写真も多く、地球の果てから世界の果てまでの夢にふける毎日を送る。

 当時の得意科目は数学・物理・英語。国語や社会は苦手だったが、唯一郷土史には興味を持ち、道なき山城跡をシダをかき分けて登った思い出もあり。

写真:左)中学校卒業式、左下)高校文化祭にて、下中)高校のときの唐津城スケッチ(酷い出来)、下右)卒業間も無い頃

佐賀県立神埼高校を卒業し、環境と福祉の生協「グリーンコープさが」に入協。

(ミウラが大学に進学しなかったことで「世界の宇宙物理学が100年遅れた」などと1年くらい本気でうぬぼれていた恥ずかしい時期。

 入協後、唐津市への転勤を願い出、憧れの地「唐津」での生活が始まる。
 以来、10年間生協職員として唐津での生活や県内一円での組合員さんや生産者との対話を通し、食べ物や子育て、両親の介護など生活の不安や悩みを実感しつつ、海山に親しむ。

 
 転機は突然やってきた。1999年統一選で職場にアピールにやってきた「環境・市民派」尾原さん(当時市議候補)増本とおる県議との出会いをきっかけに、市民運動を政治に発展・反映させる運動に共感。有給休暇を取得し政治をに没頭。
 その後、「からつ環境ネットワーク」立ち上げにかかわり、事務局長として活動。

 2001年、さがセンターに転勤になるも、唐津を離れたくないと、通勤を決意。しかし、副センター長・センター長と役職を任されるに従い、唐津での自分自身の運動量・時間が極端に減ってしまい、葛藤と不完全燃焼の毎日。

 めったに見ないTVドラマ、たまたま見た「僕の生きる道」に感動。
 そして2003年1月、市民派議員ネットワーク「虹と緑」に参加し、市会議員立候補を決意。唐津を通じて日本の政治を変えるべく、生協を退職。

そして市民の皆様の暖かいご支援を頂き、当選させていただきました!

左)2003年4月の選挙戦、雨の街角での政策の訴え。
(撮影:ヨシヤマサトシ)