キルシュバウムメイデン6

「おはようさん」

目覚めた大神がトランクのふたを開けると、そこには既に朝食の支度をしている加山がいた。朝寝坊が常の彼には珍しい行動である。
文化住宅アパートメントの狭いキッチンで、温かい音を立てるやかんと用意された2人分の食器に、大神は急に罪悪感に苛まれる。

「……おはよう……昨日は、ごめんなさい。ご主人様のお出迎えもしないで……」
「あー、気にすんな、そんなの。オレだって昨日は遅かったし。朝飯、食うだろ?……あ、もしかして、みそ汁とかご飯とか駄目か?」
「ううん!そんなことない……いただきます」

窓の外は小雨が降っている。静かな朝だった。

「いただきます」
「いただきます」

ゴスロリ青年がお行儀よくちゃぶ台でみそ汁を飲んでいる図が奇妙で、加山は少し笑った。普段は滅多に朝食など作らない、ましてや今日は休日だった。昨夜のことに関して、大神に対して少し後ろめたいような気がしている。なぜだろう、恋人でもなんでもないのに。

「……昨日は」
「……僕は」

どこかよそよそしい沈黙の中、口を開いたのが二人同時だったことに驚き、顔を見合わせて二人とも黙ってしまう。

「…………あ」
「…………あっ!」

みそ汁の入った椀を持った加山の手がすべり、ちゃぶ台の上と加山のひざの上にみそ汁が盛大にかかった、はずだった。

「熱っ…………くない!……あ、あれ?なんだ?」

ちゃぶ台もひざの上もまったく濡れていないし、みそ汁の椀は何もなかったかのようにちゃぶ台の上にある。加山が自分のひざとちゃぶ台の上とを交互に何度も見て、顔を上げると大神の頬に真っ赤な線が一本走っていた。見る間に、すうと一筋赤い血が流れる。

「あっ」

大神が慌ててその傷を手で覆い隠すが、もう遅い。

「……な、何だそりゃ。お、大神……?」

こぼれたはずのみそ汁、何もなかったみそ汁。突然切れた大神の頬。これは偶然なのだろうか?いくら鈍い加山でも、さすがに気づかないわけにはいかなかった。恥ずかしそうに傷を隠してうつむいている大神を、加山は強めに引き寄せた。

「……おまえ、オレの代わりに怪我してるってことか?」
「…………」
「そうなんだな?」

腕の中でぎゅっと目を閉じたままの大神の顔を覗き込むが、大神は何も言おうとはしない。加山はため息をひとつついて、大神の頬の傷にキスをした。大神がぴくりと身じろぐ。

「……オレのせいで、また傷が増えちまったなあ……ごめんな」
「……そんなっ!」

急に答えた大神に驚いて、加山は腕の中のゴスロリ青年を見つめた。大きな瞳に涙がたまって、長いまつげが光っている。

「……モニタ契約が切れるまで、隠すのは無理だとは思ってたけど……でも、これは僕がドールだから。だから、ご主人様のせいなんかじゃ……」
「……なんで泣くんだよ」
「……わかんない……」

ぽろぽろと涙をこぼす大神を、抱きしめて髪を撫でる。少し開いた襟元から見える素肌には引っかき傷のような赤い跡がいくつも走っていて、おそらくはドレスの下もこういう状態なのだろうということは容易に想像ができた。加山はなんだかたまらない気持ちになって、大神をぎゅっと抱きしめる。

「……っ、あんまり、強く……しないで」
「あっ、すまん……」

そりゃ傷だらけの身体を抱きしめられれば痛いだろうと思って、けれど、痛みが快感にすり替わってしまうという大神の性癖を思い出して実に奇妙な気分になる。どうすりゃいいんだ!と叫びたい気分でいっぱいだった。
加山は、個人的にはそれほど嗜虐的な趣味があるわけではない。だから、怪我をしている人がいれば普通に手当てしたいと思うし、痛そうなのは嫌だ。けれど、腕の中のドールはそういう常識的な感覚がちょっと違うのだ。血のにじんでいる頬の傷をちょっとつついてみると、大神が小さく身を震わせ、涙で濡れた瞳で弱々しく加山を睨む。本当にもう、どうすりゃいいんだ!の心境である。


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モドル