キルシュバウムメイデン10

「ついていらっしゃい」

あやめはすうと立ち上がると、加山とすれ違い扉へと向かう。加山は慌てて後を追った。部屋を出るとき、椅子に座ったまま真っ直ぐ前を見つめているレニが少し気になったが、そのまま階段を上った。彼女も大神と同じような性質を持ったドールなのだろうか。
地下からの階段を上がり廊下に出ると、あやめは1階の廊下を反対側に向かって歩いている。ぴんと背筋を伸ばした美しい背中を追い、屋敷の反対側の端にある扉へとたどり着いた。

「……大神……?」

扉の中は広い部屋で、絨毯の深い青色とドームのような天井が印象的だ。部屋の中心には天蓋つきの大きなベッドがあり、そこに大神は寝かされていた。
今は真っ白なレースでできたネグリジェを着せられており、先程見た真っ赤な染みはどこにも見当たらない。白い顔にも傷などはなく、きれいなものだ。
だが、そのあまりの白さに生気が感じられず、加山はぞっとする。

「ま、さか……」
「ねえ、加山さん。あなた、大神のこと、どう思う?」

背後から声をかけられて思わずびくりと身を震わせる。いつの間にか、あやめが加山の背後の扉にもたれていた。まるで、この部屋からは逃がさない、という態度にも見えた。

「ど、どうって……」
「大神のこと、気に入ったからここまで来たんでしょう?彼をどうしたいと思ったの?」

不敵な笑みを浮かべるあやめと、まぶたを閉じたままの大神を交互に見る。
大神、およそ人間らしくないドール、奇妙な性癖を持ったドール。
そんな大神に対して、自分は。

「……最初は、暇つぶし程度にしか思ってませんでした。毎日、あんまり面白くなかったから。大神がそばにいて、確かにオレは楽しかった。怪我をしてる大神を見て、できることならこんな怪我はさせたくないと思った」
「……それで?」

灯されたガラスランプの光がゆらゆらと揺れているように感じる。喋っていることが支離滅裂なのが自分でもわかる。これは眩暈だろうか。

「……見てくれからだけど、オレの常識は通じなくて、でも大神は一生懸命だった。痛いのが快感だなんてなんだか痛々しくて、オレはいつの間にか大神のことを大事な存在だと認識し始めていたのかもしれない。だから」
「……ん?」
「……あなたが、大神のそういう性質を利用して、おもちゃにしているように思えたんです」

あやめは微笑んだ表情を崩さない。絨毯の上を足音を立てずに歩くと、ベッドに横たわっている大神に近づき、そのまぶたに触れた。
大神のまぶたがわずかに動き、そして、その瞳が開かれる。

「……それは、違う……」
「……大神……?」

まさか死んでしまったのではないだろうか、とほんの少し思っていた加山はほっとしたが、大神が急に喋り始めたので酷く不自然な感じがした。大怪我をして昏睡状態とかではないのか?今までの会話を聞いていたのだろうか。

「……僕はこの性癖のせいで、まともな社会生活が送れなかった。お母様は、そんな僕にドールとして生きていく道を与えてくれたんだ。こんな僕でも、人の役に立てるんだって。今まで、迷惑しかかけられなかったから」
「…………」
「だから、キルシュバウムメイデンになれて、僕は幸せだったんだ。人に幸せを運ぶことができる」

ベッドに横たわったままの大神の目尻から、きらきら光る涙が一筋こぼれた。
その様子があまりにも儚くて、加山はため息をつく。

「……おまえは、健気でかわいくて……傲慢だな」

静かに近づくと、壊れ物を扱うようにそっと白いレースに包まれた大神を抱きしめた。
大神がはっとしたように目を見開いて、涙がまたこぼれ落ちる。

「……幸せっていうのは、与えることができるものじゃないからな」

しばらく訳がわからないように硬直していた大神だったが、そっと頭を撫でられて、安心したように加山にしがみついた。
背後で、あやめが微笑んでいる。

「オレが勝手に、幸せになっただけなんだよ」



「おはよう、ご主人様」
「ん〜〜〜……おはよう……、そのご主人様っていうの、なんとかならないのか?」
「あっ……ごめんなさい」

白いひらひらとしたエプロンをつけた大神が、うちの狭い台所に立っている。なんとも平和で幸せな風景なのだ、このしょっぱいような甘ったるいような匂いの他は。

「おまえ、この鍋……うわぁ……みそ汁に生クリーム入れた?」
「うん」
「あっ!おい、飯にジャムかけるな!!!」

さすがはドールなだけあって、車にはねられた傷もすぐに治ってしまった。大神を引き取りたいと申し出たときには断られて当然だと思ったが、拍子抜けするくらいあっさりとあやめさんは許してくれた。

「でも結構おいしいよ」
「オレは認めんー!」

彼女曰く、大神をドールにしたのも大神の幸せのためだったのだそうで、まともに幸せになれるなら言うことはないのだそうだ。

「あれ?指、どうしたんだ?」
「あ、包丁で切った」
「まったく、気をつけろよなぁ」

大神はドールではなくなったので、オレのために怪我をすることはなくなった。だが、性癖自体はもともとのものなのでそのままだ。

「でも気持ちいいよ」
「なんて不健康な子!」

今日は残業のない日なので、銀座で待ち合わせをして大神の服を買いに行く約束をしている。相変わらずのゴスロリ服も、似合うので特に問題だとは思っていない。一緒にいると目立ってしまうのは恥ずかしいが。

「……加山、幸せ?」

上目遣いの大神に、朝から頭がくらくらする。まだ、大神に対する自分の気持ちに名前をつけることができずにいるのに。
返事の代わりに頭を撫でたら、大神が嬉しそうに笑った。
オレが感じている幸せを、大神も感じてくれていればいい。それこそが、今のオレにとっては一番幸せなことだと思う。

「とりあえず、料理ができるようになってくれたらもっと幸せ」


ハッピーエンド

モドル