葉子様 御中

溶月浮影 1

 「報告は、以上です」
「……はい、わかりました。では引き続き、調査を行ってちょうだい。どうか、よろしくね」

 あるうららかな春の午後、米田が狙撃された。陸軍省前であったこともあり米田はすぐに病院に搬送されたが、意識不明の重態。花組が渋谷に出撃していた間の出来事である。
 即座に月組は犯人の捜索を開始した。隊長自らが護衛についていたにも関わらず、司令長官を狙撃されたのであるから、これは月組にとってもかなりの問題であった。もしも米田が死ぬようなことになれば、いくら取り替えのきかない秘密組織の隠密部隊隊長とはいえ、その処遇が取り沙汰されたであろう。
 幸い米田は奇跡的な回復をみせ、意識を取り戻していた。加山の首も何とか繋がったわけである。

「……加山くん、少しこちらに来てくれる?」
「?なんでしょうか?」

 ここは帝劇の支配人室。つい先日副司令に就任した藤枝かえでが、目の前で報告を行っていた月組隊長の加山を手招きする。そして、デスクのすぐ手前にまで歩み寄った彼の耳元に口を寄せた。突然若く美しい上司に顔を寄せられ、加山の顔が僅かに紅潮する。

「ふ、副司令?」
「……サキさんなんだけれど。少し気になるの……私でさえ、彼女の素性をほとんど知らされていないのよ」

かえでの抑えた声音にただならぬものを感じ取り、加山は神妙にうなずいた。確かに、米田の秘書として帝撃に詰めている人物の話題ならば、耳打ちにならざるを得ない。加山は、一瞬でも何事かを期待してしまった自分に内心で苦笑した。

「……わかりました。そちらも少し洗ってみます」
「お願いね。どうも気になって……女の勘、てやつかもしれないわ」

 一礼して、支配人室の扉を出る。さすがにここでは、窓から出入りするわけにいかなかった。
 帝劇1階フロアは、支配人室の前は勿論、関係者しか通らない裏口への廊下まで上等な絨毯が敷かれている。足音を消して歩くのにはかなり適していると言えよう。事実、隠密である加山も、度々この絨毯の恩恵に与っているのだった。帝劇内部ですら隠密行動をするのが月組であり、その辺りは徹底している。

 「……ネェ、加山さん」

 加山が裏口の扉を開けようとしたところで、背後から突然女の声に呼び止められる。ぎょっとしてほとんど反射的に振り向くと、黒いスーツを着た影山サキが微笑んでいた。

「……なんですか?」
「少し、お話ししたいことがあるの。ここじゃなんだし……ちょっと楽屋までいらしていただけないかしら?」

いくら加山が油断していたとは言え、足音はおろか気配すら感じられなかったことを訝しく思う。加えて先ほど、支配人室でサキに関する話をしていたばかりである。日頃ならばこのような美人に話し掛けられれば舞い上がってしまうところだが、加山は少し身構えた。

「……どんなお話です?」
「それも、ここではちょっと……ネェ。月組隊長さん?」

月組の名前を出され、加山は思わず言葉を詰まらせた。月組の存在は帝撃関係者ならば知っているだろうが、その隊員については任務に支障が出るので、ほとんど機密扱いだ。加山が隊長であることを知っている人物さえ、隊員以外ならばほとんどいないと言っていい。

「来て、いただけるわよネ?」

にっこりと微笑み、サキは誘うようにゆっくりときびすを返すと、楽屋に向かって歩き出した。数秒の逡巡の後、加山はその後ろを数歩分離れて追う。



 「………お話は、わかりました。しかし」
「危険なことだというのはわかってますワ。でも……アナタだからお願いしてるの……」

お願い、とサキが顔の前で拝むようなポーズをし、片目をつぶってみせる。自分が美しい女であることを知っている者の計算高さだ。お願いされて悪い気はしないが、サキの素性がつかめていない今、危険なことになりはしないだろうかと加山は躊躇する。

「……実は、ここだけのお話だけど、近々陸軍に帝撃月組のような部隊ができる予定があるんです。ワタシ、その部隊の立ち上げに関わることになるの」
「……それは」
「本当よ。少し先のことにはなりそうだけれど……陸軍も、帝撃の機構には一目置いてるってことネ」

サキの言うことが本当ならば、サキは陸軍の中でもかなりのエリートということになる。そして、今は帝撃所属とは言え、加山は海軍将校だ。その加山がサキと問題を起こすということは、陸軍、海軍レベルの問題に発展することもあり得る。話を聞いてしまった時点で、既に加山に選択肢は残されていないと言ってもいい。

「……一朝一夕で会得できるものではありませんよ?」
「わかってますワ。でもワタシ、飲み込みの早さには自信があるの。よろしくお願いしますネ」

サキがにっこりと微笑み、加山の手をぎゅっと握った。突然の接触に、加山の胸が条件反射で高鳴る。
(………一体この女、何物だ?そして、何を考えている?)

 こうして、加山はサキに催眠術を指南することになったのだった。

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