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「大河、そこ、間違ってるよ」
指摘されてノートの数式を見直すと、確かに計算違いをしている箇所があった。どうも答えが合わないと思っていたところだったのだ。
「あっ、本当だ。ありがとうございます、昴さん」
間近でにっこりと屈託のない笑みを浮かべる新次郎に、昴は少し面食らう。
「……本当に君は、興味深い反応をする」
自習室の大きなフランス窓からは、夕陽が射し込んでいて少し眩しい。その窓をバックに立つ昴の黒髪がふわりと揺れて、新次郎は眩暈のようなものを覚えた。
全寮制の戒律の厳しい学園、その寮の、特別棟に昴は住んでいる。誰もが昴を羨望の眼差しで見ていたし、話しかけるような強心臓の持ち主はいなかった。つい最近転入してきた、大河新次郎を除いては。
「……この学園は退屈だ。そうは思わないか、大河」
その問いかけには答えず、昴は新次郎をじっと見つめる。すべてを見透かすようなその切れ長の瞳に、新次郎の胸はどきりと音を立てた。
「……ついてこい、大河」
「な、なんですかここ?……標本室?」
入ってすぐ目に入った棚に、液体に浸かった爬虫類があるのが見えた。ホルマリンで脱色した皮膚はぶよぶよと生白く、濁った瞳がやけに黒々としていて、正直あまり見ていて気分のいいものではない。その周りのびんの中身も、似たようなものだ。すたすたと室内に入っていく昴の後を追うと、壁際の棚の上に置かれた剥製なども目に入る。あれは狐だろうか。
「す、昴さん……こんなとこ」
おどおどとしている新次郎を見て意地悪そうに微笑むと、壁際のひとつの棚に昴が近づく。
「僕は、この標本が一番気に入っているんだ」
昴が手にした木の箱は硝子のふたがはまっていて、何種類かの蝶が虫ピンで留められている。蝶の下にはおそらくその蝶の学名などが書かれた小さな紙が貼られているが、ラテン語なのか、新次郎には読めなかった。
「……気に入っているものほど、こうしてみたくなる」
新次郎が止める暇もなく、昴はその標本箱のふたを開けて虫ピンを外すと、ひとつの蝶を指先でちぎってしまった。ひらひらと砕けた蝶の翅が舞い、鱗粉がきらきらと夕陽に輝く。
「ちょっ……昴さん!!何してるんですか!!」
昴が何を考えているのか、新次郎にはわからない。ただ、ちぎれた蝶の翅が痛々しくて、床に落ちたそれを見つめた。ふと、昴の顔がごく近くにあることに気づく。
「……退屈だ、と思っていたけどね」
新次郎の唇が、やわらかいもので塞がれる。やわらかく、強いもので。
ああ逆らえない、と新次郎は目を閉じた。昴の指先でちぎられるのなら、それもいいと思ってしまっているのは、この部屋のせいだけではないだろう。
夕陽が、閉じたまぶたにやけに眩しい放課後だった。 |