【一番甘いチョコレート】
恋の花咲く乙女たちの初冬の祭典、ヴァレンタインは既に3日後に迫っていた。
「やっぱり今年は生チョコが流行なのかな〜」
「ねえ、グリシーヌ。明日一緒にデパートに行かない?ちょうどフェアをやっているんですって」
「おお、それは名案だ。…エリカ、先程から何をやっているのだ?」
「あう〜どうしてうまく銀紙がやぶけないんでしょう…」
「メルぅ、ちょっとこっちのチョコシプーストの味見て〜」
「ちょっと待って…まだガナッシュが口に残って…」
カタログなどを見ながら、あれがいい、いやこっちも捨てがたい、と可愛い声が口々に上がる。
巴里華撃団の面々にとって、今年のヴァレンタインはいつもと少し様子が違っていた。
帝国華撃団総司令にして、巴里華撃団花組隊長である大神一郎が、欧羅巴防衛会議の参加のため、ちょうど当日巴里にやってくるのである。
列車到着は14日の午前予定で、しかも一週間近くも滞在するらしい、との知らせに、彼女たちが盛り上がったことは言うまでもない。
何しろ、クリスマスも大神の誕生日も…巴里を拠点とする彼女たちは、今まで一度も大神と一緒に過ごすことができなかったのだ。
今までの分をここで取り戻そうというのか、巴里花組、それにメル、シーの意気込みは物凄いものがあった。
添えるプレゼントにも趣向を凝らし、チョコレートは勿論、手作りで!!と、とんとん拍子に話が進み、今日はシー主催のヴァレンタイン用の手作りチョコレート講習会である。
パティシエを目指しているだけあって、シーが作るデザートの美味しさはシャノワールの誰しもが認めるところだった。
「みなさ〜ん、材料と道具の準備はできましたかぁ〜」
『は〜い』
ここはシャノワールのキッチン。
先生役のシーが一人ずつ点呼を取っていく。
念の入ったことに、シーは先生用なのかパティシエ服のようなものまで着ていた。
「エリカさん、グリシーヌさん、コクリコさん、花火さん…うんうん。全員出席ですねぇ」
もっとも、ロベリアだけは「そんな馬鹿なことできるかよ」と最初から参加を拒否していたので、完全に全員出席というわけではなかったが。
「では、最初に、道具の……」
「…」
「えーっと…どうしてここに加山さんがいるんですか?」
「ばれました?」
へらっと笑う。
「ばれる、ばれないって問題じゃなくてですねぇ…」
何故か割烹着姿のその男は、花組に混じってキッチンに立っていた。
「これはヴァレンタインのチョコレートをつくるための講習会なんですよぅ」
「ええ、ですからちゃんと道具も一揃い用意してきましたよ」
準備は万全です、と胸を張る。
「…あの〜、加山さん、ヴァレンタインというのは…」
+++++
ゴトンゴトンゴトン…。
夜汽車は巴里を目指してひたすら走っている。
車両を見回る車掌の足音だけが、深夜の夜汽車に存在する物音だった。
(・・・)
そんな中、あてがわれた客室で大神は眠ることもできずに、何回か寝返りを打っていた。
ここ数年、列車での移動は多いのだが、未だに寝台車独特のこの硬さには慣れることはできていなかった。
少し、背中が痛い。
今の大神は帝国華撃団総司令という立場なのだから、もう少し上等の客室を取ることもできたのだが、大神の元々の気質からか、それとも華撃団の財政上の問題からか…防犯上の理由から一応は、個室ではあるものの、最低ランクの客室を利用していた。
帝都から巴里へ、陸路、海路、そしてまた陸路と移動につぐ移動で疲労がかなり溜まっているはずなのにどうしても寝付かれない。
「…はぁ」
しかし、大神が溜め息をついた理由は寝台の居心地が悪かったわけではなかった。
自分の良く知っている人物の気配を確かに感じたからだ。
しかも、窓の外から。
そして、その大神の直感は確かに当たっていた。
次の瞬間、窓のガラスを軽く叩く音がする。
と、カチャカチャと窓の鍵をこじ開けるような音が後に続いた。
「…」
こちらの許可も得ずに、勝手に窓から入ってくるような知り合いは、大神には一人しかいない。
「お客さん、乗車券を拝見」
風の強さに崩された髪型を直しながら、常どおり窓から入ってくるその男に、大神は相手のペースに乗ってしまっていることに気づきつつも、呆れた表情を浮かべるしかない。
どこの世界に、窓から客の乗車券を確認にくる車掌がいるのだろう。
しかも、時速200キロ近くで走っている列車の窓から。
「おい、加山…」
「ちょっと待て」
仕方ないというポーズを崩さないままに、大神はベッドから起き上がり、明かりを点した。
嗜めようとしても、当の相手は聞く耳を持たない。
これもまたいつも通り。
大神を静止しつつ、加山は自身の懐中時計を取り出すと、
「4、3、2、1、0…よし」
カウントダウンを始めた。
