夢の果実

 ……ここは、どこだ?
 ほの暗い座敷。結構広いが……おそらく縁側に通じるであろう障子は閉められているが、隣室への襖は開け放たれている。
 今は何時だ?暗くはないので夜ではないだろうが、障子に遮られた外光だけでは、室内は薄墨で描かれたようにぼんやりとしている。
 そしてオレは……着物、浴衣だろうか?地味な風合いの…決して窮屈ではないが、すっかり洋装に慣れた自分には、珍しい装いをしている。
 「桃、剥いたけど、食べるだろ?」
 不意に、影になった隣室――そこも座敷だ――の奥から、聞き慣れた声に問い掛けられる。
「……ああ」


 ほの暗い座敷に座るオレの、隣には見慣れた男、大神がやはり浴衣姿で座っている。
 その手には、きれいに剥かれ、切り分けられた桃が乗せられた硝子の器。
 大神の目を見ると、やけに眼球が透きとおって見える。柔らかそうな睫毛に縁取られたその目つきが、しっとりと艶かしい。
 大神は優しく微笑むと、白い指で桃を掴み、何の躊躇いもなくオレの口元に差し出した。
 瑞々しく光り、甘い香りを放つ果実。
 そのまま、大神の手から桃を齧る。口の中に広がる水蜜桃の果汁と、うっとりとするほどの甘さ。
 続けて桃を齧ると、大神の白い指を、腕を、桃の果汁がつつ、と伝い落ちてゆく。
 次の桃を差し出す指を、果実ごと口中に含む。その柔らかい果実と共に溶けてしまいそうな、白い優しい指。


 「おまえは、俺のことなんて―――見てくれていないんだな」
 やけに紅い大神の唇が動く。まるで視線を動かす力を奪われたかのように、その艶やかな唇から目が離せない。
 「おまえは、俺を抱いていても、どこか遠くを見ているようで―――まるで、俺の身体を通して、他の誰かを抱いてでもいるような。違う景色を見ているような」
 静かすぎる空間に、大神の呟くような声が響く。
 オレの口に入れられたままの、大神の白い指。それに軽く立てた歯に、段々と力がこもってゆく。
 「俺はいつも、おまえに抱かれながらも、寂しくてたまらないんだ。いつもおまえは、遠くにいるんだな―――」
 顎にどんどん、どんどん力が入る。こんなことはしたくない。大神の白く、きれいな指をこんなにきつく噛むなど―――それでも、顎の力を弱めることができない。
 こんな力で噛まれれば相当に痛いはずなのに、大神はその微笑を崩すことさえしない。微笑んだまま、オレの喉の辺りを見つめている。


 ぶつり、と嫌な歯応えの後、口の中に血の味が広がってゆく。
 それは、舌の上からどんどんと広がり、オレの口中を侵蝕し、鼻に抜けるその匂いに脳髄が痺れる。まるで、大神の血液に犯されているような感覚に陥る。
 「………それでも俺は、おまえに抱かれることを、やめられないんだ―――」



 目覚めたときは既に朝で、オレは自室のベッドで天井を見つめ、暫し夢と現実との狭間を彷徨った。
 ここは座敷などではないし、勿論、オレは浴衣など着ていない。
 隣に、大神もいない。


 あの、白い指から流れ出た血液の味が口中に残っている気がして、オレは眩暈を覚えた。
 痺れるように甘美なあの味と匂いが、奇妙な興奮と倒錯を伴って蘇ってくるのを抑えられず、オレはその五感を持っていかれるような記憶にたゆたう。
 この、身体の熱は、一体何だと言うのか―――

モドル