キルシュバウムメイデン1

 世間はまだまだ正月ムードの1月2日、加山は背広姿で帰宅した。勿論、無駄にそんな格好をしていたわけではない。

「正月から仕事で午前様なんて、なんて言うか……報われないなぁ〜オレって」

時計の針は既に深夜の12時を回り、日付が変わってしまった。1月3日である。加山がぶつぶつと独り言を言いながら部屋の郵便受けを覗くと、見慣れない黒い封筒が入っているのに気づいた。

 「……何語だ?読めんな……でも、オレ宛だもんなぁ」

畳の上の万年床にどさりと腰を下ろし、ネクタイを解く。普段ならばすぐに蒸気ストーブを点けて肩のこる背広を脱ぎ捨てるのだが、どうにもその黒い封筒が気になって仕方がなかった。封筒に銀色で印刷された文字の解読は早々に諦め、はさみで封を開けると、黒い便箋が1枚入っていた。書かれていた文章が日本語だったので、加山は早速それを読んでみる。

「なになに……『貴方に素敵な時間をお約束致します、1週間の御使用の後返品可能。極めて幸運なるこの機会を逃すべからず、即座に御答え願います。巻きますか?』…………なんじゃこりゃ?」

便箋の文句は意味不明だった。通信販売の案内のようなものだ、ということは加山にもなんとなくわかったが、何せ肝心の商品に関しての説明がないし、金額も提示されていない。

「しかも巻くってなんだぁ?」

背広の上着を脱ぎ、シャツのままごろりと布団に横になる。封筒をもう一度見ても自分への宛名と異国語の会社名のようなものの表記しかない。中には謎の便箋1枚、表に銀色の文字で謎の文章のみだ。電灯に透かしても何が見えるわけでもなく、封筒も便箋も触っても少し厚手の普通の紙。もしかしたらあぶり出しかも!と少し思ったが、こんなわけのわからない手紙をあぶる自分を想像して加山はちょっとげんなりした。

「……巻く、ねぇ」

巻くと言えば手巻き寿司くらいしか思いつかない。でも寿司は1週間も使えないしそもそも使うものでもないし、食べ物じゃないことは文面から明白だ。他に巻くと言えば髪。巷で流行のパーマネントというやつである。しかしその宣伝文句がこんなに大袈裟なのもおかしい。ござを巻いたところで素敵な時間は送れないだろうし、むしろ広げた方がよさそうだ。

「………………あー」

5分ほど考えたところで、急にどうでもよくなった。巻いたら素敵な時間が約束されるなら、何だかわからないけれど巻いてみようじゃないか。わけのわからないことでぐたぐた悩むのは、加山の性に合わない。

「……なんだかわかんないけど、巻く。巻いてみます!」

自分でも滑稽だと思いながら、黒い便箋に向かって言ってみる。一人きりの部屋に、加山の声が虚しく響いた。

「…………って、ねぇ〜」

おかしい。きっと自分は疲れているんだ、と意味もなくへらへらと笑いながら、布団の上をごろごろと転がってみた。早く風呂に入って寝よう明日は休みだし、と加山が起き上がったときに、ごとり、と何かが玄関の扉にぶつかる音がした。

「……?」

こんな夜中に何事かと、足音を忍ばせて扉に近づいてみる。人の気配はしない。そろりと扉を開けてみると、大きな黒いトランクが置いてあった。見る間に、ひとりでにトランクの蓋が開く。

「…………ご主人、様?」
「……………………へ?」

トランクの中から現れたのは、豪奢なアンティークのドレスを着た人間だった。女性かと思いきや声は青年で、加山は混乱する。

「ねじを巻いてくれてありがとう。貴方が、新しいご主人様ですね」
「へ?ねじ?……あっ」

巻くというのはねじのことだったのか、と加山は合点した。しかし、ねじを巻くのと目の前の不思議な人との関係性がわからず、加山はますます混乱する。

「僕の名前は大神です。貴方は?」

僕という一人称を使ったということは、どうやら男性らしい。トランクの中に座ったままにっこりと微笑むその不思議な青年を見つめるうちに、加山は何もかもどうでもいいような気分になっていた。

「…………素敵な時間、ねぇ〜」

さて、目の前のアンティークドールは、日々の仕事に疲れた加山にどんな時間を約束してくれるのだろうか。


→2へ

モドル