「?」
加山の行動の意図がつかめない(これもまたいつも通り)大神としては、ただ黙って見ているしかできない。
そんな大神に、加山はふふん、と楽しそうな笑みを見せると、懐から小さな箱を取り出した。
手のひらサイズの小さな白い箱。
ちょこんと乗った赤いリボンが可愛らしい。
「ハッピィーヴァレタイン、大神ぃ!ほらチョコレートだ」
大神の驚いた表情に、加山の笑みはさらに深くなった。
得意気でさえある。
「…ありがとう」
目の前に差し伸べられた白い箱を受け取ると、大神も加山に笑みを返した。
こんなときに加山は思う。
俺の趣味は大神を驚かせることだけども、それは大神の驚いた瞬間の顔が見たいからじゃなくて、今みたいな…驚いた後の大神の笑い顔はまた格別だな、と。
「これで今年も俺が花組の皆さんより先に、一番にチョコレートを渡せたことになるな。よしよし」
大神のベッドに腰掛け、まるで自慢のようにそう呟く加山が、大神には無性におかしかった。
だから半分呆れたように、
「おまえってそんなことにこだわる奴だっけ…?」
そう問いかけた。
加山はあまり物事の順位には拘りを持ってない、と大神は思っていたからだ。
もし、加山が何事も一番であることを望むような男なら、士官学校を主席で卒業したのは彼であっただろうから。
すると、加山はさも心外だとでも言うように軽く手を振ると、少し照れたような表情になり、さらには、にやにやと人の悪い笑みを浮かべ、
「大神に関しては何でも一番が良いんだ。どんな日も一番に祝いたいし、一番愛したいし…一番愛してもらいたい」
と、わざと少し大きな声で言った。
「…少なくとも一番気障だよ、おまえは…」
どうして、そんなことを口に出して言えるのだろう。
言われた方はこんなにたまらないのに…。
条件反射的に今まで自分が纏っていた毛布を頭からかぶって、真っ赤になってしまった自分の顔を隠した大神だが、加山にはそんなささやかな抵抗は無意味だったらしい。
「ふふん、お前を一番、そんな表情にさせているのも俺だろ」
笑われた。
それでも、大神は自分から認めようとはしない。
「これは呆れてるんだ」
加山にとって、そんなところがまた可愛くて笑われていることに大神はまったく気がついていなかった。
「いや〜しぃあわせだなぁ〜大神に一番に想ってもらえて」
調子に乗ったのか、ギターを取り出してジャカジャカかき鳴らす加山に、ついつい大神は自分の顔を隠していた毛布を取って叫ぶ。
「ば、馬鹿、ここを何処で何時だと思ってるんだ!」
「特急列車の個室で、今日は2月14日のちょうど12時をまわったところだ」
結局、真っ赤な自分の顔を思いっきり加山に見られてしまった。
加山の策略にまんまとのっかかってしまったことに大神が気づき、それがまた大神の顔の赤さを増し、そして加山の笑いを誘い…。
これじゃあいたちごっこ、どうどうめぐりだ。
それは流石にわかるから、どうしても声が荒くなる。
「わかっているならっ…ってちょっと待て誰がおまえを一番に想って…」
「はっはっは、突っ込み所を間違えたな、大神。まぁ、そんなところが可愛いんだが」
「…」
馬鹿野郎。
「用が済んだなら、とっとと帰れ」
今だにやけ顔を崩そうとしない加山を窓に押し出そうとする大神。
「つれないこというなよ〜、第一用は済んでない。一番大事な用がな」
そんなことをのたまいながら、さっと手を出す。
「…」
大神は差し出されたその手を何となく握ってみた。
意外と柔らかい。
にぎにぎ。
「…」
「…」
にぎにぎにぎにぎにぎ。
「これで気がすんだか」
「…済むわけないだろう…」
その割りに随分幸せそうな顔をしていたくせに、と大神は加山に聞こえるように呟いた。
「俺はお前から『一番に』チョコレートを貰いたい」
真顔できっぱりと言い切る加山。
ある意味、とても男らしい。
「…あー…」
なるほどね。
「くれ」
そう言いながら手をちらつかせる。
単刀直入、ムードもへったくれもありゃしない。
「ない」
じっ…と大神を見つめる加山の瞳は異常なまで真摯なものだった。
使いどころを間違ってやしないか。
「ないもんはない」
「嘘だ」
今度は言葉に出された。
「今、持って無いんだ、いや、帝都に戻ってから準備しようと…花組の皆も俺が出張から戻ってきてからヴァレンタインパーティをすると言っていたし…その、…すまん」
見る見るうちに加山の表情は萎んでいき、加山の特徴の一つである垂れ目はさらに垂れ下がっていった。
何で俺があやまらなきゃならないんだ、と思いつつ、かなりショックを受けている加山についつい、謝罪の言葉を出してしまう大神。
「…ほ、ほら。帝都に戻ったら何でも好きなチョコレート買ってやるから」
生チョコか?チョコレートケーキか?
