レモンキャンディ

 ここは、雑居ビルに偽装した月組支部のひとつ。上司命令で休日出勤をさせられた木島は、自分の机でぼんやりと頬杖をついていた。呼びつけられて来てみれば、特に仕事があるわけでもなく、突然外出する仕事が入った支部長の代わりに職場で待機していろ、と言われた。要は、留守番だ。
 片付けるべき仕事がないわけではなかったが、天気は薄曇りでぼんやりと暖かく、なんとなくやる気が起きない。というわけで、机に頬杖をついてぼーっと時間を過ごしていたというわけだ。

 「邪魔するぞー」
「うわぁっ!?」

 突然に背後の扉が開いたのに驚いて、振り向いた拍子に机の上の書類を床にまいてしまった。異常なほどに驚いている木島を見て、支部を訪れた月組隊長加山も目を丸くしている。

「か、加山隊長!?今日は休みじゃ……」
「ああ、まぁそうなんだが……どうかしたのか?オレ、そんなに驚かせちまったかなぁ」

ひょいと屈みこんで書類を拾い始める加山の手元を見て、木島は硬直した。

「…………これ」
「うわぁっ?!か、返してくださいっっ!!」

加山の手から木島が奪い取ったものは、水着姿の女性がにこやかに微笑んでいるブロマイドだった。

「……おまえって、女優サンとか好きだったっけ?」
「そ、そんなんじゃありませんよっ!!」

それは最近浅草の劇場でデビューしたばかりの新人で、年齢の割に大人びた芝居をすると評判の女優である。別段見られて困る類の持ち物ではないが、相手が加山では少しまずい事態になることが木島には予想できた。それは……

「………その女優さんって、ちょっと副司令に似てるよなぁ」
「わーーーーーーーっ!!!」

加山のその一言で、木島の顔が真っ赤になる。

「……なーんだ、木島って、かえでさんに憧れてたんだなぁ」
「ちっ、ちっ、違いますよっ!!へへへ変なこと言わないでくださいようっ!!」

これくらいのことでそこまで動揺しなくてもよさそうなものだが、一世一代の心の秘密をその憧れの副司令にごく近い人物に知られてしまったのである。純情まっしぐらな17歳の彼としては、これは大事件だった。今まで誰にも秘密にしていたのに、まさか隊長に知られてしまうなんて、木島はもう涙目になっている。

「………それじゃあオレは行くぞ〜、邪魔したなぁ」
「……何しに来たんですかっ?!」
「いやぁ、たまたま近くまで来たから寄っただけだったんだけど……いいこと知っちゃったなぁ〜」
「〜〜〜〜〜〜!!」

床に座り込んだまま真っ赤な顔で加山を睨んでいる木島の頭をぽんぽんと叩くと、加山はそのまま扉を出て行ってしまう。あの白いスーツの男の口が軽くないことを祈るばかりだが、人間誰しもうっかりしてしまうことがある。厳守したい秘密は、最初から誰にも漏らさないのが一番に決まっているのだ。

「あああああ〜〜〜………」

木島は一人呟くと、がっくりと肩を落とした。
 帝撃本部の藤枝副司令は、優秀で美人でスタイル抜群。少し厳しいところもあるが、飴と鞭を使い分けるその手練手管に、皆口にはしないが月組の若手はほとんどと言っていいほどに参っている。高嶺の花と知っていて挑むほど、木島は愚かではないつもりだ。だからこそ余計に気まずい、恥ずかしい。
 ショックのあまりそのブロマイドを処分しようかとも思ったが、その笑顔にまた副司令を重ねてしまい、どうしてもそれはできないのだった。



 数日後、木島は月組本部に書類を届けに行くことになる。その書類は直接隊長に手渡さなければいけないものであって、当然加山と顔を合わせなければならない。木島にはそれが嫌で嫌で仕方なかったのに、支部長に怪訝な顔をされながらも加山に会いたくない理由を話すわけにはいかず、帝劇近くの月組本部まで来ていた。

