「……はあ」
少し早めに出勤したデスクで1人、加山はため息をついた。その理由はただひとつ、昨夜のドール大神との一件だ。
結局、なんだかものすごい罪悪感に襲われた加山は、大神の汚れた身体をきれいに拭いてやり、傷の手当もきちんとしてはやったものの、真っ赤な顔をしたままうつむいている大神に謝ることもできなかった。
「……いくらドールって言っても、ねぇ」
やっていいことと悪いことがある、と加山は思う。
普通の神経だったら、出来た傷をいじって悪化させたというだけで罪悪感だし、しかも大神は普通でない性癖を持っているらしいのだ。すなわち、痛みがそのまま快楽にすりかわってしまうという奇妙な類のものである。
それをいいようにいたずらしてしまった挙句、その後こっそり1人でそれをオカズに抜いてしまった。
「オレのばかぁ」
夜や、闇などには人の暗い部分を呼び覚ます不思議な力があると思う。そして、朝日を浴びて正気に戻るのだ。
結局、加山が大神のことが気になって仕方ないのは否めない。
だってオカズにしちゃうくらいだし。
「おはようございまーす」
デスクの上でぐねぐねしていた加山の耳に、若々しい声がドアの方から届いた。はっと顔を上げると、見たことのない女性がダンボールを抱えて立っている。
「今日からこちらに転属になりました、榊原由里ですー。すみません、デスク、どこですか?」
そう言えば、数日前に新しく転属になってくる人がいるということを上司から聞いていたことを思い出した。加山の隣の長らく空きっぱなしだったデスクが使われる日が来たようだ。
「よろしくお願いします」
「はっ、いえ、こちらこそ。オレは、加山雄一です。よろしく」
「いろいろ教えてくださいね!よかったぁ、加山さんが優しそうな方で」
加山の隣に突然女性が現れた。しかもかなりの美人だ。
黙っていると少し気が強そうだが、微笑むと途端に人懐っこい表情になり、しかも屈託なく喋る様子から、性格も申し分なさそうである。
この間からいいことばかり続いている気がする。素晴らしい。
仕事中にちらと隣を見ると、由里と目が合い、にっこりと微笑まれた。でれんと下がってしまう目尻を無理に吊り上げ、でも、隣に美人がいるというのは加山にとって非常に喜ばしいことである。喜ぶなという方が無理だった。
その夜はささやかながら由里の歓迎会を開くことになり、上司や同僚や後輩と行きつけの居酒屋に行った。
そのときも流れで由里と席が隣になってしまい、当然親しく会話をすることとなる。
しまいには、由里が恋人募集中であるという情報まで知ってしまう始末。
これはもう誰かが背中を押しているとしか思えない。
二次会がお開きになり、帰宅したときにはもう日付も変わろうかという時間だった。
大神は寝ているだろうかとそっとドアを開けると、やはり部屋の中は真っ暗である。
起こさないようにと足音を忍ばせ、そろそろと部屋に入る。
「……お帰りなさい」
小さな声が聞こえて、加山はびくりと部屋の隅を見た。加山の万年床の隣に置かれたトランクのふたが少し開いて、大神が顔を出した。どうやら熟睡していたわけではないらしい。
声のトーンが少し低いのが気になって、加山はトランクに近づいた。
「ただいま。なあ、また怪我したのか?見せてみろよ」
「……今日は、してない」
「……大神?」
元気がない。加山の帰宅が遅かったことにすねているようなふうでもないし、怒っているわけでもなさそうだ。
「…………あと、4日」
「え?」
何のことかと思った。そうだ、モニタ期間終了までの日にちである。
「大神ぃ」
「ごめんなさい……すごく、眠いんだ。おやすみなさい」
ぱたりとトランクのふたが閉じられる。
モニタ期間の終了は、そのまま大神との別れを意味するのだろうか?
だとしたら、加山はその日をどういう気持ちで迎えたらいいのか。
自分でもよくわからないのだった。
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