こういうところが大神の弱い部分だ。
もしくは、優しい部分。
「第一、俺がチョコレートをやる相手はおまえだけなんだから、一番も二番もないだろう」
男が男にチョコレートを送るって意味をきちんと理解して…いないんだろうなぁ。
もはや言っても意味のないことだろうから、大神は加山に対してそれ以上何も言わなかったが…ただ大きく溜め息をついた。
「…本当にか」
疑り深い。
「当たり前だろう」
「お前には前科があるからな〜一昨年、米田元司令にあげたもんなぁ…」
これは本当のことではある。
しかし、あれはお中元や時候の挨拶のようなつもりのものであって、加山に贈るものとは意味合いがまったく違っているのに…加山はことあるごとに引き合いに出しては文句を言っていた。
そしてこれらの意味合いの違いを、聡い加山が気づいていないはずもない。
それが非常に大神には腹立たしかった。
「しつこいな」
再び溜め息をつく、今度はわざと。
「今年も挨拶で、グランマや迫水大使に菓子折りでも持ってきてるんだろう」
ぼそぼそ、と言葉を継ぎながら、加山は部屋の隅にある大神の大きめのトランクを指差した。
「…菓子折りも駄目なのか?」
確かにあれには迫水が好きだと行っていた帝都の有名菓子店のクッキー詰め合わせが入っており、その中にはもしかしたらチョコレートクッキーがあったかもしれないが…。
「やっぱり大神は俺以外に一番にチョコレートをやるんだぁ〜」
ついには泣き出してしまった。
どうせ嘘泣きだろうが、五月蝿いことには変わりはない。
ここで、他の乗客の迷惑になるから、と有無を言わさず加山を叩き出さない大神はやはり優しい。
何か持っていなかったか、と手鞄やスーツのポケットなどを漁る。
元々、大神はそれほど甘味を好むわけではないので、旅と言えどもお菓子の類はまったく持っていなかった。
「…塩昆布ならあるんだが」
鞄の隅にあった塩昆布の袋を取り出して加山に渡す。
「…」
「…こんなものでごまかされると思うなよ」
「だったら食うなよ」
「甘くない…」
「甘い塩昆布なんてものがあったら俺は嫌だ」
「わかった、わかった。巴里に着いたら買ってやるよ、一番に」
塩昆布とその一言にようやく納得したのか、加山は文句を言うのをやめたようだ。
何となく母親の気分。
加山からもらったチョコレートを開けていないことに気がついた大神は、リボンを解いて中のチョコレートを取り出した。
(こいつのことだから一番にチョコレートを食べないと、今度は何を言い出すかわからないからな…やれやれ)
「意外とうまいな」
少しハート型がいびつなのは、どうも手作りだからのようだった。
手作りのチョコレートを男からもらう日が来るなんて…ちょっと妙な気分だ。
もっとも、何事も器用な加山らしく、味は素晴らしかった。
あまり甘くないあたりなど、完璧に大神好みだった。
「巴里花組の皆さんと一緒に作ったんだ」
「ほう」
「最初はヴァレンタインは乙女の祭典なんだから男は遠慮してくれ、と言われたのだが…」
「まあ、そうだろうな」
「俺も大神に恋する乙女の一人だと2時間近く主張したら快く仲間に入れてくれた」
「…」
「いや〜、花組はいいなぁ〜…敵に回すと恐ろしいけど」
「どうして、おまえはそう恥ずかしいことを平気で言えるんだ…」
「え〜、俺だって恥ずかしいけど〜愛する大神の為なら〜」
「…嘘付け」
どうして、いつも自分だけが恥ずかしくなって顔を染め泣ければならないのだろう。
大神には非常にそれが悔しい。
悔しくて堪らない。
頬を染める位ならまだ見たことはある、しかし、こいつが真っ赤になって慌てふためくところなど俺は見たことがないーそんなことを考え出すと、こちらの感情に気がつくこともなく味が無くなった塩昆布を口から出している加山が何だか腹立たしくなった。
「何だ?大神ぃ」
しばらく何も言わずに自分を見ていたことを不思議に思ったのか、加山が大神を覗き込んでくる。
一度でいいから、こいつを恥ずかしくてたまらなくさせてやりたい。
いつもの俺みたいに。
「おまえにチョコレートをやろう」
「ん?」
片手で加山から貰ったチョコレートを口に入れると、もう片方で加山の頭を掴むと。
キスを仕掛けた。
「ん…」
「…」
唾液が絡みあい、チョコレートの味が無くなったところで、顔を離す。
駄目だ、結局自分が一番恥ずかしい。
あまりに恥ずかしすぎて加山の顔を見ることもできない、これじゃあまったく意味が無い。
ただ、
「…俺が今まで食べた中で一番甘いチョコレートだ、流石、大神」
少しほうけたような加山の声に、常だったら聞くことができないその声質に、溜飲を下げることができたのもまた事実だった。
「大神も」
その言葉と同時に顎を軽く掴まれて。
今度は仕掛けられた。
自分のときよりも更に深く、長く。
「俺のチョコレートは、甘かったか?」
「…察しろ」
やはり甘いチョコレートは苦手だ。
特に、こんな顔が真っ赤になるチョコレートは。
|