〜加山司令長官と大神参謀長の艦内茶飯事〜
番外・『幽霊船』
「大神っ、大神っ!おおがみぃ〜!!」
それは遠くから。
慌てて駆けてくる足音と共に聞こえてくる。
自室の机の上で頬杖をつき、盛大なため息をつきながら、大神はそれを聞いていた。
願わくば、と。
それがそのままこの部屋の前でとまる事をせずに駆け抜けてくれる事を望んだが、しかし、大神の願いは叶うことは無かった。
簡単のノックの後、返事も聞かぬまま開いたドアの前には、当艦の最高責任者である加山が必死の形相で立っている。
「大神っ」
「・・・・・・頼むから加山。自室で大人しくしていてくれよ・・・。」
第一声は、本心。
諦めにも似た声音で大神は呟いた。
「だって・・・」
「だってもストもないっ!お前は長官なんだから、用事があるなら俺を呼び出すぐらいしろっ!!」
「でも、大神ってば忙しそうだし・・・」
この男に、第一機動艦隊の司令長官・・・トップだという自覚があるのだろうか・・・と大神は頭を抱える。
と言うより、自覚があったならば自分はこんなに苦労はしてないだろう。
そのための参謀職であり、彼の一番の側近だ。
そして、監視役。彼に間違いが起こらないための・・・。
とはいえ、同期であり親友でありそれ以上の関係でもある二人は、大抵こんな感じだったりもするのだが・・・。
「で?どーしたんだ?」
大神が加山と向き合う。
加山は大神に近づくと、手に持っていたものを見せた。
「これだっ」
「・・・??」
「艦内を物色してたら見つけたんだ。」
何のために・・・とは、もう問わない。何だかんだと言って、この戦艦のことを一番知っているのは加山だろう。
「それが?」
「柄杓だよっ」
「・・・・・・見ればわかるさ・・・。」
どこにでもあるような金属製の椀状の容器に木の柄をつけた柄杓を、加山は手に持って大神を見ている。
「・・・・・・それだけか、大神?」
「他に何かあるのか?」
「お前はホントに海の男なのかっ??」
来いっ、と加山は言うと大神の腕を掴み、外へと引っ張り出した。
狭いラッタルを上がり、二人は甲板へと出た。
柄杓と大神の手をしっかりと掴んで加山は離さない。
外は、すっかり日が落ちていた。
あたり一体はすでに闇に飲み込まれていて、エンジン音と波音だけが不気味に響いている。
空気は肌にしっとりと滲むように纏わりつき、風は生暖かい。
どんよりと曇った夜は、いっそう空気を重たく感じさせる。
加山は辺りをぐるりと見渡すと、声を潜めて「いいか」と言った。
「こんな日の夜は、“船幽霊”が出る・・・」
大神は首をかしげた。
船幽霊というと・・・アレだろうか。
夜の海を和船で航行していると、柄杓をくれとせがむ・・・アレ。
これはどっから見ても戦艦だがしかし、日本で作られた船といえば船で。
和船といえば和船である。
それは海の男・・・というより、船乗りの間に言い伝えられている話ではなかっただろうか。
「いいか?大神。例えばコレを海に投げ入れる・・・」
「あっ!」
と、大神が制止の声を上げるまもなく、加山は柄杓を海に投げ入れてしまった。
放物線を描きそれが海中に姿を消してしまうまで、大神と加山はじっとソレを眺めている。
確か、言い伝えによると。
船幽霊が、柄杓をせがむ。
その時は、底を抜いた柄杓を渡さないと水を汲み入れられ、船が沈んでしまう・・・のではなかったか。
日本海軍の作った最強の戦艦が船幽霊に沈まされたとなれば、いったいどう弁解したらいいのやら。
はっきり言って、末代までの恥である。
が、そんな迷信を信じ、柄杓一本で大神の部屋に駆け込んでくる加山も加山だが・・・それをあえて投げ込んでどーするつもりなのだろう・・・。
「っ!!」
瞬間、なんともいえぬ感覚が大神を支配した。
肌が粟立つ。
背筋に寒気が走った。嫌な気配だ。
「出たっ!大神っ」
恐怖に慄いているのか、それとも喜んでいるのかわからない声で、加山が大神を呼んでいる。
手すりから身を乗り出すようにして、加山が指差している海面を大神は見つめた。
暗い海面に、揺れめく何か。
それが艦を囲むように、揺らめいている・・・。
白い。
大神は、目を凝らす。
夜目にも白いそれは、一体なんなのか・・・。
「!!!」
大神は、目を見開いた。
ぞっとした。
不気味なものを見てしまった。
手だ。
それは、無数の手だった。
底のある柄杓を手に持ち、今にも襲い掛からんとしている。
「あ〜っ、やっぱり船に柄杓を乗せちゃいけないんだよ〜。大神、どーにかしろっ!」
柄杓を投げ入れたのは、お前だろうがっ、と出かかった言葉を大神は飲み込む。
自分は参謀であって、けして拝み屋ではない。
けれども、艦内も慌しい。
この様を目撃した者が、腰を抜かしているの違いない。
どーしたものかと大神は海面を見つめていたが・・・大神は一つ静かに息を吐いた。
「大丈夫ですよ、長官。この船は沈みません・・・」
事務的に大神は言い切ると、くるりと加山に背を向ける。
「あっ、どこに行くんだ、大神っ」
「部屋に帰るんだよ・・・、その船幽霊達も時期に諦めて消えるさ」
底の開いた柄杓を渡した時、水を汲めないことを知った船幽霊は諦めて消えてしまうと言う・・・。
だって、と大神は笑った。
「アレじゃ、ココまで届かない。」
「あっ・・・。」
加山は、海面を見つめる。
肩から下の腕だけを突き出した手が無数に蠢いている。
けれども、加山のいる甲板は相当の高さだ。
そこのへんの漁船とは比べ物にはならないほどの・・・。
加山は。
船体に水をかけ続けるだけの珍しい船幽霊達をしばらく見つめ続けた・・・。
底のある柄杓を渡しても沈まない船もあると言う――。
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