キルシュバウムメイデン9

何分走っただろうか。銀座の賑やかな通りを抜けてしまえば、すぐにガス燈はなくなってしまい、道端の風景は闇に溶けてしまう。
途中までは大体どこを走っているのかわかっていたのだが、段々とその位置に自信がなくなり、しまいには考えることを放棄してしまった。
いや、違うことを考え始めてしまったと言った方が正しいかもしれない。
どうしてオレはそこに向かっているんだ?
お母様とやらに会ってどうするつもりなんだ?
大神とは、たかが数日一緒に過ごした間柄にすぎない。
訳のわからない手紙を送りつけられ、ちょっと独り言を呟いただけで大神というドールとやらを送りつけられ、普通に考えればいい迷惑だ。
隣をちらと見れば、レニは無表情でじっと前を見ている。
オレは怒っているのかもしれない、と思った。その、ドールとやらを作ったという人物に対して。
そもそもおかしいのだ、大神が怪我をしまくっていたことが。第一、本人の意思はどうなっているのだろう。好き好んであんなことをしているんだろうか?

ぐるぐると考えているうちに、車が静かに停車した。
促されて降りると、周囲の様子は真っ暗でわからないが、窓に明かりがついた大きな洋館に連れてこられたのだということがわかった。
目の前にたちはだかる建物は、闇に膨張して異様に大きく見える。
黙って歩き出したレニの後について、正面の扉から中へと踏み込んだ。

「……大神は?」
「運転手が屋敷の中に運ぶ」
「そ、そうか……」

案の定、廊下は薄暗い。壁に等間隔にしつらえられた燭台には蝋燭がともされ、その炎がゆらゆらと揺れるのが正直とっても怖い。
できるだけレニから離れないようにしながら、長い廊下を歩いた。足音が硬い廊下に響くのもとっても怖い。
突き当たりの部屋の扉を開けると、小さな部屋の床が四角く口を開けているのがすぐにわかる。近づいてみると階段が地下へと伸びていた。
それまで一度も振り向かなかったレニが、初めてオレを見上げてきた。相変わらず無表情だったが、なんとなくオレはうなずいて見せる。
そして、階段を下りた。



「お母様、ただいま戻りました」

地下への階段を下り、小部屋から扉を開けた先にその人物は座っていた。
大きな硝子ランプの明かりがついていたが、それは決して明るいというほどではなく、室内はぼんやりとしている。しかし、薄暗い闇に慣れていた目には随分明るく温かい光のように見えた。
だが、大小様々な人形が室内のあちこちに見えて、少々気味が悪い。
大きな机に向かっていた人物が振り向く。

「……おかえりなさい、レニ。あら……?そちらは?」
「大神のモニタ。ついてきてしまいました」
「あら、そう」

静かに微笑むその人物に、目を奪われてしまった。
美人だったのだ。しかも、若い。
てっきり、腰の曲がった魔女みたいなのを想像していたのに。
長い髪をきちんと結い、着物を着ている。和風の出で立ちであるが、薄いレースの肩掛けを羽織っており、とてもモダンな印象だった。
はっとして一瞬緩んだ顔を引き締めると、オレはずいと前に進み出た。

「……初めまして。オレは加山と言います」
「大神のモニタになってくださった方ね。初めまして。私はキルシュバウムメイデンシリーズの作者で、あやめと言います。モニタしていただいたご感想をうかがえると嬉しいわ」

あやめは静かに立ち上がると、置かれていた椅子を片手で示し、オレに座るよう促した。オレは警戒しながら座る。

「それより、大神は大丈夫なんですか?車にはねられて、大怪我を……」
「気になるの?」
「えっ……、そりゃ、目の前ではねられて……しかも多分、オレの代わりに……」

魅力的な瞳で見つめられてどぎまぎしてしまうが、オレは精一杯目をそらさないように努めた。もう十分気圧されているような気もするが。

「そうね、でもそれは仕方がないわ。それがあの子たちの存在意義ですもの。でも、今回みたいなケースは初めてよ。まさか、こういう形で幸福を相殺することになるなんてね」

オレははっとする。目の前のこの、女神のような女性のせいで大神は車にはねられたのだろうか。

「……それはどういうことですか」
「あの子たちはね、人間に幸福をもたらすために作ったの。仕える人の不幸を、怪我という形で身代わりするのよ。あの子と一緒にいる間、いいことが多かったでしょう」
「え、ええ……」

大神がオレの身代わりに怪我をしているということは、気づいていた。しかし、オレが怪我をする代わりだけでなく、日頃の不幸、例えば、仕事で嫌な思いをするとか、そういった類のことまで身代わりになってくれていたのか。

「だけどね、少し予想外の事態が起きてしまった。あの子が不幸を身代わりするんだから、マスタは幸福になって当然。でも、それ以上に、幸福になってしまったのよ」
「あ……」

かあっと顔が熱くなる。もしかして、オレが大神に不道徳なことをしてしまったことなんかを知っているのだろうか。

「うーん、それはね、ちょっと困るの。私はそこまで運命に関与するつもりがなかったから。だから、あなたにとって大切な存在になりつつあった大神を、目の前で少し派手に傷つけさせてもらった。これで、チャラってわけね」
「……ちょっと待ってください」

オレはたまらずに立ち上がる。大神は一体何なのか、どうしてこんなことになったのか、そういうことがどうでもよくなっていた。

「大神は……大神自身はどうなんですか。そんな風に……あなたやオレの道具みたいな存在として生きていることを、自ら望んでいるんですか?」

声が少し震えていたかもしれない。でもオレは、言わずにはいられなかった。
確かに大神は、怪我をして痛みを感じることに快感を覚えているようではあった。しかし、そんなのは普通じゃない。異常だ。
そんな大神を利用することを、何とも思わないのだろうか。

あやめが、妖しく魅力的な微笑みを浮かべながら立ち上がった。


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