眩しいくらいの明るい満月の夜に、少しためらうような、弱々しいノックの音。
訝しみながらドアを開けると、大神が立っていた。
「いよう、大神ぃ。どうしたんだ?突然…」
「……すまない、加山。少し……良いか?」
部屋に上げると、大神はおとなしく椅子に腰を下ろす。なんだかうつむき加減で、どう見ても元気だと言えるような状態ではない。
まあ、元気じゃないからこんな時間にこんなところに来るんだろうが。
「それにしても珍しいな。おまえからうちに来るなんて…どうかしたか?」
貰い物の紅茶があったのでそれをカップに注ぐと、大神に手渡す。
大神はありがとう、と小さく言うと、そのカップを両手で持って揺れる液体を見つめた。
「……いや、特に話すようなことじゃ、ないんだが…迷惑なら言ってくれ。すぐに、帰るから……」
「いやあ、オレはまったく構わないぞ。それより、大丈夫か?抜け出してきたんだろう?」
いつも前向きで並大抵じゃない精神力を持つ大神が、こんな顔を見せるのは珍しい。だからと言って、深刻さむんむん、というわけでもなく……ただなんとなく、覇気がないというか、オーラが薄いというか。そういう感じなのだ。
ふと、大神がカップを机に置くと、椅子から立ち上がってベッドに座ったオレの方にやってきた。右手をゆっくり伸ばすと、オレの頬に触れる。その指とてのひらは、持っていたカップの熱でとても温かい。
「…少し、眩しいんだ。灯りを…落としてくれないか?」
「ん、わかった。ちょっと待て」
大神をベッドに座らせると、入れ替わりに立ち上がって部屋の照明を消す。そして枕元の灯りをつけようとした手を、大神に止められた。
「月が眩しいから…灯りはなくて丁度良い」
「…そうか」
大神の隣に腰掛けると、少し身体を寄せてくるので、軽く腰に腕をまわして胸にもたれさせてやる。
……今までのつきあいから鑑みて、こうなってるときの大神は多分、甘えたいモードなのだ。かわいいやつめ。
オレの部屋は多分、大神にとっては都合の良い場所なのだろう。
自室にいては逃れられないような思いがあって、そこから逃げたい衝動に駆られてここに来たに違いない。だからと言って、鍛錬室に汗を流しに行くでもなく、中庭に剣を振るいに行くわけでもなく。とりあえずは帝劇という日常から逃げて、甘えたいのだろう。
そして、本当に駄目だと思ったのなら、ほんの少しの間でも実家に帰省するなり、どこかに出かければ良い。そうすれば完全に、日常からは逃げることができる。
……要は、オレの部屋は中途半端で便利な場所なのだ。日常でもなく、非日常でもなく。都合よく甘えられるオレもいる。
大神は、オレの胸の中で静かにしている。だらしなく着ていたシャツの、はだけた胸元に大神の吐息がかかって、少しくすぐったい。
「……大神ぃ、もっと盛大に甘えても良いんだぞ?ほら、ベッドもあるし。…気分転換くらいはさせてやれると思うが」
「…そういうふうに言うな。俺はおまえとのことをそんなふうには……したくない」
少しおどけて言うオレに、大神は頬を染める。
オレは心の中で嘘つき、と言う。
嘘が嫌いなくせに。
結局はオレを、逃げ場にしてるじゃないか。夜に突然来ておいて、寝ても寝なくても差なんてない。
相手が違ったらオレは、押し倒しているのかもしれないが、大神にはそれはできない。
突っ走って、逃げられてしまうのが怖いのだ。
「ね、じゃあ…キスだけ。してもいい?」
胸の中の大神に言うと、顔を上げて自分からキスをしてきた。…今夜の礼、いや、詫びのつもりか?
触れるだけのキスにしておくのはちょっと、かなりの精神力を要するのだが……
それでも唇を離して微笑むと、やさしく大神の肩を抱いてまた甘えさせてやる。
オレがこれ以上するつもりがないことを悟って安心したのか、大神は目を閉じて体重をあずけてくる。
大神のあたたかい身体、なめらかな頬、オレの胸で閉じられた瞳。
逃げ場でいるうちは、こうしてそばにいられる。
だからオレは、ここでおまえを受け入れることができるのだ。
窓から差し込む月の光がやけに眩しくて、目を閉じた。
こんな月の夜には、せめておまえを見守っていられるよう、オレが黙っておまえのそばにいられるようにと、願わずにはいられない。
「……なあ、何も……しなくて、いいのか?」
上目づかいで恐る恐る尋ねてくる大神に、思わず苦笑する。…信用がないのか、誘ってるのか、どっちだ?
「…ああ、いいぞ。大神がかわいいからなぁ……して欲しいなら、別だけど?」
「…………」
大神はさあっ、と頬を染めると、黙ってぎゅっと抱きついてきた。かわいいやつめ。
こっそりと睦み合うには月が眩しすぎる。
こんな思いで身を寄せ合っているオレたちは、さぞかし滑稽だろう。