頬を撫でる風が、少し冷たく感じられる夜。
いつもよりも幾分乱暴な仕草で、親友は窓からやってきた。
「……加山、怪我してるじゃないか!すぐに医務室に…」
「良いんだ、大神。大した怪我じゃない……」
よろめくように倒れこんできた加山を抱きとめると、埃と血の匂いがした。自慢のスーツが随分とぼろぼろになっている。
「だって、胸のところ…裂けてるじゃないか。切られたのか?一体…」
「…ああ、すまん。おまえの服が汚れてしまうなぁ…」
「そんなことはどうでも良い!加山……何が…」
何があったんだ、と尋ねることは容易だ。なにせ、俺は当事者じゃない。
訊かずとも、加山の憔悴した様を見れば、おおよその見当はつきそうなものの…
「……今日、清水が死んだ」
俺に抱きついたまま、加山がぼそり、と呟くように言う。
「………え?清水って……あの、月組副隊長の……?」
「そうだ。あいつには…奥さんも子供も……畜生!オレが……オレがあそこでためらわなければ…!」
悔しさに加山は肩を震わせている。亡くなったのは隊長である加山の、部下だ。上官が部下を死なせるなど、海軍ではあってはならないことなのである。加山の無念さが、手にとるようにわかった。
「オレが……オレが死ねば良かったんだ………あいつは……何も…っ」
冷たい風が窓辺のカーテンを揺らし、頬を撫でる。
血の流れた夜。
「加山…そんなに自分を責めるな」
「気休めはやめてくれ……。あんな状況で死ねないなんて……オレは隊長失格だな。未練がましく…生き残っちまった」
親友の痛ましい様子に、自分の胸も同じように痛む。それでも俺がしてやれることなど、ないに等しい。
せめて、今夜この部屋を訪ねてくれた友人を、力づけてやることができれば。
「加山…それなら俺も一緒だ。聖魔城の中で俺は…次々と花組隊員を見殺しにした」
「……大神」
「本来ならば俺たちは、先陣を切って死ななければならないところだ。だが…俺には、最後まで死ねない理由があった。あのとき俺は……皆を守るためだけにだったら、何度でも死んだだろう。だが…」
言葉を切ると、大きく息をつく。思い出したくない、あまりにも壮絶な戦いの記憶。それを自分の中で自分なりに整理できたのは、つい最近だ。
「俺は、俺の信じるもののために、死ねなかった。死にたくなかった。例え、隊員を犠牲にしてもだ。死ぬのなんて、いつだってできるだろう……加山?………俺を軽蔑するか?」
加山の胸に刻まれた、戦いの傷。そこは既に血液が固まって出血はしていないが、それでも決してかすり傷とは言えない怪我だ。
その胸の傷が、赤黒く凝固した血液が、まるで誰かの想いのように。咲き誇る花のように。
「死ぬのはいつだってできる、か。軍人らしくない台詞だなぁ」
夜の闇がやさしく落ちている屋根の上で、空を眺める。
「極めて合理的な生き方だと思わないか?」
「違いない」
町の灯もだいぶ消えて、星がよく見えた。隣に寝転ぶ親友は、裂けたスーツの中の胸に包帯を巻いている。勿論、俺が巻いたのだ。
「どうせ、いつかは死ぬんだ。だったら……後悔はできるだけ少ない方が良い」
「そうだなぁ。オレも、そう思う。……大神ぃ、礼を言うぞ。オレが泣いたって、あいつが帰ってくるわけじゃあないしなぁ」
加山はそう言うと、目を閉じた。俺はその睫毛に、赤い星の降る想像をする。
「忘れずに、前を向いて、しっかりと立っていればそれで良いんだ。俺たちは、いつだって死ねる」
自分も寝転んで、目を閉じる。丸い闇に、星空に2人で包まれていると、まぶたの裏で思う。
「……大神ぃ、オレ、おまえと………」
隣で加山が身体を起こす気配がしたので目を開けると、身体ごとこちらを向いているのがわかる。暗いので表情はわからないが、その後ろで、星が流れ落ちるのを見た。
「………いや、なんでもない……」
加山は少し微笑んで、また隣に寝そべった。
飲み込まれた言葉の続きを、尋ねることはしない。
俺たちは、いつだって死ねる。
死のうとして死ねなかった友と
生きようとして死んでいった友と
君を思えば血路に咲く
左の胸の花となれ
目映い火花が落ちていく
赤く焼けて膨らんで
君を思えば天球の
流れ輝く星となれ
森博嗣「MATEKI―魔的 Magical Words behind me」より「花と星」