「………こ、こんにち……」
「おう、木島かぁ〜珍しいなぁ」

本部の扉を開けるなり加山と目が合ってしまい、木島はもう既に逃げ出したい気分になった。

「ん?書類か?見せて」
「は、はぁ……」

あくまでもいつもと変わらない態度で木島に接する加山に少し安堵しつつも、どうにも不安というか、居心地の悪い思いでいっぱいだった。別に、気にするほどのことではないのかもしれないが……
 加山は自分の机に戻ると軽い動作で書類に判を押し、またそれを木島に返してきた。

「それ、次は副司令に回して。多分この時間なら、副司令は自分の部屋にいらっしゃるはずだ」

加山がにやりと意味深な笑みを浮かべながら木島を見る。

「え、ええーーーー?!」

つい素っ頓狂な声を上げてしまい、木島は慌てて口を結んだ。室内にいた他の隊員の視線が痛い。

「今日はこのまま帰るんだろ?少し寄り道、頼まれてくれよ」
「えっ、あっ、その、えっと………」

顔を赤くしてしどろもどろになっている木島の肩をぽんと叩くと、加山は頼んだぞ〜、とのんきに言ってそのまま扉から出て行ってしまった。
 今まで、副司令の元に直接書類を届けに行ったことなんてない。たまに遠くから姿を見るだけでどきどきしているのに、本人の部屋を訪ねるはめになってしまった。
 木島は失礼します、と本部を出て、通行人に怪しまれないよう静かに混乱していた。

(……自分が?副司令の部屋に?夜とは言わないがもう夕方で暗いし……いや!仕事だ、仕事。うん、あ、いや、だけど………)

 一人百面相をしながら歩いていたら、すぐに帝劇に着いてしまった。突然に部屋を訪れる権限を持ち合わせているわけではないので、受付で名乗り、許可を貰う。階段を登る自分の足音と一緒に、どきどきと胸の鼓動が音を立てているのがわかった。
 憧れの副司令の部屋は、階段を上がってすぐ右の部屋……

「……はい、だあれ?」

(い、いるーーーー!!)

受付で確認してきたのだから副司令が在室なのはわかっていたことだ。しかし室内から聞こえたその美しい声が、まるで最後通告のようにさえ聞こえる。

「つっ、月組マルサン支部の木島ですっ!」
「あら、木島くん?珍しいわね」

扉に向かってくる足音がして、すぐに目の前の扉が開いた。憧れの人の身長は、木島よりも少し低い。にっこりと魅惑の笑顔で微笑まれ、自分の顔が火照るのを木島は自覚した。

 「……はい、ではこの書類はこちらで預かるわ。一度本部に寄ったんだったら、加山くんが持ってきてくれればいいのに……あ!隊長さん、またお仕事さぼってるんじゃないでしょうね?」
「いっ、いえ、そんなことは……」
「そう?ならいいんだけど。どうせ、こっちにはよく来てるんだから、自分で持ってくればいいのにねぇ」

(………こっちによく来てる?副司令のところに?隊長が?)

木島の胸がどきん、と音を立てる。それは、加山と副司令の間に、何か特別な関係があるからなのだろうか?

「本当にね、2日と空けずに来てるんじゃないかしら?暇じゃないと思うんだけどねぇ」

(いや、仮にもあの人は隊長なんだし、仕事のこともあるだろうけど、でもどうしてわざわざ……)

自分が副司令と恋人関係になどなれるわけがないとわかっていても、胸の中がもやもやとしてくる。少なからず、自分はショックを受けているのだ、と頭の中の冷静な自分が分析していた。

「あら?どうしたの、木島くん……さっきから顔も赤いし、もしかして風邪?最近流行ってるみたいだし……」

ひょいと不意に顔を覗き込まれて、鼓動が跳ね上がる。反射的にそらしたはずの視線が副司令の桃色の唇を凝視してしまい、なんだかもうますますよくわからない。

「……い、いえ………」
「ここには風邪薬はないんだけど……あ、そうだ!これ持っていって。風邪にはビタミンCがいいのよ」

顔が赤いのは憧れの副司令を目の前にしているからであって、様子がおかしいのはさっきの副司令の発言に動揺しているからであって、決して風邪のせいではないし、ひいた覚えもない。どぎまぎしているうちに、手の中にぽんと平たいブリキの缶を渡された。

