カレイドスコープ 5

このところ、加山の様子が少しおかしいことには気づいていた。体調を崩した日からこれまで本調子ではないようだし、ずっと何かを言いたそうにしていると思う。

「…………えーと、大神?オレ、寝られないんだけど」

加山の寝床である二段ベッドの上段に登り上げ、大神は布団の上に座って加山を見ていた。寝るに寝られない加山が枕を抱えている。

「おまえ最近何だか変じゃないか?悩みでもあるのか」

生真面目な顔でじっと正面から見据えられ、加山はたじたじと背中を壁に貼り付けた。
「……変というのは昔からたまーに言われてきたことだし、悩みと言えば布団に入れないことかなぁ」
「俺は真面目にきいてるんだが」
「えーと……」

加山は心底困っていた。口に出して言えるほど、明確な悩みというものでもないからだ。むしろ、このもやもやした気持ちに名前をつけてもらいたいのは加山の方だった。
「やっぱり体調が悪いのか?最近妙におまえの視線を感じるんだが、何か俺に対して不満でもあるのか?何かあるなら言ってくれ」
「いやいやそんなことはないぞ!体調もおまえのおかげで回復したし、不満は特にない。うん」

疑わしげに眉をひそめて加山を見つめている大神を冷や汗を流して見返す一方、妙に冷静な自分が加山の頭の片隅はいるのだった。こうして二人きりでいれば、どうということはない。いたって普通だ。だがしかし、あの松島の態度に対する自分の気持ちはどうだ。まるで、人気者の大神をひとりじめしたくてやきもきしている子供じゃないか。

「…………アレを、見に行くのか?」
「?……何をだ?」

鈍い大神に加山は少し苛立つ。オレは何だ、何のつもりだ?大神にとって自分は何だ、自分にとって大神は何だ。

「松島が言っていた、バラックだ」
「ああ、あれのことか。一度断ったものの、松島が食い下がってくるから……なんだかんだで、あいつも心細いのかもしれんな。まったく、困った後輩だ」

苦笑しながら嬉しそうに話す大神が、気に食わないと思った。

「…………もう寝る」
「え?ああ、そうか。おやすみ」

大神が布団の上からどくやいなや、無言で布団をかぶる。大神が梯子を降りるぎしぎしという軋み、ベッドに横たわる振動、先程まで大神のいた布団のぬくもり。部屋の中で起こる現象すべてに大神を感じてしまい、混乱する。消灯の闇に、大神の静かな呼吸と、自分の心臓の音が響いているように感じられる。

(一体なんだというんだ、オレは!)

加山はもう既に気づいているはずだった。



 大神はいたって普通だが、加山はあの巡航の日からなんとなく落ち着かない。今まで当たり前だと思っていたことがことごとく、特別なことのように感じられてしまうのだ。例えば、大神と二人きりの部屋で寝起きすることであったり、隣の席に座って授業を受けることであったり、一緒に風呂に入ることであったりと、ほとんどすべて日常生活だ。自分の生活に深く食い込んでいる大神を、二人部屋というシステムを恨めしく思った。


 夜、一号の藤咲が大神を連れ出しに来た。件のバラックを見に行くのは明日の夜、その打ち合わせのためだろう。親しげに肩に腕をまわされながら出て行く大神の背中を見送りながら、その会合の場に行けない自分をみじめだと思った。別に今からその会合に加わっても、なんら問題はないだろう。しかし、加山の心の中の何者かがそれを拒むのだ。
 もやもやとした気分だが、大神のいない部屋に少しほっとしている自分もいる。まったく、自分はいつからこんなに複雑怪奇な人格になったんだろう、と加山はふうとため息をついた。
 そのとき、壁際に置かれた大神の衣装箱が目に飛び込んできた。

(…………)

あの中を覗いてはいけない。あれを見てはいけない、手を触れてはいけない。大神の大切な、加山の侵入してはいけない思い出だからだ。それがどんな思い出なのかは知らない、教えてくれとは言えない。しかし少しだけ、もう少しだけ大神に近づきたいと思った。
 加山はそろりと忍び足で、大神の衣装箱に近づく。音を立てないようにそっとふたを取ると、きちんとたたまれて整理された衣装の陰に、それが見えた。そっと衣服をどけて、おそるおそる手を伸ばしてみる。

(…………………)

真っ赤な千代紙が巻かれた華奢な万華鏡は、意外なほど軽くてしゃらり、と音を立てた。少しでも大神に近づきたい、大神と同じ景色を見てみたい。しかし自分は近づき過ぎてはいないか。大神に、何もを求めているというのか。あまりにも近づいてしまえば、もう戻れないのではないだろうか。
 どれほどの時間だろうか、しばらく手に取ったそれをじっと見つめていたが、意を決したように加山は万華鏡を目に近づけた。


 突然に開いた部屋の扉が開き、まず感じたのは気配だった。遅れて、扉の蝶番が軋む音が聞こえる。加山は幾分派手にびくりと身を震わせ、万華鏡を取り落としてしまった。スローモーションのようにゆっくりとした動きで、手の中から滑り落ちたそれが遠ざかり、華奢な軽さで床に転がり落ちる。音が遅れて聞こえ、底板が外れて、中に入っていた色とりどりのビーズやモールが床に散らばった。加山は声も出せずに筒が転がり行く先をのろのろと目で追うと、そこには大神が立っていた。

「…………拾えよ」

永遠にも思える数秒の沈黙の後、大神がぼそり、と呟くように言う。身体が、動かない。

「……早く、拾え」

加山は脱力したように、床に膝をついた。大神の顔を見ることはできなかった。震えそうになる指で、小さな宝石を拾い集める。それは慎ましやかな輝きで、床の上を無邪気に転がっていた。
 加山がそれを拾う間、大神は一言も口をきかなかった。ただ黙って立ち、這いつくばる加山を見下ろしていた。加山は泣きそうな顔で大神の足元にひざまずき、その細かい思い出を拾い集めた。
 完全に、加山の負けだった。


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