江田島妄想ナイト

 江田島で過ごす夏も、これで最後となる。
 ここは海軍士官学校。平和を守り、正義のために戦おうという希望を持った青年たちが、修練を積み、互いに切磋琢磨し合う場所である。
 次の春に卒業する士官候補生の中でも、特に注目を集める2人。
 それが、主席の大神と、次席の加山であった。

 「…今日も疲れたなぁ、大神ぃ。もうすぐ夏も終わりだっていうのに、やたらに暑いし…」
「いくら俺たちでも、残暑の厳しさにはかなわないな。加山、風呂に行って、早く寝よう」
 日に焼けた褐色の肌に、少し軽薄そうな口調の加山と、同じに日を浴びているのに日焼けをしない様子で、涼しい目元の大神。
 2人は主席を争う好敵手であり、また、宿舎では同室で親友でもあった。

 風呂は広く、年代物の宿舎の中では、割と評判の良い設備である。
 鍛錬に疲労した身体をほぐし、明日からの鋭気を養う場所、またときには、候補生たちの語らいの場所ともなるのが、この風呂である。
 しかし、加山にとっては、油断のならない場所でもあった。
 何故なら加山は、自らの親友である大神に、ただならぬ感情を抱いていたからなのであった。
 並んで湯船につかりながら、ちらりと大神を盗み見る。
 鍛えられ、美しい筋肉のついた身体。日焼けしない、白い首すじ。湯気に上気した頬と、その意思を映す、まっすぐな瞳。
 強く優しいこの青年に抱く感情について、加山は悶々と考えてしまう。
 男しかいないこの士官学校、この宿舎。その中で、すべてに秀でた実力を示す大神に、憧れを持つものも少なくない。下級生から手紙をもらった、という話さえ聞く。
 しかし、この感情は果たして、憧れであると簡単に片付けられるものなのだろうか。
 いつも大神のそばで、ときには間抜けな行動や、笑ってしまう一面を見るときもある。そのたびに、幻滅するどころか、ますます惹きつけられていく自分がいる。
 友人として彼を愛するのは勿論なのだが、その友人に、ふとした瞬間に、醜い劣情を抱いてしまうことさえあった。

 俺は、大神のことが好きなのかもしれない。
 それは、友達として、だけではないと断言できる。
 そうでなければ、こんなふうに大神を、抱きたいなどとは思わないはずだ。

 「なあ加山、俺たちは来年、どこで何をしてるだろうな」
「…えっ…、ああ、そうだなぁ。…俺はともかく、おまえはいろんな所属にひっぱりだこだろうなぁ。霊力の高さも並じゃないしな」
 悶々と考え込んでいるときに、突然話し掛けられて加山は動揺したが、なんとか普通に受けこたえる。
「…それなら、おまえだってそうじゃないか。
 ………なあ加山、俺たちは、一緒にはいられなくなるのかな……」
「え………」
 突然の問いに、加山は一瞬、大神の言葉の意味を考える。
 どこかで、考えないようにしていたそのこと。仲間たちと、大神と共に過ごすこの日々に満足し、それに終わりがあるということを、無意識に遠ざけていたのだ。
「俺は、今は毎日が充実していてすごく楽しい。そりゃ、つらいときもたくさんあるけど…。やっぱり、皆が、加山が一緒にいるから楽しいんだ。平和のために戦える未来に憧れは勿論あるが、なんだか、それを考えると寂しくてな」
 はにかんで微笑む大神に、加山はどきりとする。
 そうだ。いつかこの毎日にも、終わりがくるんだ。
 改めてそう気づいたことと、自分と共にあることを楽しいと、大神が言ってくれたことが、加山を大神の思いもつかない行動へと駆り立てた。

 「…大神、キス、してもいいか?」
「……え?…」
 大神の返答を待たずに、加山は大神の顔に手を伸ばし、唇に唇を重ねる。
 頬に添えられた加山の手は温かく濡れ、加山の前髪から落ちた雫が、大神の頬を濡らした。
 長く感じられた数秒の後、ゆっくりと顔を離すときに、大神の薄い唇が僅かに震えているのが感じられた。
 「……かや……ま……」
 大神から身体を離すと、加山はバツが悪そうに微笑む。
「…俺、おまえが好きなんだ。……男同士なのに、気持ち悪いことして……悪かった」
 ふうーっ、とひとつ大きく息を吐くと、加山は勢いよく湯船から上がる。
「のぼせたから先に上がるぞーっ」
 うつむいたままの大神に、背中越しにわざと明るく声をかけて、脱衣所へと向かった。
 背後で脱衣所へのドアが閉まるのを聞き、大神は自分の顔が耳まで熱くなっていることに気づく。これは、長湯のせいか?
 しばし、茫然とする。
 自分の身に何が起きたのか、親友に何を言われたのか、理解するのにしばらく時間がかかり、大神はのぼせた。