「レモンのキャンディよ。いくつか私が食べちゃったから、食べかけで悪いんだけど……もしよかったらどうぞ」

きれいなロゴとレモンのイラストが描かれた缶は、舶来ものらしく見たことのないものだった。それとにこにこと微笑んでいる副司令の顔を交互に見ているうちに、だんだんいろいろなことがばかばかしくなってくる。

「は、はい!いただきます!」
「はい、どうぞ。風邪はひき始めが肝心なのよ。早く治してね」
「そ、それじゃあ失礼しますっ!」

手の中の小さな缶が、とても温かいもののように思えた。

 「いてっ」
「うわっ」

副司令の部屋から出ようと木島が扉を開けたら、小さな声が聞こえた。しかも、2人分。

「……た、隊長?!何してるんですか!……大神さんも!!」

木島の開けた扉に額を打ち付けた加山と、後ろによろめいた加山に体当たりされた大神が廊下に尻餅をついていた。

「こぉら!2人して立ち聞き?……まったく、こんなときまで仲良くしなくてもいいのよ!」
「おっ、オレと大神はどんなときでも仲良しであります!」
「んな、何言ってるんだ加山!すっ、すみません!」

木島の後ろから顔を出した副司令に一喝されて小さくなりながらも、加山は悪びれる風もない。そんな加山の頭を掴み、大神は必死に頭を下げている。

「もう……毎日大神くんのところに押しかけるだけじゃ気がすまないの?加山くん」
「はっ!そんなことはありませんが、しばしば刺激を求めてしまうことが」
「だから何言ってるんだ加山!素直に謝れって!!」

副司令に叱られながらもボケとツッコミを繰り返す2人と、それを半ば楽しんでさえいるような副司令に木島はつい笑ってしまった。

(……そっか、加山隊長は大神さんのところに来てるのか。なぁんだ)

だからと言って加山と副司令の関係が完全にシロと決まったわけではないが、木島はこっそり胸をなで下ろしていた。加山と大神は、まだ漫才のようなやり取りをしている。自分より随分上の階級の人たちもこんな会話をするのかと、その場に居合わせた自分を少しラッキーだと木島は思った。



 「邪魔するぞー」
「うわぁっ!?」

雑居ビルに偽装したこの支部に突然現れた加山に驚いて、木島は素っ頓狂な声を上げる。しかし、今度は書類をばらまくことはなかった。これは学習能力と言えるだろうか。

「あっ、それ、この間副司令にもらったやつだろ?何それ?」

机の上に置いてあった缶を指差し、加山が木島に尋ねる。

「キャンディです」
「ひとつちょうだい」
「ダメです!」

にっこりと微笑みながら、しかも強い調子で否定されたので、加山もそれ以上食い下がることができなくなってしまった。

「う………木島のけち」
「何とでもおっしゃってください」

微笑みながら、加山が不満げに口を尖らせて支部長の待つ応接セットへ移動するのを見送る。そのキャンディは、同じものが銀座のとある輸入菓子を扱っている雑貨屋で買えることがわかっている。しかし、憧れの藤枝副司令にもらったものだ、易々と人にあげるわけにはいかない。木島はあれからそのキャンディをひとつだけ舐めてみたが、少しすっぱくて、甘くて、それ以上冷静に味を判断することなんてできなかった。
 結局、加山と副司令との関係を問いただすことはできずにいた。しかし、これ以上は知らなくていいことなのだろうとも思っている。

(………キャンディって、ずっととっておくと痛んだりするものかなぁ?あ、溶けちゃうかも)

しかし、とてもじゃないが胸がいっぱいで立て続けに食べることなどできそうにない。せいぜい、1ヶ月にひとつがいいところかもしれない、と木島は自己分析している。

(……このキャンディを食べ終わる頃には、少しでも副司令に近づけるといいな)

あのブロマイドは、また誰かに見られることがないようにと自宅に持ち帰っていた。これから彼の机の上には、代わりなどではない、憧れの本人からもらった思い出があるのだから。

モドル