キルシュバウムメイデン3

 「……お願い、僕のことで悩んだり、僕を必要以上に警戒したりしないで。どうなるかわからない」

大神が今にも泣きそうな瞳で訴えてくるので、加山は何も言えなくなってしまった。ただその白い手首を蹂躙しているかのような傷口が痛々しくて、それをなんとかしたかった。

「…………わけわかんねぇ」
「……ごめんなさい」

しゅんとしてしまった大神の手首を取ると、消毒液を染み込ませた脱脂綿で傷口を拭いた。

「……っ」
「……いてぇんだったらあんな適当な手当てするな。どういうことなのか、説明してくれるんだろうな?」

傷はそれほど深いわけでもなく、加山は少し安心した。専門家ではないので、一体何によってできた傷なのかなんてわかるはずもない。ガーゼを当て、包帯を巻いていくと、大神の身体から少しずつ力が抜けていくのがわかった。

「……大丈夫、痛いのは、大丈夫だから……だから、もう少し待って……」

ごく近くで見ると、長いまつげに桜色のくちびるがなんとも愛らしく、作り物のような白い肌には、男性らしさが微塵も感じられない。こいつは本当に男なのか?という疑問を抱かないでもなかったが、そんなことを確かめたところでどうなるものでもないと思った。傷が熱を持っているのか、大神の手首が少し熱いと感じる。

「……待つって」
「お願い、まだ……せめて、モニタ期間終了までは」

伏せられていた長いまつげが震えて、ゆっくりと加山を見上げる。ほんのりと上気した頬とその潤ませた瞳は反則だ、と大神の表情に釘付けになったまま、加山は心の中で白旗を振った。



 その日の加山はやけについていた。
 まず朝に会社への道をのろのろと歩いていたら、紙幣でぱんぱんに膨らんだ財布を拾った。財布を開けてみてあまりの額に小市民である加山は慌てふためき、近くの交番に飛び込んだ。届けを書かされている間に、寝ぼけまなこの警察官から
「あんた運がいいねぇ〜。こんな金しか入ってない財布、落とし主探しようがないんだからさ、大抵拾った人のもんになるのよ。2週間後、連絡いくかもしれないから。覚えといてね」
と言われるのを、はあそうですか、なんてぼんやりと聞いていた。

 そして職場の扉を開けた途端、なぜかいつもより早く出勤していた上司がにこにこと近づいてきた。何かと思えば、先日加山が主となって片付けた仕事が社長やら専務やらに認められ、課へのお褒めの言葉があったらしいのだ。
「これで次のボーナスは期待できるぞ!出世街道も見えたってもんだ!」
と上機嫌でばんばんと背中を叩く上司の言葉に、はあそうですか、なんてぼんやりとした相槌を打った。

 そうかと思えばたまたま自分が取った電話が行きつけの「倶楽部花組」からで、そこのナンバーワンホステスの桜ちゃんから
「加山さん、次はいつ来てくれるんですか?あたし、待ってますからね。他のお店になんか行っちゃ嫌よ」
と言われる。同僚ならともかく、上司にこの電話を取られなくて良かった、とほっとすると同時に、いやはや自分もまだまだ捨てたもんじゃないなぁ、などと鼻の下を伸ばすのであった。



 「ただいま〜っと」
「おかえりなさい」

上司も1日中上機嫌で残業もなく、早い時間に帰れるってのはいいなぁ、しかも誰かが待っていてくれるなんて、とひとりにこにこしながら玄関で靴を脱ぐと、ぱたぱたと足音がして大神がやってくる。顔を上げて加山は、先程までの上機嫌から打って変わって眉間にしわを寄せた。なぜなら、大神の怪我が増えていたからだ。

「……おまえっ」
「怒らないで!お願い、ねえ、今日はいい日だっただろう?」

にっこりと微笑む大神の片目は眼帯で隠され、フリルから覗く首元と、スカートの裾から見え隠れする足首にも包帯の白が見えた。

「……また、例のアレか。おまえがドールである理由ってやつか」
「そう。だから……否定しないで欲しいんだ。手当て、してくれるだろう?」

大神がふわふわと膨らんだ黒いスカートの裾を持ち上げると、細い膝近くまで包帯が巻かれている。そこにはやはり赤く血が滲んで、ちらちらと見える膝より上にも細かいかすり傷のようなものが見えた。陶磁器のような白い脚に微かに走る傷に、加山の胸は変に高揚する。


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モドル