 ふらふらとした大神が、悶々とした加山のいる部屋に戻ったのは、数十分後。
 気まずさに寝たふりを決め込もうとしていた加山は、赤い顔でふらふらしている大神を見るなり、飛び起きた。
「どっ、どうした大神!ふらふらじゃないかぁ!」
「…ああ……ちょっと、のぼせて……」
「とと、とりあえずベッドに横になれ!今行くから!」
「……悪い……」
 この部屋の寝床は、2段ベッドである。上が加山、下が大神と決めて使っているが、ふらふらな大神を寝かせるために、加山は慌ててベッドの上段から飛び降りた。
 「…これが本当の甲板フラフラか…甲板じゃないけどな…」
「……ん…?」
「いや、なんでもない。大神、今水を持ってくるからな。待ってろ」
「……頼む……」

 冷たいタオルが額に当てられ、大神は目を開けた。
「ほら、大神、水を持ってきたぞ。起きられるか?」
「ん…ああ。ありがとう」
 額のタオルを押さえながら起き上がり、加山から水の入ったコップを受け取る。そのまま飲み干すと、すぐに加山が水差しから水を注ぎ足した。
「もっと飲め。まったくぅ、どうしてこんなになるまで入ってたんだ。こんなにほてって…」
 加山がタオルを絞ったままの濡れた手を、無意識に大神の頬に伸ばすと、大神はびく、と震えて身を硬くした。コップの水が大神の手の中で揺れて、ベッドの上にこぼれる。
「…あ……」
 加山は反射的に手を引っ込めると、少し驚いたような顔をしていたが目を伏せ、うつむいた。
「……すまない……」
「…いや、俺こそ…水、こぼしちゃって……」
 2人ともうつむいたまま、少しの時間が流れた。コップからこぼれた水はシーツに吸い込まれ、水差しの氷が涼しげな音を立てる。

 しばしの沈黙を破ったのは、加山の低い声だった。
 「……大神、オレ……」
「かやまっ……!」
 その加山の声をかき消すようにその名を呼ぶと、大神はベッドから身を乗り出し、加山の唇にキスをした。
 一瞬だけつたわるぬくもり。
 唇が離れ、加山は、大神の顔を見たままぽかんとしていたが、突然耳まで真っ赤になった。
「……お、おおがみ……」
「加山っ!お、俺…っ!」
 当の大神は、やはり真っ赤な顔をしてうつむいている。濡れたタオルをにぎりしめた右手は、少し震えているようだ。
 「お…俺、おまえに……き…キスされたの、嫌じゃなかったんだ……」
「大神……」
 ぶるぶると腕を震わせながら、真っ赤な顔で大神は必死に喋る。その瞳には、うっすらと涙がにじんでいるようにさえ見えた。そんな大神を、加山はやはり赤い顔でぽかんと見ている。
 「は……初めて!だったけど!……そそそそれだけだぁっ!」
 ほとんど怒鳴るように言うと、大神は布団をがばっと被ってベッドにもぐってしまった。
 加山はぽかんとしていたが、大神の行動、言動が頭の中で整理されると、だんだんと緩んでくる口元を隠そうともせず、次の瞬間には布団のかたまりに抱きついていた。
 「大神ぃ♪オレは嬉しいぞ!……もう、口もきいてもらえないかと思ってたんだからな!」
「お、重たいし暑いぞ加山!離れろー!」
「離れるものか♪」
 加山は素早く布団の端から頭をもぐり込ませると、必死に縮まっている大神の顔に、間近に迫った。
 真っ赤な顔をして、口をへの字に曲げている大神を少し見つめると、加山はにこっと笑う。
「なぁ、もう1回、してもいいか?」
「な……!んん……!」
 言うが早いが、加山は大神にキスをした。素早く舌を大神の口内に進入させ、やわらかい舌を絡め取る。
 布団の中に2人の熱がこもり、息苦しくなったところで唇を離すと、布団を跳ね除けた。
 真っ赤な顔で呼吸を乱している大神を見つめると、加山はこれ以上ないというくらいの笑顔で、大神を抱きしめる。
「大神ぃ♪大好きだぁ♪」
 ぎゅう、っと抱きしめると、大神の頭ががくん、と後ろに倒れた。真っ赤な顔をして、目を回している。
「しまった!のぼせてたのか大神ぃ!しっかりしろー!」
 大神は、薄れゆく意識の中、俺はとんでもないことをしてしまったのかもしれない、と思った。

 もうほとんど氷の溶けた水差しは涼しげに汗をかき、大神に声をかけながら、加山は洗面器で必死にタオルを絞る。
 窓の外には松の枝が夜風に揺れ、その向こうに丸い月が浮かんでいる。雲ひとつない、月夜だった。
 2人の暮らす江田島は、明日も残暑厳しい1日になるだろう。

モドル