迷宮

 それは突然の出来事だった。そもそも予測できる類の被害ではなかったが、それにしても帝都、巴里、紐育の迷宮化というのはあまりにも酷い事態である。当然、住人たちは非難を余儀なくされ、迷宮に出現する魔物からの被害も報告されていた。霊子水晶の異常で光武などの霊子甲冑も使えず、各華撃団は自らの肉体を危険に晒して脅威に挑むしか方法がない。各国の軍隊も魔物に対してはほとんどなすすべがなく、迷宮化された区画の封鎖と、民間人の支援以外の対応は、すべて華撃団がまかなうことになったのも無理はない。
 いつまで続くかわからない非常事態に、隊員たちは疲弊している。それでも、危険な迷宮に潜り、今後の活路を見出すために探索をするよりほかない。連携した3つの華撃団が活動の拠点としている飛行船エイハブの中では、今日も各々が出撃に備えて準備を整えていた。

「加山くん!」

武器や迷宮探索に必要な道具を保管してある倉庫に、かえでが駆け込んで来た。

「どうしたんですか、そんなに慌てて」
「それが……大神くんが、一人で迷宮に出撃してしまったの……!」
「えっ?!」

迷宮へはほとんどの場合、4人程度の小隊を組んで出撃していた。勿論、その編成は会議で話し合われ、それぞれの能力や特性に応じて組まれている。確かに大神の戦闘能力は抜きん出ているし、帝都、巴里花組隊長である大神が、実質的な三華撃団の隊長であることは皆が認めているところだ。だからと言って、一人での出撃がいかに危険なものであるかを理解しない者はいないだろう。

「……わかりました。後を追います」
「任せたわよ、月組隊長」

魔物の目を欺きながら進めるのは、月組隊長である加山の特性とも言える。しかし、それも霊力を消耗するので長い間は無理だ。魔物を倒さなければ進めない大神に追いつくことはできるだろうが、時間との戦いになる。紅蘭特製の霊力探査装置を手に、加山は迷宮へと向かった。



 「……こんなにうららかなのになあ」

迷宮化してしまった上野公園の入り口で、加山はため息をついた。迷宮化と共に気候や植物や、様々なものに影響が出ているらしく、季節はずれの桜が満開だ。
 大神は何を考えて一人で出て行ってしまったのだろう?そういえば、以前は積極的に霊力の低い隊員を率いていた大神が、ここ数日は、小隊の隊長を務められるほどに熟練してきた隊員ばかりを率いていたことを思い出す。何があったのだろうか?自らの力に疑問を抱いてでもいるのだろうか。だとしても、一人での出撃はあまりにも無謀すぎる。

 階層をいくつか潜ったところで、探査装置に反応があった。大神だと思われる強い霊力と、それをぞろりと取り囲む妖力反応が多数。どうやら大神は、モンスターハウスに踏み込んでしまったようだ。加山は急いでそちらへと向かう。

「大神ぃっ!」
「……加山?!何をっ……!」

大神に斬りかかる脇侍の動きがスローモーションのようにゆっくりと見える。考える暇などなく、加山は大神を突き飛ばしていた。

「ぐうっ……!」
「加山!!」

咄嗟にかばった左腕が焼けるように痛む。大神が素早く体勢を立て直し、脇侍を斬り捨てるのが見えた。加山は霊力を振り絞り、特殊能力で魔物を一掃することに成功した。

「大丈夫か?!……どうして庇ったりしたんだ……!」
「いやあ、あれくらいでやられる大神じゃないとは思ったんだがなあ、身体が勝手に」
「こんなに血が出てるじゃないか……ちょっと見せろ」

大神が手早く止血をする。しかしその大神の肩からも出血があることに、加山は気づいた。

「おまえだって怪我してるじゃないか!早く手当てを……」
「……っ」

触れようとした加山の手を遮るように、大神が肩の傷を隠す。心なしか慌てているようだ。

「大丈夫だ、こんなの……」
「大丈夫じゃないだろう!そもそも、どうして一人で出撃なんてしたんだ!おまえにもしものことがあったら……!」
「……すまない、俺のせいでおまえにまで怪我を……」
「これくらい、大したことはない……何があった。話してみろよ」

つい声を荒げてしまった加山だが、大神の様子にただならぬものを感じ、大神をじっと見据える。幸い、近くに妖力の反応はない。大神はためらっていたようだが、決心したように口を開いた。

「…………ここ、舐めてみてくれないか?」
「……え?」
「そうしたらわかる」

大神がシャツのボタンを外し、傷のある肩を露出した。白い肌に、痛々しい傷口が血を滲ませている。

「早く」

なんだかよくわからなかったが、要求どおりその傷口に舌を触れさせた瞬間、すうと左腕が軽くなった。

「……あれ?なんだ、今の」
「……続けてみろよ」

大神の傷口をひと舐めするごとに、加山の左腕の傷が塞がっていく。それはなんとも不思議な光景だった。

「……おまえ、血か?この力」
「……そうだ」
「こりゃ、すごいけど、しかし……」

もうほとんど治ってしまった自分の傷口を見て、加山は感心する。しかし大神の様子が少しおかしいので、言葉に詰まってしまった。

「……気づいたのは、つい数日前のことだ。自分で何の気なしにかすり傷を舐めて、気がついた。でも……」

大神が潤ませた目を伏せる。呼吸が少し乱れているようだ。

「舐めて、治るだけならいいんだ。血はごく少量で効き目があるみたいだし、霊力を消耗している感覚もない。でも、血を流すとぞくぞくして……変な感じになって……抑えられなくなるんだ……」

むき出しになった白い肩を、大神が自分で抱きしめるようにする。その指がぎゅうと傷口をつかんで、食い込み、血が滲む。

「回復アイテムは慢性的に不足しているし、アイリスもエリカくんもダイアナも、いつもふらふらになりながら探索をしている。治すだけならいくらでも、皆に使ってやりたい……でもこんな……こんな姿を見られたくないんだ……!」
「大神……」

小さく震える大神の上に、狂い咲きの桜がはらはらと散る。傷口に食い込んだその指に触れ、腕をつかむと、加山は大神を抱きしめてその肩に唇をつけた。

「っ……!加山……っ」
「大丈夫だ、大神。……そばにいるのが俺なら、我慢しなくてもいいだろ?」



 それからはほとんど毎回、大神は加山と二人で探索へ出撃するようになった。大神が一人で出撃してしまったことを知っているので、皆は何も言わずにいる。他の隊員たちの熟練度が上がってきたこともあり、二人きりの小隊は黙認されていた。
 冷たい地下水道の壁にもたれ、あるいは摩天楼から眼下の風景を見下ろしながら、大神は加山に抱かれている。白い肌の上を流れる真っ赤な血液を、加山の舌がなぞる。剣を握り締めたままの手が震え、もたらされる快楽にため息を漏らした。

 この迷宮探索はいつまで続くだろう。果たして終わりはあるのだろうか。世界の行く末を憂いながらも、快楽に溺れていることの罪深さに、絶頂する。

モドル