溶月浮影 1
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「報告は、以上です」
あるうららかな春の午後、米田が狙撃された。陸軍省前であったこともあり米田はすぐに病院に搬送されたが、意識不明の重態。花組が渋谷に出撃していた間の出来事である。
「……加山くん、少しこちらに来てくれる?」
ここは帝劇の支配人室。つい先日副司令に就任した藤枝かえでが、目の前で報告を行っていた月組隊長の加山を手招きする。そして、デスクのすぐ手前にまで歩み寄った彼の耳元に口を寄せた。突然若く美しい上司に顔を寄せられ、加山の顔が僅かに紅潮する。
「ふ、副司令?」
かえでの抑えた声音にただならぬものを感じ取り、加山は神妙にうなずいた。確かに、米田の秘書として帝撃に詰めている人物の話題ならば、耳打ちにならざるを得ない。加山は、一瞬でも何事かを期待してしまった自分に内心で苦笑した。
「……わかりました。そちらも少し洗ってみます」
一礼して、支配人室の扉を出る。さすがにここでは、窓から出入りするわけにいかなかった。
「……ネェ、加山さん」
加山が裏口の扉を開けようとしたところで、背後から突然女の声に呼び止められる。ぎょっとしてほとんど反射的に振り向くと、黒いスーツを着た影山サキが微笑んでいた。
「……なんですか?」
いくら加山が油断していたとは言え、足音はおろか気配すら感じられなかったことを訝しく思う。加えて先ほど、支配人室でサキに関する話をしていたばかりである。日頃ならばこのような美人に話し掛けられれば舞い上がってしまうところだが、加山は少し身構えた。
「……どんなお話です?」
月組の名前を出され、加山は思わず言葉を詰まらせた。月組の存在は帝撃関係者ならば知っているだろうが、その隊員については任務に支障が出るので、ほとんど機密扱いだ。加山が隊長であることを知っている人物さえ、隊員以外ならばほとんどいないと言っていい。
「来て、いただけるわよネ?」
にっこりと微笑み、サキは誘うようにゆっくりときびすを返すと、楽屋に向かって歩き出した。数秒の逡巡の後、加山はその後ろを数歩分離れて追う。
お願い、とサキが顔の前で拝むようなポーズをし、片目をつぶってみせる。自分が美しい女であることを知っている者の計算高さだ。お願いされて悪い気はしないが、サキの素性がつかめていない今、危険なことになりはしないだろうかと加山は躊躇する。
「……実は、ここだけのお話だけど、近々陸軍に帝撃月組のような部隊ができる予定があるんです。ワタシ、その部隊の立ち上げに関わることになるの」
サキの言うことが本当ならば、サキは陸軍の中でもかなりのエリートということになる。そして、今は帝撃所属とは言え、加山は海軍将校だ。その加山がサキと問題を起こすということは、陸軍、海軍レベルの問題に発展することもあり得る。話を聞いてしまった時点で、既に加山に選択肢は残されていないと言ってもいい。
「……一朝一夕で会得できるものではありませんよ?」
サキがにっこりと微笑み、加山の手をぎゅっと握った。突然の接触に、加山の胸が条件反射で高鳴る。
こうして、加山はサキに催眠術を指南することになったのだった。 |